外伝 一人の英雄のありふれたあってはならぬ一つの英雄譚───伝説の戦士、語られぬ数多の屍敷かれた戦場へ帰還す 第五話
最悪の事態。
その表現は、今この場で使わずいつ使うのか。
彼女は背中を濡らす汗を気にする余裕さえなかった。
前線は崩壊し、戦っている冒険家たちがどういう状況になっているかも判然としない。というのも、連絡をする非戦闘員すら応戦する末期状態だ。今いる事務局のすぐ外で、戦闘が行われている。それすら抜かれれば、もう――――
新人受付嬢は周囲を見回す。事務局職員以外にも、辺りには傷つき倒れた冒険家、回復魔法で魔力が底をついた魔法使い、避難している住民……
抵抗するどころか、自力で逃げ切ることさえ難しい者しかいない。
そしてその場に、いよいよ襲撃者はやってきた。
錠と閂をかけた扉はあっさりと破られ、やつらはぞろぞろと入ってくる。
「おうおう。よりどりみどりじゃねえか」
下品そのものの態度で、先頭の巨漢は見下ろす。
これから自分たちがどんな目にあうか――――
この場の誰もが思い浮かべ、そして嘆きや涙を漏らした。
「待ちなさい」
新人受付嬢は騎士団とそれ以外を遮るように、間に立った。
「私はどうなっても構いません。ですから、この人達には手を出さないでください」
正義感か義務感か。
気がつけばそんなことを口走ってしまった。
本音を言うと、今すぐ逃げ出したい。
「げへ。げへへ」
巨漢は醜悪に顔を歪め、彼女に近づく。
「おまえ処女か?」
絶句。
言葉を失う彼女をそのままに、巨漢はその丸太のような腕を伸ばす。
「一度でいいから処女の生血っていうの、飲んでみたかったんだ」
男の後ろで『もったいねえ』だの『まあ使い道はまだあんだろ』といった声が飛んでくる。
ああ、なんでこんな。
新人受付嬢は心で泣いた。これからもっと仕事を覚え、磨きをかけて活躍したかった。今度来る後輩にいろんなことを教えたかった。先輩と呼ばれて慕われることに憧れていた。恋だってしたかった。素敵な人に巡り合って、ねんごろになったら寿退職して惜しまれつつも祝われて、幸せな家庭を…………
それがこんな……
こんな……
カツン。
カツン。
どこからか聞こえる足音に、その場のものが釘付けになった。
「あん……?」
巨漢はこちらに近づく男を認めた。それは近くにいた受付嬢も一緒であった。
真っ白な鎧だった。
その純白の頭部・肩部・腹部、手首・足首にはくすんだ金色の装飾がなされている。その中で特徴的であるのは、胸部にはめこまれた四つの石だ。それぞれ緑・紫・赤・青の色をしている。
「誰だおまえ」
鎧の男に返す声はなし。
「『誰だおまえは』って聞いてんだよお!」
吠える大男はその巨大な掌を振り上げる。
一閃。
「ブホォ」
巨漢の拳よりも速く――比べるのもおこがましいくらい速く――鎧の男の拳が目の前の敵を殴り飛ばした。
入ってきた場所を戻るように飛ばされた仲間をそのままに、聖十字騎士団は白き鎧へ武器を構える。
「なんだか知らねえが――――」
十字が描かれたマントたちがひるがえる。
「やっちまうかぁ!」
「もう安心だよ」
呆気にとられる受付嬢の横に、備品係がやってきた。
「彼は」
そう問う受付嬢に、備品係は笑う。勝利と安堵を確信した、揺るぎない笑み。
「伝説の戦士が、帰ってきたんだ」
その戦士は、次々と襲いかかる者たちをものともしなかった。
剣のリーチなどまるで無意味とばかりに懐に入り、一撃。
殴り合いでもまったく相手の攻撃を受けずに叩き潰す。
魔法など詠唱する暇もない。接近されればそのままなす術もなく蹴られ散った。
ただ殴る。
ただ蹴る。
それだけの単純な行動。
それだけで、たった一人が襲撃者たちを撃退している。
「数々の英雄譚の主であるルーグ公。その身を包む鎧の名は、ヴァリッド・スタイル」
あれだけ多くの冒険家が苦戦し、倒れていった。
けれどもその英雄は、まったく苦もなく、その体のみで打ち倒していく。
「彼専用の、究極の矛にして極限の盾」
「あの方専用の職業の装備、ってことですか」
「いいや、彼独自の職業というわけではない。いや、ある意味ではそうなのかもしれない。彼の扱う職業は平凡そのものだが、その職業をすべて扱えるのは、彼だけなのだから」
「…………?」
ますます疑問が深まった風な彼女に、英雄と共に歩いてきた男は、
「彼は、五つの職能を持っている。使い分けるのではなく、常に五系統のアビリティが発動しているんだ」
「まさか……」
ありえない、と言いたそうな受付嬢は、すでに二〇人近くを倒している鎧を見る。
「一つの職を極めるだけなら、そこいらの天才でも、凡人がたゆまぬ努力をしてもできる。しかし彼は、その程度で納まる器ではなかった」
拳が顔面にめりこみ、団員がまた一人、無様に倒される。
「格闘・斬撃・魔法・探知・敏捷――――戦士を構成するあらゆる要素・系統を統合・昇華した彼。当然、装備もその五大職能すべてに対応することが求められた。かといって五通りの装備を持ち歩くわけにもいかない。そこで考案されたのが、あのヴァリッド・スタイル」
「あの胸の石……」
「そう、あの四つの宝玉が鎧に力を与える。均衡状態の白から、その時々の状況に合わせてそれぞれの色と形に鎧を変化させる」
最後の一人が文字通り蹴散らされる。これで、事務局を襲った騎士団員は全滅した。
「あ、あの」
受付嬢が駆け寄る。鎧はまったく傷がなく、あれだけ動いたルーグ公には息の乱れはまったくなかった。終始、勝って当然のような余裕ささえあった。
「ありがとうございました!」
深々と頭を下げる。
「もうだめだと思って、助かって、だからあの」
うまく言葉がまとまらず、それでも精一杯感謝の意を伝えようとする。
そんな彼女の小さな体を、英雄は片腕を回し抱き寄せた。
「あっ、えっと……」
たまらず顔を赤らめ、うつむく彼女に対し、鎧の男は無言だった。跳ねる心臓の鼓動が、相手に聞こえてしまうのではないか。受付嬢はそれが心配だった。
そこに、
「危機は脱しました」
支部長が現れる。
「至急、状況の立て直しをはかります。指揮は私が直接。身分・所属関係なく、動けるものは私のもとへ集まってください」
その言葉に、その場にいたものは我に返り、我先へと集まっていく。そうしてできた人の流れを受付嬢が気にしていると、彼女の前から鎧の姿が消えていた。
「ルーグ様……」
意図せず口から漏れた声に、慌てて彼女は口をふさぎ、自身も支部長の元へ急いだ。
そうだ。
まだ戦いは終わっていない。
◆◆◆
そう。
まだ戦いは終わっていない。
俺は事務局から出て、そのまま通りを見渡した。冒険家の亡骸や聖十字騎士団が暴れた跡があった。不幸中の幸いで、民家や施設に深刻な被害は見られない。無論、まったくの無傷というわけではないが、これなら数ヶ月もあれば……
「があああ!」
そばの家の壁が崩れ、そこからデカい刃が飛び出した。
「なんだ、まだ生きていたのか」
俺は顔にかかる木の葉でも払うように手を動かし弾く。重い金属ではあるが、矛先をそらせば大したことでもない。
最初に倒したはずのデカブツが瓦礫の向こうから現れた。
「俺は聖十字騎士団・超四天王ナンバー2不死身のヘラクレスだぞ! この程度なんてことはねえ! 更に――――」
大男は唸りを上げ、持っている無骨な剣を振り回す。持ち主の背丈と同程度のサイズから、分類としてはグレートソードといったところだが、この男の手にかかれば片手剣と差異はなく振れるだろう。
「マイスター・タローの傑作品のこの剣が加わることで、このヘラクレス様は攻防一体、最強無敵となったのだ」
「ほう」
俺は相手と握手を交わすために歩を進める。
「死ねェ!」
振りかぶるヘラクレスの手をそのまま掴む。
「なるほど。使い手に反して良い剣だ」
まるで石臼が木の実を引き潰すような、くぐもった音がした。
「ぐぎゃああああああああ」
「代わりに使ってやろう」
握手の結果、握りつぶされ、ダラリと垂れる両手。そこからこぼれたグレートソードを手にした俺は軽く振ってみる。
やはり良い剣だ。これを作った人間はさぞ名のある鍛冶職人と見た。
「さて、ちょうどいい」
目の前には、自分が殴っても立ち上がるタフな敵がいる。実験台にはうってつけだ。おそらくは、防具も優秀なのだろう。中身はともかく。
「最高の矛と最硬の盾の故事を知っているか?」
もだえ苦しみ、膝をつくヘラクレスに俺は剣を向ける。
「どちらが勝つか、その答えは」
「ひいいいい」
危機を感じた大男はあっさりと背を向け、逃げ出そうとする。
「使い手次第ってことだ」
「助け」
命乞いは最後まで続かず、巨大な体はその強固を誇った鎧ごと袈裟斬りに両断された。
「苦しまずに逝けたこと、この剣に感謝するんだな」
グレートソードをブンと振って地に刺した俺は、周りに目を配る。
これでこの一帯は殲滅したか……?
視界にはあの忌々しい十字マントは発見できない。事務局にいた連中ですべてか。さすがにイガウコ全体をヒガンに調査させるわけにもいかん。
……久々だが、使ってみるか。
ヴァリアブル・ジュエル――――
ヴァリッド・スタイルは装着者の意思によって変化する。
この場で使うべきは、
――――ヴァリエーション:アイオライトシーカー。
探知用の紫。
紫色に外見は変化。全体を覆う鎧は縮小、兜の視界がひらける。このヴァリエーションは防御力がガタ落ちの上、敵に見つかりやすくなるが、追跡・索敵用だ。何の問題もない。
俺は屈み、土に触れる。ブランクはあるが、イガウコ内なら充分有効範囲だ。
残りはざっと――――
二〇そこらか。
地点としては、あと二箇所。
かなり離れている。
かといって転移でいきなりど真ん中へ飛べば、状況が即座につかめず混乱する可能性もある。素人がよく安易に転移して状況が把握できずに混乱し、そのままやられるなんてのはよくあることだ。
ここで使うべきは……
ヴァリアブル・ジュエル――――