外伝 一人の英雄のありふれたあってはならぬ一つの英雄譚───伝説の戦士、語られぬ数多の屍敷かれた戦場へ帰還す 第四話
「冒険家とは別の武装勢力ですか」
「ああ。ハンザ……商人ギルドは、冒険家とは別の武装勢力と協力関係にある」
「傭兵ということでしょうか」
新人受付嬢の言葉に俺はうなずいた。
「そう考えてもらっていい。厳密には、ハンザのリーダーであるリュベークの個人的な縁のようだが」
「その人たちに商店や商人は任せて良いということですか」
「あくまで優先順位を下げるだけだ。商人である前にイガウコの住人である以上、我々が守る責務がある。もっと言えば、その武装勢力だって保護対象だ」
「つまりその人達がピンチになるまでは、ですね」
「そういうことになる」
「報告」
支部長室の柱の影からヒガンが現れた。
「〈イビサ〉戦闘継続不能。その後ハンザ護衛のためエモヌ組介入」
「〈ハゲレ〉についてですが」
入室早々に眼鏡をかけた受付嬢が報告する。
「戦線離脱し、こちらの要請を拒否するとのこと。いかがいたしましょう」
「放っておけ」
「よろしいので?」
俺は苦々しさを隠さず、
「事務局はあくまで冒険家の補助が目的だ。冒険家に対して強制力を持つ組織ではない」
「つまりギルドが事務局の要請を拒否することはもちろん、それに対して事務局は罰則や指導はできないと」
「そういうことになる」
言っていて自分でも嫌になる。
構造的欠陥とも言える。ギルドひいては冒険家をコントロールすることは事務局でもできない。冒険家登録の抹消や資格停止といった処置は、あくまで所定の基準や違反があった場合のみだ。こちらの要請を拒否したからといって不利益を与えることは、越権行為とみなされる。つまり、冒険家へ命令ができる組織は存在せず、事務局ができることは各種依頼の制限と行動の要請だけ。それも冒険家側が嫌だと言えばそれまでだ。
「戦況分析」
ヒガンを見る。
「ギルド・冒険家間の連携取れず。それゆえ孤立」
「ギルド単体はまとまっていても、ギルド間での意思疎通はうまくいってない。ソロの冒険家たちならなおのこと……ってことか」
「然り」
ここでも構造的欠陥が浮き彫りになっている。冒険家たちを指揮監督できる機関が存在しないため、全体の統率が取れない。個々のギルド、個々の冒険家がバラバラに動けば、各個撃破されてジリ貧になるのは明らかだ。
もしイガウコの冒険家すべてを管理できる者あるいは権力があれば……
後悔しても始まらない。
俺は額に手をやり、それから、
「各ギルドの損害は」
問われた受付嬢は眼鏡をおさえ、
「〈ハゲレ〉を除く上位ギルドはほとんどが戦闘員を欠いた状態です。現在は中位ギルドが前線にて交戦していますが、時間稼ぎも困難という状態です。これ以降、下位ギルドしか補充要員がいないとなると……」
「負傷者は」
「支部で治療中です。回復魔法を使える者を筆頭に非戦闘員はここと現場を往復しているというのが現状です」
「イガウコ外への避難も検討しなければならない、か」
「街を捨てる、と?」
「これから他の支部へ救援要請するにしても、イガウコ全体が戦場になるとみるべきだろう。これが最善手だ。なにか異論は?」
この場にいる者、全員が沈黙を貫いた。
つまり、それしか手がないと皆わかっているのだ。
街を捨てる。
それは敗北を意味していた。
しかし、住民を優先すべきだ。
街はいくらでも作り直せる。
しかし、人は……
人は一度失えば、二度と返ってこない。
あいつだってそうだった。
だからこそ、これが最善手。
いいや、違う。
自分の提案に、心では違うと言う。
最善手? そんなわけないだろ。
もっと単純に、もっと迅速に、
解決する方法があるではないか。
「今後をトップ層で話し合う必要がある」
そう言うと、全員が察したらしく、持ち場に戻っていった。
これで支部長室には自分ひとり。
あとは長距離間の交信魔法を使うしかないが、首尾よく緊急会議を開けるかどうか。いや、そもそも会議を開く前に根回しか……いっそ自分が直接……いや、しかし……
苦悩する。
どれも速効性に欠ける。こうしている今も冒険家は戦い、住民は危機に晒されているというのに。
そこで、ふと、机から光が溢れているのに気づいた。
机の一番下の引き出しを開く。そして一番奥にしまわれたものを取り出した。光源はこれだ。
それは球体をしていた。人間の頭くらいの大きさで、中には水と土と草と魚が入っている。
パーフェクトアクアリム、というらしい。なんでも、この球体で生命の循環とやらが完成しているとか。
イガウコを譲れらた際、あの人からもらい受けたものだ。
記念品――――インテリアだと思って、ずっとしまったままだったが、
どうやらその正体は――――
『大変な事態のようだね』
机の上に置くと、机を挟んで、目の前に老人が現れた。正確には、球体が発光し、老人の姿が映し出されたといったところか。
『君の顔と、こちらに伝わる情報から察するに、いよいよ万事休すといったところか』
「まったくもって」
俺は苦々しく肯定した。
「それで、連中は何者なんです」
『私にも明確に、これといった当たりはつけられん』と、総教皇は前置きし、
『けれど推測はつけられる』
推測すらできないこちらとしては、それでもありがたかった。
『おそらく件の聖十字騎士団なるならず者たちは、異世界からの転移者あるいは転生者』
「異世界の転移・転生……」
『以前に君にも話した通り、歴史の時折には、そうした異世界からの来訪者というのが偶発的に表舞台にやってくる。そうした人間がどういう精神状態・思考回路かと言うと』
総教皇はわずかに考えるような――――振り返るような目をした。
『非現実感』
俺は顔をしかめる。
『その言葉に尽きる。地に足のついた考えをしない。この現実を夢か遊びの延長だと考える。そうすると、子供が虫を弄ぶように人を殺し、砂場の城を壊すように秩序を蹂躙する。彼らの残虐行為は、そういった非現実的認識に立脚しているといっても過言ではない』
「…………」
『無論、その思想を咎め導くべきなのであろうが、かといってこの場でそんなことをしても無意味だ。説法をしたところで彼らはその力でもってねじ伏せ、悦に入るのが精々だ。この場では、圧倒的な力でもって鎮圧するほかない』
「ですが」
その方法が。
『イガウコはその立地から、あらゆる争いや災いから縁遠い。それは平和で結構だが、同時に冒険家の質を落としている。今回の苦境は、それが原因のひとつといえる』
総教皇は複雑そうな顔で、
『しかし困ったね。イガウコは良くも悪くも教団の影響がほとんどないところだ。そこに教団の戦力を割く。これは体裁が悪い』
教団の力はあてにできない。わかっていたことだ。今まで教団から独立した街づくりをしてきて、いざ危機に陥ったら救いを求めるなんてことはできない。だから、これまで目の前の教団トップにも頼らなかった。そもそも、総教皇との連絡手段が今このときまでなかったというのもあるが。
教団は頼れないとなると、他支部への救援要請だが、これもあてになるとは言えない。どれだけの戦力をよこすか、それがすぐに来るのか。
『そう。よその力はあてにできない。これはイガウコの問題だ』
総教皇がはっきり言った。まるで死刑宣告だ。
『イガウコの問題は、イガウコ内で解決すべきだ。イガウコの力すべてを……』
沈んでいた俺は顔を上げる。
『イガウコ支部長の君が持つ力のすべてを、だ』
ぱっ、とご老体が光る。かと思えば、そこには相変わらずの老人の姿。
いや、よく見れば、それは今までのような映し出された像ではなく……
「ふむ。私の贈り物は転移のマーカーとしても問題なく機能するようだ」
自分の体におろした目線を総教皇は前に戻す。
「すまなかった。私との不戦の盟約が、こんな形で君を苦しめることになるとは」
目の前に現れた実物の総教皇に、俺は自然と立ち上がっていた。
「イガウコからあらゆる脅威を遠ざけてきた。それがまさかこんな襲撃を受けるとは」
「何か意図が……目的があってイガウコが襲われたということでしょうか」
「いいや、目的意識があったとは考えにくい」
総教皇は机上の報告書を手にする。
「まず状況を整理すると、最初の目撃情報はわずか三人ほどだ。つまり一度に大量に来たわけではない。とすると、三人一組に分かれて無差別転移を行ったと推測するのが自然だ」
「場当たり的に当たりが出るまで転移をしたってことですか」
「そうだ。そしてイガウコがうってつけと考えた彼奴らは先行の三人組をマーカーとして集団で転移してきた……そんなところだろう」
原因の解明はそのあたりにして、と総教皇は俺の肩に手を置く。
「イガウコを譲る代わりに不戦の盟約で君の力を封じたのは、反逆を恐れてのことではないんだ。力を使えば、そこには必ず争いが生まれる。そして新たな争いを呼び寄せてしまう。人はそんな君から離れ、あるいは恐れるだろう。君にはそうなってほしくなかった。戦うことを嫌う君に、これまで多くの力を使わせてしまった私なりの償いだった。君には、ここで穏やかに生きてほしかった。平凡な男が所帯を持ち、子や孫に囲まれて朽ちていくような……そんな生涯を送ってほしかった」
「わかってますよ、そんなこと」
本心からだった。その言葉にまったく疑惑はなかった。
「純粋な悪意には、対話はあまりに無力だ。周りのことは何も気にすることはない。君はただ、思うように力を振るうといい。あとはすべて私が」
俺がまばたきをすると、
「うまくやる」
そこには自分と瓜二つの男がいた。
「不戦の盟約が解かれましたか」
「ああ」
ギルドストレージのある区画の更に向こう、一部のスタッフしか入れない秘密区域。
「これでしがない管理職からただの戦士に戻ったわけですか」
先を歩くヴァートゥンに、
「今日だけだ」
「だといいんですがね」
本当に、そうだといい。もう戦うつもりはなかった。あの鎧を使う日は、もうないと思っていた。
「それで、あれは使えるんだろうな」
「愚問ですな」
心外だ、とでも言わんばかりの備品係は懐から鍵の束を取り出す。
最奥に位置する厳重な施錠がなされた鉄扉が開放される。
「毎日心血を注いで念入りに整備してきましたよ」
「なにもそこまでしなくても」
そこは数平方メートルしかない小部屋で、部屋の中央にぽつんと何かがあるだけだった。
俺は歩みを進め、それに手を触れる。
「またこれを身に纏う日が来るとはな」
主を迎え、その鎧はうっすらと輝きを増した。