うららかな日だった。
世はまさに平穏で、優しい日差しが俺たちのいる庭園を照らしている。
『ほら』
俺は懐から一枚を取り出し、隣の男に渡した。
『この前遊びに行ったとき撮っといたぞ』
すると奴はぎょっとした。
『これ、異端技術だろ』
たしかに〝写真〟は教団が禁忌とする技術の産物だ。
しかし――――
『別にいいだろ。こんな鮮明な絵がそこいらの絵描きに描けるかよ』
しかし、俺はそういったことに頓着がなかった。
教義だの戒律だの、選択をせばめるだけの枷。
俺には、そうとしか思えなかった。それでも建前としては教徒ということになっているが。まあ、形だけだ。
『ほら、生まれたばかりの娘もこんなにかわいく』
電光石火もかくやといった速さで、俺の手にあった写真が消えた。
『そこまで言うならしかたない。他人の好意をむげにするのは道にもとるからな……しかたない』
奴の手に渡った写真には、美女と男子と赤子がいた。こいつの嫁が乳飲み子を抱え、隣に立つ少年と微笑んでいる。
やれやれ。教団選定の勇者様直々に教義破りとは。世も末だね。破らせた張本人の俺は感慨に浸る。
『そんなに所帯が大事かね』
『お前も結婚すればわかるさ』
半分は意地っ張りで、もう半分は不器用で出来ているこいつがあっさり認めやがった。こいつはよっぽどだ。
『俺を捕まえられる女がいないのさ』
大げさに肩をすくめてみる。が、こいつはさっきから写真をガン見していて、こっちなんて目もくれねえ。
『まあ、とっととカタをつけて戻ってくるがいいさ』
『ああ。お前は、やっぱり』
『ああ、俺はここで引退さ。与えられた役割とやらからは降ろさせてもらう。総教皇殿とはそういう盟約だったからな』
もともと、人にああしろこうしろと命ぜられるのはガラじゃない。ただ、気楽に安穏と生活するには、通すべき筋というものがあった。今まで教団の駒として動いていたのは、そういうわけだ。
『領地をひとつ、もらうことになっている。イガウコって言ってな、そこじゃ、異端技術だの教義だのなんて関係ない。良きもの面白きものはガンガン採用していく。そんな街が一個くらいあったっていいだろ』
まず賭場だな。そこいらの街にあるしみったれてこそこそしたやつじゃない。もっと大々的に、エンターテインメントみ溢れた……
『しかし一切の戦闘行為は禁じられるんだろ』
『そうだな。けど、もうその必要はないんだ。荒事なら、冒険家でも使えばいい』
そういう盟約であった。戦場から去り、領地を譲り受け、力を封印する。己が戦うことはない、ただの一般人へ。この制限は自力で解除することはできず、総教皇の許可を得ない限りはずっとこのままだ。もっとも、そんな自分勝手に外せるなら盟約の意味もないのだから当然である。
そしてそれは俺も望んだことだった。もう争うことはない。ただ、ゆったりと生きていきたい。
名目上の領主は別の人間にやらせるつもりだ。政務なんて面倒なだけだ。俺はのんびりと適度な社会との距離を維持しつつ悠々自適に余生を。
何かあれば冒険家を使えばいい。もっと言えば、冒険家を使う立場にいればいいのだ。
『それだけの力と才を持ちながら』
『まだ《譲られた勇者》ってのが気になるか?』
教団が最初に選定した勇者は俺だった。けれど、そんな面倒なことを俺がしょいこむはずもない。俺は即こいつに投げた。
『いいじゃないか。このあと、お前は名実ともに英雄になる。真の勇者として歴史や記憶に刻まれる。それでいいじゃないか』
『俺は能力ある者の義務を』
『隊長ー!』
こいつの反論は、ここから少し離れた正門からの声にさえぎられた。
『そろそろ出発します!』
声の方には五人の影があった。
『ほら行ってこい』
その背を叩いてやると、こいつは釈然としてなさそうだったが、そのうち写真を大事そうにしまって歩き出した。こいつとあいつら、計六人は、この遠征で英雄となるだろう。民の命と心を救うのだ。そこに俺はいない。いたくもない。英雄なんて称号や偶像なんて俺には煩わしいだけだ。
俺はただ、晴れた日には外に出て、雨の日には家で過ごすような生き方をしたい。動乱に振り回されることなく、心静かに暮らしていきたい。
『イガウコで待ってるからよ、終わったら会いに来いよ』
『誰が行くか。そっちがうちに来い。生憎、そこまで暇じゃないんだ』
素直じゃねえな、ほんと。
『じゃあな、アル』
それでも。
『ああ、行ってくる』
そのとき聞いた声は明るくはっきりで、
『また会おう、アル』
そのわずかな笑みまじりの顔が、
俺が見たあいつの最後の姿だった。
「……長」
ゆらゆらとした意識を、誰かが掬い取ろうとする。
「支部長」
俺はゆっくりまぶたを上げる。
「すまない、寝ていたようだ」
俺は目元に手をやる。それにしてもずいぶん懐かしい夢だったな。
「良い天気ですからね」
起こしてくれた受付嬢はクスクス笑って窓を見る。冒険家協同組合事務局イガウコ支部の穏やかな昼間。支部長席のある一室は俺と彼女以外おらず、その陽気と静けさはうたた寝しないと失礼なくらいだ。
「でももう少しやる気を見せないと」
「そういう君はやる気に満ち満ちているね」
「私ももう新人じゃありませんからね!」
誇らしそうに自身の胸を叩く。
「数ヶ月後には私にも後輩ができるんですよ。見本になれるような受付嬢にならないと」
「君は十二分に優秀だよ」
お世辞抜きでそう思う。受付嬢になったばかりの彼女の働きはすさまじく、すでにイガウコ支部のエースだ。最優秀新人賞受賞については、支部長会でも異論はない。
「君なら中央でも活躍できると思うが」
実際、ここよりもっと規模の大きい支部からの誘いも来ている。優秀な人間は、よりその能力を活用できる場所へ。当然すぎる理屈に、上司として即座に拒否する理由などなかった。
「いえ。ここがいいんです」
しかし――俺もそうだが――当人が望まないケースというものは往々にしてある。能力があるからといって、その能力のすべてを発揮しなければならない理由はない。そんなことをしても疲れるばかりだ。
結局、やることと言ったら能力のない人間の尻拭いなのだから。
能力は、そりゃ努力でまかなえるならそれに越したことはないが、だいたいは先天性だ。欲しくても手に入らない者もいれば、欲しくもないのに手に入ってしまった者もいる。ままならない。能力があるばっかりに、すべてを背負って消えていく者もいる。
帰ってこなかった俺の親友のように。
「私、この街が好きなんです」
彼女の真っ直ぐな視線と言葉に、俺はわずかに驚いた。
「そんなにこの街が好きかい?」
「はい。平和で自由で。私はここで力を尽くしたいんです」
能力があるからといって、その能力に見合った現場が幸福とは限らない。仮に彼女が中央に行けば、それはそれで煩わしいしがらみが付いて回るだろう。多忙な業務に加え、面倒な派閥争いや立ち回り……高給や地位のために、心も体もすり減らす日々に違いない。それが彼女の望むものでないということだ。
「私も同じ思いだよ」
それは俺も同じだった。似た者同士というのは、とかく同じところに集まりやすい。そういうことだろう。内輪でかたまってばかりもよろしくないが、気の合う人間が引かれ合うのは必然だし、それ自体は悪いことではないだろう。
「それで、私に何か用かい」
すっかり世間話をしてしまったが、本来窓口業務の彼女がここに来るということは、俺に何か話すことがあるということだ。
すると彼女は「ご相談がありまして」と切り出し、
「実は街の中に不審な人物が目撃されていまして、これは冒険家に対応させるべき問題なのかと」
「大変です!」
扉が勢いよく開かれ、俺と彼女はそちらを見る。
嫌な予感がした。
そしてこの手の予感というものは、往々にして当たってしまう。
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