――――これは勇者が魔王を倒す物語

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 プロローグ

「おぬし死んだぞい」
 初っ端から飛ばしていくなあ。
 六畳間の和室。円形のちゃぶ台を挟んで座る老人は日本茶を啜る。ねえ俺の分は?
「それでな、今後の段取りじゃが」
 長い白髪と白髭を蓄えた老人は神と名乗った。で、ここはこの世とあの世の狭間らしい。どちらかへ行くときの無料相談所みたいなものだと言われた。有料もあるのだろうか。
「あ、茶柱」
 湯呑を嬉しそうに撫でる神様。そんなことで話の腰を折らないでほしい。割と重要な話だよねこれ。ところで俺の分のお茶は? ねえ?
「転生する?」
「いや、まあ、できるなら」
「チッ。ええと、それじゃあの」
 めっちゃ面倒くさそうに、老人はそばのタンスをあさり始めた。舌打ちしたよね、今。
「手続きめんどくさ……成仏なら消せば済むのに……」
 声に出てるぞ神様。
「現世に転生するとしても、記憶や人格は初期化されるからの。おぬしの生前の徳じゃ生まれる先は選べんし、庶民のあたりから無作為に」
「それなんですけどね」
 契約書らしきものとパンフレットを並べる神様に俺は待ったをかけた。
「ほら、最近異世界ものって流行ってるじゃないですか。ああいうの出来ないんですか?」
 うわ。ものすっごく嫌そうな顔してる。
「一応可能じゃよ」
「じゃあそれで」
「取り消せないぞ。世界の選択もできないぞ。先の保証は一切しないぞ」
 暗にやめろという警告の数々。これが心配じゃなくて、ただ単純にこの老人が面倒なだけという意図だとわかる。
「誰が始めたか知らんが……最近はそればかりで余計な仕事が増える一方じゃて」
 ほらね。
 越境手続きがどうのとか、異界転生許認可の申請だとか、人格・記憶の保全とか、言語の共通・転換作業だとか、現世転生じゃ一枚で済む書類を何枚も書かされた。そのチェックや用意もしなきゃならんから、そりゃ神様も嫌がるだろうな。
「話は以上じゃ。がんばっての」
 まとめた書類をトントンしながら神様は形だけの励ましをした。すげえお役所仕事だったな。
「入ってきたふすまとは逆のふすまがあるじゃろ。そこを通ったら転生完了じゃ」
 老人は入ってきた方を指差し、向かいの方へ指を滑らせる。
「ああ、はい」
 …………。
 …………。
 …………。
「何じゃ」
 立ち上がり、いつまでたっても動かない俺に向けられる年老いた視線。
「いや、なんか餞別というか……」
「は?」
「あ、向こう行ったら装備されてる感じですかねこれ」
「ないわ。そんなもの」
 真正面からぶった切られた。
「最初に言ったじゃろ。世界は選べぬと。ここでチートアイテムだのチートステータスだの与えれば、おぬしのために当該世界の理そのものを書き換えなければならぬじゃろ。なんでそんな面倒――――もとい、不条理なことをしなければならぬ」
 急須でお茶を補給しながら神様は続ける。
「そこまでの便宜を図るとすれば、生前の善行や偉業が多大であった場合じゃ。ろくに天寿を全うすることすらできず、たいしたこともしていないおぬしにそこまでする道理などないわ」
 神様つめたい。いや、まあ、返す言葉もないのは事実だけど。
「む」
 そこで、ふと神様は何かを思いついたように自身の髭を撫でる。
「が、まったく譲歩する余地がないわけでもない」
「はあ。と言いますと」
「働かざる者食うべからず。要求する者はそれに伴う対価を支払わねばならぬ。何もしていない者が欲するのであれば、何かを成させねばならぬ」
「えーと、俺に何をしろと」
 転生前にここまでもたつくやつも珍しいだろうな。
「おーい」
 老人はどこからともなく取り出した杖で、壁をどんどん叩く。
 数秒待つ。
 しばらく待つ。
「……あの」
 俺が口を開くのと、老人が背後のふすまをガラリと開くのはほぼ同時。
「呼んどるじゃろ! ミツル!」
「るっせーな……んだよ……」
 出てきたのは、ギャルだった。
 もう、そう言うしかなかった。
 これでもかと焼いた肌。目立ちすぎて目に刺さる金色の髪。ドギツいメイクのまつげ。
 はっきり言って関わりたくない、苦手なタイプ。
「ジジイ、金よこす時以外は話しかけて来んなっつってんだろ」 
 畳の上にズカズカと厚底ブーツでやってきた。ああ、なんてことを。
「あ、お孫さんですか」
「不服ながらな」
「セッキョーなら手短にしてくんない? 今日はトモと遊び行くから」
 ストラップが本体じゃないかというくらい装備してるスマホをいじってるけど重くないのだろうか。
「こいつをおぬしに託す」
「あ、いらないです」
「そういうことではない」
 ざっくり話をまとめると、孫娘のミツルちゃんはグレたんだか反抗期なんだか知らんがこの有り様。このままでは死んでも死にきれぬ(神様は死ぬのか?)と神様は奉公に出したいという。
 その奉公先は俺か……。
「ギャラは前払いということで……」
「ダメじゃ。どうせ向こうへ行ったら捨てて逃げるじゃろ」
 バレたか。まあ、生前の様子は把握されてるからな。
「孫を真人間にしたと確認した時、おぬしの願いをなんでも叶えてやろう」
 …………一つだけな、と小声で付け足した。ケチりやがって。後払いのチート付与なんて聞いたことないぞ。
「は? アーシそんなの聞いてないんだけど」
「今言ったからな」
「なんでこんなチャラいのと一緒なんだよ」
 それはこっちのセリフ。口には出さないけど。
「アーシがこいつに襲われたらどうするんだよ」
『それはない』
 神様と俺でハモった。
 欲をかいたら面倒なことになった。つまり転生先でこれの面倒を見つつ、転生先でうまくやっていくとかそういうノリか。順番的には神様の願いを叶えてチート能力をもらってからの方が合理的か。
「じゃあの。後は頼んだぞ」
 行き先のふすまを開きつつ、杖で俺と孫娘をぐいぐい押し込む神様。雑! 送り出し方雑!
「ちょ、行った先の世界の話とか、この先の段取りとか」
「知らん知らん。神は忙しいんじゃ。現地でどうにかせい」
 ふすまの奥は光なのか、それともただ白いだけなのか。先が見えない。これ地獄行きとかそういうオチじゃないよな。
「あー、なんじゃ。神の加護を」
 それが最後に聞いた言葉だった。加護を与える神がやる気なくて加護を一ミリも与える気がないのだけはよくわかった。

 こうして俺はご多分にもれず異世界転生した。

 第一章

 奇妙な感覚だった。
 白一色の中で、体が宙に浮いてる感覚。宇宙空間ってこんな感じなんだろうか。右下あたりにミツルが流れてる。関わりたくない。が、経験値という点ではこの子の方が物は知ってるだろう。現状を聞くしかないか。
「あのー。このあとどうなるんでしょう」
「ショーカン待ち」
「あー、召喚待ち?」
 自分のサイケ模様のネイルを見ながらも興味なさげに教えてくれた。
「このあと適当な世界の座標に出されるよ。アータ異世界志望っしょ? 現世と違って選定に時間かかるんよ。ローディング? サーチング?とかで」
「そういえば、どんな世界に行くかってのは」
「しーらない。出たとこ勝負でしょ」
 この時点でも、どんな世界に行くかは不明か。もっと言えば、その世界のどこに召喚されるかも――。
「そこいらのキモオタヒキニートじゃ、そこまで指定できないっつーの」
「キモオタかはともかく、一応高校生やってたんだけどな」
「その見てくれで?」
 指差され、ああ、と自分のパーマのかかった長い襟足を摘む。
「オシャレで始めたんだけど、中々ね」
「コーコーデビュー?」
「そう、それ。うまくいかなかったなぁ」
「見かけチャラ男のくせして中身陰キャとかウケる。そりゃ死ぬわ」
 返す言葉もねえ。
 外見だけいじっても何にもならなかったな。それどころか、どんどん悪い方向へ行った気がする。結果論で言えば、努力の方向性というやつを間違えたのだ。
 今度は間違えないようにしたいな。
「ガチ勢? エンジョイ勢?」
「今までのこと?」
「こっから先のことに決まってるっしょ。アータの自分語りなんかキョーミないし」
「そりゃまあ、何はともあれ頑張るけど」
 そう言ったらミツルは少し嬉しそうだった。意外だな、と俺は思った。非協力的だと思ったのに。
「だってさ、とっとと死んでくれないと、アーシ戻れないじゃん。あっちでヌルい生活されてたら、いつ終わるかわかんないし」
 まあミツルからすれば、条件通り真人間になるか押し付けられた俺がくたばりでもしないと向こうへ戻れないから、当然か。
「戻りたいわけか」
「当たり前でしょ。トモと遊びたいし、着たい服も試したいコーデも、タピオカ買ってインスタ載せて……」
 あとで聞いた話だが、この神の孫娘はずっとあの場所で過ごすわけではないらしい。下界に降りて、学生として生きているそうな。それは下積みや留学という意味もあるが、単純に神界というところは退屈らしい。
「羨ましいな」
「ハァ?」
「ミツルにはまだ未練があるわけだ」
「当たり前でしょ。つーか名前呼ぶなキモい」
 俺はあの世界に未練はなかった。
 俺はあの世界に限界を感じていた。
 閉塞感があった。
 どれだけ努力しても――努力の方向性を修正しても――できることなどたかが知れているというある種の諦め。
 色々やった、それでもだめだった。
 だめになった原因は自分にあるかもしれない。
 けれど、世界にも問題があったかもしれない。
 俺と現世の相性の問題。
 そうだとすれば、現世に戻っても仕方ないと思った。
 異世界ならば、あるいはと。
「どーでもいいけど。アータみたいなタイプ珍しいよ」
「そうか?」
「普通ならチート使えないなら諦めるから。それなら全部リセットした方がスッキリするし。まあジジイがめんどくさがってカタにはめるってのもあるけど。ワケわかんない世界に丸腰で飛び込みたいなんて、キツい目に遭うのは目に見えてるっしょ」
「うまく言えないけど……俺は、努力そのものを諦めたわけじゃないから」
 多分、そういうことなのだろう。
「まあ、現世で努力が報われれば天寿を全うするし、異世界に逃げることもないか。そういうタイプもいる。少し学んだよ」
 ミツルはその時はじめて俺をまっすぐ見て、肩をすくめた。
 ふむ。
 見た目はともかく、根は真面目らしい。
 もっとも、そうでもないと神様も修行させないか。しっかりとした土壌はあるわけだ。
「逃げじゃ……いや、逃げなのかもしれないけど。それは悪いことなのかな。時代が、その時々の需要が適合しないこともある。そういうことまで自己責任で片付けられるのかな」
 戦国武将が現代で通用するか? 
 アスリートが戦国時代で通用するか?
 答えはノーだ。
 偉人やメダリストは、当時の評価基準と自身の能力が偶然合致した結果だろう。
 そこからあぶれたものはすべて失敗か? 
 悪なのか?
「そーいうテツガク? ギロンにはキョーミないんだわ、アーシ」
 ミツルの塩対応に、今度は俺が肩をすくめた。
「ごめん。つい熱くなった」
「まあ、なんでもいいけどさ。やるだけやってみなよ。なんかキョーミわいてきた。アータがヘタこいてくたばるまで、見といてやるから。他にやることもなさそうだし」
「そうかい」
 欲を言えば、こっちもお前には可及的速やかに真人間になってもらって、目標を達成したいところだ。
「あ」とミツルが気づき、その視線を俺が目で追う。白一色の中で、ぽっかりと円形の黒い穴がある。まるで掃除機のように、そこから吸引力が発生し、俺とミツルは引っ張られていく。
「行き先決まったっぽーい」
「どちらへ」
「出たとこ勝負」
 期待はしていなかったけどな。つまり穴の先は転生先の未知の異世界か。
「いざ行くとなると、単純な方がいいな。勇者となって冒険し、魔王を倒す。うん、王道だな」
「知らねって」
「まずははじまりの街で装備を整え仲間を集める。うん、王道だな」
「だから知らねえって」
 まったくロマンのわからない女だ。これだからギャルは嫌なんだ。
「おら先に行けよチャラ男」
 チャラ男言うな。行くけど。
 さすがに巻き込まれた形のミツルに先陣を切らせるわけにもいかない。俺は平泳ぎの要領で穴に突っ込んでいった。
 すると打って変わって、今度は黒一色の世界になった。なんというか、夜のトンネル内を歩いている気分だ。とりあえずどんどん進んでいく。
 長いトンネルを抜けると、そこは知らない天井だった。
 いや、天井ではなかった。すぐに訂正したのは、俺が落下してることに気づいたからだ。天井じゃないわこれ、
 地面―――――
 俺は石畳に顔面から勢いよく落ちた。
 ゴキッ。
 首から嫌な音がし、おかしな倒れ方をした。
 あれ、これ死んだんじゃね。
 転生早々即死って、もっとマシなオチがあるだろ。物語が始まる前にオチがついたんだけど?
 やばい。視界が真っ暗だ。すごく眠い。一回経験したからわかる。これマジで死ぬ5秒前だ。
「だ、大丈夫ですか?」
 遠のく意識の中、女の子の声がする。心底心配をした、慈愛の心に満ち満ちた声。あのスカしたギャルではないと断言できる。
 パァァっと光が広がっていく。眼の前が明るくなる。いつの間にか口の中に溜まっていた血を石畳へゴホゴホ吐き出し、俺はようやく一息つけた。
「よかった」
 開けてきた視界に映ったのは、少女の安堵した顔だった。歳は俺やミツルと同じくらいか。長い髪を隠すように被っているフードは、仰々しいくらい装飾が施されており、その頭を覆う部分の両脇には牛か羊の角のようなものが生えている。
「あなたが……助け……?」
 うまく回らない舌をどうにか働かせ、それだけ言えた。彼女は意図を汲んだようで困ったように笑って、
「突然私の部屋に落ちてきて、怪我をしていたようなので回復魔法を」
 そばに置いてあった身の丈ほどもある橙色の杖を見せてくれた。先程老人が持っていた仙人然としたものと違って、どこか禍々しい気がするが、まあいいか。
 ようやく状況がつかめてきた。俺は異世界デビュー早々転落事故に遭い、彼女に救われて九死に一生を得たわけだ。ついでに言うと、今の俺は彼女に膝枕で介抱されており、これが中々居心地がいい。無愛想なだけで接客サービスのなっていない神どもと違って、この子こそ女神ではなかろうかと、割と本気でそう思う。
「言い忘れてたけどさー」
 遅れて、無愛想なのがやってきた。脚から入ってきて、落下もなんのその。あっさりと着地してみせた。厚底なのに。
「トーケーテキに、異世界転生者の死因の三割くらいが転生直後のアクシデントなんだよねー」
 それを先に言えよ。とお決まりのツッコミを入れるかどうか考えて、そんなこともうどうでもいいと膝枕の柔らかさに屈する。
「あの……」
「あ、アーシはミツル。こいつの……まあ、お目付け役みたいなポジ。シクヨロ」
 ああ、そうか。
 これは自己紹介の流れだな。
 俺は後頭部を揺らして枕を堪能しつつ考える。別に、本名――向こうの名前をここで使う理由もないだろう。心機一転するなら、むしろ過去の遺物だ不要だ産廃だ。
 とすると、ここでの名前というものを考えねばならない。いいね、キャラメイクっぽい。らしくなってきたじゃないか。
 はてさて……
「俺は……」
 あんまり長ったらしいと中二病マシマシみたいで恥ずかしいし、かといって安直なのもな。うーん。状況的にそんな長々と待たせられないし……
「……ヨハン・フランツ。ヨハンとでも呼んでくれ」
 うん。長すぎ短すぎず。カッコつけすぎず気取ってもいない。中々バランスがいい。
「その顔でヨハンって……」
 うるせえぞヤマンバギャル。山に帰れ。
「ミツルさんにヨハンさんですね……私は」
 身に纏うオレンジをメインにしたローブと高そうな首飾りを揺らし、少女は、
「マオン・ヴェルギリウス・ヒース・テーゲルと申します」
 と臆面もなく名乗った。
 長えなおい!
 今日日中学生だってもう少し遠慮するよ? どんだけてんこ盛りなの? 親からの過度な期待が詰まってるの? テストじゃいちいち全部書くの?
「なげーわ」
 ミツルも思うところは一緒らしい。お前なんて三文字だもんな。向こうは何倍だ? ……五倍?
「マオでいい?」
「はい。お好きにお呼びください」
 俺もそうしよう。もうなんて名乗ったか思い出せん。名前覚えるの苦手なんだよ。マオン・ベルギー・キース・テーブル……?
 とりあえず自己紹介も終わったし、今更ながらマオに敵意はないようだ(むしろこんな雑に転生させてくれちゃった神様にだんだん悪意を感じてきた)。これはあれだ、チュートリアルキャラとかそういう感じだろう。この世界のことについて解説してくれたり、戦闘の手ほどきをしてくれたり。そういう便利キャラ。なんか魔法使いっぽいし。
「とりあえず見てのとおり、俺達は訳ありだ。簡単にこの世界の説明をしてほしい」
「転移魔法に失敗でもしたのでしょうか」
「だいたいそんな感じ」
 
『世界は大きく2つに分かれていた。
 魔物を主とする魔族。
 人間を主とする人類。
 人類は勇者を象徴とし、魔族は魔王を頂点とする。
 解決を見ることなく、互いに血を流し続けた歴史が今日まで何百年と続いている』
 ……らしい。
 どうにかこうにかマオから聞き出した話をまとめるとこうだ。うむ、実にテンプレだ。
「で、どうするんよ」
「何はともあれ街にでもいくさ。……少し休んだら」
 ごろんと寝返りをうつ。マオのほっそりとしつつも柔らかいお腹に顔をあてて「んごごご」もうこれだけで転生したかいがある。
「テメェ。とっとと行くぞ」
「ぐえー」
 ミツルに首根っこを掴んで引きずられる。こいつ的には俺を戦場に放り込んだ方が好都合だもんな。
「マオ、案内しな」
 俺が言うのもなんだが馴れ馴れしいなこいつ。今会ったばかりなのにマオを顎で使ってやがる。ギャルの距離感ぱねぇ。
「あの、でも私には仕事が」
「仕事?」
 かわいそうに。その歳でもう社会人か。新人のOLとして日々苦労してるんだろうな。俺は不意に目頭が熱くなった。
「はい。どなたかがいらっしゃると大広間で座って待機していたり、どなたもいらっしゃらなければ魔法の練習をしたり。たまに杖の手入れなんかも」
 天下りかな? 
 出そうだった涙が引っ込んだぞ。
「じゃあヒマなんでしょ。付き合いな」
「でも」
「行こーよー」
 ここはこのギャルの話に乗っかろう。マオいないとにっちもさっちもいかないし、このギャルと二人で珍道中とか誰得だ。そしてなにより俺の冒険には癒やしとぬくもりが欲しい。
「どっか行きたいところないの? 一緒に行こうよ」
 別に急いで魔王倒しに行かなくてもいいし。あくまで魔王倒すつもりですという建前だ。目的もなくプラプラしてますじゃ体裁悪いし。
 とりあえずこの世界に慣れるところから始めないと。俺が本当にやりたいことはそのうち見つかるさ。
「でしたら……」
 立ち膝になったマオは少し考え込むように――苦悩するように顔を伏せる。やがて何かを決意したような瞳を見せて立ち上がり、
「行きたい場所があるんです」
 熱と力のこもった声で、
「そこになら、きっと私の求める答えがあるはずなんです」
 俺はそれに笑って応えた。
「行こう!」
 彼女の願いを自分が叶えられるかもしれない。それがなんだか嬉しかった。自分でも役に立てるんだと――今度こそ、誰かに必要とされるんだと期待した。努力の方向性を間違えずに済むかもしれないと期待した。

 それがとんでもない選択であったと、
 それでも一切後悔することのない選択であったと、
 後の俺たちは知ることになる。

「部屋を出ますと廊下がございます。そちらを抜けると大広間に出ます。今の時間は巡回している者も特にいないので、そのまま出られると思います」
 まるで空き巣だな。……いや、空き巣だわな。
 マオを先頭に抜き足差し足忍び足で部屋を出る。マオの部屋を見てなんとなく察したが、ここはかなりのお屋敷のようだ。デザインやインテリアからして一般庶民など望むべくもないものばかりだ。これが上級国民というやつか。
「こんなコソコソ行かなくてもよくない?」
 ヒソヒソとミツルが話しかけてきた。
「別に遊びに行くくらいいいじゃん」
「バカタレ。お前と一緒にするな。どう見ても家からろくに出たこともない箱入り娘だぞ。見つかったら即連れ戻されるに決まってる。場合によっちゃバトルが発生する展開だぞ」
「ハァ? バトりたくねえし」
「だろ? 俺らなんてまだ装備どころか自分のアビリティやステータスもわかってないんだぞ。チュートリアルバトルするにしても、もう少し先にしとくに越したことないだろ」
 ここがゲームと違うところ。さすがにある程度の展開は俺の選択でどうにかなるはず。もっとも、さっきは選択する暇もなく死にかけたが。
「こちらが大広間でございます」
 マオが人差し指を自身の唇に当てつつ、もう片方の手でゆっくりと重苦しく分厚い扉を開いていく。
 体育館を思い浮かべてほしい。そこに赤絨毯を敷き詰めて、バカでっかいシャンデリアを吊るす。壁にはご立派な絵画や石像が並んでいる。
 大広間は、そんな感じであった。
 ここ、本当に民家?
 マオは誰もいないことを確認してから、ここからほど近いところに置かれた椅子に駆け寄る。ちょうど、今いる位置から向こう側にある扉からは椅子が影になっていて、マオの部屋への扉を隠す位置取りだ。つまり、来訪者が使うであろうドアから入ってきても、マオの部屋に通じる扉がどこにあるかは見えないのだ。
「ここにいつも座っているんですよ、私」
 ぽんぽんと叩いて自慢げである。たしかにその椅子は大層立派であり、自慢したくなるのも頷けた。大きさはもちろん、背もたれや肘掛けにこれでもかと施された彫刻。造形もこれまた高名な芸術家がいかにも腕を振るいましたといったたたずまいで、クッションも高そう。骨組みの部分は全部純金か? さすがにメッキではないだろうし……。
「おい、どした」
 ふと横を見ると、ミツルが固まっている。ついでに言うと、ダラダラと汗を流して椅子とその主を見ている。
「貧富の差でも感じてんのか。お前の家って見た感じ狭いし『THE・和』って感じだったもんな」
「そうじゃない……」
「?」
「いや……なんでもない……言ってどうなるものでもない……」
 ああ、そう。
 さてどうすっかな。ここらへん漁ったらなんかアイテムありそうだな。マオの部屋ではさすがに自重したけど、先のこと考えると、ここらへんで金目のものでもいただいて……。
 俺が名実ともに空き巣として金策に走ろうとしていると、奥の扉が乱暴に開いた。オイオイオイ誰か来たぞ。
 火柱があった。
 第一印象はこれだ。成人男性一人くらいの大きさの丸太を炎上させたら、こういう炎の塊になるかもしれない。
「火事?」
 いち早く消化器を探す俺。そこで汗かきマシーンから我に返るミツル。
「ロミーネ……」
 マオのつぶやきに、二人揃って反応した。
 炎の塊から手足が生えた。と思えば、前傾姿勢になり、さらに猛獣の頭部のような造形ができた。
 ライオンが炎上でもしたらこうなるかもな。
「敵? モンスター?」
「だろうな」
 チュートリアル入ったかー。もう少し後にしたかった。こっち丸腰だし。
《貴様ら、その娘をどうするつもりだ》
 あ、喋った。どっから声出してんだこいつ。
「あ? 街の案内させんだよ――――いって!」
 俺は思わず肘でバカなギャルのわき腹を突いた。
「バカタレ! 正直に話すやつがあるか。『たまたま迷い込んでお世話になってました』とかごまかせ」
「こんなところまで来てそんなので騙せるわけねえだろ……」
《この賊が! 消し炭にしてくれる!》
 燃えるライオンが文字通り火を吹き、十数メートル離れてるこっちまで熱くなってくる。物理的な意味で。
 アカン、これ強制バトルや。
「おいチャラ男、このあとの展開は」
「チャラ男言うな。まあ見た目はともかく、丸腰だけど倒せる程度の雑魚だ、こんなの。そこから戦闘のイロハをだな」
 この手のは最悪素手でもなんとかなる強さと相場が決まってる。
《我は魔王四魔精――――灼熱炎魔! 我が炎が貴様らを焦土へ変えてくれる!》
 初手からヤベーのが来た!
「おい、本当に倒せるのか」
「ままままま、待て。まだ慌てる時じゃない」
「おい、膝が震えてるぞ。ビビってのか」
「ビビビビビー!」
「言語能力まで失ってんじゃねえよ!」
 頭をはたかれて、少し落ち着いた。落ち着け。落ち着くんだ。これはあれだ、強そうに見えてワケあって弱体化してるとか、ブラフで大ボラを吹いてるとかそういうアレ。
 実際やってみたら大したことないコケオドシさ。
「いいか、作戦を話す。まずお前が囮になる。その間に俺がマオを連れ出す。以上だ。健闘を祈る」
「潰すぞテメェ」
「しかたねえだろ。入り口あいつが塞いでんだし、誰か捨て石にならんとにっちもさっちも」
「さらっとアーシを捨て石にしてんじゃねえ!」
 などとグダグダやっていたら、どうも時間を無為に過ごしていたらしく、それはつまり相手に攻撃のチャンスを与えていたわけで……。
 まあ、言ってしまえば先制攻撃を決められたわけだ。 
 その威力は、この黒ギャルが更に黒くなるだけだろうと俺がたかをくくったのとは比べ物にならない威力であった。
 だって眼の前を火の海が迫ってくるんだもの。
 火炎の津波とでもいったところか。
 いや、これ避けるの無理じゃね。
「あっつ! どうすんだよこれ!」
「え? なんだって? 身を挺して俺たちを守ってくれるだって?」
「言ってねえよ!」
 難聴系主人公を装って俺がミツルを盾にしようとする。
 その前を、ローブがよぎった。
「……ごめんなさい」
 難聴ではない俺は少女の呟きを聞き逃さなかった。それから彼女はすっと杖を目前に迫る大火事――その先にいる炎の主に向けた。

「〈フリーエル〉」

 魔法の存在を――少なくともこの世界にはそれが確かに存在すると――確信した瞬間であった。
 あれだけの脅威であった火炎は雲散霧消し、残ったのはわずかな煙と氷漬けになった火だるまライオンだけであった。
「行きましょう」
 マオの言葉に、俺達はただうなずくことしかできなかった。
 この絨毯、耐火性だったんだな。
 そんなことを考えながら灼熱なんちゃらの氷像の横を通り、大広間を出た。
 そこから先も、なんのかんの苦難はあったが、大したことではなかった。罠にかかりそうになったり、まるで迷宮のような通路に遭難しかけたり、それくらいだ。
 二〇メートル近い門をマオの杖の一振りで開けて、俺達はようやく外へ出た。
「いやー大冒険だったな」
 しみじみと振り返る俺の背中の袋で、がしゃりと重々しい音が鳴る。道中で拾ったアイテムの数々である。
「アータこれじゃ本当に賊じゃん」
「いいんだよ。マオが良いつってんだから」
「はい。どうぞ」
「あざーっす!」
 槍だの爪だの笛だの剣だのあったが、どれも装備できなかった。レベルかジョブの問題かもな。とりあえず売って軍資金にしよう。
「ここの近くだと……スラーオという街が近いようです」
 家から持ち出した地図をマオが見せてくれた(ちなみに地図は三枚持ち出したので全員分ある)。地図はわりと大雑把というか、ざっくりした縮尺だったが、マオの家があれだけデカいおかげで位置関係がわかりやすい。
「で、マオが行きたい場所ってどこだ」
「王都ビギンです。そこで国王陛下に謁見したいのです」
 そこはそんな大雑把な地図でもかなり離れていた。ということは、結構な距離だな。
「遠いけど、そのうち着くさ。頑張ろうぜ!」
「はい!」
 まあ時間なんて腐るほどあるんだ。気長にいこう。
 元気よくうなずくマオを見て俺もうんうん頭を揺らす。
「よし、とりあえずスラーオとやらへ行こう。先導は頼んだぞ」
「任せてください!」
 ウキウキで歩き出す箱入り娘は微笑ましいな。
 で、
「お前はまた固まってるんか」
 手にした地図と背後のマオ家を交互に見て汗をダラダラしてるミツルの腕を引く。
「ほらキリキリ歩け。捨てていくぞ」
「あ、ああ……」
「歩きたくないとか言うなよ。街についたら、こいつら金に替えて馬車でも調達してやるから」
「ずいぶん高そうな武器だと思わないか」
 俺が担いでる袋の中身のことだろう。
「あんな大豪邸だからな。そりゃ宝の山だろう。それ狙いの空き巣や強盗の忘れ形見かもな」
「あの四魔精とやらは」
「まぁ春になれば出てくるんじゃねえの」
 この世界に四季があるかは知らんが。
「……まあいい」
 何かを諦めたような黒ギャルは、俺の隣を歩き出す。
「それで、街に行ったら何すんだよ」
「とりあえず職業決めなきゃな」
「勇者じゃねえのか?」
「勇者や魔王は名誉職……称号みたいなもんだ。それとは別にれっきとした職があるのだ。まあ、最初は武器屋行って気に入ったの見つけて当座の職業決めてジョブチェンジするさ」
「あっそ」
 せっかく教えてやったのに何で塩対応なんだよ。これだからギャルは嫌なんだ。デートとか行っても興味なさそうにスマホいじってんだろ?
「そういえばスマホは?」
「圏外に決まってんだろ」
 ざまあ。
 そういえば俺のスマホってどうしたっけ。高校の入学祝いで買ってもらってそれから……どうしたかな。たしかちょうど新製品が入ったとかで店員に勧められて、一緒にスマホケースも買わされたんだよな。『一〇〇年先でもあなたのスマホを守ります』とかなんとか眉唾ものな売り文句のやつ。スマホより持ち主の方を守ってもらいたかったぜ。まあせっかく買ったんだし、それはつけたし、その内側に……。

「高いんじゃバカタレ!」
 スラーオに着いて早速武器屋に行った俺の第一声である。
 ここあらゆる意味で高い。売ってる武器の値段から性能から条件まで。なにこれ? ハイパーインフレ入ってんの?
 そりゃ手持ちのアイテム売り捌けば買えなくもない。しかし装備できなきゃ意味ない。結局ゴミ売ってゴミ買ってるだけじゃ。
「お、お客さん落ち着いて」
「オリハルコンだのミスリルだのいらんのじゃ。もっと銅とか鉄とか親しみやすいのはないんか」
「そんな低レベルなのウチじゃ扱ってませんよ……」
「ふざけんな! 意識高い系かこの店は!」
 最初の街の唯一の武器屋がこれってバランス壊れてんだろ。パッチ修正ものだぞ。
「だいたい素手に着の身着のままって……どうやってここまで来たんですか」
「バカにしとんのか!」
「く、くるしい」
 胸ぐら掴んで絞め上げるが、やはり冗談とか喧嘩を売ってるとかそういうことではないらしい。田舎者の初心者相手だからかと思ったんだがな。
 しかたないので袋の中身を金に替えて店を出ることにした。
「お前は妙におとなしかったな。もっと騒ぐと思った」
「この展開はある程度予想できた」
 隣で置物と化していたミツルに俺は首をかしげつつ、三等分した金の一つを渡した。
店の外で待っていたマオにも渡すと大層感謝された。いや、元はと言えばあなたの家のものですからね?
「しかたない。順序が逆になったが、先に職業を決めよう」
「いいのか」
「無職よりはマシだ」
「ああ……」
 ミツルは納得したようだ。そう、俺達はこの世界では学生ではなく無職なのだ。
「で、どうやって職にありつくんだよ。ハロワでもあんのか」
「なんか役所とか神殿とか、それっぽいところで認定とか儀式とかしてもらうんだよ」
 俺は周りをキョロキョロして、第一村人にとりあえず聞いてみる。
「転職ぅ?」
 第一村人のおっさんは露骨に「何いってんだこいつ」といった顔をした。
「スラーオまで来て転職って……そりゃ無理だ。そんな施設も請負人もいやしねえよ。だいたい見た所、上位職云々以前に装備も素寒貧じゃねえか。舐めてんのか。だいたい俺が若い頃は――ぶべらっ」
 俺の不意打ちのスクリューブローがテンプルにクリーンヒットした村人は地面に転がった。
「いいのか?」
 すたすたと歩き去る俺をミツルは追う。
「役に立たない上にありがたいお話してきそうだったから先手を打ったまでだ。NPCの分際で偉そうなんだよ」
「アータは無職の分際で偉そうだけどな」
 背後で回復魔法を唱え終わったマオが追いついてきたのを確認してから、俺はいったん空を仰ぐ。うむ、良い曇り空だ。まるで我々の行先を暗示してるかのようではないか。
「もうこの街は諦めて次へ行こう」
「次の街まで……道中無職無防備でか? 無謀だろ」
「いや、それは違う。あるものを使う」
「ハァ?」
 このギャルは頭にタピオカでも詰めてんのか。
 まったく一から十まで説明してやらんといけんとは。
「要するに街から街へ移動できる設備や能力を使えばいいってこと」
「あ、馬車ですね」
「そゆこと」
 マオの言葉にうんうん頷いて、俺達は運び屋を目指した。
「あーダメダメ」
 その結果がこれである。いかにも運送業やってます的なガタイのいいお兄さんは片手を横に振った。
「あんたらここ以外の街とか名所とか、どこにも行ったことないでしょ」
「それの何が悪い」
 なんとなく開き直ってみる。
「あのね、うちはあくまでお客さんが行ったことある場所じゃないと運んでやれないの」
「街の名前とか指定しても? この際ここ以外ならどこでもいいから」
「あーダメダメ。それって結局こっちに丸投げってことでしょ? お客さん側で確認する術がないんだわ。そういうあやふやな業務は遭難や事故のもとだっていって、組合で厳禁になってるんだわ。バレたら業務停止、最悪免許取消まであるから、引き受けられないよ」
 ほとんど追い出されるような感じで、俺達は店を出た。
「転移魔法……」
 じっとマオを見ると、しょんぼりした顔になった。
「ごめんなさい。私、基本的に家の外には出たことなくて……。小さい頃には色々と連れていってもらったんですが、その頃は転移魔法の座標登録はできなくて」
 結局この魔法使いが転移魔法を使えても同じことということか。最悪ランダムに転移もできようが、それでモンスターハウスに突っ込んだら目も当てられない。
 …………。
 …………。
 …………。
 あれ? ひょっとして最初の街で詰んだ?
 色々考えを巡らせて、そんなことをふと思った。
 このあともスラーオ内をウロウロしてみたものの、ちっとも収穫はなく、とうとう日が暮れてしまった。まったく、最初の街のくせして場末感漂う場所である。
 それでも金はあったし、さすがに宿屋はあったので、今日はそこに泊ることにした。
「で、なんでアータがここにいるのよ」
「俺だけ野宿しろとな。やっぱギャルって糞だわ」
「なんで同じ部屋なのかって聞いてんだよ!」
 俺がアメニティを漁ってると、マオが覗き込んできた。
「こういうのはな、たいてい使い切りで片付けなくていいんだ。持って帰っても構わない」
「え、持って帰ってもいいのですか」
「えーと、持って帰ってもいいけど怒られないってだけで、俺達はやめておこうな」
「わかりました」
「聞けって!」
 うるさいですね……。俺はキーキーやかましいギャルを見る。
「金だって、あるにはあるが無限にあるわけじゃないんだ。節約して何が悪い」
 ちなみにそれで納得したマオと一緒の部屋にしようとしたら、このいらない子まで押しかけてきた流れである。しかたないから三人部屋である。
「嫌なら出ていっても構わんよ。つうか出て行け」
「アータがな!」
「は? 俺の身になにかあったらどうしてくれる」
「それはこっちのセリフ!」
 貞操観念ガバガバのギャルが何を言うか。
 俺に襲われるとか男子と寝るのが生理的に嫌とかそういう理由もあるだろう。しかし俺とてこんなところで孤立して寝るのは危険なのだ。誰に襲われるかわからんし、襲われたら護身できないから詰む。乱暴されちゃう。その点フル装備の魔法使いが一緒にいれば安心だ。あわよくば大人の階段のぼりたい(ここ重要)。
「あの」
 先程から部屋の四隅でよいしょよいしょしていたマオが振り向く。
「結界も完全に展開できましたし、襲われる心配はないかと」
 ベッドそばの机に丁寧にたたんだローブと杖を置く。ちなみにベッドは3つあって、三人用のデカイベッドが一つあるわけではない。自分で言ってて思ったが三人用ってなんだ。あるのかそんなの。
「甘いわね。男は狼なのよ」
 草食系を通り越して絶食系すら超越した断食系男子の俺になんという暴言。
「狼ですか。それはかわいいですね」
 予想外の反応。もっとも、この世界の狼なんてチワワみたいなもんかもな。
「アータねぇ……寝る部屋まで一緒ってなんとも思わないわけ?」
「楽しいです」
 これも予想外の反応。ミツルもぽかんとしてる。
「同じくらいの歳の人とこうやって外に出てお泊りして……ずっと憧れていて、きっと叶わないんだと思っていましたから」
 拝みたくなるような眩しい笑顔であった。
「ヤベ。なんかウルっときたわ」
 俺も目頭が……。
 人のことも言えんが、そばのうるさいだけのヤマンバギャルを見ていると、さぞかし教育が行き届いているのだろう。子は親を映す鏡なのだ。事情が事情とはいえ、ご両親になんの挨拶もしてなかったが……まあいいか、同年代の親と話しても気まずいだけだし。別に誘拐したわけでもないし。……いや、家出をそそのかしたのってひょっとして俺か……? いやいやまさか……。
「それはいいとして」
 ミツルが俺にチェックインするときに渡された寝間着を投げつけた。
「着替えはよそでやれ!」
 ちっ。
 渋々と部屋を出る。「いいって言うまで入ってくんなよ」と声が飛んできた。遅れてガチャリと鍵がかかる。まったく信用されてない。傷つくわぁ。
 勇者(予定)の俺になんて仕打ちだ。
 物悲しいものを覚えながら廊下で服を脱ぐ。この感じあれだ、体育の授業で教室で着替えるときのあれだ。ちょっと男子ーはやく出ていきなさいよー。うん、どうでもいい思い出だ。
 薄暗い、申し訳程度にランタンが並ぶ廊下は、人が三人は通れるくらいの幅がある。突き当りの窓は開いており、そこからほんのり流れる風が灯りを揺らす。
 その突き当り、ちょうど窓を中心としたT字路になったそこ、その陰に誰かいた。
 え? 覗き? 
 キャー。とっさに腕で体を隠してみる。
 揺れた灯りに照らし出されたのは、ちんまい女の子だった。
 赤い髪をツインテールにして腰まで垂らし、簡素な赤いワンピースを着ている。ランドセルでも背負わせたら、夏の小学生の一風景としてしみじみすることだろうさ。
 問題は、そんな子が俺の着替えを物陰からじっと見ていることである。
 いや、見世物じゃないし、見せるほどのものでもないだろ。いや、待てよ。こっちの世界ではこういう趣向というか、嗜好なのか? こんな子が男の着替えを覗いて性的興奮を覚えるのがデフォなのか? 業が深いな。
 俺がそんなカルチャーショックを受けている間も、ずっと少女は視線を外さなかった。こっちが気づいてるのはわかってるだろうに、まったく微動だにしないのだ。ここは恥じらったり逃げたりするところだろうに。この世界の幼女はなんというか、肝が据わってるな。
 このまま黙って着替えを続行するべきなのか? でもそんな露出狂みたいな変質者みたいな真似するのもな。かといって声をかけるのも変質者扱いなんだよな。最近は声掛け事案だとかいって、それだけで紙面やネットを賑わせるし……。
 児童の情操教育というデリケートな問題に俺が頭を悩ませていると、そばの扉が開いた。
「おい、終わったぞ」
 ミツルが出てきた途端に、その少女は逃げ出した。たたっと小さな足音が遠ざかっていく。なんだったんだろうな。
「ああ……」
 気の抜けた返事をして黒ギャルの方を向く。こいつに話しておくべきか。いや、いいか。幼女に着替えを見せてた変態扱いとか、そんなテンプレ誤解を招きそうだし。
 黒ギャルが赤ギャルになっていた。
 厳密には黒に赤みがさした赤褐色というべきか。なぜか俺を見てプルプルしてる。え? なに? 進化の前触れ? ようやく真人間に進化するの?
「アータ……その格好……」
 ちなみに今現在の俺の格好はパンツ一丁であり、下着はそのままにするか、それとも素肌に寝間着でいくべきだろうかというところで中断していたのである。
「なあ、パンツも履きっぱなしより脱いだ方がいいかな」
 股間を何本も見ているであろうギャルに相談してみた。
「このドヘンタイー!」
「ギャー!」
 涙目で真っ赤なミツルの拳が俺の顔面に突き刺さる。てめえにそんなテンプレ展開求めてねー!

「んごおおおおおおおおおおやだもおおおおおおおお」
「えーと……よしよし」
 ベッドに座るパジャパ姿のマオに泣きつく。やっぱりこの膝だ。この世界にはここしか癒やしがない。殴られて前が見えなかったけどがんばって着替えた俺を慰めて。
「チッ。っせーな」
 諸悪の根源はまったく反省してねえし。やっぱこいつパーティーにいらねえわ。この世界観にヤマンバギャルとか異物でしかねえよ。
「たしかにこちらから追い出しておいて、この仕打ちはあんまりかと」
「わーったよ。罪滅ぼしでもすればいいんだろ」
 ギャルはガシガシ頭をかいて、さぞ面倒くさそうに言った。俺としてはさっさと慰謝料をもらって俺たちへの接近禁止命令を出したい。
「ほれ」
 ミツルはあのストラップをごってりしたスマホを差し出した。
「いらねえよ」
「そういうことじゃねえよ」
「圏外で役に立たないもん渡してどうすんだよ」
「たしかに通話やネットは無理だけど、さっき気づいた。まだ使える機能ある」
 ずっと見てると気持ち悪くなる模様のネイルが画面を操作する。するとひとつのアプリが起動した。
 
 [ステータスチェッカー]
 
 ああ、そういう……
「ジジイが多分仕込んだな」
「だろうよ」
 さすがに孫娘にはいくつか忖度したようだな。これがコネというやつか。
 このアプリを起動した状態で指紋センサーに指を置くとステータスが表示される仕組みらしい。そういえばこっち来てからチェックしてなかったな。割とお約束なのに。
 ここは、俺がとんでもないステータスになっていて、皆を驚かせるという展開。
『うわあ。すごいステータス』なんてマオが感動して尊敬の眼差しを向けて惚れるね。間違いない。

「レベル二〇に攻撃・防御・精神・命中・回避・幸運……アータ全部そこそこだな。アビリティもなにもなしか」

 …………まあ、こういうオチだとは予想していたさ。神様なんもくれなかったし。
 ちくしょう。
「アーシもレベル二〇だったけど、これデフォ? レベル1からスタートじゃないんだな」
「昼間のバトルの経験値だろ」
「いや、なんにもしてないじゃん」
「戦闘時に一緒にいれば経験値もらえるんだよ。強敵相手の場合、低レベルならそれで一気にレベルが上がる」
「なんかセコいな」
「もらえるもんもらって何が悪いんじゃ」
 しっかし気づかないうちにレベル上がってたわけか。道理でそこいらの村人とはいえボコれるわけだ。
「あの」
 マオが手を挙げる。おっと、二人で盛り上がってて悪いな。
「私もやってみてよろしいでしょうか。今までこういったもの見たことがないのでございます」
 どうぞどうぞ、と俺はスマホを提示する。
「ここの円のところに指を置くだけでいいから」
「こうでしょうか? あ、出ましたね」
 物珍しさゆえか、マオがキャッキャしている。それを微笑ましく感じていた俺の笑顔は、次の瞬間固まった。

「レベル八三でアーシらのステとは桁が2つか3つ違うな。アビリティもてんこ盛り」

 うわあ。すごいステータス。
「え? 私の能力、低すぎましたか?」
 うん、そのセリフ俺が言いたかったんだけどね。いや実際低いから言えるんだけどもね。
「職業はアークメイジ……ね。いかにもってカンジ」
「昔、高名な鑑定士が訪れたことがございまして。見ていただいたら、最初から最高職でよいと。通常はもっと段階を踏むらしいのですが」
 職業の飛び級かよ。そんなの聞いたことないぞ。
「アーシらもそのカンテーシ呼んだ方がよくない?」
「ピザ屋の配達じゃないんだぞ。その手のはよっぽどのコネか連絡手段がないと無理だ。通りがかりの人すべてにできるかどうか聞くのもコスパ悪すぎるし、無難に施設を目指した方がいい」
「だりぃな」
 ちなみにその手の個人的依頼はべらぼうに金は取られるし、一定の権威がないとなんの意味もないサムライ商法と紙一重であることは、二人に言っても詮無いので黙っておこう。マオの場合はきっちりステータスに表示されてるから折り紙付きだな。
「もういっそ無職でもいい気がしてきた」
「いろいろメリットあるんだぞ。たとえば基礎ステータスが底上げされたり、覚えられるアビリティの種類が増えたり、アビリティが覚えやすくなったり。なりたいものが特になくても箔をつける意味で職業は設定したほうがいい」
「はいはい」
 面倒臭そうに手を振って、ミツルは自分のベッドに横になった。
「スマホ、使い終わったら枕元にでも置いといて」
 それだけ言って布団を被ってしまった。
「さて……」
 俺は改めて自分のステータスを表示させる。取り立てて何もない。それはどうしようもない事実である。問題はここからどう肉付けするかだ。
「魔法、覚えてみませんか」
 うんうん唸っていた俺を不憫に感じたのか、目の前の大魔道士がそんな申し出をしてくれた。
「マジシャンですらないけどいけそう?」
「最低限の魔力があれば大丈夫ですよ」
「杖もないけど」
「杖はあくまで補助ですから。杖固有の魔法を発動させる場合でもなければ、威力や精度が落ちるだけです」
 素手の無職でも使えないわけじゃないってことか。
「じゃあ頼もうかな」
「はい!」
 マオは嬉しそうにうなずいた。渡りに船とはこのことだ。まともな装備も技能すらないところに、戦闘手段を授けてくれる専門家がいるわけだからな。
「では、まず魔法の基礎から」
 人差し指をたてて、彼女は得意げに語る。人に物を教えるのが好きなのか、もっと単純に人の役に立てるのが嬉しいのかもしれない。その気持ちはよくわかる。
 きっと彼女は、間違えないのだろう。
 努力の方向性も、ひいては人生というものも。
 真っ直ぐで明るくて、誰からも好かれる。
 生前の俺はそうなろうとして、失敗した。
「そうですね。やっぱりまずは、基礎三系統からだと思います」
「あ、うん」
 閑話休題。思想にふけっていた意識を魔法のお勉強に集中させる。
「炎、氷、雷。その三種が攻撃魔法の基礎にして、あらゆる魔法の原点と言われます。通常、大なり小なり魔法に携わる者は、まずこちらから修得いたします」
「そういえば今日使ってたのは氷魔法だったよな」
「はい。〈フリーエル〉ですね。こちらは氷の初級魔法です」
「初級……」
 あれで……?
 あのとんでもない威力で……?
「原則として初級のエル系、中級のエラ系、上級のエスト系、一種類で三段階ございます」
 念のため確認しておこう。
「上級の方が難しい分、強いってことだよな」
「そうなります」
「そっか。いやさあ、あの時使ってた魔法の威力があまりにもおかしいんで」
 するとマオは申し訳なさそうにぺこり。
「ごめんなさい。いくらなんでも弱すぎでしたよね」
 うん、嫌味じゃないんだ。この子は純粋に自分の非力に申し訳なさを感じているんだ……。
「早速ですが、何を覚えますか。炎の〈ファイエル〉・氷の〈フリーエル〉・雷の〈ラディエル〉とございますが」
『3つの中から好きなのを選ぶのじゃ』パターンか。これ結構悩むんだよな。先の展開がわかれば安牌でいくけど、まったく未知だからな。それがドキドキというか醍醐味でもあるんだろうが、マオを長々と待たせるのも悪いし……。
 ここは……。
「炎で」
 王道を往く。
「わかりました。炎は四大元素のひとつでもありますし、迷っているようなら私も炎を勧めるつもりでございました」
 どうやら正解だったらしい。氷はマオのあれ見たあとじゃ絶対コンプレックスになるし役に立たないだろうし、雷はなんかミスったらこっちまで感電しそうだし、という消去法だったのは内緒だ。
「それでは早速見本を」
 マオは杖を手に取り、窓を開ける。
「室内では危ないので空に向かって放ちます」
 身を乗り出し、外に何もないことを確認。自分の家より気を遣ってるな。感心感心。
「いきますよ。いいですか?」
「いつでもどうぞ」
 窓のそばに立った俺にうなずいて、マオは杖を天へ向けた。
 一瞬、意識が飛んだ。
 それは瞬間的に酸欠になったからであり、それは瞬間的に酸素がなくなったからである。
 原因は目の前に出現した巨大な火球が周りの酸素を燃やしてしまったからであると、数秒後に気づいた。
 民家である。サラリーマンが何十年ものローンを組んでやっと手に入れる一軒家。待望のマイホーム。
 そんなサイズの火の玉が、夜空を駆けていく。まるで彗星だ。
 きれいだなーと場違いな感慨に浸っていると、射線上でのんきに飛んでいたドラゴンがジュッと消えた。俺はキャンプでバーベキューをした時の、わざわざ炭火に突っ込んでいく虫たちを思い出した。
「あれ、どうやったら止まるの?」
「わかりません。そのうち当たれば炸裂するのでしょうけど……」
「そっかー」
 四魔精戦で安易に炎同士の勝負とかしてくれなくてよかった。
 星の仲間入りをする火球を見届けながら、そんなことを思った。
 しっかしすごい火力だな。これが炎魔法の上級ってやつか。
「それで、今のが炎の魔法のエスト系だから……ファイエストであってる?」
「いえ、今のは〈ファイエル〉です」
 窓を閉めたマオは首を振る。
「飛び火させないように無詠唱で威力を落としたのですが、中々うまく調節できませんね。杖は使わない方がよかったかもしれません。今更ですが、炎の魔法は苦手なんです」
「…………」
「あの……また私、なにかやっちゃいましたか?」
 呆然とする俺を心配するマオに、掛ける言葉が見当たらなかった。
「呪文っていらないのか?」
 とりあえず話題を変えよう。このままではコンプレックスなんてレベルじゃねえもんに押し潰されそうだ。
「いらないとまでは言いませんが」
 自分のベッドに腰掛けたマオは杖を壁に立てかける。
「魔法とは、自身のイメージを魔力というエネルギーで具現化することでございます。つまり、自分の中でのイメージが確たるもので、そちらを具現化するに必要な魔力さえあれば、問題はございません」
 ですが、と大魔道士は続ける。
「イメージというものは、それ単体ではあまりに不確定で弱々しいものでございます。不慣れ、練度の足りないものがやろうとしても、すぐにはコントロールできないでしょう。そうなれば詠唱を介することで、対象のイメージを固定化・具体化する必要は出てきます。無論、それは必要がない熟練者であっても、補助としての機能を果たします」
 補助輪のようなものか。最初から補助輪なしで自転車を運転できるやつはいない。いや、中にはできるやつもいるだろうが、それは才能があったからというだけで、大多数は補助輪や後ろで支えてもらって覚えるものだ。補助輪を卒業したやつだって、補助輪使った方が転ばないに決まっている。
「つまり慣れるまでは魔法を唱えなきゃならないし、慣れても唱えるに越したことはないと」
「はい。発動と詠唱はほとんどタイムラグがございませんし、隠密行動でもなければ特に不利にはならないかと」
 一言でいいわけだからな。
「なんというか、前口上が長いパターンがあるだろ? あれって」
「補助の機能を最大限に活かす場合か、魔法の発動にそれだけの溜めが必要な場合ですね」
 前者は強化要素、後者は必要条件か。盾持ちのいないこのパーティーじゃ危なっかしいな。ていうか無職二人に魔法使い一人ってパーティーとして成立してねえ……。
「今から覚える魔法は初級魔法ですから、今は気にしなくてもよいかと」
「そうだな」
 このあと高火力のやつが仲間になるかもしれないしな。ああだこうだ心配しても詮無い。とりあえずやれることはやっておこう。
「まず炎をイメージしてください。それから、指の先にその炎が出てくると思ってください」
 人差し指を立てて、そこをじっと見る。炎ね……。
「対象のイメージを固定化し、その固定されたイメージを特定の場所へ具現化するのです」
 指が燃えるではなく、指先に炎が出てくると思えばいいのかな。
「イメージが曖昧であれば、その分無駄になる魔力が出てきます。過度なイメージであれば、消費する魔力が大きくなり持っている魔力が足りなくなります」
 俺は先程見た火球を思い出す。あれは無理だな。ああ、そんなこと考えてるとどんどんイメージが……。
「難しいなこれ」
 剣でも振ってた方が肉体的にはキツいだろうがわかりやすい。
「慣れれば簡単にできますよ」
 マオは両手を見せる。その手を覆うように火が灯った。
「私は苦手なので手全体を覆ってしまいますが、熟練者は指先に一つ一つ炎を個別に出すことができます」
 まるでライターだ。熱くないの?
 ん? ライター?
「少しとっかかりがつかめたかも」
 炎そのものをイメージするからブレるんだ。だったら、火をつける道具から始めればいい。百円そこらで売っている、あのプラスチックの安っぽいライター。それをシュボッと点けるイメージだ。
「あ、もうちょっとですよ」
 人差し指の先、その数平方センチの空間が、わずかに揺れる。まるで蜃気楼だ。
「魔力によって空間が干渉され、イメージが具現化されようとしているのでございます」
 ぐぬぬと力んでみる。
「筋肉に力を入れるのではなく、頭から絞り出して、押し出す感じでございます」
「えいやー!」
 指先に一瞬ではあるが、火が灯ったような気がした。ガスの抜けかかった、赤ん坊の小指大の火だ。
「やった! やりましたよ!」
 ゼエゼエ息をする俺は、マオの喜びにつられて笑う。どうやら、確かに火はついたらしい。
「こんなの毎回……しんどいな……」
「慣れれば無駄な力を使わずに済みますし、もっと楽になりますよ。大切なことは諦めずに続けていくことです」
「OK、コーチ」
 額の汗を腕で拭って、膝をつく。意識が遠い……ぼんやりする……。
「魔力は精神力、心の力でございます。消耗すれば、それだけ意識を保つことが難しくなります」
 マオの差し出された手を取って、そのままベッドに横になる。
「魔力には限界がございますし、今夜はこのまま休んで回復しましょう」
 反論する理由も気力もない。俺は黙ってうなずいた。あー動きたくねえ。夏休みの最終日に徹夜で宿題やって燃え尽きた感覚に近い。毎年ひどい目に遭って計画的にやっていればと後悔するのに毎年最後まで後回しにするんだよな。
「それでは、おやすみなさい」
「ああ」
 俺に布団をかけて、マオがその横に潜り込む。布団の中から腕を伸ばした彼女が、天井中央のランタンに向けて人差し指を振る。するとたちどころに灯りは消え、室内は闇となった。便利だな、魔法。
 …………。
 …………。
 …………。
 はて。
 あまり働かない頭で、ようやく気づく。
 自然な流れで添い寝してきたぞ、この子。
「なんだか興奮して眠れません」
 えっ。
 ちょっとまって。
 この子、そういう系なの?
 はめるつもりがはめられたの? いや、はめる気は……まったくないとは言えんな。
「同じくらいの歳の人たちと、こうやってお泊り……本当に憧れだったのです」
 ……ああ、そういうことね。そういえばさっきそんなこと言ってたね。
 がっかりしたような、ほっとしたような……。
「学校でこういうのなかったか?」
 異世界の学校のカリキュラムはわからんからな。そもそもそういう施設があるのかすらまちまちだ。
「私はずっと家庭教師でしたので」
 そういうパターンね。そういや箱入り娘だったもんな。
「だから興味あるのです、学校というものが。聞かせてもらえないでしょうか」
 首を動かすのもおっくうで、彼女がどんな顔をしているかわからない。けれど、きっと瞳をキラキラさせてるんだと、なんとなく察した。
「…………そうだな」
 俺は、少し迷った。
 俺の語る【学校】は、彼女の期待するようなものでないと、容易に想像がついたから。
 あの残酷で、あの理不尽で、あのどうしようもない世界を語ったところで、彼女は喜ばないだろう。無論、『楽しいところだよ』と当たり障りのない言葉で表すことはできる。容易い。
 しかしそれは、マオに対する裏切りのように思えた。
 なにより、それは俺がここへ来た理由、ひいては俺自身への否定に思えた。
「じゃあ、寝る前に昔話を聞かせよう」
 だから語ろう。
「昔話といっても、割と最近のことだけど」
 何も隠さず真実を。
 感じてきた現実を。
「一人の男の、惨めで哀れな話さ」
 現世で否応なく綴った俺の物語を。

 
   第二章

 そいつはまあ、そこそこの家庭で育ったのさ。
 とりあえず衣食住には困らなくて、一応は親の庇護のもとで暮らしていける。
 ただ、父も母も夫・妻に無関心で、子供の相手より仕事の方が楽しそうだった。もっと言えば、家庭の逃げ場として仕事に打ち込んでいたのかもしれない。
 だからかな。その二人の子供のそいつが中学――中級の学校ってところかな――でうまくいってなくて、周囲と馴染めなくても、とりあえず落第せず登校していれば問題なしと判断していたんだろう。
 そいつは、運動も勉強もとことん悪いというわけじゃなかった。それがよくなかったのかもしれない。極端にどっちか悪ければ、そういうキャラでやっていけるというか、そういうやつが属せるグループがあったかもな。どれもこれも中の下で、どっちつかずで、受け身で、積極的に何かをやるようなやつじゃなかった。誰かに誘われることを期待して、ただ無為に過ごしていた。そうしてるうちに、他のやつらは他のやつらで仲良くなって、絆を深めていったのにな。
 気がつけば、そいつは孤立していた。
 学校の皆が、悪意をもってそうしたわけじゃない。いつの間にかそいつだけ群れにいなかったんだ。でもそれは当然だったんだ。何かあるわけでもない、面白くもなんともないやつが、行動を起こすこともなく、ただ存在だけしていた。そんなやつと仲良くなる理由なんてないわな。そいつはそれでも何かしようとはしなかった。状況が、環境が、なんとかしてくれると思っていたんだ。
 いや、思い込みたかったんだ。
 そう思い込んで、逃げたんだ。自分から他人と向き合ったり、他人と関わり合ったりすることを。傷ついたり、否定されるのが怖かったのかもしれない。だから、安易に時間が解決してくれるだろうと思って、結局そいつは何もしなかったんだな。それが処世術として、正しかったのかはわからない。
 ただ言えるのは、中学を卒業する時、そいつには何の思い出もなかったし、周りには誰もいなかったんだ。
 悲しみ……虚しさ……まあ要するに、ろくな印象はなかったんだろう。そいつは進学を機に、変わろうとした。今度は自分から動いて、他人と関わろうとしたんだ。
 そこで、努力の方向性を間違えた。

『ういーっす。――――です! 皆よろしくじゃ~ん!』
 髪型をいじって、無理してテンション高いキャラを演じてみた。
 クラスの連中は特に反応するでもなく、一瞥するだけだった。
『なにあれ』
『ダッサ……』
 ヒソヒソと声がして、嘲笑も聞こえてきて、ウケてないのだけはわかった。
 クラスが決まって、自己紹介早々、歓迎されていないのはわかった。それでもそいつは諦めなかった。諦めたらどういう結末か、もう経験済みだからな。それは嫌だったから、続けたんだ。
 最初はこんなんでも、そのうち周囲と打ち解けられるって期待したんだ。
 自分にも友達ができて、自然と所属するグループができて……そういう流れを、期待したんだ。
 今思えば、他人に依存していたんだな。
 他人が自分に好意的である義理も保証も、何もないのに。
『えー、自己紹介も終わったことだし、次は学級委員長でも決めるか。誰か立候補するか』
『うぃっす! 俺っす! 俺やるっす!』
 教師の言葉に、そいつはいの一番で手を挙げた。これまでの経験から、その手の役職はクラスの中心人物がやっていたからな。
『他には……』
 教師が見回すが、他の奴らは目を伏せたり視線をそらす。そりゃ委員会なんて面倒事は避けたいだろう。そいつも今までそうだったからな。
『……じゃあ頼むぞ。次に文化委員と体育委員だが……』
『はいはい! それも』
『気持ちはありがたいが兼任は無理なんだ。他には……』
 そういうわけで、そいつは学級委員長になり、立場上はクラスの長になったわけだ。ただ、そいつは勘違いをしていてな。クラスの中心になれるようなやつが、その人望で学級委員長だのリーダーだのになるのであって、学級委員長になったからといって、クラスのまとめ役や人気者になれるわけではないのだ。
『俺が学級委員長になったからには、このクラスを明るく楽しいものにしていくんで、よろしくぅ!』
 教壇に立ち、そんなことをのたまった。そんな能力も腹案もないのにな。
 クラスの連中の目は冷ややかで、それが初対面ゆえの固さだとそいつが思ってたのは、若気の至りというやつだったのか、あるいはコミュ力不足による誤信だったのか。
『うざ……』
 前々からブツクサ言っているガラの悪い女子が吐き捨てた。とりあえず、そいつはその時からギャルという人種が決定的に嫌いになった。どう考えてもこの手の輩を敬遠するようになったのは、やはりこの頃のことが原因であろう。
 まあそれでも、何割かの連中は、わずかながら期待の要素をそいつに持っていたようで、最初は何事もなく回っていたんだ。クラス単位の行事やら連絡やらは、曲がりなりにも学級委員長であるそいつを経由するわけだからな。事務的であっても、会話はせざるを得ない。
 しかしだ、何の経験もないやつが、集団をコントロールできるわけもない。徐々にボロがでてきた。それは負の実績として、確実にそいつへのヘイトに変わっていったのだ。
『あいつ使えねえ』
『でも面倒事引き受けてくれてるわけだし』
『結局処理できなくてこっちが迷惑してんじゃん』
 数週間たち、そんな愚痴が聞こえてくるようになった。さすがのそいつも危機感を覚えた。なんとか挽回しようと思った。だが、そもそも挽回できる能力があればこんなことにはなっていないわけで。結局、どんどん空回りしていくだけであった。
『ったくうざ……』
『死ね』
 やはりギャルは嫌いであった。奴らはとくになにか貢献するでもなく、人のやることなすことケチをつけ、自分の誰得の外見と趣味に労力を全振りするからである。
 新体制になってから二ヶ月くらいが経ち、体育祭のシーズンになると、そいつのポジションはだいたいはっきりしていた。
『ついに待ちに待った体育祭! テッペン取ろうぜてめえら!』
『…………』
『…………』
『…………』
 うるさいだけ。口先だけの役立たず。産廃……ゴミ……。
 クラス全体の厄介者である。
 このあたりから、クラスの連中はそいつに無関心になり、一部は敵意を持つようになった。無視は当たり前、下駄箱にイタズラされるのは当たり前、机の中にはゴミや虫が詰まっているのも当たり前。
 結局、自分が属するグループどころか、友人の一人さえ、そいつにはなかった。
 得られたのは迫害される毎日で、苦痛の日々であった。
 いつからか、そいつは学校に行かなくなった。クラスでの付き合いはもとより、勉強すら手につかなくなったのだ。学校生活のことを考えるだけで気持ち悪くなり、吐き気がした。親には腹痛だ風邪だと言い訳を並べて、登校の時間帯は布団の中で過ごし、昼間は外をあてもなくぶらついた。下校の時間帯には家に戻り、同じ学校のやつと遭遇しないように過ごした。
 そいつはどこで間違えたのか、どうすれば正解だったのかわからなかった。ただ自分は、皆と仲良くなりたかっただけだ。それなのに気がつけば、その皆は自分を傷つけ、追い詰めた。自分への侮蔑、嘲笑……悪意が、ともすれば憎悪が、はっきりとあった。
 努力を無意味とは思わなかったが、これから先、どう努力すればいいかわからなかった。ただ時が流れていくだけだ。そのまま死んで消えれば、すべては終わるのだろう。その時まで、自分は待っていればいいのか。
 それが結論なのだろうか。
 自分自身、わからなかった。
 同年代が勉学だ部活だと人生を謳歌している間、そいつはひたすらそれとは無関係に過ごした。意味もなくさまよい、人目を避けて歩く。家ではゲームやアニメで時間をすり潰し、空想の世界に逃げた。
 そいつは、もう何も期待なんてしていなかった。
 少なくとも、この人生と――
 ――この世界には。
 
《本日のニュースです。日ノ本(ひのもと)総理が掲げる新社会保障制度について、野党からは弱者の切り捨てと批判が相次ぎ、野党第一党の大和(やまと)代表は次のようにコメントを――――》
 リモコンを置いたそいつは沈黙したテレビを背に部屋を出ていく。ここに戻ることはないと、そいつはまだ知らなかった。
 そいつが街をぶらつくのは、転機を待っていたのだろうか。この状況を変えるなにかを。だとすれば、少なくともそれは学校にはないから、もっと広い社会というものに求めたのだろう。
 そいつはパーカーのフードを被ってマスクをし、伊達メガネをかけていた。そいつは一応まだ学生であったので、日中に市街をうろつくことへの補導や質問をされるのが面倒だったからだ。要するに学生なのに学校にいないのはおかしいだろって怒られるのを嫌ったんだ。それもあって、表通りは避けた。もっぱら、ひとけのない路地裏ばかりだった。人目につかない、なにかよからぬことをするにはうってつけの場所。
 だからこそ、そいつは転機というものに直面した。
 どこかの店の裏口、その付近に、二人の男女がいた。顔を手でかばうように隠した女に、怒り狂った男がまたがって暴力を振るっているのが見えた。すすり泣く女と、鼻息荒く罵る男。どう見ても婦女暴行であったし、そいつはそうだと信じて疑わなかった。
 もちろん、見て見ぬ振りをすることもできた。もう少し様子を見て、状況を把握することに努めてもよかった。ただ、そいつはそうはしなかった。なんでだろうな。
 良心の呵責……に近いかな。どうやって助けるとか、助けたらどうなるとか、そういうことは一切考えなかったらしい。いじめられてる姿が自分と重なっただとか、そういう気分も作用したのだろうか。
 ともかく、そいつは走り出していた。
 とりあえず男に抱きつくようにタックルして、女から引き剥がした。奇襲だったのもあってか、意外とうまくいった。
『逃げて』
 ずいぶんまともに喋っていなくて、ガサガサのかすれた声だった。音量調節もヘタだったな今思えば。
『逃げて』
 他に言葉が浮かばなかったらしい。暴れる男を押さえるのに必死で、頭も回っていない。自分が時間稼ぎをしている間に、女が逃げてくれればそれでいい。成功だと思いこんでいた。しかし振り返ると女は起き上がったはいいものの、ぺたんと腰をおろしており、呆然とこちらを見ていた。
 どうして。
 そいつはそう口にしようとした時、ぐっとなにかに腹を押された。しかしすぐにその感触は失せ、じわりじわりとそこから熱を感じた。
 ぼんやりと下に目をやる。すると、否応なく汗がどっと吹き出た。それもそのはず。
 自分の下腹部に、ナイフの柄が生えていたのだから。
 探検にでも使うような、太いサバイバルナイフであろう。そいつはそう推測した。なぜ推測どまりなのかと言うと、刃の部分は自分の腹の中にすっぽりと入っていたからだ。
 男が茫然自失のそいつを蹴り飛ばし、女に駆け寄った。
『なんだよこいつ!』
『知らないわよ!』
『は? お前のオトコじゃないのかよ!』
『知らないわよこんなやつ!』
『と、ともかく逃げるぞ』
『ちょ、ちょっと』
 走り去る男の背中を女は立ち上がり、追おうとする。その時、女がそいつを見た。不安・焦燥・憐憫……そんな感じの顔をしていたらしい。
『おい置いていくぞ!』
『ま、待ってよ!』
 男の急かしに女は応じた形で、二人はその場を去った。
 残されたそいつは、仰向けで路地裏の狭い空を見上げていた。
 助からない。
 意外とクリアな思考で、そいつは確信したらしい。服の下から血がしみ出して、腰のあたりにぬるくて不快な溜池を作っていた。
 そいつは感謝してほしかったのだろうか。
 助けたことで、女に感謝してほしかったのだろうか。それとも、女を助けることで、それを誇りとし、自信にしたかったのだろうか。
 答えは、そいつ自身にも出せなかったようだ。
 ただ薄れゆく意識と、冷たくなっていく肉体の中で、自分は努力の方向性を間違えたのだと、思い知った。
 学校で皆と仲良くなりたかったのにうまくいかなかった。ここでも、女を助けようとしたが、結局それはただの勘違いで、あの二人はそこまで険悪な仲ではなかったのだろう。ああいう付き合い方もあるのかもしれない。友人関係さえまともにできないそいつに、男女関係のことなどわかろうはずもなかった。あのまま二人を放っていても、きっとどこかで落とし所を見つけて、仲良く表通りに戻っていたのだろう。そこに横槍を入れられて、気が動転して男はナイフを使ってしまった。そういうことなのだ。
 結局、何もかもが空回り。
 そいつは自らの失敗を嘲りも怒りも嘆きもしなかった。
 ただ、この世界に自分の居場所はなかったのだと、悟った。
 そしてそんな世界に、ひどくうんざりした。
 ……。
 …………。
「………………とまあ、こうして、一人の学生の生涯は終わりましたとさ」
 だいぶ長くなった上に後半なんて脱線していたような気がする。辛気臭い不幸自慢のようにも聞こえたかもしれないが、一度死んだ高校生の話なんてこんなものだろう。
 マオの反応はない。さすがに期待はずれすぎて言葉もないといったところか。
 おっくうではあるが、首を横に捻ってみる。
「……すー……すー」
 寝てました。
 長い上につまらなかったからね、しかたないね。
 俺は天井を見上げる。俺も寝よう。
「お父さん……お母さん……」
 なんともかわいい寝言だことで。
 両親か。うちのは何してるかな。とりあえずテキパキと葬儀やって、遺品整理して終いかな。手間かけさせて悪いなとは思うけど、もう会えなくて悲しいとか、また会いたいなとか、そういうのはない。
 多分めぐり合わせというか、かみ合わせが悪かったんだなって。
 もっとマシな親だったら、もっと相性が良ければ、少しは違った結果になったかもしれない。虐待はされなかったから、そこだけはマシだったのかもしれないけど。向こうもそんな感じだろう。もっとできの良い子供だったら、と。思う所あれば、また子供を作るだろう。そこまでいったら、もう俺がどうこう考えることではない。
 ともかく、あの人達と俺の関係性は、もうないんだ。
 自分の方はともかく、マオの方はどうするかな。
 彼女を見る限り、さぞ愛情を注いで育ててもらったことであろう。それを本人の意志とはいえ、なかばさらっていくように連れ出したのは……良くはないだろう。かといって、今更事後承諾を取り付けに行くのもあれだし、マオにはマオなりに目的があるようだし。そういうことをするのも無粋というものだ。子供には子供の世界が、子供なりの事情があるものだ。
 とはいえ、親からすれば大事な箱入り娘をこのまま連れ回すのも気が引けるので――
 そのうち、余裕ができたら挨拶くらいはしておこう。
 ――なんて、逃げに近い問題の解決の先送りをしつつ、俺は眠りについた。

 真っ暗闇の中、目を開く。夜中に目が覚めたのかと思ったが、周りを見るとどうも違うらしい。なぜか俺は最初から立っていて、どこまで進んでも闇で、何も見えないし何も触れない。
 ああ、そうか。
 これは、夢だ。
 たまにあるよな、こういうわけわかんない夢。フロイト先生に聞けば何かわかるんだろうか。
 こういうパターンの夢はなんか意味不明なことが起きて、なぜかそれに納得しつつ、いつの間にか目が覚めている流れだよな。
 とか考えていると、目の前に火だるまが現れた。
 人体模型でも燃えてるのかと思ったら、そいつがこっち振り返った。こわっ!
 逃げようと思ったら脚が動かない。夢だからな。
 しかたないからまじまじ見たが、こういうモンスターなのだろうか。
 燃え盛る炎そのままに逆立った赤い髪に、ガスレンジの炎っぽい色の青い瞳。性別は男っぽい。メラメラ燃えているが、近くにいても熱くはない。燃やされているというより、炎の魔法を纏っているような。自然現象の炎というより、意思をもったオーラのような印象。
 それはそれとして。
 なんでこいつが俺の前に?
「あなた誰です?」
 こんな知り合いいない。とりあえず聞いてみた。
『俺は――――』
 炎にまみれた顎が動いた。
『――――――』
 ………。
 ………。

 声がする。
「朝ですよ! 起きてください!」
 これはあれか。幼馴染がねぼすけの主人公を起こしてあげるために毎朝家まで来てくれるとか、そういうあれか。いいね、実にいいねこういうの。古き良き日本の侘び寂び。様式美ってやつだよ。
「うーん。あと五分」
 そこで俺がこう返す。これも様式美。お約束ってやつだ。もっとも、遅刻の心配なんて皆無であるし、実際あと五分であろうが一〇分であろうが、寝ていても構いはしないのだが。まだ学校に行っていた頃は、この二度寝が気持ちよかったなあ。不登校になってからは昼過ぎまで寝てるのがデフォだったけど。
「とっとと起きろボケ!」
 ミツルの蹴りでベッドから叩き落された俺は、床を転がるはめになる。
 暴力ヒロイン……これは負の遺産……過去の過ち……あってはならぬ。
「お前みたいなのは今更流行らねえんだよ……」
「あ?」
 過ちを繰り返してはならぬとフラフラ立ち上がる俺に、このギャルはガンを飛ばしてきやがった。
「皆さん起きましたね。それでは」
 もうパジャマからローブに着替えているマオはパンと手を合わせる。なに? ラジオ体操でもするの? そういえばあれも小学校中学年あたりから行かなくなったな。サボりぐせはあの頃からあったのかも。でも必死こいてスタンプためてもらえるのがお菓子一個だのノート一冊だのじゃ割りに合わないんだよな。早起きは三文の得とは言うが、そんな二束三文のために骨を折る価値はないだろうと。コスパ悪すぎる。
 マオが窓を開ける。なんちゃって引きこもりには辛い朝日と爽やか風が入ってきた。
「お祈りをしましょう」
 その提案に、俺とミツルは渋い顔をした。
 どちらも、祈り先がない。
「アーシはいいや」
 神の孫娘は辞退の声をあげた。こいつの場合、神様に何か用があるなら、そんなまどろっこしいことしなくても直で言えばいいだけだしな。
「俺も……」
 そして俺は多分にもれず、これといった信仰先はない。神様と対面しなければ、無神論者であったかもしれない。現世じゃ神も仏もない有り様だったからな。
「でもでも、神様に感謝はすべきだと思いますよ」
「感謝って、何を」
「今日、無事に朝を迎えられたことにでございます。そして、明日も朝を迎えられるようお願いするのです」
「OH……」
 眩しい。眩しすぎる。朝日を背後に浴びたのもあってか、その眩しさに二人して目の前に手をかざして日陰を作る。
「おい、祈るぞ」
「は?」
 俺たちに背を向け、窓辺で指を組み合わせてるマオに聞こえない音量で話す。
「別に神のおかげで朝が迎えられてるわけじゃねーぞ」
「そんなことはこの際どうでもいいんだよ。気まずいだろ」
「異教徒どうこうで騒ぐやつには見えねーが。布教する気もなさそうだし」
「違う。もっと根源的な問題だ。なんか孤立したみてえで辛いんだよ。見てる方も、見られてる方も」
「さすがボッチくん。経験者は語るなぁ」
「ボッチくん言うな。いいからマネしろ」
「チッ。しゃーねーな」
 面倒そうにボリボリ頭をかいて、渋々ながらもミツルは俺に合わせた。
 両脇で祈るマネをする男女を見て、マオはぱっと顔を輝かせた。
 これでいいんだ。これで……。
 祈る相手は神じゃない。ただ目の前の少女が喜んでくれれば、それでいいんだ。

「トモノヒ教?」
「はい。それが主たる宗教であり、人と魔の区別なく、普遍的に信仰されております。この世界は神が創造・統治していて、信仰に背き教義に反すれば天罰が下ると言われております」
 宿屋一階のロビー兼レストランで、向かいに座るマオは熱弁する。
 俺はちらりと隣のミツルを見る。開いたメニューを見たまんま、こいつは『ないない』と片手を振って否定した。
「知らなかったのですか?」
「あー俺たちは辺境の地というか、とんでもなく遠いところから転移してきたから……」
「なるほど。どうりで変わった格好をしておりますね」
 まあ、このヤマンバギャルは現地でも変わった格好扱いだったけどな。
「字は読めるけど……まるで内容わかんねえな」
 雑に渡されたメニュー表を見る。

 ●リーザドのしっぽ焼き  
 ●ぴんたん煮 
 ●アイズ焼き 
 ●トドードいため
  etc…… 

 …………どれもこれもヤバそうなもんばかりだ。メニューになってるからには、食えるのではあろうが……。
「クレープとかーワッフルとかーそういうのないワケー?」
「あるわけねえだろ」
「じゃあ菓子パンで我慢するからさー」
 いったい何を我慢したのだろうか。
 どれもこの世界に存在しないのだろうな、とマオのちんぷんかんぷんそうな顔を見て察する。
「腹へったー死ぬー」
 別にこいつが飢えようが何しようが知ったことではないが、見殺しにするとガチの天罰が来そうだしなぁ。
 俺は店員を呼び寄せ、いくつか確認する。すると予想の範疇の答えだったので、ある注文をした。
「あによ。なに頼んだのよ」
「いいから待ってろ」
 俺は改めてメニュー表を見る。ハズレしかないロシアンルーレットやらされてる気分だ。マオにパス。すると受け取った彼女は瞳をキラキラ輝かせた。
「外食なんてはじめてです。こういうの憧れていたんです」
 はははこやつめ。健気なことを言いよる。
 …………。
 …………。
 おすすめ聞こうと思ったけどダメそう。
 そりゃ箱入り娘だもんな。親の愛情たっぷりの手料理しか食べたことないか。うちなんてここ数年はテーブルに置いてある金で飯買ってただけだったな。まったく温かみのない食卓。つくづく生前はロクな思い出がない。
 数分後、とりあえず俺とマオも思いつきで注文してみる。まああれだ、ダメそうだったら食わなきゃいいだけだし。ミツルに食わせるものよりはマシだろう。
 などと考えていると、店員が料理を持ってきてテーブルに並べた。するとミツルは目を輝かせた。
「え? マジ? これマジ?」
「ああ、マジだ」
 俺は明後日の方向を仰ぎながら言う。
「タピオカをふんだんに練り込み散りばめたタピオカパン。新鮮な野菜にタピオカを混ぜ込んだタピオカサラダ。極めつけは王道を往くタピオカミルクティー」
「マジサイッコーじゃねえか!」
 矢も盾もたまらないといった具合で食いつくミツルに、俺はふっと息をもらす。うまくいったようだ。
「あの」
 怪訝な面持ちのマオに、俺は慌てて詰め寄る。
「どうした」
 小声でささやくと、向こうも合わせて声のボリュームを下げた。
「あれって、トドードの卵ですよね」
「俺たちの故郷じゃタピオカって言うんだよ」
「そうなのですか。トドードって、肉は食べるのですけれど卵は聞くところによると捨てるそうです。中には卵も食べる物好きな方もいるそうですけど」
 要するにゲテモノ食いか。まあいいや。俺が食うわけじゃないし。
 まず、名前からしてカエル系のモンスターだと踏んだ。とすれば、その卵も似た形状――つまりは、タピオカに酷似していると踏んだ。
「美味しいのでしょうか、トドードの卵って」
「味なんてどうでもいいのさ」
「?」
「こいつらはうまいからタピオカを食べたいんじゃない。タピオカを食ったという事実が欲しいだけなのさ」
「よくわかりません」
「学校の……社会の付き合いというやつさ」
 学生なかばで脱落した俺が言っても説得力はないだろうが。
 ともかく、これでこいつの腹の虫もおさまるだろう。
 俺はガツガツとカエルの卵をかっこむギャルを生暖かく見守る。味付けは濃い目にしてくれと頼んだ。調味料の味で元の味などわかるまい。見た目さえごまかせればどうとでもなる。
 それはさておき。
「アイズ焼き……まんまだな」
 俺は自分が注文したものに目を落とし気を落とす。何かのモンスターの目玉を焼いたものが皿の上でゴロゴロ転がってる。DHAは多そうだな……あ、そのうち数個と目が合った。
「美味しいです!」
「よかったね」
 にこにこと巨大トカゲの尻尾のステーキを切り分けてるマオに対し、俺は憂鬱な気分で目玉をすくった。

「とりあえず、この街から出よう」
 宿のチェックアウトも済ませた時、俺は二人に言った。
「アテはあんのかよ」
 なんちゃってタピオカ料理に舌鼓をうち、あまつさえおかわりまでしていた間抜けに俺は、
「ないわけじゃない。少し手間がかかるしリスクはある……が、もうここまでいくと贅沢も言ってられない」
 できることなら装備一式整えて転移してすぱっと済ませたかったが、昨日みごとに失敗してしまった。近道や効率など気にしてられない。とりあえずこの場末感ある街からおさらばしなければ。
「まあ、このままこの街でぐだぐだ暮らしていく道もあるんだけどな」
「は? 嫌に決まってんだろバカ」
「私もそれはちょっと」
 二人に速攻反対された。
 うん、ゆる~い日常系路線はやっぱりだめか。
「で、具体的にどうすんだよ」
「馬車を使う」
「運び屋なら昨日バッサリ断られたろうが」
「それはあくまで運び屋が運び屋の客として断っただけだろ?」
「あ……?」
 脳みそタピオカはこれだから。ポカンとしてるミツルに俺はやれやれと首を振る。
「通常、街から街への移動手段はなんだと思う?」
 歩きながらマオに問うと、少女は顎に細い指をあてて、
「やはり馬車だと思います。徒歩を除けばですけれど」
「運び屋の設備を見る限りそうだろうね。問題は、俺達が知らない場所へは運び屋として送れないということ」
「だから詰んでんじゃねえか」後ろでミツルがぶつくさ。ほっとこう。
 運び屋の敷居をまたいだ俺たちを迎えた店員は、さすがに昨日のことを覚えていたようだ。片手をヒラヒラさせた。
「あーダメダメ。何度来ても答えは一緒だよ」
「今日は別口でして」
 ほう、とお兄さんは息を吐く。
「馬車を買い取りたいんです。なんならレンタルでもいいです」
 つまり、運び屋が運び屋の客として運ぶことはできないが、その設備そのものを提供することはできるのではないか。この推測は、かなり正解に近いのではないだろうか。ただしこの場合、色々と手間がかかりそうで、金を払えば解決というわけではないと踏んだので、初日は避けていた。
「そうきたか」
 ガタイのいい彼は感心したように頷いた。
 が、
「あーダメダメ」
 結局回答は初日と一緒であった。
「だめですか」
「結論から言うとね。馬車を貸すことも売ることもできないわけじゃない」
「なら」
 別にいいじゃないか。そう口から出す前に遮られた。
「では確認しよう。あんたたちの中で、乗馬できるものが一人でもいるのかい?」
「…………」
 一応マオに視線を向けるが、彼女は首を横に振った。
「まずこれが一点目。つまり渡したところで誰も馬車を運転できないのさ。次に、馬の――この際動物全般でもいいが――飼育や管理ができるものは? 見た所全員テイマー系の職業も技能もなさそうだけど」
 これも同じ結果。
「二点目だな。それから、馬を入れる施設や手入れをする道具も……持っていやしないんだろ?」
「…………」
 はいこれも同じ結果でした。
「こっちだって商売道具とはいえ丹精込めて育てたんだ。乗り捨てだの野ざらしだのされたらたまったもんじゃない。大金積まれたってお断りだね」
 丸太のように太い腕が左右に振られる。
「なんというか……軽率でした」
 俺は軽く頭を下げた。軽く考えすぎていたというか、あまりにゲーム的な思考だった。本来であれば考慮しておくべき要素を、そういう面倒を省いたゲームをもとに考えていたのだ。乗り物だって、本来どこからともなく出したり隠せたりできるものではない。きちんとした場所なり道具なり資格なりが必要になるのは当然だ。
「もっとも」
 転生者特有のカルチャーショックを受けて沈んでいる俺に思うところがあったのか、話は続いた。
「うちは流通業者でもあってな。街道を使ってこの街から別の街へ物のやり取りも行っている。しかしだ、いつも定期便が満杯になるわけじゃない。ある程度の隙間ができるわけだ。これを遊ばせておくのはもったいない。そう思わないかい?」
「なるほど」
 首をかしげているミツルを尻目に、俺はにやりとした。
「貨物用だから、乗り心地はお世辞にも良いとは言えないが、通常の代金より安くしておこう」
「それでお願いします」
「荷物差し出し用のスケジュール表だ。ここに時間と行き先が載っている。参考にしてくれ」
 パンフレットをもらった俺は礼を言いつつ、いったん店を出た。
「どゆこと?」
 後を追ってきたミツルは心底不思議そうで。俺はため息を我慢するのに苦労した。こいつはもう……本当に頭の中はタピオカしか入ってないんじゃないか?
「ええと……つまり、馬車は手に入れられませんでしたけれど、荷台には乗せてもらえることになったのですよね」
 頭タピオカの隣でマオが人差し指を立てて説明する。
「よくできました」
 百点満点の回答にうんうんうなずく。
 すると隣の赤点が、
「んだよ。最初からそう言えよ」
 などとブツクサ言っていた。
 最初からそう言ってただろうが。
それから数分後、予定通りに出発する貨物便に俺たちは乗り込んだ。馬車の荷台は一見すれば木箱が満載で隙間がないが、隅っこに遊びとでも呼ぶべき空間があった。そこは木箱を載せるには空間的に足りず、荷降ろしのことを考えれば人一人通れれば便利だろうという事情があると察した。その細長い場所に簡素な椅子と、シート代わりに割と清潔そうな布が掛かっていた。せめてもの情けというやつだろうか。
「なにこれ硬い。お尻痛くなるじゃん。クッションとか用意してくれないワケ?」
 こいつには人の心というものがないのだろうか。ギャルに情けという情緒を理解しろというのが無理難題か。
 しぶしぶといった感じでドカッとケツを椅子に載せるミツルと、楽しそうにお行儀よく座るマオ。本当に同じ女か。
「それで、このまま乗ってれば目的地の王都ってところにつくんだろ? ヒデー席だけど歩くよりはマシか」
「お前は何を言っているんだ」
「は?」
 真顔で呆れてると若干キレ気味にギャルが反応した。
「あ、そうか。そうですよね」
 その隣でマオが納得したようだ。
「貨物便ですから、道中の街や施設で荷降ろしや荷積みをしなければならないですし、馬と乗り手の休息や交代も考えないといけない……かなりのインターバルができますね」
「おまけに次の街の業者も似たような対応してくれるとは限らんしな」
「じゃあどうすんだよ」
「次の街で考えるしかないだろ」
 お前の頭は飾りかタピオカ入れか。
 そこまで言おうとして慌てて飲み込んだ。気を遣ったかとか忖度したとかではない。
 出発した瞬間、舌を噛みそうになっただけだ。
「揺れますね」
 どこか楽しそうなマオの声を聞きつつ、俺は手近な貨物をつかんだ。
「ちょ、おま、お尻、いた」
 ヒップホップしてるミツルはさておき、この揺れは強烈だ。サスペンションのサの字もない、舗装された道路でもない。おまけに乗客なんて気にすることもない貨物便。そりゃこうもなるか。
「あたっ」
 天井に頭打った。立ち上がらず、姿勢は低くしていた方がいいな。床に這ってみると、今度はそばの積み上げられた箱がガタガタ揺れている。落ちてきて直撃したらめちゃくちゃ痛そう。しかたないので元いた椅子に戻る。
「勇者の旅でなんでこんな惨めな目に」
 ぼそっと呟く。きちんとした馬車にVIP待遇で乗ったり、かっこよく馬に乗ったり、飛空船……は終盤までないけど、とりあえずこんな無様な移動はない。
「アータのせいでしょ」
 振動と物音で聞こえないと思ったが、同じように頭を打ったこいつには聞こえたらしい。
「やかましい」
 たんこぶこさえてるミツルを笑う余裕もない。
「他に手はなかったろうが。それよりお前、なんか便利なアビリティないんか。神通力的な」
 腐っても神の親族だろ。
「ひとつだけある」
 あるんかい。
「でも今は役に立たね」
 使えねえ!
 そんな調子で馬車は輸送先である街、エマスラへ向かった。王都ビギンにまたひとつ近づいたわけだが、まだまだ先は長い。なにせ地図の端にあったマオの家から、地図の中心へと向かうわけだからな。
 歴史が埋もれた街エマスラ。
 そこで俺もまた、ある歴史に触れることになる。
 それが俺の努力の方向性というものを定めていくことになる。

   第三章

「ついたぞー」
 気だるげな乗り手の声に、俺とミツルは我先へと馬車から駆け下りた。二人揃って真っ青な顔で口を両手で抑えている。
 目と鼻の先に整備された川を見つけた俺達は、示し合わせたようにそこへ駆け寄り、顔を突き出し、そして――
「うえええええ」
「おろろろろろ」
 投下。
「あらら。きみたち、酔ったの」
 運転手のおっちゃんの呑気な声をバックに、俺とミツルは眼下で跳ねる魚に餌をやっていた。
「荷台は汚してないよな。荷物まで汚したら弁償だぞ」
「あ、その点は大丈夫でございます」
 遅れて出てきたマオも呑気に答えた。
「お二人ともそれだけは死守しましたから」
「ならいいんだけど」
 よくねえよ。
 俺はそうツッコミたかった。隣の嘔吐ギャルも同じ気持ちだと思う。窓もない湿気った換気性皆無の空間で何度もシェイクされていたら、こうもなる。
「きみたち、なんでまた貨物便に便乗してるの? スラーオから出戻ったのもそうだけど、変わってるな」
「王都ビギンへ向かっているのです」
「そらまた酔狂な。今更勇者登録でもしに行くの?」
「勇者?」
 そこで復帰した俺が会話に加わる。
「勇者ってのは、どうやってなるんだ」
 今のうちに確認しておこう。この世界での勇者の成り立ちを。 
「一般的には、勇者発祥の地と呼ばれる王都ビギンで宣誓するな。魔族の討伐、王政への服従……まあそんなところだ」
 グロッキーになってるミツルはほっといて、俺はうんうん頷く。
「つまりそこで勇者だと宣言すれば勇者になれるわけか」
「社会的には……形的にはな。いくらかの手数料を払って勇者名簿に名前が載る。それだけだ。観光客が記念にやっていくのもザラだ」
「なんか軽いな」
「そりゃ勇者ってのは飾りの名だからね。誰でも取れて思い出になる。お国としては手数料で小遣い稼ぎになる。そのくらいだ。正直、あの街で登録しなくても勇者だと名乗れば誰でも勇者だよ。勇者名簿なんていちいち確認するほどの暇人なんていないからね」
「なーんだ」
 厳しい試験があるとか、許可なく名乗ったら投獄されるとか、そういうパターンじゃなくてよかった。
 ただし、と腕まくりをしたおっさんは続ける。
「実際に活動するなら別だ。教会で洗礼を受けなきゃいけない」
「なんで?」
「そうすることで各地にあるトモノヒ教の拠点や信者が手助けしてくれるからな。宿泊はもちろん、各種支援や優遇措置、いたれりつくせりさ。教団としてはその程度で魔王を倒してくれるなら安いもの。信者としては徳が積める。良いことづくめだわな」
「なるほどなーうまくできてる」
「ただ教団の指示に従わなかったり、不適格だと認められると破門されるからな。勇者失格の烙印押されると一転して村八分よ。きついぞ」
「嫌に詳しいな」
 生々しいというか、リアリティがあるというか。
「何を隠そう。この中年も昔勇者を名乗ってたクチでな」
 マジかよ。
 驚く俺に、オールバックを決めたおっさんは「はっはっは」と朗らかに笑う。
「あの頃は若かった。『俺が魔王を倒し、この世界を救ってみせる!』なんて息巻いて、棒きれ片手に家を飛び出して、勢いで教会に行ったら神父に止められたんで殴り飛ばして……」
「ひえー」
 自慢気に自分語りしてるけど、最早ただのヤンキーじゃん。これヤンキー特有の武勇伝ってやつでは。
「結局トモノヒ教の本拠地であるトルカの大聖堂まで行って、そこで鎧や剣もらって本格的に活動開始さ。そのとき紹介された僧侶が可愛くてさ」
「あ、はい」
「男の一人旅のところにあんなカワイコちゃんが来ちまったからな。そりゃもう、魔王がどうだこうだなんて手につかなくなる。旅が気がついたらデート気分でな。ついついやることやってたらガキがデキちまってな。こりゃもう旅なんてやっていけねえやと道中の村に居着いてな」
「あ、魔王討伐の旅の途中で子作りしてたんですね」
「なにせ家出同然だったからなぁ。孕ませたニョーボつれておめおめ帰ることもできず、ニョーボも孤児で教会で育ったって言うし……縁もゆかりもない村で暮らすしか」
 違う、言いたいのはそういうことじゃない。
「とりあえず嘘の報告で数年くらい時間稼ぎはしたんだが、とうとう教団から派遣された審問官にしょっぴかれてな。ぐうの音も出ない取り調べに屈して破門宣告よ」
 なんか被害者ヅラして話してるけど、因果応報では?
「それから村中の風当たりが強くてな、石投げられたこともあった。ニョーボはとうとう子供連れて出ていくし、自分自身も村にはいられなくなり、身分を隠してこうして馬車の運転手を……」
「そ、そっすか」
 どうしよう。同情できる余地が一ミリもない。
「ところで勇者としての実績は」
「旅の途中でモンスターを二、三匹狩ったくらいかなあ。ダンジョンもクエストもやってないし」
 だめだこりゃ。
「若いの。若さに任せて無茶をするのはいいが、親不孝はいかんぞ。この頃、故郷にいる親をよく夢に見るんだ。もっと親孝行しておけばよかったとな。今となっては会わす顔がねえ」
「そっすね」
 まあ今更だな、お互い。俺もこのおっさんも、面と向かって親にどうこう言える身の上じゃない。妻子まで作ったおっさんの方がまだ立派かもわからん。
 なんか妙にフレンドリーになったおっさんに一旦別れを告げ、俺達は街へ繰り出した。次の貨物便が明日の昼頃。その間に色々と済ませておけということだ。

「ここを宿泊地とする!」
 俺はとある宿を前にそう宣言した。
「……別にいいけどさ」
 ミツルは「まあこれを見かけたときには察してましたけど」みたいな感じで了承した。
 伝統的な庭園、水を流してカコーンってなる竹のあれ、障子、縁側……
 純和風の旅館は、日本人の俺の感性にティンときた。
「こういうとこって高いんじゃねえの」
「そりゃ元からの価値観じゃ、そこらのビジホやカプセルホテルの方が安いけど……」
 この世界もそうだという決まりはないだろう。
「いやーようこそ、おいでくださいました」
 ガラリと引き戸を開いた途端、めちゃくちゃ暇そうな女将が走ってきた。
「3人で……あ、宿泊で」
「はいはい。それではこのお値段でどうでございましょう」
 懐に抱えていた値段表は、赤字と二重線で何度も値下げした跡がある。
「やっす」
 ミツルが驚くのも無理はない。昨日の宿の半値以下だ。
「あー……」
 俺はその、あかぎれやマメで荒れた手を見つつ、
「その3割増しでいいんで、あんじょう頼みます」
 すると女将は大層喜んで最高級の部屋を案内してくれた。それにしても玄関から廊下は石と土で出来てるのか。靴を脱ぐ習慣がないからか、それとも……
「らしくねえな」
 先導する女将の後を追う俺の横で、ミツルがつぶやいた。
「安いなら安い方法、その上で更に値切るタイプだと思ってた」
「差額は俺の懐から出すさ」
「そういうこと言ってんじゃねえよ」
「まあ、あんな苦労してる姿見せられるとさ」
 さっき言われた『親孝行』ってのを引きずってるのかもな。
「演技かキャラ付けかもよ」
「そうは見えなかったが、それでもいいさ。そうだな、これは道楽だ」
「道楽……」
 ミツルは興味なさそうに自身のネイルをすり合わせた。
「実に人間らしい行動だな」
「そうかい」
「ああ、実に人間らしい」
 神の孫娘は廊下から見える日本庭園に目を向ける。
「だからあんな死に方をする」
「お前それは知らなかったはずじゃ……あ、いや」
 知る機会なら、つい最近あった。
「お前、寝たふりして聞いてやがったな」
 その真偽を問いただそうとしたが、女将が部屋に到着し説明を始めたのでやめた。
「この部屋は当旅館一番の人気でして」
「の割には、あまり使われた形跡はないようだけど」ミツルは室内を見回す。
 まるで高級料亭の一室を再現しましたといった感じの一室は、畳の代わりに板張りなのが気になるが、清掃は完璧といったところだ。
 だが……
 人が使ったという、ある種のくたびれがほとんどなかった。
「ええとですね……」
 言いあぐねる女将に、俺は笑ってみせる。
「何分、土地勘のない田舎者でして。事情を聞いても撤回する気はございませんので、話していただけると」
「トモノヒ教の方ではないんですか?」
 なんでここでトモノヒ教の話になる? とりあえずここは素直に否定しておこう。
「俺とこいつは違います。トモノヒ教の存在も今朝聞いたばかりで」
 すると女将は大層驚いた顔をし、それから得心が行ったという顔になった。
「少し長くなりますので」
 部屋にあった高そうなちゃぶ台と分厚い座布団に促された俺らはおとなしく座る。ややあって、戻ってきた女将が持ってきた湯呑が卓上に並ぶ。湯呑といっても木でできたカップだが。なんというか、さっきからちょいちょいなりきれないというか、再現しきれてない箇所があるような。
「見ての通り、この宿は一般のものとは違います。遺跡から出土した技術や遺物をもとに再現したものです。夫が街外れの遺跡でいつも調査しているもので……」
「それがトモノヒ教の教義に反するんですね」
 女将は顔を伏せるようにうなずいた。
 異端技術……ロストテクノロジー……。それが大衆宗教にとっては鼻つまみ者なのだろう。下手をしたら、民衆の価値観を一気にひっくり返すことになるだろうしな。
「表立って異教徒といった扱いは受けませんが、それでも主人と私は破門されました。教会の援助や信任が受けられない以上、独自で生計を立てる必要がありますが……これが中々」
「遺跡の産物で商売を……たとえばこの旅館もですが、信者には受けが悪いでしょうね」
「ええ……地元の方は寄り付きませんし、冒険家の方も教会を使われますから……」
「自然、宿泊客は無神論者か破門者か……俺たちみたいな田舎者か物好きでしょうね」
 要するに、教団は研究をやめろと言っているのだ。大多数が信仰してる宗教が、これは異端だ・禁忌だと暗に示せば、ジリ貧になって頓挫するのは火を見るより明らかだ。
「ええ、まあ……」
 沈痛な面持ちの女将に、俺は無理して笑ってみせた。
「ところで」
 このままだと女将の苦労話になりそうだ。その路線だと辛気臭いだけだし、俺は気になったことを聞いてみることにした。
「遺跡から出てきたのは、こういう技術……こういう宿の作り方だけですか」
「今の所はそうだと聞いています」
「……そうですか」
 俺はふと思ったことを口にした。
「その中に、細身の剣がありませんでしたか。こう、持ち手のところに円形の飾りがあるような。鞘と呼ばれるケースに入っていて……」
 女将の顔は、狐につままれたような、占い師に自分の半生をぴたりと言い当てられたようなそれだ。
「主人が、最近そのようなものを……まだ洗っても研いでもいませんが」
「それは刀と呼ばれるものです」
「カタナ……」
「武士と呼ばれた人たちの持っていた武器です。魂と表現されることもあります」
「あなたは……」
「ごちそうさまです」
 空になった木製湯呑を置いて、俺は会話を打ち切った。
「夕飯までには戻ります」
 立ち上がり、滑りの悪いふすまを開く。
「アータさ」
「お前、この世界のことついて何か知ってるんじゃないか」
 追ってきたミツルが何か言いたそうだったが、ここは機先を制する。なんというか、他人の話を聞いている余裕がない。
 俺は今、少し揺れている。
 動揺、なのかもしれない。
 一瞬、世界の真実に触れたような、大それたようなことをした気分だ。
「知らないっての。言っただろ。ジジイが勝手に選んだんだよ」
「じゃあ解釈の仕方だ。たとえば、俺の元いた世界から一秒後の世界があったとして――それも異世界ということなのか」
 俺はただ前を向いていた。後ろでミツルがどんな表情だったかはわからない。そこまで気が回らない。
「あくまで人間の言葉で表現するなら……世界ってのは無限の白紙の上に散った、無数の点なんだよ。決して交わって線になることはない、点在し独立した確固。特定の点の前には過去の点が、後には未来の点がある。その点だって、横には違った未来になってブレた点がある。たとえば、どっかのチャラ男が余計なことせず死なずに済んだ点だって、どこかにはある。白紙の上に浮かぶそれらの点の動きを管理と観測するのが神だってジジイは言っていた」
「……そうか」
 このとき、俺の中ではある仮説ができた。けれど、これをミツルに聞かせても真相にはたどり着けないだろうし、もう少し寝かせておきたい考えだった。
 旅館の外見を、内装を見たあたりまでは、まだギリギリそういう似通った文化もあるくらいの考えでいられた。自分たちの知ってる文明との、たまたまの合致だと。しかし、この文化の原型が地中由来で、俺の知ってるそれと完全に一致していた場合、自然とある仮説にたどりつく。
 なぜ、ここでかつての日本の産物が出土するのか。
 それを教団側が否定する意味とは。
 どうも、異物だから蓋をしたいだけとは思えないのだ。
「遺跡に行ってくる」
「行ってどうすんのさ」
「なんというか、わかりそうな気がするんだ」
 定まりそうな気がするんだ。
「わけもわからず放り込まれた世界で」
 前の世界じゃ失敗した、
「自分が何をすべきなのか」
 努力の方向性というやつが。

 遺跡発掘現場はエマスラ郊外にあった。そこに近づくにつれ人通りは少なくなり、やがて誰もいなくなった。民家どころかまっとうな道もない荒れ放題の野原を更に進んだ先に、ようやく発掘現場はあった。雑多に掘り起こされたところは、ともすれば畑でも作ってるのかと思った。
「やあ」
「ども」
 その中年男性は頭に布を巻いた、いかにも土木作業やっていますといった格好であった。
「旅館の方から、ここだと聞きまして」
「ああ、どうも。家内が世話になってます」
 発掘現場の中心でスコップを肩に担いでいた人物は、はたして目的の相手であった。
「なんというか……大漁ですか?」
「ぼちぼちと言ったところですかね」
 彼の視線につられて、俺も少し離れたところにある台を見る。簡素な作りの木の台には、土にまみれた大小があった。
「泥の塊なんて集めてるのか」
 トンチンカンなバカギャルに俺は呆れ、彼は苦笑した。
「このあと付着した土を落として、それから洗浄です」
「ふーん。で、中はなに?」
「ええと……」
 答えに窮するご主人に俺は心底同情した。
 それをこれから調べるんだろうが……。
「ご覧の通り、学問というより、道楽なんですよね」
 その辺の岩に腰おろした彼は、腰に引っ掛けた布で顔を拭う。「また『道楽』か」と隣でつぶやく声があった。
「他に仲間は――皆無というわけではないんですが、学会と呼ぶにはとてもとても――いなくて、人員も予算もまったくありません。結局稼ぎは家内頼みで、教団で働いていた頃の蓄えを崩している始末」
「教団で働いていたんですか」
「ここの教会でしがない神父を。もっとも、もう破門された身です」
「そりゃあ……そうでしょうね」
「表立って弾圧されないだけマシなんでしょうね。地元の信者とは昔からの付き合いですし。そこでの義理で、見て見ぬ振りしてもらっているといった立ち位置です」
 自嘲するような苦笑であったが、後悔はなさそうだった。
「あの……きっともう、何十回も聞かれてると思いますけど、どうしてこんなことしてるんですか。神父様なら尚更」
「あなたは、世界が神によって作られたと思いますか」
 にわかに帯びた真剣味に、俺は少したじろいた。ややあって、隣のギャルをチラ見してから、
「いえ……そういう考えもありだとは思いますが……」
 すると彼は頬を緩めた。これは正解か、それとも。
「私は、それがずっと世界の真実だと思っていました」
 そりゃそうだろう。
 俺は無意識にうなずく。
 そうでなけりゃ神父なんてやらないさ。
「でも、今では――いえ、あの時から、そうではないのもしれないと思うようになりました」
 神父は一度、雄大な青空を見上げた。それから地面に視線を落下させる。
「転機……分岐点は、ここでした」

『昔々、といっても十年くらい前。
 あるところに神父様がいらっしゃった。神父様は敬虔な信徒であり、生まれてこの方信仰に疑いなどもってはおりませんでした。
 しかしある日、街の外れを歩いていると、奇妙なものを見つけました。それは、今の文明においてあまりに異質で、かといって教典にもまったく記述がない、未知の産物でした。
 神父様は、この世にはまったく別の、それは今まで自分の信じた神が作ったものとは別のものだと確信しました。
 神父様にとって、それは世界の革命でした。
 神が作ったはずのないもの。それはすなわち、世界は神の埒外にあるのではないかと。
 神が世界を作ったのではない。
 世界の片隅で神というものを人が作り祀り上げただけなのではないかと。
 その気付きは、まさしく――皮肉なことに――天啓であったかもしれません。
 神を疑った神父様は、もはや人々に説教や布教などできません。
 教典を持っていたその手には、クワが握られていました。
 めでたしめでたし』

 ……いや、めでたくないし。
 要するに彼はここであるものを見つけて以来、異端技術に没頭したということだ。
「それで、何を見つけたんですか」
「…………」
 彼はキョロキョロと辺りを見回し、俺とミツルしか見せる相手がいないことを確認してから、更に「他言無用に願います」と念押しをした。よっぽどだな。
「こちらです」
 懐から質の良さげな布に包まれたものを取り出す。
「タピオカか?」
 んなわけあるか。
「たぴ……?」
「気にしないで続けてください」
 布がハラリと開かれる。
 そこにあったのは……
「ああ……」
 なるほど。
 これはまさしく、この世界では異端である。
 そして俺の世界では、日常である。
 そしておそらく、これは……
 俺の……
「スマホじゃん」
 俺が当てるよりはやく、黒ギャルが口を開いた。その長方形の金属の板は、たしかに我ら現代っ子には必需品であるスマートフォンであった。全体を覆っていたであろう手帳型ケースは劣化し中の端末がところどころ露出している。
「少し触っても?」
「どうぞ」と渡され、一礼しつつ、恐る恐るスマホを覆う手帳型ケースをめくる。その内側には、やはりというか、俺が刻んだ文字があった。
 仮説が確信に近い推測に化けた。
「我々の扱う――知りうるどの言語にも該当しない古代文字なんですよ」
 それは生前の俺が、小学校の頃に授業で使うからと買わされた彫刻刀で刻んだ文字だ。おまじないのつもりで、いつだったか願いを込めて刻印したもの。
『絶対に友達と卒業する!』
 そして、ついぞかなわなかったもの。
「ありがとうございました」
 ほんと、持ち主の方を守ってほしかったもんだ。
 パタンと手帳型ケースを閉じて、俺はそれを神父様の手に戻した。
 もう未練はなかった。
 俺のだと主張すれば取り戻せるかもしれない。しかし、そこまでする価値を俺は感じなかった。この壊れたスマホは、俺にとっては切って捨てた過去でしかない。対して、神父様にとっては希望や未知の象徴なのだ。
 どちらが持っているべきかなど、論ずるべくもない。
 電話帳に登録する友達などいなかった持ち主は、もういないのだ。
 それは終わった物語なのだから。
「スマーホですか」
 ところどころサビたり欠けたりしているそれを、彼は感慨深く撫でる。汚れという汚れはなく、金属部分がピカピカと光を反射していることから、相当念入りに拭いたり磨いたりしたことがうかがえる。やはり返せとは言えない。
「スマホな」
「スマホー」
「違う違う。なして伸ばす」
 ギャルの教えを受ける彼は、興味津々といった様子だった。
「つまりあなたたちは、これが何なのかわかるのですね」
「まあわかりやすく言うなら、ケータイよ」
「携帯……たしかに持ち運べる大きさですね」
「ちーがーうー。だからつまり、ケータイ電話! 電話するやつなの!」
「デンワ……?」
「あーもー! なんでわかんないかなー!」
 わかるわけねえだろ。
 染めまくった髪をガシガシひっかくギャルの語彙と教養のなさを改めて痛感する。
 こういうの、異世界コントとでも呼ぶのだろうか。
「ええとですね……」
 このままこのアホギャルに任せてたら一日が終わってしまう。俺は助け船を出すことにした。
「つまり……」
 カクカク・シカジカ。
「なるほど。つまりこのスマホなるものは、遠くの相手と会話ができる道具なのですね」
「他にもアプリとかー写メとかー」
「お前は黙ってろ」
 せっかくわかりやすくした話をこれ以上ややこしくするな。
「ただ、電源……この道具を動かす魔力が尽きているようなので、今のままでは動くことはないでしょう」
「そうですか」
 少し残念そうで胸が痛む。
「どっちにしろ話す相手いないんだしいーじゃん」
 こいつには良心の呵責とかそういうのはないのだろうか。腐っても神の子孫だろ。
「それにしても、こんな魔導具は見たことがありません。遠くの相手と話す術はいくつか知っていますが……。話を聞けば、まるで誰でも扱えるかのような。そんな魔法があるとは」
「魔法じゃねえし」
「俺たちの故郷では科学と呼びます。魔法とは違う技術です」
「ははぁ……」
 寝耳に水だと言わんばかりの反応。それもそうか。この世界はご覧の通り魔法一辺倒に発展している。しかし、こんな遺跡があるなら――おそらく各地にも似たような遺跡はあるだろうし――少しは科学技術があってもよさそうなものだが。いや、それを教団が抑止しているわけだから……
 意図的に教団が科学技術というものに蓋をしている……?
 それは本当に、ただ単純に、宗教上の理由だろうか。
 もっと実質的な、意図的な……
「科学者」
 ミツルが彼を指差す。
「?」
「アータ科学者じゃん。もう宗教屋じゃないんだし、無職じゃカッコつかないでしょ」
「なるほど……科学を扱う者……それで科学者……いいですね、今度からそう名乗りましょう」
 少し元気が出たらしい。まあ今までの稼業も失って世捨て人みたいな状況だったからな。わからんでもない。俺らとほとんど一緒。
「お前たまには微妙に良いこと言うな」
「あん?」
 そこいらの物語ならここで科学知識を披露して大活躍するところだが、悲しいかな不登校生とギャルに披露できる科学知識なぞあるはずもなく、袖触れ合うも他生の縁ということで、発掘作業を手伝うことにした。
「なんでアーシまで……」
「どうせ飯の時間まで暇だろ」
 どうせこの後は飯食って寝るだけだからな。
 ……なんか色々忘れてるような。
 …………まあいいか。
「では私は川で洗浄してきますので」
「うぃーっす」
 両手に土の塊を抱いた科学者に雑に返事して、スコップの柄を握り直す。ちなみにこの道具もここから出土したものを整備したらしい。そりゃそうだ。
 ……さて。
 土をザクザクしながら物思いに耽る。
 この世界の状況を整理しよう。
 ここは勇者と魔王の中世チックな、あんな感じ。
 ここまではいい。
 問題はトモノヒ教だな。これがどうもキナ臭い。
 大衆に支持された宗教。勇者を支援する一方で、科学の類をタブー視している。
 魔法はよくて科学はだめか。ここが肝だな。
「そういえば」
「あん?」
「こっち来てからポーションとかそういう回復薬見てないな」
「あー」
「ここの住人はケガしたらどうするんだ」
「知らねーよ。ツバでもつけとくんだろ」
そいつはなんとも不便だな。マオみたいな回復魔法を使える魔法使いは見た感じそうはいないだろうし……
 はて。
「そういえばマオは?」
「アータが置き去りにして飛び出したんでしょーが」
 振り返ると旅館からついてこなかったんだな。まあ、ついてこいとも言っていないし、連れ回すのも悪いし、いいか。
「あの子がさ」
「おん?」
「あの子が行きたい場所に連れて行ったら、それからどうするわけさ、アータは」
「そりゃ、魔王を倒す大冒険に決まってんだろ。もう忘れたのか」
 俺に背を向けて土いじりをするミツルの顔は見えない。
「それさ、あの子に手伝ってもらうわけ?」
「? …………あー」
 まずい。その線を考えていなかった。つまり、マオが目的地について、それでマオの目的が達成され、マオの旅が終わってしまうパターンだ。そうなると、俺たちはまた二人になってしまう。魔王どころか、道中のモンスターに出くわしてあっさり全滅するのが目に見える。だって俺たち、ここまでずっと裸装備の無職だもの。
「なんとかして、あいつにも手伝ってもらう!」
「無理じゃね」
「なんでだよ。必死で頼めばなんとかなんだろ」
 まだ付き合いは浅いが、ああいうタイプは押しに弱いと見た。拝み倒せばなんとかいけるはず。
「必死で、ね」
 意味深につぶやくギャルは相変わらずこちらに目もくれず土をいじっている。
「なんだよ」
「別に」
 なんか引っかかるな。追求しようと口を開くより先に、声が飛んできた。
「そうだ、昨日たまたま聞こえたツマンネー話の続きを聞かせてやろうか」
「…………」
「あのあと、不登校のチャラ男を刺した男は捕まったさ。まあ、当たり前か。過失致死罪だったかな。そのあと、女の方は男とすっぱり縁を切って、真っ当に生きることにしたらしい。チャラ男の親に泣いて侘びて、葬式にも出てきた。人生どん底のドロップアウトの命でも、少しは役に立ったみたいだな」
「…………そうかい」
 よかった、と安堵するところなのだろうか。わからなかった。ただ、少し胸に残っていたわだかまりが、軽くなった気がする。
 間違ってはいなかったのだ。
 ただ、続かなかっただけだ。
「気が晴れたかよ」
「さあてね。で、なんでそんなオチをお前が知ってるんだよ」
「ツマンネー話聞かされて寝たあとに夢にジジイが出てきたからな。調子はどうだとか聞いてきたから、ついでに問い詰めた。今夜あたり、そっちにも来るかもな」
 つまりそのオチって、お前の夢の内容ってだけなのでは。いや、古今東西、神が夢枕に立つってのはよくある話だ。あながちただの夢物語と片付けることもできんか。
「……なあ、なんでジジイがアータをここに送ったかわかる?」
「……徳が足りないから適当に飛ばしただけだろ」
「建前は、な」
 俺は風に揺れるケバい髪を眺める。
「確かにアータに大した徳はなかったさ。だから、指定した世界や環境に転生させるわけにはいかなかった。ただ、最後の最後で見せた善行があったから、転生の意思を問うことはできた。マジで評価するところねーやつはそいつの意見なんて聞かないで黙って輪廻に組み込むからな」
「…………」
 がりっ。ミツルが何かを掘り当てたらしい。スコップが硬いものに触れた音がする。
「この世界、あの座標、あの時間に飛ばした理由があるはずなんだ」
「でもランダムって……いや、そうか」
 俺は反論しようとして止まり、うなずく。
「ランダムってのは要するに、神の気まぐれってことだもんな」
 人が無作為にものを選ぶとき、そこに人の意思は介在しない。当然だ。
 まさに、神のみぞ知る、なわけだ。
 そこには、神の領域たる確率なるものが存在する。
 言いかえれば、そこには神の意思が介在するのだ。
「で、なんだよ。その理由って」
「アーシが知るかよ」
 発掘したものを雑に転がしたミツルは立ち上がり、「んーっ」と腰を伸ばす。
「よく言うだろ。神のみぞ知る、だよ」
 要するに知らないし知りようもないってこと。
 考えるだけ無駄かな。
「つーか考えようが考えまいが、ジジイの考え知ってどうなるもんでもねーだろ」
 ごもっとも。
「もう日も暮れるし帰んべ」
「ああ、うん。…………うん?」
 俺は手をパンパンやってるギャルにふと思う。
 これはあれか、一緒に帰る流れか。
 下校の時、仲のいいやつらで帰っていくあの感じか。
 いいなあ。
「なぜ涙目」
 目頭を押さえる俺にギャルは引き気味だ。こいつにはわかるまい。この感動が。
 しかも男友達どころか女子だぞ女子! リア充じゃないか!
 こんな外見妖怪でも女子だからな! 多分!
 おっと、なんか心配になってきたぞ!
「お前女だよな?」
「馬鹿にしとんのか」
 よっしゃ! やっぱり女子だ! やっぱりリア充じゃないか! 今この瞬間、俺はリア充なんだ!
「おーい」
 感動と達成感に震える俺を現実に引き戻す声。科学者のご帰還だ。
「収穫はどうだい」
「そこそこです。もう暗くなったんで帰ります」
 そしてこっちもご帰還だ。
「そうだねえ。ランプでも手元はよく見えないし」
「LEDあれば違うんだけどねー」
「はて?」
 蛍光灯すっ飛ばすなよ。俺はとりあえず掘り当てた未鑑定品を示す。
「おお、なかなかやるじゃないか。ここでこのまま発掘調査の手伝いをやらないかい?」
「残念ながら先を急ぐ旅ですので」
「そんな急いでたか?」
 お前は余計なことを言わないと死ぬ病なのか。
 俺はそっとミツルの耳に口を寄せる。
「このまま土いじりをして過ごしたいのかよ」
「え。やだよ。ネイルが汚くなるじゃん。爪の間に土入るし」
「じゃあおとなしく話を合わせてくれよ頼むから」
 ギャルは沈んでいく陽を見てハッとなる。
「そうか。アータ意外と頭いいんだな」
 意外は余計だしお前が馬鹿なだけだ。
 そう思っても口に出さないのが俺とこいつの知能の違いであろう。
 後片付けをしてから戻るという主人を残し、俺達は来た道を戻った。
 夕日をバックに、女子との帰り道。
 うむ、感無量。
 ネジが二、三本どころか、ネジが存在しないくらいオツムが緩いが、この際贅沢は言っていられない。
「そういえばさ」
「んだよ」
「お前が帰る条件としては、[お前が真人間になる]か[俺が死ぬ]の二択だろ」
「だから?」
「俺が魔王を倒して世界を救ったとしても、お前はずっと帰れないんじゃないの?」
 そこでミツルは脚を止めた。振り返ると、夕日が逆光の役割をしていた。つまり、目に日差しが入って、こいつがどんな顔をしてるかよく見えない。
「アータに魔王が倒せるわけないじゃん」
「やってみなきゃわからないだろ。今はこんなザマだけど、レベル上げて、装備も充実させて、伝説の剣でザクーっと」
 俺が剣を握る真似をする。そうだ、明日剣を買いに行こう。さすがにこの街なら装備できるものがひとつくらいあるだろう。
「かくして俺は伝説となり……」
 そこで俺はふと思う。
 その先には、何があるのだろうか。
 魔王を倒して世界を救う。
 その先の世界で俺は、何をすればいいのだろう。
 ゲームならばそれで終わりだ。せいぜい、隠しダンジョンか隠しボスでも目指すか、二週目に入るくらいだ。
 しかし、これは現実で。
 ハッピーエンドを迎えたとしても、この物語は否が応でも続いていくのだ。
「まあ、そのあとはマオとのんびり旅でもするさ」
 あの箱入り娘を連れ回すのもいいだろう。魔王がいなくなって平和になった世の中だ。あいつもその頃には外出許可くらい親からもらえるだろうし。とりあえず今はマオを目的地まで連れて行って、そこでマオの目的が終わったら、一緒に魔王を倒して、それからあてもなく……
「バカじゃないの」
 吐き捨てるように言って、ミツルは早足で俺を置き去りにした。
「なんか怒らせるようなこと言ったか?」
 とりあえずその背を追う。
「お前が真人間になるなんて天地がひっくり返ってもないだろうし、やっぱり俺が天寿を全うするまでいるのか? そしたら」
 お前名実ともにヤマンバギャルだな。
 後半の言葉はさすがに自重した。
「その前に、アータ殺されるかもね」
 風景に町並みが入ってきた。もう少しで宿につく。
「道中のモンスターにか? マオがいるからなんとかなんだろ」
 魔王軍の幹部っぽいのですら瞬殺だったし。
 純和風の旅館の前まで来た。引き戸を開きながらミツルはポツリと、
「アータが目指してる勇者によ」
 首をかしげる俺をよそに、こいつはさっさと入ってしまった。
 なんで? 俺が? 勇者に?
 腕を組みながら作りの悪い廊下を歩いていくと、女将がやってきた。
「おかえりなさいませ」
「ども」
「お連れ様は先に湯殿へ向かわれましたよ」
「さいですか。洗面所……手洗い場に案内してもらえますか」
 俺もひとっ風呂と思ったが、あいつとのハプニングなんて御免こうむるので、あいつが出てくるのを待とう。あいつの体にまったく興味がないわけではないが……いや、やっぱりよそう。天罰が下りそうだし。
 軽く手や顔を洗い、女将から布を受け取りながら飯の用意を頼む。
「もう一人の女の子はどうしてました?」
 部屋に戻る道すがら、マオの様子を聞いてみた。
「それが、ずっと思いつめた顔をして外を見ていまして」
「今まで……ずっと?」
 定年退職して暇を持て余した老人でもあるまいし。
「ええ。このあたりの名所や地理を説明したのですが、あまり興味がないようで」
「そうなんですか」
 むしろウキウキルンルンで散歩しそうなもんだが。ホームシックかな。
「それでは私はお夕飯のご用意をして参りますので」
「ああ、どうも」
 一礼して去っていく女将から、ふすまに目を向ける。
「帰ったぞい」
 申し訳程度にノックをしてから入る。
「…………」
 そこにははたしてマオがいて、彼女は旅館にありがちな〔窓付近によくある椅子〕に腰掛けて、暮れなずむ空を見ていた。
 こちらを向く表情は物憂げで、それはそれで絵になるというか、美しさみたいなものがあって、女子のそういうのには疎い俺は無意識に息をのんでいた。
 数秒――体感的には数分くらい――時が止まったように、俺とマオは無言で相手を見ていた。先に耐えられず目をそらしたのは俺だ。
「ずっとここにいたんだって?」
 とりあえず話題をふってみる。
「…………はい」
「お、おう。そっか」
 重く沈んだ声。
 なんだろうな。何かに失望したような、この先いっさいの望みがないかのようなダウナー感。
 これ、どっかで……
 ……ああ。
 合点がいった俺は胸中で納得する。
 これは俺だ。
 ここに来る前の俺そのものだ。
 世界に絶望し諦めきったような。
 でもなんで?
 ここに来るまでは、楽しそうにしていたのに。
 俺たちが出ていってからなにかあったのだろうか。
「何かあったか?」
「いえ……何も……女将さんも優しくしてくださって……」
 ふむ……。あれかな、置き去りにされて拗ねてんのかな。
 俺がミツルと仲よさげなのにヤキモチを焼いて……ないな、さすがに。
「俺たちはここの主人が働いて……とは違うけど、作業してるところにお邪魔して、それを手伝っていたんだよ」
「そうですか」
「だから、二人でなんか楽しんでたとかそういうんでもなくて、ほら、土とかついて汚れちゃって、むしろ大変だったというか、貧乏くじだったというか……」
 なんか浮気した時の言い訳みたいだな。俺は妙な後ろめたさを感じた。
「勇者」
 マオは俺の精一杯の口上に興味はなさそうに、ポツリと呟いた。
「ん?」
「勇者だったのですね」
「お、おお」
 なんだそんなことか。
「俺は勇者になるためにこの世界……この地方にやってきたんだ」
 聞きたきゃ聞かせてやろう。厳密には勇者になるためというわけではないが、まあ似たようなものだ。
「魔王を倒して世界を救ってやるぜ。そして俺は伝説に……」
 その時のマオの目は、ひどく冷たかった。
 まるで信じていたものに裏切られたような、まるで何か大切なものを奪われたような……
 悲哀?
 後悔?
 失意?
 なんと形容していいかわからなかった。こんなことなら現代文の授業きっちり受けとくんだった。
「…………」
 マオは何も言わず、俺を見ていた。そばで立て掛けていた杖に人差し指を這わせる以外、動きはなかった。
 さっきのミツルもそうだが、なんで勇者になると言っただけでここまで塩対応なのだろうか。女子の考えることはわからん。あれだろうか、女子的には子供っぽいとかダサいとかいう印象なのだろうか。まったく、男子のロマンというものを君たちも少しは理解をだな……。
「あー、そういえば、だ」
 ひとまず話題を変えよう。
「お前を連れ出す時さ、家の人に何も言わずに出ちゃっただろ? 今からでもさ、手紙でもいいからちょっと挨拶をしておいた方がいいかな」
「必要ありません」
 一切悩むこともなく、そう断言された。
「いやでもさ、娘さんを相談もなく連れて行ったらたいていの親は怒るか泣くだろう」
 親の心子知らずとは言うもので、かといって俺も人の親ではないからそれを代弁するのは筋が通らないような気もするが、一般的に考えると、そういうことではなかろうか。
「必要ありません」
 聞こえなかったのか、と言わんばかりに二回言われた。あれ? もしかして親子関係うまくいってないパターンかこれ。
「いや、うん。気持ちはわかるよ。あんまり口をききたくないとかさ。でもさ、こういうのはちゃんと言っておかないと後悔すると思うんだ」
 自分の経験からアドバイスしてみる。俺も親子仲はよくなかったさ。でもな、今にして思えば、もう少し歩み寄ってもよかったんじゃないかって。もう話すことができなくなった今はそれとなく思う。
「大丈夫ですから」
 マオはまた外に顔を向けた。
「怒ることも、泣くこともありませんから」
 開けられた窓からはぬるい風が入ってくる。
「だから、もうその話はしないでください」
 うーん。そんな冷徹なご両親なんだろうか。よくこんなまともに育ったもんだ。
 俺が妙な感心をしていると、背後で物音がした。
「早かったな」
「軽く汚れ落としただけだかんな」
 風呂上がりのミツルはどかっと座椅子に腰掛ける。
「飯食ったらがっつり入る」
「ああ、そういう」
 待ってる俺たちがいつまでも食えないことに配慮したのか、それとも食いっぱぐれることを心配したのか。多分後者だな。
「で、なんか空気重くね? なんかあったの?」
 俺が聞きてえよ。
 結局、女将が料理を運んで来るまで膠着状態は続き、食後に流れで風呂入って、その間に敷かれた布団で寝た。最高級なだけあって布団は寝心地いいのに、なぜかすごく気まずくてまったく休まる気がしない。せっかく自腹切って最高級の部屋とったのに。

「わしじゃよ」
「何が?」
 ふと気づくと、あの和室にいた。ちゃぶ台はさんで腰掛ける神様に合わせて、俺も座っている。ミツルが言ってたのはこれか。つまりここは夢の中。
「それでその……最近はどうじゃ」
「いや何が?」
 話したいけど話すことないからふわっとした感じで話しかけてくる親戚みたいだな。
「異世界に来てもう二日目が終わる。よくぞここまでもったな。正直とっくにくたばってると思ったが」
 正直すぎるぞ、この神様。
 ホッホッホッと言いながら茶をすする。ねえ、俺の分は? ここは客に茶も出さないで自分だけ飲むんか。
「まあ確かに、マオがいないと速攻でくたばってたな」
「あの娘はどうじゃ」
「あー」
 そうだ、せっかくだから相談してみよう。神父より神様に直接相談した方が話が早い。
「強いし優しいし可愛いし、言うことなしなんだけど、なんか急に態度がそっけないというか冷たくなりましてな」
「ほー。なんぞ地雷でも踏んだか」
「そんなつもりは……ただ親を大事にしなさいと至極まっとうなことを」
 その話をする前からなんかおかしかったが、他に理由は思い浮かばんしな。
 神様はズズズと吸った湯呑を置く。
「おぬし、やってしまったな」
「えぇ……」
 そりゃ消去法でそれしかないけど、そんな失言だったか?
「そんなに仲の悪い親子だったんです?」
「いいや。大層仲睦まじい関係であったよ」
 老人は目を細める。
「あの娘は両親からの惜しみない愛情を受け、それを素直に糧として育った。そこに一切の憎悪や敵意はなく、まったくもって模範のような家庭じゃった」
「…………?」
 過去形……?
「だからこそ、それを理不尽極まりない形で奪われれば、生涯癒えぬ傷にもなろう」
 嫌な汗が背に浮かんだ。
「あいつの両親は、もう」
「さよう。もはやこの世におらぬ」
 平然と、何食わぬ顔で、神は告げた。
「あの娘は、およそ最悪と呼べる形で親を目の前で失っておる」
「そんなつもりじゃなかった」
 意図せず口からこぼれた。
「知っていたら絶対に言わなかった。だって、普通、ありえないだろ」
 ――――『怒ることも、泣くこともありませんから』
 あの言葉が、あの言い方が、そんな意味だなんてわかるわけないだろ。
「悪気はなかったんだ」
「あの娘が責めたか? あの娘が嘆いたか?」
「…………いや」
 ――――『だから、もうその話はしないでください』
 泣くなり怒るなりしてくれれば、まだマシだったかもしれない。マオはただ耐えていた。俺の無神経に黙って耐えていたんだ。
「それで? おぬしはどうする」
「……謝るさ。その気はなかったとはいえ、やっちまったものはしかたない」
「それだけか?」
「他にどうしろって言うんだよ」
「それを決めるのは、これからのおぬしだ。そのために、おぬしをここに送ったのだから」 
 ――――『この世界、あの座標、あの時間に飛ばした理由があるはずなんだ』
 そうだな、そういえば聞くことはまだあった。
「聞かせてもらおうか」
 神よ。

   第四章

「時はおよそ十年を遡る」
 立ち上がった神は杖で床を叩く。すると周囲の景色は一変した。
 ここは、マオの家の大広間か。
 相変わらずだだ広い空間。違うのは、中央にこぢんまりとしたテーブルがあるくらいか。大きさとしては四人用。純白のテーブルクロスが掛けられ、真ん中には花の入った花弁が置かれている。
 物音に気づき振り返ると、あの無駄にデカく分厚い扉が開いた。
 食器を両手に抱える少女を筆頭に、二人の男女が入ってきた。
 一目で、五歳前後のマオと、その両親だとわかった。
『見てみて! ちゃんと並べられたの!』
 両親は得意げな娘を褒めつつ、料理をテーブルに置いていく。
『さ、お祈りをしようか』
 着席した父親の動作に合わせるように、二人は手を組む。
『お腹すいた』
 唇をとがらせるマオの頭に母の手がそっと置かれる。
『マオン。この前会ったバロンって男の子だって、お前と同じくらいの歳でもちゃんとお祈りしていたでしょう? きちんと祈りなさい。そうすればいつか困った時、神様は御使いを送ってくださるわ。いい子にしていれば、神様は救いの手を差し伸べてくださる』
『御使い?』
『そうね……勇者様のことかしら』
『勇者様!』
『悪い子のところには勇者様は来ないでしょう? マオンもお姫様になりたいなら、きちんとお祈りができるいい子にならないとね』
『うん!』
 納得したような表情で、彼女は両親を真似た。
 もっとも、このあとの結果を察するに、目を閉じ頭を垂れ指を組むことに、何の意味があったのか――――
 今の俺にはわからない。
「それで? このあとどうなった? 事故死でもするのか」
「すぐにわかる」
 今更だが、どうやらマオたちには俺と老人の姿が見えていないらしい。これはタイムスリップというより、過去の光景を再現しているんだろうな。
 再び扉が――今度は乱雑に開かれる。
 五人の人間がいた。
 中央に黒い修道服の男。その脇を四人の鎧が固めているといった風情だ。
 何事かとマオの父親は立ち上がり近づく。すると修道服は懐から一枚の書類を取り出し、大層に掲げる。その物々しさに、母親は娘を自分の胸に引き寄せ抱いた。
 やりとりを聞くに、両親はトルカに連行されるらしい。あの紙切れは令状ということだろう。
『お父さん、お母さん、連れて行かれちゃうの?』
 食事もそこそこ、必要最低限の荷物をまとめる両親に、マオは不安そうに尋ねた。
『心配しなくてもいいんだよ』
 父親はそんな彼女の両肩に手を置く。
『お父さんとお母さんは、少しお話をするだけさ。マオンには、私達が捕まるような人間に見えるのかい』
 首がちぎれんばかりに、娘は頭を右に左に回す。
『だって毎日、ちゃんとお祈りしてるもん。何も悪いことしてないもん』
『そうだろう? 神様はいつもお前を見守っているよ。それを忘れずに、祈りを欠かさずに続けなさい。神様は祈りに必ず応えてくれる。その時は何も迷うことはない。その手を取りなさい』
『うん、ちゃんと毎日お祈りするよ。だから早く帰ってきてね』
 両親は微笑み、男たちに連れて行かれる。
 重々しく扉が閉まり、広間には冷めた食卓とマオが残された。
「これが親子の最後の会話となった」
 意図せず、深い息を吐いていた。
 息苦しい。
 窒息しそうだ。 
 結果を知っていて、他人の親でこうなのだ。
 目の前の少女が受ける傷はいかほどか。
 考えるだけで気がどうにかなりそうだ。

「その日は、これより一月後」
 
 杖が床を叩く。

 場所は移り変わった。ここは法都ルカト、その中心部に位置する裁判所らしい。
 裁判所とは言うものの、元いた世界とはまるで違う。すり鉢状の形をした建造物があり、その円周を塔が囲っている。
 まるで闘技場だ。
 すり鉢状の中心は、野ざらしの法廷になっていた。ここで検察が罪人の罪状を列挙し、罪人は弁明して双方の言い分を聞いた裁判長が判決を下す……らしい。
 俺は今、塔の一つに神様といた。塔の構造は螺旋階段になっていて、頂上が展望席のようになっていた。スポーツ観戦で言うところのVIP席だ。塔と塔の間は離れていて――そういう目的もあるのだろうが――別の塔にいる人の姿ははっきりとしない。仮に目が良くても、仮面をしているか、目深帽子のせいで顔までは見えない。ただ、その高そうな身なりから、貴族とかそういう身分なのだろうと判断できた。
 眼下の、すり鉢状の坂に当たる部分は傍聴席だ。そこに、指定席か自由席かはわからないが、いかにも庶民といった群衆がひしめいている。
 そこにあるのは狂喜・好奇――
 殺気。
「古来、処刑は庶民の娯楽として発展し普及した。人は人の死に楽しみを見たのだ」
「あなたもそうなのか?」
「生と死は流れの一つに過ぎない。そこに喜怒哀楽といった衝動はない。ただの現象の一部だ」
 塔の下で蠢く民に、神は無表情を貫いた。失望や嫌悪のひとつもない、まったくの無関心にしか見えない。
 足音。
 誰かが登ってくる。
 この老人が俺をこの場所に置いた理由を考えると、登場人物は――
 少女が一人。やはりマオ。
 そしてもう一人。
「総教皇(そうきょうこう)」
 その男を、神はそう呼んだ。
 真っ白な衣。仰々しい修道服だった。
『ここでお父さんとお母さんに会えるの?』
『ああ、会えるとも』
 心配そうに見上げるマオに、総教皇は微笑む。男からは、一切の邪心は感じられなかった。神仏そのもののような、悟りを開いたかのような。
 聖人。
 まさしくその人であった。
「その者こそ、この世界すべての歯車を狂わせた男」
 背後で――処刑場で歓声が上がる。
 振り返ると、すり鉢の底に数人の姿があった。
 目の部分にだけ穴の空いた黒い袋。それを頭にかぶった巨漢が、両手に一人ずつの人間を鎖で引っ張っている。その振り回される格好となった人間二人は、粗末な服を着せられ、麻袋で顔を隠されている。こちらは前が見えず、両手にはめられた手錠から伸びている鎖を巨漢に引っ張られて進んでいる形だ。その後ろを中肉中背の男が巨漢と同じような黒い布で首まで隠している。
 手錠の二人が乱雑に放り投げられ、観衆の目の前に倒れる。
『なに……?』
 眼下で繰り広げられる――これから繰り広げられるであろうことがわからないマオが不思議そうにする。
 黒頭巾の二人――おそらく処刑人なのだろう。どちらも無骨な大斧を担いでいる――が麻袋に手をかけ、躊躇なく剥ぎ取った。
 下から雑多な声の群れが。
 横から、息を呑む音が。
 そこには、変わり果てた男女がいた。
 数分前に見た、温和な夫婦の成れの果て。
 傷つきやつれ、衰弱したマオの両親。
 白くやせ細った髪はまばら、皮膚のあちこちが剥がれているか不自然に固まっている。爪は無事なものが一枚もない。失明か、視力が著しく低下しているのか、焦点がはっきりしていない。あの目には何も映っていないのだろう。
『え……? なに? どうして?』
 理解が追いつかないのか、現実が受け入れられないのか、少女の反応は困惑一色だった。先に聞いていた俺でさえ気が滅入る光景だ。無理もない。
『お父さん……? お母さん……?』
 処刑場にまた一人誰か現れた。格の高そうな修道服を身にまとった……神官だろうか?
『傾注!』
 その神官が声を張り上げ、何やら懐からA4くらいの紙を取り出し読み上げる。
『この夫婦、周辺の村々の井戸に猛毒を混入させ、犠牲者多数! また、魔族とも手引し集落を襲撃させ、残った金品を売りさばき――――』
 つらつらと、これでもかと盛られた罪状の数々。たいした期間もないが、マオの両親がそんなことをするとは到底思えない。
 濡れ衣。
 冤罪。
 そうとしか思えなかった。
『――――以上の罪過、《神に誓って》相違ないか!』
 父親のひび割れとうっ血だらけの唇がゆっくり開く。俺は思わず目を伏せた。
『《神に誓って》……間違い、ありません……』
 精一杯、絞りきって、それでも足りずに更に絞り出したような声。拷問の末、衰弱しきり、もはや肯定するしか許されず、そこまで追い詰められ……。
 それでもまだ、彼らの虐げは終わらない。
『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』
 罪を認めたことで、民衆に火がついた。怒号と怨嗟の絶叫が場内に反響した。
『悪魔の手先め!』
 投げられた石を避けることもせず、傷と血がまた増えた。
『静粛に!』
 木槌が叩かれる音が数回あって、少ししてから有象無象の声がやんだ。
『判決を下す!』
 処刑台のそば、裁判官席とでも呼ぶだろう場所に腰かけた男は木槌を片手に民衆や俺たちを見上げる。おそらくはあの男が裁判長なのだろう。
『死罪!』
 俺は足元の石を拾い上げようとして――失敗した。手が通り抜ける。うるさい群衆か神官にでもぶつけてやろうと思ったが。
「無駄じゃ」
 視線は処刑場のまま、老人は俺に忠告する。
「おぬしの姿がここにいる者に見えぬように、おぬしはここでは干渉できぬ」
「タイムスリップ……時間遡行じゃなくて、あくまで過去の映像を俺に見せてるだけなんだな」
「さよう」
 やっぱりか。タイムパラドックスなんて知ったことかと阻止したいところだが。
『これより罪人に処刑を執行する!』
 結局――わかりきっていたところだが――俺は救えなかった。
 拷問の果てに背信者と罵られ殺されたマオの両親も。
 大斧が振りかぶられ、ようやく両親の運命を悟り泣き出すマオも。
 目の前で繰り広げられる凄惨のすべてを微笑でもって済ませた総教皇も。

「罪人の死体は教義により跡形もなく処分されることになっておる。汚れそのもの故な」
 裁判所そばの大聖堂に案内された俺は、礼拝する信者を尻目に肖像を見上げていた。
「以降、あの娘は、親の墓すら持てず、教団の駒としてあの城に幽閉されることになる」
「なんでこんなことになったんだ」
 肖像のモデルは俺を見ることもなくステンドグラスを眺める。
「すべてあの男――総教皇の指示だ」
「つまり、あの総教皇を倒せばいいんだな」
「それを決めるのはおぬしだ。わしではない」
「なんだそれ」
 そういう使命で俺をここに転生させたんじゃないのか。
「かつて、わしは一人の転生者を扱った」
 老人はとうとうと語り始めた。
 それは、一人の人間の壮絶ともいえる人生だった。
「名を日ノ本鎮(まもる)。日本国最後の内閣総理大臣」

 その男が産まれた時点で、その国は末期だった。
 出生率は一%を切り、平均寿命は一〇〇歳を超えた超少子高齢社会。
 福祉国家による財政はとうに限界を迎え、重税と老人が重荷となっていた。
 民主主義ゆえの圧倒的老人優先政策は、次代を担う若者の質と量を容赦なく削り取った。
 それでも、その男はめげなかった。
 難関大学を主席で卒業し、官僚となってからもエリートコースを歩み事務次官にまで上り詰める。その過程で得た人脈と地盤でもって政界進出。政治家となった後も、何一つ失態を犯さず政争を乗り切る。
 気がつけば、時の与党代表となっていた。
 ここでようやく、彼は自由に――自分の意志を出せるようになった。
 社会保障制度への大胆なメス入れ。
 人口ピラミッドのコントロール。
 若きは生き、老いは死ぬ。
 歪な社会を正常化し、生命の循環を元通りにする。
 随分と回り道をしたが、共感してくれる政友と国民に支援され、それは成就した。
 それが、その国と男の最後の輝きだった。
 もう、遅かったのだ。
 もはや国を続ける力すら民には残されていなかった。
 ただ終わりを待ち、死ぬまで眠るだけだった。災害と疫病を契機に恐慌と飢餓で困窮・錯乱した社会はやがて終焉となり、いつしかそこには国家も民衆もなかった。
 心血を注いだ国も、己に未来を託した友と民も、その男は失った。
 最期は自決し、飢えに苦しむ家族のために自らの肉を差し出した。
 

「これまで、あらゆる偉人と呼ばれる人種を見てきたが、あそこまで非の打ち所がない人間はいなかった」
「それがあの総教皇か」
 つまりは、そういうことなのだろう。
「あの者は、すべてを一から作り上げたいと望んだ。生前のように病んだ国を治すのではなく、根底から自らが作り上げたいと」
「そんだけ徳の高い聖人君子のお願いなら叶ったんだろうな」
 俺とは違って。
「さよう。ゆえにわしは、すべてが無に帰したかの国に――それが存在した土地に転生させた」
「やっぱりか」
 どうやら、仮説は当たっていたらしい。
「おぬしの察したとおり、ここはおぬしのおった世界の未来に位置する。地殻変動と経年劣化で、すべてが堆積と風化にのまれておるがな」
 どうりで掘ったら懐かしいものが出てくるわけだ。
「本来、あの男が転生しなければ、この世界はまったく別の道を進むはずであった。かの者が転生したことで、すべての歯車は狂った。それは歪みなのだ」
 そこでようやく、神は俺に向いた。
「その歪みに対し、別の転生者という歪みをぶつける。それは、作用と反作用における修正の理」
「なんだよそれ」
 結局自分が転生させて、マオの両親が殺されて、その後始末を俺にしろってことかよ。
「あんたがやれよ。そんでもってマオを救ってやれ。それが神だろ」
「神はおぬしの思い描く救済の道具ではない。確率や現象――人智の及ばぬ領域を定義したものが神だ。おぬしらヒトが、手の施しようがないものを担保したのが神だ。神なるものは実在しない。ヒトの意識が形作る。おぬしらヒトの言葉を借りれば、夢なのだ。ヒトが誰しも見る夢、それが神だ」
 なんだっけ。自分が蝶の夢を見ているのか、蝶が自分の夢を見ているのかわからないとか、そんな感じだろうか。今目の前にいる老人も、実際はいなくて、俺が死んでから見てる夢みたいなもの……的な? ああ、だめだ。これ考え始めるとこんがらがるやつだ。
「結局、あんたはあんだけ真摯に祈ってたマオの両親には、なんにもしてやらないんだな」
「おぬしの見地ではそうなる」
 老人はまた俺から視線を外し、あてもなく仰いだ。
「あの男女は、最後まで改宗もせず、教義に殉じた。その一点の曇りもない祈りは、ある種の徳に値する」
 徳の高い坊さんみたいなもんか。
「転生特典でももらえたの?」
「あの二人は自身に対して、何も望まなかったよ。ゆえに、そのまま浄化され輪廻に戻っていった」
 ただ、と話は続く。
「娘に対して、すまなかったと、わしに対して、娘を頼むとだけ祈ったよ」
 捨て駒にされても一切信仰を変えることなく、教団を憎みもしなかった。
 ただ、残された娘を案じたのだ。
「本来なら、ミツルを送るはずだった。あれは神の系統ではあるが神そのものではないからな。だが、知っての通りあの有様だ。ゆえに」
「ちょうどいいときに死んだ俺にお鉢が回ってきたわけか」
 俺は転生先選べなかったからな。
「あの娘の因果では、ここより半年と二日後に死ぬことになっておる。その運命を変えることができるのは、その世界の因果の埒外にいる存在だ」
 つまりワンチャンあるのは俺かミツルだけか。やる気のないミツルは論外だから結局俺がなんとかするしかないな。
 ――――『取り消せないぞ。世界の選択もできないぞ。先の保証は一切しないぞ』
 ひょっとして本気で警告していたのだろうか。
 ……話を整理するか。
 ここは未来の日本で、俺はマオの運命を変えるためにミツルとセットで飛ばされてきた。未来の我が国がなんでこんなファンタジックになっているのかはとりあえず置いといて、転生者でおかしくなった世界だから神はなんとかしたいと思っていたし、マオの両親もそれを望んでいた。
 ……ふむ。
「やっぱり何か武器とかアビリティくれよ」
「それは理から外れるからだめじゃ。だから使命を果たしたらと言うとろうが」
 あ、なんでミツルを真人間にするのが条件だったかわかったぞ。そうすれば必然的にミツルがマオの面倒を見るようになるからだ。つまりその時点で俺は神の使命を果たしたことになるわけだ。
 うまくできてるな。
 それはそれとして。
「クソが」
 ケチくせえ神だ。
「最後に言っておこうか」
 老人はまた俺を見た。
「転生したとはいえ、おぬしの人生はおぬしのものだ。おぬし以外の意思は関係がない。結局は、己の生を定めるのは己そのものなのだ。わしの課した使命を放棄したとしても、おぬしの生を取り上げるつもりはない。新しき世界で好きに生きるがよい」
「さいですか」
「そうだ。わしは賽を投げただけなのだ。どのような目を出すかは、結局はおぬし自身」
 なんか洒落みたいになったけど別にそんなつもりないよ。
「今こそ、改めて告げよう」
 そこで初めて――そういえば初めてだった――老人は笑みを浮かべた。
「おぬしの新しき生に幸あれ」
 俺もまた、笑みを返していた。

 目が覚めると、やはり神はいなかった。あの寂れた和風旅館だ。
 むくりと起き上がり、そういえば俺だけめちゃくちゃ離された不自然な[川]の字で寝たのを思い出す。
 俺は立ち膝で、すすすと移動し、真ん中に位置するマオの枕元に正座した。
 安らかな寝顔であった。
 ――――『今日、無事に朝を迎えられたことにでございます。そして、明日も朝を迎えられるようお願いするのです』
 そうか。そういうことだったんだな。俺はようやく理解した。こいつの祈りの意味と重みを。
 こいつはずっと、いつ自分が両親と同じ目に遭うかもしれない日々にあったんだ。だからこそ、今日まで生きられたことを神に感謝し、明日も生きられることを神に願い、祈りに込めたんだ。
 同じ歳の女子は学校に行って、友達を作って、平和で楽しい毎日なのに。
 一人であんな薄気味悪い城で、ずっと……
 俺が目頭を押さえていると、もぞりと動きがあった。
 ややあって、マオの目が開かれた。
「おはようございます」
 俺の声に気づいた彼女は、寝起きでぼんやりしつつも、相手に合わせるように正座し、「おはようございます」と頭を垂れた。
 彼女の顔が上がってから、俺は深々と――額が畳につくまで頭を下げた。
 我が国伝統芸能DO・GE・ZAである。
「昨日の失礼千万な発言、大変申しわけございませんでした」
「はぁ……」
 寝起きでいまいち気が乗っていなさそうな声。なんか寝込みを狙ったようで心苦しいが、こういうことは早々にするというのが礼儀だろう。
「償いとして、俺にできることならなんでもさせていただく」
「なんでも、ですか」
「もちろん、この程度で帳消しになるとは思っていないが……」
「なんでも……」
 俺が姿勢を戻すと、マオは自分の人差し指と人差し指をツンツンさせていた。
「そ、それではですね」
 少女の目が妙に泳いでいる。動揺……期待?
「私と……お、お友達になって欲しい……な……なんて……」
「…………」
「…………」
「…………」
 変な間が流れた。
「や、やっぱり嫌ですよね! ごめんなさい!」
「なる! なるぞ! っていうか、それでいいのか?」
 布団をかぶって逃げ込んだマオに、俺はあわてて答える。あまりにも拍子抜けというか、予想外で反応が遅れた。
「……本当ですか?」
 布団から顔だけ出てきた。
「お友達ですよ?」
「おう、なるぞ。友達」
 なんか上から目線っぽいけど、俺も今まで友達いなかったんだよな。本当に俺でいいのかこいつ。
「えへへ……やった」
 当人が嬉しそうだから、いいか。

「アーシがいない間に、またなんかあった?」
「さあてね。……とりあえず今日は個人行動でいいか?」
 女将との別れの挨拶もほどほどに、旅館の前で俺は提案した。
「昼までに馬車のところに集合って流れで」
「わかりました」
「アーシも別にそれでいいけどさ。アータ何しに行くの?」
「服買うんだよ」
 寝起きで目が半開きのミツルに対し、俺は着古したパーカーのフードを引っ張ってみせる。
「いい加減この格好は場違いすぎんだろ」
「あっそ」
 最も場違いなやつは興味なさそうに返事した。
「アーシがコーデしてあげようか」
「遠慮しとく」
 もっとおかしな格好になるだろ絶対。
「マオはどうする? あー、言いたくならいいけど」
「私は遺跡というものを見てみたいです」
 昨日ハブられた感じになったの気にしてるのだろうか。旅を楽しんでそうな今までの感じに戻ったからまあいいや。
「じゃあ案内頼むわ」
 俺に話を振られたミツルは不承不承といった風で頷いた。どうせ暇なんだろうし、否定する理由もないのだろう。
 さて、と。
 女子二人の遠ざかる背中を見送って、俺は歩き出す。
 道中、道行く人の姿を改めて見る。服装のセンス、トレンドをそれとなくリサーチしてるわけだ。まあ、よくある村人風の外見だな。これに合わせておけば浮くことはないだろうが、俺勇者だからな……もっとそれっぽい服装が相応しい。いかにも勇者ですといったコスチュームが売っているような服屋がないだろうか。
 まあ、ないわな。
「あるよ」
 ダメ元で服屋の店員に話してみたら、こう返ってきた。
「その手のは売れ筋だからね、どこの店でも並んでるよ」
 あれか、プロアスリートのユニフォーム的なあれな感じかな。
「最近入ったのは、このモデルだね」
 棚にたたまれて平積みされていた服を店員が広げてみせる。
「先代魔王を討伐した勇者アルロト・ドルフ・ロイアス・ラフォン公の装束」
 なんというか、いかにもといった見た目であった。緑を基調とした、既視感のあるような勇者っぽいコスチューム。
 同じ棚に並べられている勇者服シリーズも似たようなもんだ。セオリーみたいなものでもあるのだろうか。
「かの六英雄に名を連ね、トモノヒ教直属の勇者にも選定された英傑。今となってはその子息が後を継いで教団選任勇者に」
「じゃあそれください」
 このままおとなしく聞いてたら日が暮れそうなので長ったらしい能書きをぶった切る。まあいいや、なんでも。
 とりあえずそれっぽい恰好でもしないと、このままでは勇者以前に不審者扱いだ。
「ありがとうございました」
 買った服を早速着た俺はルンルン気分で店を出る。いよいよ勇者っぽくなったな。見た目だけは。
「さてと次は」
何をしようかとキョロキョロすると、香ばしいかおりが鼻をくすぐった。見ると、いかにも縁日の夜店でありそうな屋台があった。焼き鳥でも焼いているように見えるが……焼いているのは鳥なのかはわからない。
「一本ください」
「あいよ」と店の親父から買った串を眺める。肉のようなものと野菜のようなものを交互に刺して焼いてある。バーベキューみたいなものか。やったことないけど。
「…………うーん」
 少し離れたところであぐあぐやってみると、その、まあ、ありていに言って……
 うまくねえ。
「品種改良してなきゃこんなもんかな」
 そこいらで採れた獣とそこいらに植えてある植物を切って焼いただけだろう。この世界でそれなりに食べたけど、調理技術、畜産や栽培……そういった文明とでも言うような技術はまるで感じられなかった。
 実際、こういうもんなんだろうな。
 〝お話〟じゃこういうのを美味そうに食うシーンはあるが、そいつはよほど今までロクなもん食ってきてないか、おめでたい味覚の持ち主なのだろう。
 なんだかなあ。
 しょっぱなからずっと、こんな調子だ。予想じゃもっとこう、チートで無双して、なんもかんも上手くいって……って、漠然と期待していた。それがここまで、悪い意味で予想を裏切られてばかりだ。転生早々死にかけるわ、武器も手に入らないわ、魔法もしょぼいわ、ゲロ吐きながら移動するわ……。
 憂鬱に遠くを眺めていると、視界の端に見覚えある赤があった。その赤は、最初に泊まった宿で見かけた少女だった。少女は、物陰から屋台を見ていた。
 なんとなく近づいてみる。
 赤い髪と赤いワンピースの彼女は、俺が――こっそりとはいえ――近づいたことにも気づかず、ただまっすぐに屋台を見ていた。
 そんな珍しいものなのだろうか。
 俺が不思議がっていると、その疑問はすぐに解決された。
 耳にかすかに聞こえてくる腹の虫と、少女の唇の端にうっすら浮かぶものを目にしたからだ。
 ふーむ。
 数秒ほど、俺は顎に手をやったが決心し、再度屋台へ出向いた。そしてこう言った。
「今焼いてるの全部ください」
 ご丁寧に袋に入れてもらった三〇本ほどを抱えて、俺は少女のところに行った。彼女は俺を不審そうに見上げている。
「買いすぎたから手伝って」
 我ながらざあとらしい誘い文句である。
 この街に到着したときに降りた川は舗装された立派なものであり、その川岸には腰を落ち着けるベンチが並んでいたのを思い出した俺は、そこに少女を誘った。
〝待て〟のままで、ずっと視線が俺の抱える袋に釘付けの燃えるような赤い瞳に、
「いいよ」と言った。すると袋を受け取った少女はベンチに背を預けて、中身に手を出した。
 よく食うなぁ。
 ガツガツと噛んで串焼きを文字通り消えるように食っている。そのうち、一本・一本じゃ追いつかないらしく、指全部で串を挟んだ。通称バルログ持ちである。器用というか食い意地はってるというか。
 そんなに美味いか?
 一本つまんで口に含み、恐る恐るかじってみる。
 うーん…………。
 やっぱうまくねえ。
 現地民にはこれがウケる味なのだろうか。まあ現代日本レベルを要求するのは酷ではあるが、改めて自分は恵まれた世界にいたようだ。もっとも、技術的に恵まれていたというだけで、実質はクソゲー極まりないゴミだったことは今更言うまでもない。こうやって女の子にご飯あげただけで不審者扱いで通報だろうな、元の世界だと。世知辛いぜ。
 しかし……。
 俺は横に座り貪欲に串焼きを貪り食う少女に横目をやる。まだお天道様も高い昼前だ。この子は学校に行っていないのだろうか。休みかな?
 学校か……。
「行きたかったな」
 意図せず、ぽろっと口から出た。
 足元の石を拾って川に放る。水面は小さな波紋を描き、やがて元の静止に戻った。
 行きたかった。そう、学校には行きたかったんだ、本当は。
 眠い目をこすって、嫌だなとか、休みたいとかぼやきつつ制服を着て、適当に朝飯つまんで、遅刻すれすれで教室乗り込んで……。退屈だなと思いつつ授業受けて、同級生とどうでもいい話して、帰り道は遊ぶ約束なんかして……。
 そういう日々が、送れたらと期待していた。
 どうもそれは俺にとっては過度な望みらしく、現在に至るわけだが。それで多分にもれず異世界転生してみたものの、このざまだ。まともな職もねえ武器もねえアビリティもねえステータスもねえ。
 魔法といったらこれだけ。
 俺は人差し指をじっと見つめ、えいやっとりきむ。するとガス欠寸前のライターみたいな火が灯った。ちょっと温かい。
 隣で袋を空にした少女はそれをじっと見ていた。ふふふ。どうだい俺の火炎魔法の威力は。怖かろう。悔しかろう。
「…………」
 女の子は無言でその小さな両の手を広げて見せた。おっと降参かな?なんて舐めたこと考えた俺は速攻で打ちのめされる。
 ボッ。そんなサウンドエフェクトをともなって、小さな指十本すべてに立派な火の玉がそれぞれに宿った。
 やだ。俺の火力しょぼすぎ……。
 手のひらで唇を覆う俺をよそに、少女は食い散らかした串をそのままにして去っていった。飯をおごったら、なけなしのプライドを木端微塵にしてゴミだけ残していきやがった。この世界のようじょひでえ。ひでえよ。
 ゴミを片付けた俺は引き続き街をぶらつく。武器屋をのぞいたら相変わらず装備できる武器なかった。一応なんかないのか店主に聞いたが、かわいそうなものでも見るような目で首を横に振った。火でもつけたろか、などと邪な思いを抱きつつ武器屋を後にし、俺はアイテム屋へ向かうのだった。
 はて……。
 一通り品物を物色した俺は頭を傾げる。肝心要のものがないじゃあないか。
 店先できょろきょろしてた俺を商機と見たのか、はたまた不審者とでも思ったのか、奥のカウンターにいた店主がやってきた。
「何かお探しですか」
「ポーションどこです?」
「ポ……?」
 割と若いバイトリーダーみたいな見た目の店主は不思議そうにした。あの寂れたスラーオと違って、ここはまだ活気もあるし、店だって大きい。さすがに扱っていないなんてことはないだろう。ひょっとしてこの世界じゃ別の名称なのかな。
「回復薬というか、傷薬というか……ケガを治す……」
 すると店主は顔をポーションみたいな色にした。そうそう、そんな色した液体。そんな高度なボディーランゲージしなくてもいいのに。俺が店主のかくし芸に感心していると、腕をひかれ店の奥につれていかれた。何をするの乱暴する気なの?
「トモノヒ教徒ではないんですか?」
「無神論者です」
「なんてことだ……」
「おお、神よ」と言わんばかりに仰ぐ店主は、引き出しの聖書片手に説明をしてくれた。
「つまりですね、傷を癒す草、病を治す水といったものは、使えば魂の穢れとなり、神に背くとされています。使用はもちろん、所持や栽培も禁忌とされています」
 んなアホな。麻薬かよ。
「でも回復魔法はありなんですよね?」
「打ち身や切り傷など、あくまで自然治癒力を高める効果のある魔法は認められています。しかし、病気や猛毒の治療に該当する魔法は禁止されています」
 つまり回復アイテムはNG、魔法も状態異常回復はだめ。なんだその縛りプレイ。
 でも……。
「信者じゃなければ関係ありませんよね、それ」
 でも俺トモノヒ教徒じゃないから関係ねえ!
「そう言って薬品の密造をしてどれだけの人間が処刑されたか……」
 ドヤっていた俺に冷たい現実が突き付けられた。
「ただでさえ肩身の狭い非トモノヒ教徒は、どんな目に遭わされても誰も助けてくれません。人間扱いされないのです」
「ですよね」
 俺はもはやうなずくしかなかった。大多数の信仰する宗教とは、それ自体がその世界の規範であり価値基準なのだ。マオの両親が処刑されたガバガバ裁判を見るに、司法も牛耳られているのだろう。異教徒は弁護士をつけてもらえることもなく、そのまま死刑執行コースだ。
「いいですか? 病も傷も、試練なのです。それを乗り越える者のみが生き、そうでない者は死ぬ。それが神の定めた理……摂理なのです」
「そうですか。じゃあ今度本当にそうなのか聞いてみます」
「?」 
 頭上にはてなマークを浮かべる店主に別れを告げ、俺は何も買わずアイテム屋を去った。
 さて……。
 ふらふら歩きながら、俺は思案にふける。
 教団がなぜ回復アイテムを禁じているか。白々しい教義は置いておいて考えてみる。
 教義……教団の意思という建前ではあるが、根本はあの総教皇の思想と見ていいだろう。総教皇はなにを思ってそんなことをしているのか。そこを突き止めるのだ。
 俺は行き交う街の人をチラ見する。それがこの世界の――この世界の住人でも到達できるような魂胆なら、もうとっくに解決しているであろう。それこそ勇者様が見事に解決して大団円だろうさ。
 俺がここにいる意味――神が俺を遣わせた思惑を探る必要がある。
 …………いや最初に神がネタバレしろって話なんだけどな。ミツルにも教えてねえみたいだし。
 まあ、要するに答えを出すのも俺次第で、その上でどうするかも俺次第ってことなんだろうが。すげえ丸投げ。神とやらはサイコロは投げるがその先までどうこうする気は本当にないらしい。
 とりあえず、ここまで前提条件がそろっているならある程度当たりはつけられる。
 俺と総教皇の共通点、お互いの生前の共通項から導きだせばいい。
 回復薬と回復魔法――もっといえば薬や医療の禁止。
 そんなもの、かつてのあの国に生きる者なら、誰しもが思い、そして誰もが実行できなかった手段だ。
 そうしなければ民の代わりに国が病むと、みんな思っていても、口には出せなかった。
 総教皇の狙いは、そういうことなのだろう。
 ――もっとも、答え合わせは必要だが。
 俺は鼻から深い息を吐く。これは、一度、総教皇猊下に謁見しなきゃならないな。避けて通れるならそれに越したことはないが。どうもマオの件を解決するには、強制イベントっぽいんだよな。
「あ」
 ふらふら歩いていたら、ふと、とある施設の看板が目に入った。
『職業選定所』
 これはきっとあれだ、異世界ハロワだ。ここらへんの行政まわりも丸パクリしたんだろうな、総教皇。
 なにはともあれこれはラッキー。無職がコンプレックスなところにこれは渡りに船というもの。このままじゃロクな武器も技能もつきやしない。なんかもう、なんでもいいからジョブチェンジしよう。
 俺は暇そうな門番にペコペコしつつ扉を開く。中はだいぶくたびれた内装で、中央に筆記用の机と提出書類が雑多に入った棚。奥に不愛想な受付。うん、まさしく公共施設だ。市役所っぽい。
 とりあえず壁に貼られたフローチャート通りに書類を取って書けるところを書いた。こういうのは、一人でああだこうだやるより、書けるだけ書いていったん出した方がはやい。俺は笑みの欠片もない見た目二〇代そこそこの受付の女性に申請書を出した。
 彼女は無言で書類を眺め、ややあってこちらを向いた。
「『教徒番号』が記入されていませんが」
「ああ、それ何かよくわからなくて」
「…………」
 世間知らずを見るような眼をされたが、実際世間知らずであるのだから致し方がない。
「教徒番号とは、教団に籍を有するすべての方が持つ番号です。あらゆる分野の手続きにおいて、個人の情報の開示や提供に使われます」
 マイナンバーかよ。
「いや、そういうのは特に」
 あるわけないだろ。 
「教徒なら全員付与されているはずですが。宗門人別改帳を確認してまいりますので、所属されている教会名と洗礼者を教えてもらえますか」
「あ、そういうのないです。教徒じゃないんで」
 すると受付さんは目をそらして、
「それでは、申請は受理できません」
 …………?
「どういうことですかね」
「ですから、こちらの『職業希望申請書』は受理できないということです」
「トモノヒ教徒でないからですか?」
「はい」
 あっさりしっかり、断言してくれちゃった。
「それおかしくないですか?」
 これはさすがに俺も異議ありである。
「ここって公共施設ですよね」
「そうですが」
「特定の宗教団体に入ってないと使えないなんておかしいですよ」
「はぁ……」
「何言ってるんだこいつ」みたいな顔された。
「規則なので……」
 なんともお役人の鑑のような対応である。
「その規則のどこに正当性があるのか教えてください。そうじゃないと筋が通らないでしょう」
 迷惑そうだが、こっちもたまったものではない。あんなイカレ宗教に入るくらいならもう一度死んだ方がマシである。かといって、このままでは無職継続である。頼りにしてた神殿ポジのここが門前払いなら詰むわけだ。
「規則ですから……」
 とりあえず規則言っとけモードに入った受付は背後に目をやる。すると奥のデスクで事務仕事をしていた一人が何かを察して立ち上がり、わきの扉を開いて消えていった。と思えば、甲冑をがっつり着込んだ屈強な男を二人ばかりともなって戻ってきた。
 あ、これアカンやつだ。
「いやーそうですねー。規則ならしょうがないですよねー」
 これ以上深入りしたら最悪また死ぬ。
 前世の経験から俺は素早く手のひらを返し、
「それではこれで」
 とっとと逃げた。

 だめだな。まだカルチャーショックというのが抜けてない。
 もう時間切れだ。そろそろ合流しないと。とぼとぼと歩く俺は顎に手をやる。
 現代日本でいえば、たしかにあの施設――行政は確実にアウトだ。だが、この世界ではまかり通るし、まかり通らなければおかしいのだ。そういう風に作ったのは……まあ、総教皇なんだろうな。本当にトモノヒ教に入信していないと人間扱いされないようだ。しかしこんな扱いされても俺は入りたくない。なんかそうしたら負けな気がする。かといって、このままだと戦っても負けな気がする。
 割と詰んでね、これ。
 せめて武器がないと本当にどうしようも。
「おらよ」
 飛んできた細長いものをとっさに掴む。
「アータの分」
 馬車の前でたたずんでいたミツルはそう言った。俺は受け取ったものをまじまじと見る。鞘に納まった、まさしく日本刀である。抜いてみると、鈍い光が俺を照らした。うーむ。業物。いや知らんけど。
「俺がもらっていいのか?」
 多分発掘品を洗って研いだものだろう。
「科学者がアーシらに持っていてほしいって。宿屋の礼?みたいな?」
 アフターサービスみたいなもんか。無駄に高い金払った価値もあったみたいだ。
「アーシにはこっちがあるから」
 ミツルは手元のものを掲げる。ぼろ布に包まれたそれは細長く、大きさは俺の持っている刀と同じくらいである。
 ひょっとしてあっちが当たり武器なのでは。
「見せたろか」
「見せて」
 俺の視線に何か察したのか、そんな申し出をしてきたので、即答した。これでこいつだけチート武器だったら厚底ブーツをビーチサンダルにすり替えてやる。
 するする。巻かれたぼろ布が解かれていく。
 名刀? 妖刀? 魔剣? 聖剣?
 期待感高まる俺の顔は、次第に期待に満ち――――
 一気に冷めた。
 それは細長い鉄の棒で、先端にはひし形でピンポン玉大の鉄塊がついていた。それはまさしくたまの休みに世のお父さんが家族サービスを放棄して握るものであり、その名は、
「五番アイアン」
 武器ですらねえ!
 見せびらかすギャルのあまりのドヤ顔にツッコミは飲み込んだ。なんだこいつ。ひょっとして褒めてほしいのか?
「いいアイアンですね」
 自分で言っててなんだがいいアイアンってなんだ。ゴルフのゴの字も知らねえからわからん。
「ま、アーシには刃物なんて無粋なものよりこっちの方がしっくり来るんで」
「そりゃよかった」
 そっち渡されなくて本当に良かった。
「皆さん、そろそろ出発だそうです」
 マオの声に、俺とミツルは顔を暗くした。それはつまり荷造りが終わったわけで、そこの隙間が俺たちの指定席なわけだ。無骨な木箱に申し訳程度の布がかかっただけで、当然クッション性は皆無。尻にささくれや突起が刺さるから深くは座れない。そのため、途中で立ち上がってみたり半分空気椅子だったりするわけだ。いやはや、異世界は存外不便だ。
「強くなる方法ですか?」
 乗り手のおっさんの気の抜けた声で、馬が動き出す。直後、まったく人の配慮のない揺れが俺たちを襲った。
「職業に頼らない方法で」
 右に左に揺れる体を、そばの荷を掴んで支える俺にマオは人差し指を自身のほっそりした頬にそえて、
「基本的には、まず職業を選定してから、がスタートになります。適正にせよ要望にせよ、特定の職業を決定してから、それを指針に鍛錬していきます」
 そりゃそうだ。戦士が魔法に集中しても、賢者が筋力に集中しても見当違いの骨折り損というものだ。
「職業に見合った技能や恩恵もありますし、鍛えたいものがあるなら、やはり職業が前提となります」
 マオは異世界ハロワのこと知らないんだろうな。使ってないみたいなこと言ってたし。
「それ抜きで考えると、通常の鍛錬というものはひどく効率が悪いです」
 職業ブーストかからないからな。糞みたいな縛りプレイだ。
「相対的にはそれで強くなるとは考えられないです」
 仮に、同じ力量で同じ鍛錬をしても、結局は職業の有無で優劣がつくわけだ。これには返す言葉がない。
「もちろん職業を選定しないまま、膨大な時間と労力を費やせば、ある程度は強くなるとは思います。ただそうなさるくらいなら……」
 素直に就職した方がいいわな。ついでに言えば、そんな修行したくない。
「やっぱ無理かな」
「装備できるものも限定されてきますからね」
 うなだれる俺に、「でも」
「その方自身が強くならなくても、その方自身を強くする方法はありますよ」
「…………?」
 とんちめいた言葉に首をかしげる。
「融合魔法」
 知識を披露するのが、それとも誰かに物を教えるのが楽しいのか、マオは声を弾ませた。
「たとえばその方より強い精霊や妖精と一体になれば、その方はその融合対象と同等かそれ以上の力を得ることができます」
 要は合体か。
「非現実的な方法ですけどね」
 ちょっと前向きになりかけた俺に、マオはそう締めくくった。
「つまりそういう強いの捕まえればいいんだろ? ダメなのか?」
「自分より強い霊体をどうやって従えるのですか?」
「…………あー」
 自分より強いやつと融合すれば強くはなれる。しかし、そんなやつにどうやって言うことを聞かせるのか。向こうからすれば、なにが悲しくてろくなコネもステータスもない無職に力を貸さなくてはならぬのか。俺だっていやだ。
「仮に融合の了承が取れたとしても、融合が成功するかは別問題なのですよ」
 たたみ掛けるようにマオの講釈は続く。
「あまりにも力量や相性が合わないと、それだけ成功の確率は下がります。つまり、失敗しやすいのです。ただの失敗ならまだいいのですが、その時にかかる負荷は、場合によっては心身に重大な影響を」
 …………本当に詰んだかな、こりゃ。
 それからも展開し、時には脇道にそれるマオ先生の授業をBGMに、俺は馬車に文字通り揺られた。
「べーつに無理して強くなることないんじゃないの」
 到着した馬車から崩れ落ちるように這い出た俺の後ろからミツルが顔を出した。吐くならもう少し離れたところでやれ。ここは俺が先に見つけたベストスポットだ。
「マオが十分強いんだから。苦労することはないでしょ」
「最初から育成諦めて捨てゲーするやつがどこにいるんだよ」
 俺は腕で雑に口を拭ってから言った。
「こっからお前、あれだ、なんかあれして、めちゃくちゃ強くなるから、きっと」
「ホントーにそう思ってる?」
「…………」
「割ともう投げてんじゃねーの?」
 ミツルは青い顔して座り込む。
「アーシがお情けで武器あげたんだから、もうそれで満足すれば」
 ギャルは天高く浮かぶお天道様を見てなにを思うのか――まあ何も思ってないな。
「俺は魔王を倒して世界を救う勇者だぞ」
「あほらし」
 それだけ言って、持ち直したらしいミツルは馬車の方へ戻っていった。
あいつの言いたいことはわかるし、一理あるのだ。
魔王討伐だの勇者だののたまっているが、それは『そういう物語』がテンプレになっているからだ。なんの因縁もない魔王倒して何になるというのか。とりあえずなんかやってます感出してるだけだ。でも、それでいいじゃないか。そういうありきたりな物語に身をゆだねて何が悪いんだ。みんな、『そういう物語』に夢中だろ。わかりやすい巨悪に立ち向かい倒す英雄。そして世界は救われめでたしめでたし。なんの問題もないケチのつけようのない素晴らしい物語だ。
 俺は到着した街を見上げる。一度も来たことはないが、既視感がある。
 宗教都市トルカ。
 トモノヒ教の総本山。
「あの、ここって」
「あれ? 言ってなかったか? 俺はトルカまでの便担当だ」
「でも地図だと、エマスラからならもっと中央寄りのルートがいくつか」
 楽しそうな様子が一転、マオは浮かない顔で地図を開く。無理もない。荷馬車の中じゃ窓なんてないから外は見えないし。いざ次の街と降りたら、そこがトラウマのある場所じゃな。
「いつもならそれでもよかったんだけどな。例の魔王討伐軍のゴタゴタでな」
「……魔王討伐のためにいくつかの街が合同で戦力を集めたという、あれでしょうか」
「ああ。それで交通網はまずズタズタだ。無理な強行軍でうちの組合も馬車は取られるし流通スケジュールはめちゃくちゃ。道も荒れ放題。そこにあの〝炎獅子〟が来ちまったからな」
「ロ……灼熱炎魔、ですか……」
「およそ三000人が、ものの見事に全滅だったと聞く。三日三晩は空が赤かったってな。それでいくつかの村や道も焼け野原。整備と復旧で一般の交通にはしばらく使えないのさ。組合でも自粛というか禁止令が出ててな。まったく、魔王の手下の四魔精一体でこの有様だ。本命には何千何万……」
 あいつそんな強かったのか。ひょっとして俺たちとエンカウントした時は消耗してたんだろうか。
「今日はこの街に新進気鋭の選任勇者が来るらしいが、先代の親父のように勝てるかどうか」
 選任勇者?
 どっかで聞いたな。
「んじゃま、ここまでの付き合いだ」
 俺が戻ると、馬車のおっさんは帽子を軽く揺らした。
「ここから先の道はどこも整備されとるし、足はここでならいくらでも見つからあな」
「ほんとー?」
「まあここはトモノヒ教のど真ん中。信者じゃなければ最悪施設のすべてが使えないかもしれんが、次の街へは歩けばどうにかなる。道を外れなければ獣も出てこない」
「とりあえず異教徒だとバレなければセーフ?」
「そういうこった。俺も用が済めばここからは速攻離れる」
 未入信前ならまだ手心はあるかもしれないが、おっさんは破門だからな。どんな目に遭わされるかわかったもんじゃない。
「じゃあの」
 遠ざかる馬車を見送っていたら、ミツルに小突かれた。
「で、どうすんだよ」
「思いつくことは色々あるけど」
 交通手段の確保とか武器屋道具屋めぐりとか宿屋のチェックインとか。
 それよりもまずは。
「ここの名所らしい裁判所にちょっとな」
 マオが俯くのを俺は見逃さなかった。

 その場所は、当時と――夢で見た場所と外観そのままだった。
「なんかこれイタリアかローマにあったよね」
「コロッセオな」
 多分元ネタはそれか、はたまた現物がそのままこの時代まで生き残ったか……。
 どうもここは、何かなければ人は来ないらしく、入り口にも通路にも誰もいなかった。
「不用心じゃね」
「こんなとこ忍び込んでも盗るもんないだろ」
「こちらは裁判で使われている時以外は開放されているのです」
 薄暗い、じめじめとした道の中、同じく陰気なマオの声が響く。
「ワオ」
 ミツルの驚きに俺も目を少し見開く。
 道を抜けた先には、やはり円形のだだ広い空間。学校のグラウンドくらいはあるな。
「あそこで罪人は審判され、裁きを受けます」
 最奥の壁に隣接する祭壇のような舞台にマオは近づく。
『オジサンここで何してんの?』
『何って席取りに決まってんべ。明日の夕方ここで処刑が見れるってお達し出てたで。今のうちにいい席を取っとかんと』
『マジ? そんなの見たいの?』
『まー自分が見たくてやるやつもおるけど、おでの場合は席売りだな。当日にこの席を売るんだ。結構いい稼ぎになるでな。処刑もこんな娯楽のない街じゃ一大ショーだで』
『ほーん』
観客席のオヤジとアホ面で何やら話してるミツルは捨て置いて、俺はマオについていった。
 ローブに身を包んだ少女は処刑台に上がり、しゃがみこんだ。
 そこは、その部分だけは、石造りの灰色とは違って赤黒かった。
 つまりは爆心地、ここで処刑が行われ血が流れ続けたわけだ。
 当然、こいつの両親もここで。
「ここで死んだやつはさ」
 つい、口が滑った。
「みんな悪いやつだったのかな」
 そうとしか思えないくらい、自然に出てきた言葉だった。
「そんなことはありません」
 小さいが、しっかりした声が返ってきた。
「そうは、思いたくないんです」
 凛とした視線で見上げられた俺はうなずいた。
「そうだな」
 今更ながら、気づいた。
――――『そこになら、きっと私の求める答えがあるはずなんです』
彼女が求める答えとは、きっと。
「俺もそう思う」

『それではこちらに教徒番号を……お二人様はトモノヒ教徒ではないのですか。それではお断りします』
 …………。
『は? うちは異教徒お断りだよ帰ってくれ』
 ……………。
『とっとと失せろ。警備兵に突き出すぞ』
 …………。
 …………。
 …………。
「ぜ~んぜっんだーめじゃん」
 ぜえぜえ息を吐いてミツルがうめく。宿泊を断れたどころか通報された宿屋から路地裏まで逃げてきた俺たち。これで何件目だったか。馬車のおっさんの言う通りどころか、それ以上にひどい。人間扱い以前に害虫扱いだ。
 まさか宿屋・武器屋・道具屋。冒険家の三大施設ぜんぶ使用できないとは。ああ、クソ。久しぶりに全力疾走したからわき腹が。
 しかたない……。
「ここを宿泊地とする」
「ふざけんな」
 俺は慌ててしゃがむ。一瞬後、俺の頭があった場所にゴルフクラブが通り、レンガと派手にぶつかって火花が散った。あぶねえな。
「ここで寝るとかそれこそ人間じゃねーよ」
「お前ストリートチルドレンの皆さんに謝れ」
 たしかにここは汚い路地裏だ。薄暗いしジメジメしてるしなんかやばそうな虫も鼠もちらほらいる。でも言うじゃないか。住めば都だって。きれいなシートや天幕を張れば、きっと住みやすい環境に。
「あー、君たち」
 この糞ギャルがギャアギャア騒いだせいか、一人の兵士がやってきた。なんというか、いかにも警備員ですみたいな見た目。
「どうかしたのかな」
 やべえ。職質だ。前世でも食らったけど、これこっち悪くないのにネチネチ因縁つけてくるやつだ。胸糞わりぃ。くそっ。なんだよこの強制エンカウント。イベントバトルか?
「ええと、その……」
 俺は周りをキョロキョロする。どうする。やるしかないのか。なんでこんなことに。この糞ギャルのせいだ。糞ギャルが悪いんだよ……。
「ああ、そうか」
 何かを納得したらしい警備員。俺は刀を握ろうとした手を止める。
「パレードならこっちだよ」
「ええと」
「ここは迷いやすいからね。よくパレードを見に来た子が迷子になっちゃうんだよ」
「そう。そうなんですよ」
 そういうことにしておこう。正直に『異教徒だから追われてここにテント張ってゆるいキャンプでもしようと思ってました』とか言ったら絶対しょっぴかれる。
「それならこっちだよ。ついてきて」
 親切にも案内してくれるらしい。誰も興味ないのに。路地裏から出ると、警備員の同僚らしい武装した方々が五人ほどいらっしゃった。これバトルになったら詰んでたかもしれん。危ない危ない。
「あー」
「今は黙って合わせろ」
 何か言いたげなミツルに耳打ちする。
「今回の選任勇者は期待の新人なんですよ」
 案内する警備員さんが気さくに話しかけてくる。この陽キャ特有の距離感なんかいや。
「あの六英雄のご子息で、教団が最も推してるんです。今回の魔王を討伐する日も近いでしょう」
「なるほどー」
 すげえ薄っぺらい相槌をしつつ、脳をフル回転。今回ってことは、魔王って代替わりするのだろうか。結局魔王をその場で倒しても第二、第三の……ってパターンか。とすれば、そのたびに勇者なるものは現れるわけか。パレードってのはそれの壮行会みたいなもんか。
 もう少し思考を広げてみよう。
 勇者と魔王はその時々で代替わりを繰り返す。勇者は教団が指定する。教団が指定する勇者が魔王を討伐する。このサイクル、システムとは……
「いやーなんというか、俺もあやかりたいもんですよー」
 探りを入れてみる。
「俺もああいう勇者になりたいなーみたいな」
「教団直属の選任勇者は一般勇者と違ってなろうとしてなれるものではありませんからね」
 そこらへんは馬車のおっさんの言っていた、名前だけのお飾りの称号である勇者とは根本的に違うのだろう。トモノヒ教が後ろ盾になっている勇者、その中でも教団が直接管理している選りすぐりの勇者。勇者オブ勇者。信頼と実績のトモノヒ教ブランド。
「まず教徒の中でも優秀な層が勇者候補生として教団の目に留まり、その中でもさらに一握りが選任勇者として教団の信任を得ることになります」
「選ばれなかったらどうなるんです?」
「だいたいは教団の職員ですね。かくいう私たちもその選定に漏れた者たちでして」
 苦笑する警備兵に、周りの同僚もわずかに声をもらし肩をゆらす。勇者のなりそこないは一般兵として再利用か。
「優れた血筋・家系。恵まれた才能・環境。弛まぬ努力・精神。そうした諸々がすべて結集した人物が教団直属の選任勇者となれるのです」
「アータ全部ないじゃん」
 糞ギャルのつぶやきに俺は反論できなかった。とりあえず足元の石を蹴る。
「さぞかし立派な人物なんでしょうね」
 皮肉交じりで称賛する。嫉妬だ。
「ええ。歳はあなたたちと同じくらいと伺っております。……つきましたよ」
 俺たちは大通りに出た。そこは荒縄で脇道と本道が仕切られていて、俺たちは脇道の見物客の一部になった。本道と脇道を仕切るのは荒縄だけでなく、その内側には聖職者らしい黒衣の人間が一列に並んでいる。黒いカーテンでも頭からかぶったような見た目だ。
「現役の勇者候補生ですよ」
 俺の視線を追った案内人の警備兵は言った。
「皆さん当代の勇者に勝るとも劣らない実力者ですよ」
 つまりはスペアか。
 俺は見回す。
 この大通りはトルカの正門と直結しており、このまま右折して真っ直ぐすれば正門から出られる。左は大広場となっており、いかにもといったお立ち台が用意されている。
「もともと、選任勇者の任命や宣託は教団内部の人事にすぎません」
 そりゃそうだ。
「しかし、ここでは選任勇者とは希望であり、象徴なのです。結果、こうして対外に公表する行事が自然発生することになったのです」
 そりゃここはトモノヒ教の総本山。そこで大抜擢された勇者がどんな人間かは最大の関心事だろう。無味乾燥な発表よりは、こうやって大々的にやった方が盛り上がるし教団の威信の誇示にもつながる。
 プロパガンダというやつだ。
 右奥から歓声がこだまする。
 始まったか。
「始まりました」
 そいつはなんというか、いかにもVIPといった感じだった。まず一〇人の真っ黒な勇者スペアが円形で囲い、そいつは中心にいた。そいつの左右にはガタイのいいおっさんと趣味の悪いローブを着た女がいた。わかりやすい前衛職のタンクと後衛職のマジシャンだな。
 左からもどよめきが。
 見れば、お立ち台に一人の男が立っていた。
 マオが息をのみうつむき、俺は目を伏せた。
「総教皇猊下」
 警備兵の信教しきったつぶやき。
「いつ見ても神々しいお姿だ」
 夢で見た姿そのままで、そこにその男はいた。
 勇者一行はやがて総教皇のもとまでたどり着き、勇者のそいつ以外は跪く。唯一、勇者のそいつだけが壇上に上がり、周囲を見下ろす。
 聞いた通り、そいつの年格好は俺たちと同じくらい。紫を基調とした、いかにも勇者ですといった服装で、背中には緑色のご立派な剣がある。俺の着てるレプリカと違って、あれはそいつ専用にあつらえられた本物の勇者服だろう。
 民衆の歓喜や期待、畏怖や敬服のうねりは、総教皇が両腕を高くかざすことで止んだ。
「皆々様」
 よく通る、低く重たい声。それは、俺もよく知った声。夢で聞いただけではない。もっと前から、その声は、メディアを通して俺に届いていた。
「ご機嫌麗しゅう」
 いかにも政治家然とした笑みに、何か霊験あらたかなものでも感じたのか、近くの信者がすすり泣くさまが見える。ずっとフードをかぶり下を見ているマオとは対照的だった。
「皆様のたゆまぬ信仰により、今日という日を迎えられたこと、まことに感謝いたします」
 総教皇の目線が民衆から隣の勇者に移る。
「ご紹介いたします。彼こそが我らの代表者。教団の剣となり、光となる者――勇者でございます」
 そいつは一歩前に出た。
「バロン・ルメド・スーフィ・ラフォン」
 そいつの目は、眼下の人間を誰も映しちゃいなかった。仏頂面で、石ころでも眺めているようだった。
 実際、その通りなのだろう。
 見下ろすそいつにとっては俺たちは石ころで、見上げる俺たちからすればそいつはお星さまなんだ。ほとんど同じもののはずなのに、その高み低みが価値や優劣を決める。
 権威。
 社会か政経の授業で、そんなことを聞いた気がする。
 俺が戦わなきゃいけないのは、そういうものかもしれない。
 

   第五章

「うさんくせーオヤジだったな」
 パレードが終わって解散となったあと、ミツルは腕を頭に組んでぼやいた。
「シンコーシューキョーってやつでしょ」
「いえ。トモノヒ教は古来より土着した宗教でして」
「そーいうことじゃねえンだわ」
 教養のないギャルに馬の耳に念仏やってるマオの表情は暗いが、馬鹿ギャルのアホさ加減に絶望しているわけではないだろう。
 本当に由緒正しい、国家なり世界なりの黎明から連綿とってパターンか、はたまたそういう設定を作り上げたパターンか、まあこれはどっちでもいい。
 答えはもうすぐ出るのだから。
「トモノヒ教の本部はこっちでいいんだな?」
「…………はい」
「あのオヤジに会いに行くわけ?」
 マオは顔を伏せる。
「このままここを素通りして目的地に到着するより、こっちの方が確実で早い……そうなんだろ?」
「…………国王陛下に謁見し、総教皇猊下のことをお尋ね・ご報告することが目的でしたから」
「あ、じゃあちょーどいーじゃん。願ったりかなったりってやつ?」
「お前本当に頭空っぽだな」
「あ?」
「褒めてるんだよ」
「んだよ。照れるじゃねえか」
 本当に皮肉もわからない脳みそらしい。
 この先、王国首都に行ったとしても王様に会える保証はない。そもそもそこまでたどり着ける手段すらないのが現状だ。
 ここで決められるなら、決めるしかない。
「答えを出さないという手もあるんだぞ」
 俺はマオにささやく。真実が、いつだって幸福とは限らない。知らない現実の方が、本当は自分にとって優しい世界であることだってある。
 いや、多分その方が多いんだろう。何も知らなければ、都合のいい憶測で自分をごまかせるのだから。
 自分は本当はもっとやれるはずだ。世界はもっと幸福やチャンスに満ちているはずだ。
 …………そんなはずなど、ないのに。
「それでも、何も知らないよりは、ずっといいと……」
 目を伏せた俺にか細い声が届く。
「生まれた意味も、生きた意味もわからないまま……よりは、ずっと……」
「強いな」
 俺は逃げ続けて、そんな意味もわからぬままこの世界へ来てしまった。
 マオは緩く首をふった。
「強くなんてないです。あなたたちが来なければ、私はその日が来るまで、一歩も動けませんでしたから」
 そう。そこが問題なんだ。
 神が振ったサイコロ。その目が俺たち。それは、ある種完成された世界のシステムを狂わせる歪んだ歯車かもしれない。
 目が吉と出るか凶と出るか……。
 俺は見上げる。
 宮殿。
その建物は、そう形容するしかなかった。西洋式で、王侯貴族が大枚はたいて建造させるような、ご立派な建築物。
「ワオ。今日はここに泊まれるのか」
「かもな」
「なーるほど。だから来たのか」
 都合のいいように解釈してる間抜けの誤解をそのままに、俺たちはこれまたご立派な扉の前に立った。
 俺とマオに緊張が走る。ここから先は敵の根城なのかもしれない。残酷な現実を目の当たりにするかもしれない。否が応にも足が重くなる。
「あー、よかった。アーシお風呂入りたかったんだよね」
 その横を馬鹿が無遠慮に通り過ぎ、扉を開けた。
「お風呂! お風呂!」
 るんるんスキップをしていた馬鹿は、案の定エントランスホールにいた衛兵に取り押さえられた。
「あにすんのよ! アーシは客よ! クレーム入れるわよ! 低評価レビューしてやる!」
 …………シリアスな空気だったのに。
「チェックイン! チェックイン!」
 馬鹿が謎の呪文を唱えてる。どうしよう。こいつ置いてマオ連れて逃げようかな。連れだと思われるのは恥だ。
「ルームキーをよこせぇぇぇぇぇぇええ」
「やれやれ。何事ですか」
 奥のこれまたご立派な無駄に歪曲してる階段から総教皇が降りてきた。すると衛兵とマオが一斉に跪いた。
「オウ、オヤジ! 泊めさせろ!」
 ラーメン感覚で宿泊を要求してる薄汚いギャルに何を思ったのか、総教皇は眉をひそめた。
「その身なりは……」
「サイコーにイケてるファッションだろ? なにジロジロ見てんだよ痴漢で訴えんぞ」
「…………」
 イカン。このままこいつに場を任せたらおかしな方向に物語が進む。しかたがないので俺は口を開く。
「総教皇様、謁見しに来ました」
「無礼者!」
 衛兵の誰かに咎められた。まあまあ、と総教皇が制止。
「しかし参りましたね。多忙というのもありますが、物事には順序というものが」
 体のいい、わかりやすい断りの文句に、俺は追撃。
「最優先の案件だと思いますよ。とりあえず、他言無用レベルの」
 俺は扉の影に隠れていたマオの手を引く。すると彼女を視界に入れた総教皇の顔が硬直した。
「…………なるほど」
 総教皇はくるりと背を向けた。
「彼らを私の部屋へ案内してください」
「あ? 風呂に案内しろや」
「貴様……!」
 また取り押さえられそうになるミツルを見ることもなく、
「構いません。そうしてもらいなさい。部屋も研修区画が空いているでしょう。好きに使わせなさい」
 深々と頭を垂れてから、衛兵たちはギャルを連行していった。そのまま帰ってこなくていいぞ。
「なんとかお目通り願えたな」
 握った手を放そうとしたが、離れない。逆に手を強く握られた。
「私のそばにいてください」
 まあいいけどさ。
 女子と手をつないだの小学校以来か?
 衛兵に前後左右固められて俺とマオは高そうな絨毯の敷かれた廊下を歩く。これは護衛というより、逃走防止だろう。ここで俺たちに逃げられたら、連れてこいと言った総教皇のお達しをミスることになるわけだし。
「誰か知り合いいないの?」
「総教皇猊下としか面識はありません」
「そっか」
 期待はしていないが、やっぱり孤立無援か。なんかあってもこの人数は相手にできんから平和的に解決したいが……。
 通された部屋は、そこそこのワンルームといった広さだ。多分部屋をいくつも分けて作って、用途別に使っているんだろう。
「おうふ」
 腰かけたソファーとんでもなく柔らかくて、体が飲み込まれるようだ。こりゃ高級品だな。
 応接用に置かれたソファーだけじゃなく、ほかの調度類も高級そうだ。あの壁に飾ってある紫の槍なんてなんか霊験あらたかっていうか、すげえ美術品っぽい。
「あれってさ」
 気になるものが目に入った俺は、それを空いた手で指さす。俺のもう片方の手を捕まえているマオがそれを見る。
「知ってるか?」
「あの絵……図ですか?」
「そうそう」
 壁に貼られている一枚の大きな紙。そこに描かれているのはグラフのようであった。中央に数字……目盛りがあって、それを挟んでいくつもの棒グラフが横に伸びている。
「いえ……」
「そうか。あれはだな」
 話すこともなかったし教えるか。
「人口ピラミッドっていうんだ」
「ピラミッド……?」と首をかしげるマオをそのままに、
「まず真ん中の縦に並んでいる数が歳を示す。その横の棒は男と女で分けた数だ」
「つまり年齢別と男女別に人口比を図式化したものでしょうか」
「そゆこと」
 すげえ。もう理解している。どっかのビリギャルなら説明にあと数ページは使うぞ。
「たとえばだ。この図は綺麗な△だけど、これが真ん中が飛び出て◇になっていると」
「中間の……中年の方々が過剰になります」
「そう。なんらかの原因でおっさんおばさんだけが生き残って多くなってる。この状態が数十年後になると」
「頂点……高齢の方々が過剰になり、▽の形状になります」
「つまりジジババが大多数になるわけだ。これを超高齢社会という」
「若い人よりお年寄りが圧倒的になるわけですね」
「そうなると働くどころか世話される層に対して、現役で働き支える層がまったく釣り合わないわけだ」
「ですが実際はお年寄りはそこまで多くは生きられないですし、それに比べて子供はどんどん生まれてくるんですから、そうはなりませんよね」
「どっこいそれが起きちまうんだ」
 マオの考えは至極まっとうなのだが、現実はラノベより奇なりなのだ。
「少子化といってな、晩婚化・未婚化やら経済的不安やら育児の負担増で子供を作る層が子供を作らなくなる」
「なるほど」
 マオは一度うなずいてから、
「ですが老人ばかりになっても面倒を見る層がそれに対して不足していれば、自然と元の△に戻るのではないでしょうか」
 そう、普通なら自然淘汰によりダウンサイジングが起こる。圧倒的多数の老人が減り、少数の現役層でもカバーできる数に落ち着く。まったくもって百点満点の回答だ。
 しかし現実はそうはならない。
 ならなかったんだ。
「もし、寿命が延びる魔法があったとしたら? もっとも、あくまで延命するだけで、機能回復や病気療養とは無縁の魔法だ」
「多数の上位層が間延びして減少せずそのままになるのではないかと。いえ、それだけではありませんね。今度は中間層までお年寄りになっていきます」
「そのとおり」
「そんな歪な社会ありえるんですか? いろいろと無理があるような」
「それがありえるのですよ」
 答えようとした俺より早く答える声。
「いえ、今となってはありえたと言うべきでしょうか」
 後ろ手に扉を閉めた総教皇は、自身のたいそうご立派な椅子に腰かけた。俺たちと彼の間にあるのは、これまたご立派な執務机だけ。直視するのがつらいのか、マオは顔を伏せた。
「先の大戦の反省から産まれた人権主義・福祉国家。それはたしかに当初は素晴らしき理想であったのでしょう。万民の平等・健康・幸福……そのために社会は無尽蔵の命を求めた。より多く、より長く……」
 総教皇の目は、遠き――――本当に遠き過去を見つめているようだった。
「しかしそれは国家を腐敗させる猛毒でした。行き過ぎた保障や医療は民を肥え太らせ、やがて自らの国まで食い尽くすようになりました。若きは生き、老いは死ぬ。その原則から外れた末路は」
「滅び」
 正直口にして認めたくなかったが、そういうことだ。
「やはりあなたとあの少女は、かの世界から来ましたか」
「ひょっとして泳がされてましたか?」
 わざわざ目立つように、この世界の住人が知り得ない人口ピラミッドを貼っていれば、嫌でも気になる。そこからべらべら話していれば察しはつく。まあ、ギャルがウロチョロしてるの見ればもうほとんどわかっただろうし、これは詰めの答え合わせだろうが。
「それとなくかまをかけるつもりでしたよ。腹芸は得意でしてね。もっとも、あの表は小道具ではなく私の日課です。毎日更新しているわけです」
 すっ、と総教皇が人口ピラミッドに向かって手をかざす。すると棒グラフがわずかに動いた。術者の魔力に反応して変動するとかそういうやつだろう。信者にマイナンバーつけてるのも正確な人数の変動を把握するためか。これが追えない異教徒は文字通り人間扱いしてないわけだ。
「この素晴らしい富士山を眺めるのが楽しみでしてね。これこそ国家のあるべき姿です」
「だから徹底して医学薬学を禁止したわけですか」
 こちらも答え合わせといこうか。
「ええ。いたずらな延命など誰のためにもなりません。民にも国にも」
 ポーションや治療魔法に制限をかけたのはそのため。
「政治家から宗教家に転身とはずいぶん思い切りましたね――――日ノ本鎮さん」
「民主主義の国家元首は色々と不都合が多かったですからね。かといって独裁政権も煩わしいクーデターがついて回ります。自然宗教に偽装して民衆を掌握する手法が最適だったんですよ」
 自分が転生者だと――かつての内閣総理大臣だと隠す気はないらしい。まあ、そんな情報を俺に開示したところでなんの不利益もないと計算済みだろうが。
「しかし、それでもこんな見事な富士山は描けないでしょう」
 俺は見事な富士山型のグラフを見上げる。
「それだけじゃね」
 治療に制限をかけただけではここまではっきりした形にはならない。神の見えざる手なんてありはしない。どうやったって、人間がやることには誤差や異常がでる。どんなに崇高な制度や思想でも、それを人間の意思や流行に一任すれば、やがて変質し破綻する。
 それを防ぐためには――――
「こちらはご存知ですか?」
 割と痛いところをついたつもりだが、総教皇はなんのことはないといった具合で、俺たちが座るソファーの前にあるテーブルの上に何かを召喚した。
 球体のガラスである。
 大きさはバスケットボールくらい。中身は空洞になっており、水と土と草と魚が入っている。
「水槽……アクアリウムですか?」
「正しくはパーフェクトアクアリウムと呼びます。私の趣味です」
 いやそこまでディープなのは知らんし。
「でも穴もないのにどうやって餌を入れるんですか? あと空気も入れるんですよね」
 あのブクブクするやつ。
「必要ないのですよ」
 総教皇は楽しそうに語る。趣味を他人に紹介するとき特有のやつ。
「魚は草を食べ、草は土が育て、土は魚で肥える。二酸化炭素・酸素・窒素の循環はバランスがとれ、コントロールされている。完成された世界です」
 まさにパーフェクトってか。
「でも……」
「ええ、それでも制御できないものがあります」
 俺の批判を先読みするあたりはさすがといったところか。
「魚……生命だけは自然に任せることはできない」
 たとえば病気にかかったり、たとえば繁殖しすぎたり……そういったイレギュラーには対応できない。魚が死に絶えれば、土に栄養は回らず草は先細った末に――。
 滅亡。
 俺たちのいた世界と同じ結末だ。
「世界のミニチュアとはよくいったもので、この水槽は社会そのものなのです。見えざる手など存在せず、バランスを崩しコントロールを失えば立ち直る術はありません」
 リアリティというか、重さ苦しさのある言葉だった。多分、そういう現実に直面した経験がとんでもないくらいあるんだろうな。質としても量としても。
「だから神が必要なのです」
 俺は少し目を閉じた。どうやらここが本題らしい。
「弱った個体は排除し、増えた数量は調整する。象徴ではない、生命を統治する神が必要なのです」
 ――――『この二人、周辺の村々の井戸に猛毒を混入させ、犠牲者多数! また、魔族とも手引し――』
 ああ、やっぱりか。
 とうとうからくりが読めた。どうしてこの人が宗教を作り、民衆を導いているのか。
 すべては前の世界での反省。前の世界じゃうまくいかなかったから――うまくいく方法は誰にでも浮かぶにも関わらず、実行できなかったから。
「マオ」
 俺がぽつり。
 握った手がわずかに揺れる。
「あの裁判所で処刑されたやつに、悪いやつなんていなかったのかもな」
「どうして」
 知っているのか、わかるのか。それが聞きたいであろう彼女に、確信に変わった推測を告げる。
「まず目の前のお人は耳当たりのいい教えをばらまいて宗教を作った。これがトモノヒ教。教団が作れるくらいの人数と影響を持ってから、次に裁判や政治を支配した。教義による裁きと、教徒じゃなければ使えない施設の数々だな。あとは既成事実と国家による黙認があれば完成だ。
異教徒は迫害し、都合の悪い事実は教団により隠蔽される」
 総教皇はまるで生徒が模範解答を導き出したのを眺める教師のようだった。
「たとえば、とある村を滅ぼした罪を従順な教徒がやったことにして処刑させる、とかな」
「どうして」
 そんなことをするのか、そんなことができるのか。彼女はそう聞きたいのだろうが、俺が答えることじゃない。答え合わせは生徒間ではなく、教師が示すものだ。
「昔、とある村に疫病が蔓延しました。原因解明はさておき、すぐに対処しなければ、それは他の村や都市にまで伝染し、生命はもちろん経済にも深刻な影響をおよぼします。治療法や後遺症の確立のために、いくつかのサンプルは確保するかもしれませんが、だいたいはその場で殺処分が最適解です」
 しかし、と総教皇は目を細めた。
「だからといって軍を動かし村を滅ぼせば、民衆は反感でもって批難します。民のためを思ってしても、どの面さげてか、民は正論を言った気で政府を批難します。結果、政府は後手に回るしかない。民主主義であれば尚更です」
 経験者は語る。
「いわゆる汚れ役が必要なのです。最適解でありながら人道的に不可能であれば、必要悪を代行者にするしかない」
「要するにトカゲの尻尾切りでは?」
 俺の嫌味はそのままに、
「その村は滅菌のため教団が滅ぼしました。何も知らない民は問います。『誰がやったのか』『何があったのか』そこで教団は真実として『異教徒が井戸に毒を入れました』『無法者が魔族と通じ襲わせました』と公言し、処罰します。こうして教団は正義の象徴となり、民衆の安寧は維持されました」
 めでたしめでたし、ってか。
「お……父も母も、お祈りは欠かしたことがありませんでした。毎日、平和と幸福を神に願って」
「模範的な信徒です。素晴らしい」
「それなのにどうして殺したんですか」
 俺はマオから目をそらした。今にも涙がこぼれそうな、悲痛な表情だった。
「特に消えてもらっても困りませんでしたかね」
 にこにこと、まるで思い出話を聞かせる風に総教皇は答えた。
「…………それだけなんですか」
「たとえば優秀な要職者を生贄にするとなると、その関係者からの反発が面倒です。後釜の育成や段取りも大変です。そういう余計な手間をかけることもないでしょう」
 違和感。
 俺はこのあたりから、総教皇にそんな印象があった。言ってることは至極まっとうだ。理にかなっている。だが、どうにも引っかかりがあって、気になって仕方がない。
「最大多数の最大幸福。多数の幸福のための行為は正義です。私は無意味な殺人は肯定しません。そうすることで、万民が救われるなら、私はその行為の実行に躊躇はありません。では問いますが、疫病が蔓延すれば、あなたは満足だったんですか? 失業者や重症者に向かって、『自分の家族が死なずに済んだんだからこれでよかったんだ』と、そう言いたかったんですか?」
「自分の家族が生贄にされても、そんなことが言えるんですか?」
「言えますよ」
 俺の言葉に、即座に断言した。
「妻であろうが子であろうが、その役回りが来たなら、ただ実行するのみです」
 その眼光・声色から、政治家特有の舌先三寸ではない、それは確かな本心だと俺は受け取った。
 この人は本気でそう思ってるのだ。
「単純な引き算ですよ。一人の犠牲で百万の民が救われるなら安いものです。百万の命に勝る個などありません」
「なるほど」
 そして同時に俺は確信した。
「実に単純な引き算だ」
 この人はもう、人ではないのだろう。
「あなたにはもう、そうとしか見えないんですね」
 最初は、理想の国を作るために邁進したのだろう。その過程は、苦労の連続は、大変だったろうが充実していたに違いない。しかし、それを果たした今となっては、もはや前へ進むしるべなどない。完成された国家を維持するだけの歯車になってしまった。
 違和感の正体はこれだ。
 この人はもはや、人間性など捨てている。自らが作り上げ、完成させた理想の国家の奴隷になり果てた。
 人間すべてが一つの駒という数字にしか映らない、完成されたシステムが作り出した化け物。
 ようやく総教皇の実像が見えた。
「あなたは間違っている……という言葉も、もう届かないんでしょうね」
「私は何一つ間違ってなどいません。間違った世界を正した私に、そんなものは存在しません」
「父と母は」
 震えた声に俺は目を伏せた。完全な部外者である俺だから、ここまで冷静に分析できたのだ。それを規範だと信じ込まされて生きてきた彼女の心境は察するだけでも憂鬱だ。
「父と母の命は、間違いだったんですか?」
 ここで目の前の男が涙ながらに否定なり謝罪なりすれば、まだマシだったのだろう。しかし、そうはならない。
「社会的にはそうなるんじゃないですか? 処刑されているわけですし」
 はたして、総教皇は物分かりの悪い生徒でも見るような目で、そう言った。
「あなた自身は……どう思っているんですか」
 そんな答えじゃ納得できない。問いかけを止めない気持ちはわかるが、その先の答えは。
「どうもこうも。人口比から考えれば誤差ですよ。良いも悪いもありません」
 少女の両親の命を無残に奪い、少女に直接咎められても彼はまったく顔色を変えなかった。雑草でもむしり取ったような感覚で、あっさりと突き放した。
 繋いでいた手が離れる。
 マオは飛び出すように部屋を出ていった。
「いやはや。与えられた役割も満足に果たせず、ただ傷つきに来るとは愚かですね」
 ため息まじりの声に俺は憤りより哀れを覚えた。
「『勇者』というのも与えられた役割というやつですかい?」
「わかりやすいでしょう? 諸悪の根源である『魔王』を教団の象徴である『勇者』が討伐する。かくして世界は平和になる。使い古されたがゆえにわかりやすい構図です。ありふれるほどに受け入れられている物語です」
 あのパレードで祭り上げられてた勇者もしょせんは駒か。どこかにいる魔王も不憫なことだ。典型的なマッチポンプの道具にされている。どこまでいってもプロレスだ。
「一定周期でやっているんですよ。これが民衆の支持を集めるのになかなかの効果を発揮しておりまして」
「なるほど」
 さてと、散っていった涙を拾い集めるとしようか。
 俺は立ち上がり、
「俺はあんたの方がよほど魔王に見えますぜ」
 それだけ残してマオを追った。

 ――――もう十年近く前になる。
 その日は父に連れられて、とある式典に出席していた。出席といっても、子供の役割など親世代の話のタネになるくらいのもので、一通り挨拶を済ませると、大人たちは自分たちの会話に終始する。自然、子供は退屈しのぎに会場を散策することになる。
 彼女との出会いは、そういう経緯であった。
 式典の会場となった屋敷の中庭、見事な花園に彼女はいた。蝶と花と戯れる姿は、それ自体が高名な絵画を彷彿とさせた。
 自分と同じ年頃の少女と目が合い、どちらともなく挨拶をした。
 細かく何を話したかは覚えていない。ほとんどは他愛のない内容だっただろう。それでも、それがとても楽しい思い出であったと、頭には残っている。
 たしかな記憶としてある内容は――――
 彼女はお姫様になりたいと言っていた。憧れていたのだろう。
 自分は父のような立派な勇者になりたいと言った。憧れだ。
 自分の夢を彼女は応援してくれた。そんな彼女を――――お姫様になった彼女を助けられるような勇者になりたい。そう願い、誓ったことは今でも心に刻まれている。
 それが自分の原体験、勇者としての出発点なのだろう。
 最近よくそう思う。
「バロンー」
 呼ばれ、俺は手入れをしていた剣から顔を上げる。
「どうした」
「今日使ってないのに手入れしてんの?」
 部屋に入ってきた魔法使いの少女に俺は不思議がる。
「そうだったか?」
「そうだよ」
 キュラスの言葉に今日を追想する。そういえば教団からの招集でトルカに到着して以来、これといった戦闘も訓練もしていない。
「そうだったな」
「でしょ?」
 俺は緑に輝く剣を鞘に納める。
「大切なものだからな。毎日の手入れくらい大目に見てくれ」
「別にいいけどさー」
父から託された剣だ。肌身離さず、使えばすぐにメンテナンスは当たり前。自分を勇者たらしめる、自分が勇者であることの証明。
父のような立派な勇者に。
この剣に恥じぬような勇者として。
そう思ってずっと、歩んできた。
「ズガンヅは」
「風呂」
「そうか」
 あてがわれた部屋の窓から外を見る。この個室もそうだが、教団直属ゆえに、ここの大浴場も使い放題だ。旅では湯浴みすら困難な方が多い。存分に羽を伸ばすといいだろう。
「アタシと一緒に入らない?」
「遠慮しておく」
「えー」
 不満そうなキュラスの声を背に、月明かりが差す夜を眺める。教団本部は敷地内に森や湖もあって自然豊かだ。
 ヘヴィファイターのズガンヅ、アークビショップのキュラス。
 二人と共に旅をして久しい。
 教会からの派遣ではなく、教団への忠誠でもなく、あくまで自主的に自分の供となってくれた。数々の困難も、この二人の支援なしでは克服できなかっただろう。かけがえのない仲間。ありきたりだが、そういう二人だ。
「そろそろ世継ぎ欲しくない?」
「生憎と、まだいい」
「あっそ」
 ……たまに距離感をはかりかねるが。
「しっかし今日のバロンはカッコよかったよ。みんなにキャーキャー言われてさ」
「『勇者』らしかったか?」
「もうザ・勇者だよ」
 世辞でも嬉しい言葉だ。形だけでもなりたい自分になれたのだから。
 あの少女は、今なにをしているのだろうか。
 彼女の思い描くお姫様になれただろうか。
「あれは」
「え?」
 窓の下、庭で誰かが走っている。教団本部から誰かが飛び出したのだ。
「あ、ほんとだ」
 キュラスも窓をのぞき込む。
「あの子泣いてない?」
 長い髪を振り乱し、月の光に照らされた女。歳は俺と同じ―――――
「って、ちょっと!」
 後ろから飛んでくるキュラスの驚きはそのままに、俺もまた教団本部を飛び出すために走り出した。
 その女性は、たしかにあのときの少女だった。
 あのとき――彼女を守る勇者になると誓ったときの姿から、より大きく美しく成長していた。
 教団本部から出る際、一度見失ったが、すぐに見つけた。月を水面に映す湖のそばで、うずくまっている。
 その場に行こうとした足を頭が止めた。
 なんと声をかけようか。
 自分が正真正銘の勇者となったことは報告したい。誇りたい。しかし、いきなりそんなことを話して、はたして彼女は受け入れるだろうか。自分のことがわかる保証はない。それに、彼女が本人である保証もまだない。他人の空似であったらとんだ赤恥だ。喜び勇んで話しかけて空回るのは避けたい。
 最初に自己紹介をして、彼女の確認をとって、それから……。
「なんなのよもう」
 懊悩していると、キュラスの声と姿が追いついた。
「あの子知り合い?」
「十年前に一度会ったきりだ」
「それ知り合いですらないでしょ」
「やはりか」
 と、俺が振り返っているうちに状況が変わった。
 一人の男が彼女に駆け寄っていた。
 男は肩で息をして、彼女に何やら語り掛けている。すると彼女は立ち上がり、男の肩に頭をあずけた。そのまま細い腕で男の胸を繰り返し叩く。
 男はどうしていいのかしばらく悩んだようだが、やがて彼女の頭に手を置いて、その長い髪を撫でた。
「あらら。お熱いことで」
 キュラスの言葉が左耳から右耳へ流れていく。
「ねぇ、戻りましょ」
 意識と肉体が嚙み合わない感覚だった。目の前の光景に理解と行動が追いつかない。今何が起きている? 俺は何をすればいい?
「ここで割り込むのも、見ているのも野暮よ」
「……ああ」
 ほとんど意識せず彼女へ伸ばしていた手を引っ込めて、もと来た道を歩き出す。
「初恋だったの?」
 エントランスホールまで来て、キュラスが尋ねた。
「恋であるかはわからない」
 本心だ。
「どちらかというと、夢だな」
 厳密に言うならば、勇者になるという夢――それを支える柱のようなものだった。明確な目標とでも換言できるだろうか。彼女を守れる強さが身に付けば、それは勇者として及第点と言える。
『待てやゴラァ!』
『グワハハハハ!』
 廊下にて、頭のおかしい――おかしい頭をした女にズガンヅが追われていたが、構う気にはなれなかったので捨て置く。
『なにしれっと女湯入ってきてんだエロオヤジ!』
『女湯だぁ? 風呂に男も女もあるかい。裸の付き合いだぁ』
『ブッ潰す!』
 女の持つ鉄の棒のようなものは廊下に飾られている壺や絵を容赦なく粉砕しているが、ズガンヅはうまく避けている。頑丈が取り柄の男だ。頭部に会心の一撃でももらわない限りは大丈夫だろう。
「今日はもう休め」
 俺にあてがわれた部屋の扉を開けると、キュラスは唇を尖らせた。
「一緒にどう?」
「生憎と、一人にしてくれ」
 そう言い残し、俺は扉を閉じた。

 あのあとは本当に――――本当に大変だった。
 俺は泣きじゃくるマオをなんとか見つけてなんとかなだめて、ようやく一段落したと思ったら、今度はフーフー猛獣みたいにキレ散らかしたミツルをどうどうと落ち着かせなければならなかった。どうもトモノヒ教では混浴がデフォらしい。なんてすばらしい。さすが俺たちの総理大臣だぜ。
 とりあえず二人を別々の部屋にしておくのも心配だったので、同じ部屋に押し込んで俺は自分の部屋のベッドに転がった。あー疲れた。
 ごろごろ。
 ごろごろ。
 ごろごろ。
 ぴたっ。
 俺は転がっていた体を止める。
 身も心も緩むと腹が減るのはなぜだろう。
 そういえばトルカに来てから何も食べていない。
 しかたない。ルームサービスでも頼もう。俺はベッドからひょいっと立ち上がる。ルームサービスはなくても食堂くらいはあるだろう。
そこでふと、窓の外が目に入る。
「そういや祭りの夜だったな」
 眼下で広がる夜店の群れに、俺は飛び込むことにした。
パレードというのは、言うならば祭りだ。現地民だけじゃなく、余所者もいっぱい来ることであろう。自然、それを目当てに露店が発生する。
「この世界にもテキ屋がいるんかねえ」
 しみじみと呟きつつ、俺は夜道を歩く。一連の騒動で総教皇からお触れがあったらしく、外出しても特に門番には何も言われなかった。顔パスだ。
「お?」
 祭りに繰り出すためか、はたまた商売にならないためか、続々と店じまいする商店街の一角の店の前に、見慣れたものが立てかけてあった。
「ああ、それな」
 懐かしがっていた俺に気づいた店主が片づけをしていた手を止め、こちらを見ていた。
「文字通り掘り出し物で、高値で売れるかもと期待したんだが、異端技術だって鑑定されてな。店にも置いておけないんで捨てちまうんだ」
「それはまた」
「悪いけど捨ててきてくれないか。駄賃やるから」
 断る理由もないので、了承する。
 俺はそれを拾い上げ、チップを受け取った。
「持ってるだけでもどんな因縁つけられるかわかったもんじゃないからな。厄介払いできて助かったよ」
「いえいえ」
 俺は小銭を懐に、細長いそれをくるくる回した。先端にかぎ爪のついた鉄の棒。釣り針を大きくしたような形。何度か見たことはあるが、実際に手にするのは初めてだ。
「ところでこれどういうつもりで仕入れたんですか?」
「え? 鈍器だろ?」
「あたらずといえども遠からずですな」
「?」
 首を傾げる店主に別れを告げ、俺は祭りの会場へ歩を進めた。
到着した俺を迎えた光景に、妙な懐かしさを覚えた。本当に祭りの日の屋台みたいだ。まあ前世じゃ金もなくて価格設定も強気だったからロクに食っちゃいなかったけど。
 パレードで使ったメインストリートがそのまま露店に使われていた。両端には屋台が、中央にはイートインスペースとしてテーブルと椅子が並べられている。卓上にはパンフレットが置いてあり、どこで何が買えるか書いてあった。
「はてさて」
 どっかり腰を下ろし冊子を開く。苦悩と躊躇でうろうろした視線がメニュー表を下に滑り、視界に見知った赤色が乱入した。
「…………」
 なんか行く先でよく会うな。
 相変わらずの腰まで届くツインテールを揺らし、少女は俺を見上げた。
 俺は指先に火を灯す。すると向こうも指先を発火。
 俺が自分の火のついた指を相手に向けると、合わせてきた。
 お互いの火の玉がくっつき合わさり、一つの炎となった。
 ト・モ・ダ・チ。
 謎のコミュニケーションを済ませた俺はメニュー表に視線を戻す。
「…………」
眠そうな目は依然として俺を見ている。なんだろうか。△の口は何も言わない。
メニューでも見たいのだろうか。
「ここに載っているものを店で頼んでここで食うのさ」
 軽い説明して渡す。まあ他の席にもメニューはあるし。
 何を思ったのかは知らんが、少女は冊子を抱えて走っていった。夜店目当てに来たのだろうが、付き添いの親はいないのだろうか。ひょっとして迷子だろうか。迷子センターなんてあるのかな。
 うーむ、と唸っていると、少女が戻ってきた。その小さな手には屋台で買ったであろう食べ物がいっぱいだった。それを置いたと思ったら走っていき、またそんな感じで戻ってきた。それを数往復。
 なんかの野菜と肉を焼いた串焼き、焼きもろこし(本当にトウモロコシかは定かではない)、飴っぽいの、お好み焼きとたこ焼きのあいの子のようなの。
 とりあえず、いかにも縁日ですといった風情のフードがテーブルを埋め尽くした。
 これはひょっとして、恩返しというやつでは。
 俺は直感した。今朝ご飯をおごったからな。一飯の恩を返したいのかもしれない。いやー情けは人の為ならずとはいうが。
 うんうんうなずく俺は、席についた少女に微笑む。
「それじゃ食べようか」
 その言葉を待っていたとばかりに少女はがっつく。相変わらず凄まじき食いっぷりだ。この体のどこにそんなキャパがあるのか。おっと、見てるばかりでは腹は膨れん。俺もひとつ……。
 うまい! うまい! うまい!
 働かずに食うタダ飯のなんと美味いことか。相変わらず味覚的にはお粗末なものだが、精神的には満たされる。
「うまいかい、あんちゃん」
「うまい!」
 背後からの声にそのままで応じた。ここで正直に「あんまりうまくないですね!」なんて言ったら無粋だ。おごってくれた少女に失礼ではないか。
「そうかい、それはよかった」
 そのときになって俺は振り返った。さて、改めて状況を説明すると、人混みでガヤガヤやってる縁日の中である。何が言いたいかと言うと、俺の背後に強面のオジサンたちがずらりと並んでいることに、ようやく気付いたのだ。
「お代」
 人を殴り倒すのなんて日常茶飯事さ、みたいな手がいっぱい差し出される。いやしかし、人となりってのは手に表れるってのはほんとだね。どう見ても荒くれそのものだもん、この人たち。
 話を聞くと、少女は支払いは後で俺がするから、先に飯だけくれとのたまったそうだ。大量注文だけに、扱う金も多いから、店としても他の客をさばいてからの方が都合がいいと了承。そして客の流れも落ち着いてきたから金を改めてもらいに来たと……。
 あれ? これ俺タカられてね?
 当の少女はどこ吹く風で黙々と貪り食っている。
 まあ、知らぬとはいえ俺も食っちまったし……知らぬとはいえ……。
 俺はしぶしぶ懐から所持金を取り出し、店主たちから金額を聞いて、
 青ざめた。
 まったく全然これっぽちも――
 足りてましぇーん。
 思えば最初の街以外金策もなくずっと使ってただけだからな。旅館か。旅館なのかな。あそこでケチっておけば払えたんじゃ……。
 これはイベントバトルか。いや逃げよう。こんな数のヤバそうなオッサンたち相手にできるか。
「? お代……」
「まだ子供が食べてるでしょうが!」
 一喝して時間を稼ぐ。しかしどうするかな。
『選任勇者直々に夜間巡回とは頭が下がります』
『眠れなくてな』
 俺が頭と目をぐるぐるさせていると、なんか聞いたことある声が耳に入ってきた。チラ見すると、少し離れたところにさっき案内してくれた警備兵とさっき見せ物になっていた勇者がおった。
 キュピピピーン。
 俺に電流走る……! 起死回生奇策の一手……!
「あの勇者が払います」
 俺は指さした。
「あいつ俺のマブダチなんすよ。もう、俺のためなら命も投げ出すような仲なんですよ」
 オッサンたちは一斉に勇者を見て、首を戻して一言。
『うそつけ』
「いやいや。マジ。神に誓って。あいつと俺の間には切っても切れない縁が。俺たちの絆は誰にも切れない」
『うそつけ』
「彼の言っていることは真実です」
 するとオッサンの群れの横合いから一人のインテリっぽいのが来た。
「あんたは近所の神父様じゃねえか」
 オッサンの一人の説明台詞。
「彼は『神に誓って』と言いました。これはトモノヒ教徒の真実の呪文です。この呪文を詠唱以後、虚偽と自覚していた事実を発言した場合、激痛や錯乱といった症状が発生します。しかし、彼には何の異変もない。つまり、彼の話は真です」
『そういえばそうだな』とオッサンたちはうなずく。マジかよやべえな、あの糞宗教。そういえば神様に見せられた裁判でもそんなフレーズあったな。ただ、あんな拷問されまくったあとじゃ異常なんてぱっと見わからんし、そもそも処刑前に破門されてる可能性だってある。それでも民衆はそれが真実だと信じて疑わないんだろうな。おめでたいことだ。
「通常は裁判限定の呪文ですが、日常生活でも適用されますからね。間違いないでしょう」
 神父様は太鼓判をおしてくださった。言うまでもなく、俺はトモノヒ教じゃないのでそんな糞みてェな呪いは効いてない。
 騙された店主たちは俺から勇者へロックオン先を移す。
『神父様がそう言うならそうなんだろう』
『ここでグダグダやっても商売あがったりだしな』
『みんな請求書は持ったな! 行くぞォ!』
 ドドドドドドドドド。地鳴りでもするような重さと速さで店主たちは勇者に突撃していった。
「神父、あんた最高だよ」
「いえいえ。聖職者として当然の行いをしたまでですよ」
 俺が指で弾いたチップを彼は受け取った。さっきもらった駄賃をプレゼントである。
「さてと」
 俺は袋で自分の分け前を包む。それから――――
「食え! 今のうちに食えるだけ食っとけ!」
 俺の応援に少女はターボがかかったのか、手をさらに高速で動かし吸い込むように残りの食い物を腹に収めていく。●―ビィかこいつは。
「よし、ずらかるぞ」
 テーブルの食い散らかしたのをそのままに、俺は右腕に少女を左腕に食い物が入った袋を抱えて走り出した。
 オッサンの取り立てに囲まれてる勇者を尻目に、俺は雑踏に飛び込んだ、あとはこのまま姿をくらませば万事丸く収まるってもんよ。
「って、あれ?」
 人の波に流されていると、いつの間にかあの子がいなくなっていた。キョロキョロ見ても見つからん。まあいいか。親のところにでも戻ったんだろう。どっちにしてもこのままお持ち帰りしたら俺が捕まるし。
「ただいま」
 教団本部に戻った俺はマオとミツルを押し込めた部屋の扉を開いた。うわっ、空気重っ。明かりくらいつければいいのに。
 薄暗い部屋でマオは窓を見てふさぎ込み、ミツルはイライラして時々壁ドンしてる。
「はい、それじゃミーティング始めるよ」
 備え付けのテーブルにランプと料理を並べて手をパンパン叩く。

「で、これからどーすんだよ」
 満腹になって落ち着いたのか、つまようじでシーシーしながらミツルが言う。品のカケラもない。おっさんかこいつは。
「王様に会いに行くしかないだろ」
 席にはついたが飯にはまったく手を付けていないマオを俺は見る。
「他に行くあてはないしな」
 本来は王様のいるビギンとかいう街に行くのが目的だったわけだし。当初のルート通りだ。
「本当は国王陛下に謁見し真相を究明するつもりでしたが、こうなると仔細を報告して……」
「なんとかしてもらうしかないな」
 マオは小さく首を振った。宗教をぶっ潰すのは国家権力と相場は決まっている。
「王様にチクりねぇ」
 飯食って眠くなったのか、ギャルの皮をかぶったおっさんはダルそうな伸びをする。
「それでうまくいくっての?」
「波風は立つだろうさ。あとは出たとこ勝負だ」
 正直、うまくいくとは思えない。あの総教皇が政治サイドに手を回していないはずがない。しかしマオの手前、ネガティブなことは言えんのだ。
「あのダイシキョーとかいうオヤジ倒した方が早いんじゃねえの。口先だけで弱そうじゃん」
「できるかそんなこと。この街すべて敵に回すことになる」
 総教皇本人の戦闘力は大したことがないとしても、勇者を筆頭とした教団の戦力をそのまま相手にすることになる。ただの自殺行為だ。
「そこいらのドラマと違って運良くあのオヤジだけ倒してエンドロールってわけでもないしな。実際の物語はそのあとも続くんだから」
「そういうこと。出発は夜が明けてから。こっそり行くぞ。異論はあるか?」
「え? 朝風呂」
「解散! 就寝!」
 なんか言ってるミツルをそのままに、俺は明かりを消してカーテンを閉めた。ちなみにこの部屋は大部屋にあたるらしく、ベッドは四つあった。今俺たちがいる研修区画は、誰も研修に来ていないため、全部の部屋使い放題である。さきほどゴロ寝していた個室に戻ってもいいが、
孤立したところを襲われたらたまったものじゃない。早朝に抜け出す以上、なるべく固まっていないとな。
 …………。
 …………。
 …………。
 眠れねえ。
 つうかよく考えれば、総教皇のお目こぼしがあるというだけで、いつ消されてもおかしくない立場だよな俺たちって。あんなベラベラとネタばらしするなんてどう見ても死亡フラグだよな。かといって夜逃げはリスクが高いし逃げ出すなら明るくなってからだ。あ、そういえば逃げる理由がさっき増えたな。まあ俺がやったとバレることもないか。多分。
 とりあえず今後は馬車も使えんから、徒歩でいくしかないな。あーめんどくさい。セグウェイとか発掘できんかな。最悪自転車でもいいから……。
 俺がこれからやる羽目になるであろう早朝徒歩旅行に気を重くしていると、被っている布団がめくられた。かと思えば、俺が横臥しているところを背後から抱きすくめられた。いやー。夜這いよー。
「お邪魔します」
「お邪魔されてます」
 耳元でささやくマオの声に身じろぐ。耳に唇があたってくすぐったい。推定年齢JKのあれこれが当たって柔らかい。
「男の人ってがっちりしてるんですね」
「鍛えてますから」
 鍛えてたらこんな窮地に立っていない。
 ようやく悟ったんだが、この子には男女のあれこれといった感情はないらしい。あの環境じゃそれもそうか。同年代の男子なんて未知との遭遇だろう。スキンシップに飢えているんだろうな。こらこら足を絡めるんじゃない。男は狼なのよ気をつけなさいと。狼くらい返り討ちか。俺にしたってこの子の過去が重くてそんな気にならんし。
「あれから、ずっと考えていました」
 声は相変わらず暗い。この街に来てからずっとそうだ。旅館のあたりからマオのテンションの乱高下がすごい。グラフにしたらきっとジェットコースターみたいな軌道を描いてる。
「総教皇猊下の言っていることは、正しいことだと思うんです。誰かを犠牲にして皆が生き残れるなら、その方がいいんです」
「…………」
 肯定してほしいのか、否定してほしいのか、わからなかった。お前の両親の死は無駄ではなかったと、それともそんなのおかしいと。
「でも、残された家族は割り切れないと思うんです」
 自分もそうだから、と言外の含みがあった。
「どうして家族が死ななきゃならないんだろうって、どうして他に方法はなかったんだろうって。どうして……」
 少し長い間。ややあって、重たい何かを引きずり出すように、
「どうして他の人じゃないんだろうって」
 言ってから清々したのか、それとも後悔したのか、懺悔のような声は止んだ。
「そうだな」
 代わりに俺が話すとしよう。
「赤の他人なら、それでよかったんだ」
 見ず知らずの人間がどれだけ犠牲になろうと――そりゃ建前では怒りや悲しみはするだろうが――心は痛まない。
 これが総教皇の人身御供がいつまでたってもなくならない原因であろう。いなくなっても大勢に影響のない人材を的確に犠牲としている。そこに一切の忖度や慈悲はない。これまでだって、理不尽な処刑はいくらでもあったはずだ。それを調べれば、疑問の一端にだってなったはずだ。でも皆そうはしなかった。
 規範たる宗教の判断。わかりやすい必要悪。
 そのもっともらしい流れに黙っていれば、自分の平穏と幸福は約束されているのだから。
「でもこうも考えられる」
 ここで発想を転換してみる。
「『自分が犠牲になれば家族は助けられる』、もっと言えば、『自分が犠牲になることで世界は救われる』」
 そういう自己犠牲。
「俺もマオが救われるなら、そうするかな」
「嫌ですやめてください」
 抱きしめが強くなったな。うーむこの密着感オーイエス。
「そうならないよう守護ってくれ」
 切実である。
「それで、これからどうするね」
 道筋は立てたが、マオの心のうちを知りたい。当人もしっかり悩んだようだし。
「あなたの言う通り、王都に向かうべきだと思います。それに」
 そこでようやく、マオの声がわずかに弾んだ。
「私はまだ、いいえ、もっと冒険がしたいです」
「わかった」
 本心からの言葉と受け取った。
「進むにしても戻るにしても、行きたい場所があるなら俺に言え」
 俺の胸に回っている手を握る。
「俺が手を引いてどこへだって連れて行ってやる」
 やっと定まった努力の方向性。
「どうしてそこまでしてくれるんですか?」
 その疑問はもっともだ。俺も同じ立場ならそう言う。
「そりゃあれだよ」
 他にこれといってすることもないというのもあるが、一番しっくりきてもっともらしいのは――――
「友達だからな」
 なんともありふれた陳腐な理由だが、正直そんなくらいの理由なのだ。
 初めて出来た友達。ずっと欲しくて手に入らなかったもの。
「友達が困ってるのは見過ごせないだろ?」
「よくわからないですけど」
 ごっ。俺の後ろ首に頭突きされた。さっきといい、感情が高ぶるとこういうことする癖でもあるのだろうか。なんか硬い骨みたいのがゴリゴリ当たってるんですけど。杖かこれ。
「よく眠れそうです」
 快眠は結構なことだが、ここで寝るつもりだろうか。
「とりあえず、何を拾うか何を捨てるか選び続けろ。多分それが、生きるってことなんだと思う」
 俺は身の丈に合わないものを拾おうとして――何かを捨てきれずにしくじった。何も選らばなければ傷つかないが、何も手に入らない。何かを残したまま手を伸ばせば、その手からは何かがこぼれ落ちる。
「私はもう充分すぎるくらい、欲しいものは手に入りましたよ」
 それを最後に、小さな寝息が聞こえてきた。
 さて俺も……。
 …………。
 …………。
 …………。
「アータそのクマどうしたの」
「やかましい」
 まあ寝れるわけないよねー!
 首筋に艶っぽい吐息は掛かるわ、心音が背後から直で伝わるわ、あっちこっち柔らかくて色っぽいにおいがするわ、人体各所ギンギンなんだわ。
「目が真っ赤っていうか、血走っててキモコワ」
 眠い目をこすってあくびをするミツルは俺から距離を取る。
「気にするな。それよりシーツの端とカーテンの端を結んでロープ作るぞ」
「なんで」
「窓から逃げるからだよ。あと金になりそうなものも少々いただいて」
「勇者の冒険ってやっぱ空き巣のことじゃねえの?」
 あきれた顔してるミツルをよそに、俺は窓を開けた。ああ、なんて眩しい朝日だ。まるで俺たちの前途のようではないか。

「わざわざこんな朝早くにすまなかったね」
 伝令の言う通りに総教皇猊下の部屋に向かうと、はたして部屋の主は窓の外を眺めて待っていた。
「いえ」
 結局一睡もできなかった。俺はモヤのかかった頭を覚まそうと、一度深く息を吸った。
「珍しく昨晩はたいそう騒いだようじゃないか」
「…………」
 否定しようと思ったが、その言葉は飲み込み胃に押し込んだ。まさか馬鹿正直に『何者かに無銭飲食のツケを払わされた』というわけにもいくまい。とんだ面汚しだ。
「お騒がせしたことについては謝ります」
「いやなに。今のは枕詞というか世間話だよ」
 その件の説教というわけでなければ、なんであろうか。次の任地の指定にしては早すぎる。わざわざこんな夜明け直後でなくてもよいだろう。
「私が嫌悪しているものが、何かわかるかね」
 依然として窓の外に目を向けて猊下は問うた。
「異教徒でしょうか」
「そうだね。だがもっと本質的なものだ」
「総教皇猊下のご意志に背くもの、かと」
 小さなため息が聞こえた。
「正解ということにしておこう」
 ため息をこちらもつきたいところだ。こういった謎かけは嫌いだ。
「私はね、愚者というものが大嫌いなんだ。憎悪といってもいい」
 その声にはわずかな怒りが滲んでいた。
「無能というものは、ただ能力がないものを言うのではない。能がないくせに悔いることも省みることもなく、同じ過ちをいつまでも繰り返す。こちらがどれだけ教えを説いても、どの面下げてか拒否をする。それで自滅するならいざ知らず、厚顔無恥に他人の足を引っ張る。自分は悪くないと居直って、学びもしない。真っ先に切り捨てるべき悪だ」
「おっしゃる通りかと」
「民とは、黙する羊であればいい。衆愚の考えなどあっても百害あって一利なしなのだから。黙って上に立つものに従えばいい。それで皆が幸せになれる。ただ与えられた餌を食べて肥えていれば、何の問題もない。何かを勘違いした無能が権利や個性を主張する。これはいけない」
「私にその無能を始末せよ、と」
「それは最終手段だ。ここに連れてくればいい」
 捕縛・拉致・暗殺・討伐……言い方はどうでもいい。つまりはそういうことなのだろう。それが魔物か無法者かの違いだ。今までずっと――勇者と認められてからずっとこなしてきたことだ。
「私は教団の剣として、使命を全うするのみです」
「素晴らしき心がけだ」
 そこでようやく猊下はこちらを見た。
「善行を積み上げていけば、君も御父上のような立派な勇者となれる」
 その笑みに疑いはなく、俺はただ膝を折り跪いた。
 正しさとは、教義が定めるもの。そして教義を定める人物の言葉こそが真理である。

「足いたーい」
「うるさい我慢しろ」
 そんな厚底ブーツ履いてる方が悪いのだ。
「次の街までいけば宿屋も馬車も使えますよ」
「ほんとー?」
「……きっと」
 マオの慰めにギャルはわかりやすいくらい肩を落とした。教団本部から抜け出してトルカの外まで出たはいいが、次の街につかないと今後の予定が決まらない。この道中でさえ、何事もない保証はないのだ。モンスターは出てこないらしいが……野盗とか出てこないだろうな。
「つーか直接会う必要ないじゃん。王様にメール出しなよ」
 後ろでぶつぶつ言ってる。
「めえる」
「手紙」
「なるほど」
 俺の隣を歩くマオは自身の顎に人差し指を置く。
「どう思いますか」
「望み薄だな。出し方と内容によるけど、そっくりそのまま届くとは思えない。途中で妨害くらうんじゃないか」
 検閲されて都合の悪い部分は黒塗りか、はたまた手紙そのものが闇に葬られるか。トモノヒ教の根幹すら揺るがす密告だ。不都合だと受け止められる側面というかリスクの方が強いだろう。
「王様と面識は?」
「ないと思います。少なくとも会った覚えはありません」
「そうか。ははは」
 ここまでくると笑えてくる。つまり初対面の得体の知れない少年少女が一大勢力の宗教の闇を暴いたと告発するのだ。こんなの誰が信じるというのだ。よしんば信じたとしても、立場上味方につけないではないか、こんなの。
「お。ヨユーじゃん」
「あたぼうよ」
 ミツルにへらへらして俺は自分の胸をどん、と叩く。
 つまり、なんとか王都に到着して、幸運にも王様に直接報告できて、奇跡で王制の庇護を確保してなんやかんやで教団を弾圧できればミッションコンプリートだ。
 あー笑えるの通りこして泣きてぇ。
「あ、UFO」
 そんなわけあるかと上を見上げれば、円盤かはともかく何かが二つ飛んでいるのは確かだ。
「あれは、飛竜」
「知っているのかマオ」
「竜の中でもおとなしく、乗り物として用いられる種と聞いたことがあります。乗り手の技術は必要なく、こちらの言葉や意図を理解して飛んでくれると」
 移動用のモンスターか。いいなぁ、欲しいなぁ。
 俺が羨ましく指をくわえていると、こっちに降りてきた。
「マオなんかしたか?」
 召喚魔法とかそういう系の。
「いえ、なにも」
「…………」
 エンカウントかこれ。やだなーもう。
「お、ヒッチハイクか? 乗せてってくれるんだな」
 後ろの馬鹿のポジティブシンキングはもはや芸術的である。
 こんな早朝の通行路にいるのは俺たちしかいなく、はたして二匹の飛竜は俺たちの前に着地した。近くで見ると軽トラくらいのサイズだな。
 一匹には男が一人。もう一匹には男が手綱を握り、その腰に女ががっちり手を回している。
 その竜から降りてきた三人は、見覚えがある。
 あのパレードで見た勇者御一行である。
 まずい。
「逃げるぞ」
「なんで」
「いや取り立てが」
「あ?」
 まったく状況が理解できていないミツルを置いていこうとしたら、この馬鹿が連中の前に出た。
「ちょうどよかった。次の街まで連れて行ってよ」
「あなたたちをトルカまで連行する」
 飛竜を背に、真ん中の勇者が言った。
「何言ってんのアータ。つーか、そこのオッサン昨日の」
 やべえよ、やべえよ。
「これは任意ではない。あなたたちに拒否権はない」
 もっとも、と勇者はやかましいギャルを無視して続ける。
「そちらの魔導士を引き渡すなら、残りはどうなってもいい」
 ん? 狙いはマオか? ひょっとして俺のことはバレてない? 
「あのー」
 俺は恐る恐る手を挙げる。
「変な話ー、この子だけ出頭すれば問題ないというか、この子にだけ用があるみたいな話ですかね」
「そう言っている」
 しゃあっ! 俺は心の中でガッツポーズを決める。なんだ、俺がこいつにメシ代なすりつけた件で追ってきたわけじゃないのか。
「じゃあとりあえず、顔出して挨拶だけ済ましに行くんで」
「まどろっこしいなぁ」
 勇者隣の魔法使いっぽい女の子が細長いペンのような杖で自分の肩をたたいた。
「だまって牢にぶちこまれてくれる? こっちは眠いんだからさっさと終わらせたいのよね」
「牢……?」
「要するにあんたらお尋ね者なわけ。まあしばらくは出られないんじゃないの。最悪獄中死」
「なら断る」
 マオが何か言おうと口を開いたのを尻目に、俺は言い放った。
「お前らはこのまま帰って飼い主に『見つかりませんでした』とでも報告しとけ」
「ふー」と鎧を着こんだおっさんが頭に手をやる。
「だから俺は言ったんだ。こんな通告なんてしないで上空から奇襲しろって」
「バロンー。もう戦闘不能にしちゃってから連行でいいよね」
 両サイドの二人に言われ、勇者は静かにうなずいた。
 行く道はこいつらにふさがれてる。戻れば向こうの思う壺。
 こりゃ逃げられない。
 ここで倒して進むしかない。
 手のひらを勇者に向け、空いてる手は腕にそえた。左手はそえるだけ……。
 悪いが先手必勝だ。不意打ちに近いが知ったことではない。俺が片付ける。その力が俺にはある。
 そう、俺には魔法がある。
 鎧のおっさんが勇者を遮るように前へ立とうとし、勇者が片手を上げて制した。
「――――〈ファイエル〉」
 拳大の火球が放たれる。あ、ぶっつけ本番でもうまくいった。俺ってやっぱすげえじゃん。
「届くかなーダメかなーああ、これはー」
 横風にあおられたシャボン玉みたいにフワフワ進んだそれは、魔法使いの子の実況を背に勇者の胸にたどり着こうとし――――
「残念でしたー」
 残り十数センチのところで、ふっと消えた。おしかったなー。
 だがまだ俺にはこいつがある。俺は颯爽と抜刀し突撃した。ふっ。今宵もとい今朝はこの名刀は血に飢えておる。刀のサビにしてくれよう。
「いらん」
 勇者に釘を刺され、また庇おうとしたおっさんはやれやれと肩をすくめる。
 俺はジャンプし、思い切り振りかぶる。
 ヴィクトリー斬!
 ガッ。
 ふっ、またつまらぬものを斬ってしまった……。さすがに斬る瞬間なんてグロシーンは見たくなかったので目をつぶったが、手ごたえあり。
「生憎と」
 俺はちらっと眼を開く。
「遊びに付き合ってやるいわれはない」
 俺の刃は勇者に片手で掴まれていた。ミシシッと軋む音がする。
 やがて砕けるようにボキリと折れた刀から手を離した男は、そのまま俺の顔面に裏拳をぶちこんだ。
 硬球の弾丸ライナーでも直撃したような激痛と衝撃があった。そのまま紙切れのように吹き飛んだ俺は近くの大樹に背中を打ち付けることでようやく止まった。息が苦しい。前が涙で滲む。
 勇者はとっくに俺など眼中になく、ミツルの方を見ていた。さすがの鈍感馬鹿頭でも次は自分の番と察したのか、ダルそうに両腕を上げた。何かの魔法を使う気か。勇者たちはわずかに身構える。
「こうさーん」
 それだけ言って我関せずと傍観者になっていた。俺が覚えているのは、その場面と、心配そうにこちらを見るマオだった。
 負けちまった。完膚なきまでに……。

 正しい選択だったと思う。
 牢に入った彼女から俺は目をそらす。あのまま戦えば、誰かが死んでもおかしくはなかった。彼女が素直に我々に連行されるという選択は、もっとも無難な選択であった。あの場をやり過ごせたとしても、教団から指名手配されれば生涯あらゆる組織・市街から追われる身だ。いずれ捕捉される。いたずらに消耗・疲弊するよりは、よほどいい。
 薄暗い地下には、俺と彼女しかいなかった。あの二人は二度寝だの朝食だので外れている。俺は、どちらもする気にはなれなかった。彼女に会ってから一睡もできず食べ物ものどを通らない。
彼女との会話は皆無。ここに来てから一度も口をきいていない。話すことは……あるが、切り出せない。いったい、どの面をさげて声をかければよいのか。
彼女は多分、あの旅が幸せだったんだと思う。だからこそ、自分から静かに旅を終えたのだ。これ以上仲間が傷つかぬように、これ以上思い出が損なわれないように。
俺はその幸福を奪った。彼女を守ると誓って勇者になった俺が。
「待たせてすまないね」
 俺にそれを命じ強いた者が現れた。
「いえ」
「残り二人は」
「捨て置きました」
 情けというよりは、償いに近かった。気絶と降伏で手打ちにしたのは、男の安否を気遣い回復魔法を掛けた彼女の意思を尊重した。転移魔法でこちらに戻り、飛竜を連中にくれてやったのも彼女への謝意を表したようなものだ。ズガンヅと揉めていた女に男のことを頼んだ彼女は安堵し、こちらに一切抵抗することなく従ってくれた。
「まあ、それもいいだろう。追い詰めたらどんな牙をむくかわからない」
「大した強さは感じませんでしたが」
 総教皇猊下は意味深に微笑み、俺から目をそらした。
「多かれ少なかれ、神の加護を受けたものたちです。どんな能力・武器を授かったかは、まさしく神のみぞ知る」
「つまり、猊下をもっても関知しえないと」
「ええ。この世で不確定要素ほど恐ろしいものはない。パンドラの箱など開くことなく、捨ててしまえばいい」
「そうですか」
 よくわからないたとえだが、藪蛇ということなのだろう。
「さて」
 総教皇猊下が牢の中を見る。合わせて、彼の背後から黒づくめが現れた。その黒布の隙間から腕輪が取り出される。無機質な、分厚い灰色の鉄板を丸くくりぬいたようなそれは、俺にも見覚えがあった。
「つけなさい」
 無抵抗に捧げられる細い両の腕に、それははめられた。
 魔封じの腕輪。
 魔力を吸収・阻害・封印する道具だ。修行や拘束で使用される。
「それは特別製でね、つけた瞬間に魔力は尽きるまで吸われ続け、許容量は無尽蔵。自力では解除不可能の堅牢性」
「一時的な拘束にしては厳重ですね」
 彼女がここに連れてこられた理由は聞かされていない。彼女がそこまでの大罪を犯したわけでもなかろうし、軽い尋問くらいで解放されるだろう。
「これから処刑だからね」
 気軽に、まるで今日の朝食を語るように言った。
「なぜ」
 それしか言えなかった。
「そう驚くこともないだろう。半年先の予定が前倒しになっただけだ。今日の夕方に処刑が予定されていたからね。これはちょうどいいと思ったんだ。彼女と順番を入れ替えればちょうどいいだろう?」
「それほどの大罪人だと。いったい彼女が何を」
「そういう生まれだからだよ」
 総教皇猊下の微笑みは揺るがない。
「生まれ……?」
「ふむ」
 猊下はそこで俺の疑念に感づいたのか、自身の顎を撫でた。
「君はひょっとして、今の自分の地位が自分のたゆまぬ努力の賜物だと思っているのかね」
「…………否定はしません」
「それも生まれによるものだよ」
 彼は――この世界の理は断言した。
「勇者の子供として生まれたから勇者になれた、ただそれだけのこと。誰しもそう。才能、人種、環境……ありとあらゆるものは、生まれたときすべて定められたもの。富める者から生まれた子は豊かな生を、貧しき者から生まれた子は苦しむ生を。与えられた役割を演じるだけの存在。それが人間の本質。『人は平等。努力で報われる』――――片腹痛い。努力も才能の一端だ。たまたまその才能が多いか少ないか――その誤差でしかない」
「……そこに、個人の意思は関係ないのですか」
「ない」
 断言は続く。
「願えば叶うというのは、人が見る幻。そこには意思など介在しない。あるのは不確定要素がもたらす偶発。奇跡という信仰とでも言おうか」
 話はそれまでと言わんばかりに、彼は俺に背を向けた。
「あなたにとって、命とは何なのですか」
 最後にひとつ、俺は疑問をぶつけた。
「命とは」
 総教皇猊下は数秒だけ黙って、
 それから、
「命とは、数。多いか少ないか、早いか遅いかのズレをもつ」
 背後を向けた彼は天井を見上げる。
「処刑は今日の夕方。執行者は」
 俺は耳をふさぎたくなった。この先の言葉の内容――わざわざこの話をすることの意味を理解してしまったから。
「バロン・ルメド・スーフィ・ラフォン。我らが選んだ真なる勇者。君だ」
「…………」
「自らの役割を果たしたまえ。御父上のような勇者になりたいのだろう?」
「…………」
「そのために君は、生まれてきたのだから」
 部下をともなった足音が遠のく。
 俺は、ゆっくりと彼女を見た。まるで己の動揺を映し出すように、背負った剣が揺れる。
 うつろな瞳が、諦めきった少女がいた。
 そんな目で見られるために、そんな顔を見るために、
 俺は……

 ◆◆◆

「やっと起きたか」
 目を覚ますと、そばでスマホをいじっていたミツルが見下ろしていた。どうやらあのまま木の根を枕に落ちていたらしい。
「今は昼過ぎ。マオはさらわれた。アーシらに用はないから、そこの飛竜でも使ってどこへとでも行けってさ」
「簡潔な状況報告ありがとよ」
 それはそれとして。
「なんでお前戦わなかったんだよ」
「なんでアーシがそんなことしなきゃいけないんだよ。別にアーシ自身がどうなるわけでもないし」
 ま、こいつにそんなこと期待する方が馬鹿か。少しは仲間意識があると思ったんだけどな、お互いに。
「それで、次はどうすんのよ」
「次って」
「あの子は連れていかれたし、このまま監禁か処刑でしょ。それをどうこうできる力はアータにはないんだし。切り替えて、次は何をするのかなって。また困ってそうな女の子でも探すの?」
「なんだよそれ」
 ふらつく体を無理やり起こしてミツルに向かい合う。
「マオは見殺しにしろってことか」
「違うの?」
 スマホから目を上げたこいつはまったく悪びれも悲しそうでもなかった。ただ事実を事実のまま述べているというだけの顔。
「お前なんとも思わないのかよ」
「人間ってのは生き死にをずいぶん重く考えるけどな、生きてりゃ誰だって死ぬんだよ。遅いか早いかだけの違いだ」
「だから無慈悲に殺されてもしかたないってか。ふざけんな」
「あのな、なんか根本的なところから勘違いしてねえか?」
 そこで――――俺はここで初めて、認識のずれを感じた。目の前のこいつは、そこいらにいる素行の悪い女子だとずっと思っていたが、実際はこいつは神の孫娘だ。価値観が、人間のそれである保証なんてどこにもないのだ。
「一六〇〇〇〇人」
「なんの人数だよ」
「アータが前にいた世界の一日に死ぬ人間の数。それを聞いて涙の一粒でも出るか? 出ないだろ? アーシの感覚じゃ目の前の人間がどれだけ死のうがそんなもんなんだよ」
 超然とした、非人間的な感覚。こいつにとって、親しい人間の死は足元の虫けらの死とイコールなのだろう。
「人間ってのはどいつもこいつも土壇場の神頼みが大好きみたいだが、この際はっきり言ってやる」
 その目は人の情などまったく宿していない。
「神は人を救わねえ」
 実際、そうなのだろう。困ったら救いの手を差し伸べるような神は幻だ。当人の証言もある。だから、それが神として正しい行いなのだろう。
 でも俺は違う。
「俺は助けに行くぞ」
「で、まーた同じこと繰り返すってわけ?」
 相変わらず冷めた口調。
「言っとくけど、次なんてないからな。次死ねば、アータの魂なんてものは自我も記憶もそぎ落とされて輪廻に還される」
 事実上の――本来はそうあるはずだった死。
「ジジイがどんな細工してるか知らないけど、たまたま出会っただけの子にそこまでする理由なんてあるの? 安い恋愛ドラマじゃあるまいし」
 冷徹に、機械的に考えれば反論の余地などない。たしかにこんな別れは悲しい。しかし、命を懸けるほどであろうか。自分の力量で、できる範囲のことはやった。手は尽くした。それでだめだった。それでいいではないか。失敗は恥じゃない、次に活かせばいい……
「友達だから」
 だけどな、俺はそこまで神様でも機械でもない。しょうもなくてみっともない人間なんだ。
「初めてできた、友達だから……」
 こいつを説き伏せる言葉なんて持ち合わせちゃいない。ただ、俺は俺の心に従いたかった。「あほらし」
 心底あきれたような口調で、ミツルは歩き出す。
「馬鹿は死ななきゃ治らないって言うけど、死んでもだめだな」
「おかげで意外と早く元の世界に戻れるだろ?」
 俺の皮肉はそのままに、
「アーシは降りる。無駄死にしたきゃ勝手にやってな」
 飛竜にまたがったミツルは、こちらを振り返ることなく飛び去って行った。
 そのとき風が巻き起こり、一枚のビラが飛んできた。掴んだそれを広げてみる。それから俺は残った一匹に目を向けた。
 どうやら、時間は残されていないらしい。

 ◆◆◆

 長い――――本当に長い十年だった。両親を失ったあの日から、私の時は止まったようだった。
 最初は、自分のところに両親が帰ってくるかもしれないと待ち続けた。そのうち、喪失が当たり前となり、死を受け入れるようになると、待つことをやめた。次は魔法の勉強をすることにした。回復・蘇生・召喚……いくら学んでも、両親を取り戻す方法はなかった。
 祈りは両親のことから、自分のことになった。
 今日まで生きられたことに感謝を。明日まで生きられるように懇願を。
 いつか、自分が両親のような末路を迎えることに、いつもおびえていた。
 それも、もう終わり。
 牢から引き立てられ、枷を揺らして歩いた先は、あの処刑場。
 見上げれば、自分を見下ろす群衆。これがかつて、両親が見た光景。はたして、自分も両親が跪いた場所に誘導される。浴びせられる怒りや嘲りの声。それは、あの日と何も変わらなかった。いわれもない罪を着せられて、憎悪や好奇の対象にさせられる、あの日と一緒。
「みなさん。本日はよくぞお越しくださいました」
 ここより少し離れた台に設けられた裁判席には、総教皇の姿がある。
「通常、私共はこういった場には縁がないのですが、どうにも処刑人を下賤と差別する声があると聞きました。しかしそれは偏見であると、この場ではっきり示したいのです」
 その声に合わせて、私のそばにいた袋をかぶった人間は仰々しく頭を垂れた。
「そこでこの度は、私が立会をし、処刑は我らの代表であり象徴である勇者が執行します」
 遅れて処刑場に登った男の子が背中の剣を引き抜いた。
 もっともらしい建前を言っているが、結局これは半年後の前倒しと、その監視だ。
 勇者である彼が私を討つ。
 その儀式が失敗しないように。
 ここで私は、自分の命運があと半年であったと知った。
 よかった。
間に合ったのだ。
 私はこんな時なのに、穏やかに笑みを浮かべた。
 半年後、何も知らないまま、ただ討たれるなんてことにならなくて、本当に幸運だった。同年代の子とお話して、城の外に出て、いろいろなものを見て、触れて……友達も、冒険も、私の人生を彩る宝物だ。
 もう、何も思い残すことはない。
 なのに。
 観客から別種のどよめきが上がる。誰もが天空を見上げていた。
 そばの勇者が息を吞む。
 裁判所の中心、処刑場の前に位置する空に、竜が一匹飛んできた。
「落としなさい」
 総教皇の声に合わせて、いくつかの魔法が上がる。はたして、竜はもだえ苦しんだあと墜落した。地面と激突する寸前、背に乗った影が離れる。乗り手は一緒に地面へ激突することはなかった。
 巻きあがる土埃が晴れ、現れた者は一人。――この群衆の真っ只中で、ただ一人。
「どうして……」
 ここから真正面に位置する、走ればすぐに届きそうなところにいる人は、初めての――最初で最後の私の友達。
「おやおや」
 総教皇が彼に気づいた。
「見届けに来ましたか」
「まさか」
「では、入信ですかな」
「いいや」
 マントをはためかせて、
「腹をくくりに来たんだ」
 彼は言った。
「どうして来たの!」
 思わず叫んでいた。
「こうなるのが嫌で、私はここに来たのに」
 彼はじっと私を見ていた。そこには群衆が私に浴びせる負の感情は一切なかった。
「もういいの。これで皆が幸せになれるなら、あなたたちが傷つくくらいなら!」
 ただ殺されるのを待っていた日々だった。ずっと世界に問いたかった。自分がなんのために生きているのかを。ずっと自分も感じたかった。本や話でしか知らなかった世界の広さを素晴らしさを。
「短い間だったけど、一緒に冒険できて楽しかった。ありがとう。短い間だったけど、今まで生きてきた中で、一番楽しかった!」
 だからそんな目で私を見ないで。そんな顔をしないで。そんなことをされたら。
――嫌だ。
――死にたくない。
――もっと。
――もっと……
心があふれてくる。ずっと抑えてきたものが、口の端から飛び出してしまいそうで……
私の選択は、何も間違っていない。
 なのに。
「本当は、もっとずっと…………ずっとずっと続けたかった!」
 もうだめ。
「でもしかたないじゃない! こうするしかないんだから! それで全部うまくいくんだから! 世界がこうなってるんだから!」
 我慢できない。
「私は、世界中の憎悪を引き受けて、消えていく――――」
 私は大きく息を吸い、そして、
「まお――――」
「俺は魔王を倒して世界を救う勇者だぞ!」
 声は呑まれた。
「お前ひとり助けるなんてどうってことないんだよ!」
「う……あ……」
 ああ……
「だいたいお前抜きで魔王討伐なんてできるわけないだろ!」
 もう……
――『きちんと祈りなさい。そうすればいつか困った時、神様は御使いを送ってくださるわ』
――『神様はいつもお前を見守っているよ。それを忘れずに、祈りを欠かさずに続けなさい』
 もういない両親の言葉が、胸の奥で響く。ずっと耐えてきた――あの日以来枯れたはずの涙で視界が滲む。私だって、ずっと昔は憧れていたんだ。でもいつしか諦め忘れていた。誰かの物語のように、自分のところにも救いの手が――――
 ――『いい子にしていれば、神様は救いの手を差し伸べてくださる』
――『神様は祈りに必ず応えてくれる。その時は何も迷うことはない。その手を取りなさい』
もう、やめよう。
「けてよ……」
 震える唇を奮い立たせて、舌を動かす。
「助けてよ!」
 もう、与えられた役割を演じるのは、やめよう。
「――――勇者様!」
 私は、私だ。
「おう、任せとけ」
 私の友達は、それを受け入れてくれる。

…………さて。
どうすっかなぁ
 俺は遠い目で回りを見る。肝心のマオはどうも動けないようだし、周りはみんな敵だらけ。あのあと飛竜直行便でこっち来たからなんの備えもない。ほとんど手ぶらだ。ビラを読むと今日の夕方の処刑の告知だった。どう考えてもそれは別人のことだろうが、あの総教皇のことだ、すんででマオを替え玉にして処分する可能性大。そう睨んでいざ直行したらドンピシャだったわけだ。
 謝ったら許してくれないかな。
 誠心誠意謝ったらなんとかなるのではないだろうか。お、だんだんそんな気がしてきたぞ。とりあえず、土下座をして……
 俺が必殺の土下座外交をお見舞いしようとしていたら、処刑場に続々と黒いのが集まってきて、みんな一斉に剣を構えた。あれ? これ謝ってもだめなパターン? 時すでにおすし? もしかしてこいつらみんな俺が相手にしないといけないの?
 あ、膝が震えてきた。
「貴様、何者だ」
 足をガクガク、手をブルブルさせていたら勇者がマオを遮るように立っていた。守ってるつもりかよ、処刑しようとしてたのはどこのどいつだ。
「名乗れ」
 名前? 何話前の話だよ、もう覚えてねえよ。名前覚えるの苦手なんだよ。
 たしかヨ……
 ヨハ…………
「我が名はヨハネス・ブ・ルーグ!」
 すると黒づくめがどよめいた。
『あの伝説の戦士ルーグ公の一族だと』
『それならこの単騎がけも納得がいく』
『しかしこの数で勝てるのか……?』
『勝てるわけがなぃ……逃げるんだぁ』
 なんか知らんけどビビってくれた。
「皆さん、落ち着いてください。ただのはったりです」
 しかし総教皇の一声で困惑は納まってしまった。ちっ、余計なことを。
 気を取り直して勇者の落ちこぼれどもが俺にじりじりと間合いを詰めていく。
 こりゃ詰んだかな。なんとかなるかと思ったけど無理だったね。マオがなんとかしてくれようともがいてるけど手枷足枷で動けないようだし。
 もはやこれまで。
 辞世の句を遺そうとしていたら、さっき見送った飛竜の姿があった。全員の視線が俺に集中するなか、その背後を突くように飛ぶそれは、上空を一直線に降下し、マオに迫った。
「おっと!」
 それにいち早く気付いたのは勇者のお供その一。ごついおっさんの方だ。メイスを振りかぶり接近する飛竜の主に突っ込んでいく。
「ガハハハッ。よく防いだな!」
 そこに乗っていた奴は舌打ちひとつ、得物を取り出してその一撃をガードした。しかし飛竜の高速移動と打撃の衝撃が合わさって、飛竜から放り出される格好となった。あ、こっち飛んできた。
「ちょっ」
 たまったもんじゃないのは、突っ込んだ威力そのままで飛竜と衝突された連中だ。ボーリングのピンよろしく、勇者のお供その二たちはぶっ飛ばされた。哀れな。
「まったく、完全に虚を突かれる格好となりましたね」
 とは言いつつも、総教皇の余裕は崩れない。
「丸腰で一人で来た時は無策かと思いましたが、この奇襲を隠蔽するには完璧な迷彩でした」
「そうなのー?」
「知るか」
 シュタッと俺の隣に着地したミツルはお気に入りの五番アイアンを手の中でくるりと一回転させる。
「で、なんでその子が処刑されなきゃならねーんだ」
「神による裁きです」
「ざけんな」
 総教皇のもっともらしい意見は一蹴された。
「神は人を救わねえが、神は人を殺しもしねえ。テメェの人殺しの言い訳に神使ってんじゃねえよタコ」
 言ったもん勝ちの『神』というパワーワードも、こいつにかかればかたなしだな。
「それでは我々の神を否定することの意味を、これから体感するとよいでしょう」
 また剣やら杖やらを構える面々。あれ、これ数は減ったけどそんなに状況変わってなくね。
「どうすんだよこれ」
「あ? 知るかよ」
「いやこれ何か秘策があって来たんだろ? なんか腹案とかプランβとか」
「あ? ンなもんねえよ」
 だめだこいつ。
「しかたない。作戦を説明する」
「作戦?」
「お前が囮になる。俺がその間にマオを連れて逃げる。うーん、パーフェクトプランだ」
「もっぺん死ね」
 俺は一度ふーっと深く息を吐いて、目の前の絶望的な状況を眺めた。
「それじゃ、仲良く玉砕といきますか」
 不思議と、悪い気はしなかった。笑みすら漏れ出てる。
「まさかアータあのまま直行したの? 武器は?」
「こんなこともあろうかと」
 俺は隠し持っていたブツを取り出す。
「それ見たことある。たしか……バール」
「バールのようなものだ」
「バールじゃないの?」
「よしんばバールでも『バールのようなもの』だ」
「アータって……人間ってほんとよくわかんねえ」
「それが人間の妙味ってもんよ。そんじゃま、見せてやろうぜ。ギャルの底力ってやつを」
「るせーよ」
 バールのようなものをクルクル回し、俺も構える。
「さあ、どっからでもかかってこんかい!」
 総教皇が仰々しく腕を天に上げる。
「総員、密集包囲陣形」
 どこに隠れていたのか、黒いのがさらにぞろぞろと処刑場にやってきて、俺たちは完璧に囲まれた。アリの逃げる隙間もありゃしない。
 数はざっと五〇。俺がいた学年全員と考えると絶望しかねえな。
 そんなときだった。
 お空から火の玉が振ってきた。
 それは円みたいな列を作っていた黒いのに吸い寄せられるように当たり、あっという間に炎の柱となった。
 柱が連なり、炎の壁ともいうべきそこから現れたものは、俺も見たことがあるやつだった。
『炎獅子……!』
 誰かがつぶやき、一同は戦慄しているようだった。
『灼熱炎魔だと』
『魔王四魔精がなぜここに』
 灼熱さんはそのライオンみたいな口から炎を吐き出し、黒いのをさらにこんがり焦がして黒くしている。
 なんだか知らんけど仲間になったみたい。
 ラッキー。
「してやられましたね」
 総教皇が額に手をやる。
「奇襲での救出が失敗となっても、敵をおびき出し一網打尽にする。隙の生じぬ――我々の意識の隙というものを生じさせる三段構えの策。まったく、たいした陽動作戦です」
 なんかめっちゃ高く評価されてるけど……
「そうなのー?」
「知るか」
 とりあえず邪魔くさい勇者落第者たちは引き受けてくれるらしい。このあたりから観客も見物してる場合じゃないと察知したのか、ほとんど逃走していた。
「アーシはあのエロオヤジを〆てくる。アータは」
「勇者の模範ってやつを教えてくるぜ」
「よーいうわ」
 あきれつつも駆け出すミツルから視線を流し、俺は正面にいる男に手の甲を向けてクイクイと片手で手招きする。
「おら来いよ」
 俺は不敵に笑ってみせる。
「――――エセ勇者」

「キュラス。彼女を頼む」
 ほうほうの体で戻ってきた仲間にそれだけ告げ、謎の男と対峙する。
 信じられない。
 一連の出来事はその一語に尽きる。彼女を処刑するのもそうだが、まるで悪い夢を見ているようだ。
 神聖厳粛な裁判所はあの二人にめちゃくちゃにされ、誰もがすがる教団の権威など地に落ちた。教団の掲げる正義、教義ではありえない。誰もやろうとしない。なんなんだこの連中は。
 状況は最悪だ。このままでは教団が――ひいては人類が敗北した格好となる。
 止めなければ。
「オラァ!」
 棍棒とも違う一撃を剣で受け止める。
 そのまま何度も振られるが、威力は軒並み大したことはない。お世辞にも剣術ともいえない。ただ鉄の棒を振り回してるだけにしか感じない。
 しかし、何かあるはずだ。
 総教皇猊下の言う通り、この男は一見無策・無茶であっても、その実周到な権謀術数を展開している。この攻撃にも何らかの狙いがあるはず。まさかたまたま手に入った鉄の棒一本で正統勇者である自分に戦いを挑むなどあるはずがない。
 その思惑を、魂胆を見抜く。
 目の前でいたずらに鉄の棒を振り回すのも何かの撒き餌に違いない。きっと何か、予想もつかない狙いがあるはずだ。
 その狙いを看破してみせる。裏の裏を読み、決して騙されない。
 ――――なーんて思ってるだろうな。
 そんなもんねえよばーか。
 俺は腹の底で笑いつつ、やたらめったらにバールのようなものを振り回す。こんなもん当たればいいんだよ当たれば。剣術なんて必要ねえんだよ!
 ありもしない答えを探してずっと迷ってろ。今のこいつは偽物の宝の地図を掴まされてウキウキでトレジャーハントしてるまぬけだ。ショベルを使おうがドリルを使おうが、埋まってない埋蔵金が見つかるはずもない。ないものはないのだ。
「どうしたエセ勇者。へばってんじゃねえぞ!」
 ガキィン。鎧の横っ腹を叩いたらいい音がした。ちくしょう腕が痺れるぜ。防具の上から叩いてもダメージが通らんな。
「俺は教団選定の勇者だ。本来勇者とは、教団の神託と試練によって選び抜かれた正義と秩序の代行者」
「借り物の言葉でほざいてんじゃねえ!」
 剣を打ち払う。おっ、顔面がら空き。
「勇者ってのは、世界を敵に回そうが、守りたいもののために喧嘩ができるやつのことだ。やることなすこと一切合切全部、他人に丸投げしたお前は、その時点で勇者失格なんだよ」
 勇者様の動きが止まる。隙あり。俺は思い切り振りかぶって――――
 正確に側頭部を振りぬいた。
「いっぺん死んで出直してこい!」
 よっしゃ片付いた。
 俺は無様に倒れた勇者をほっといて、ミツルのところへ向かった。
 炎の柱に囲まれてサウナ状態のフィールドをうろうろしていると、目立つ格好だからな、すぐ見つかった。
「やめときな。敵とはいえ小娘をいたぶる趣味はねえ」
 鎧をがっしり着込んだおっさんはギャルにそう言った。うーん武士だな。
「時間稼ぎでもすれば、あの嬢ちゃんが抜け出せると踏んでるんだろうが、残念ながらあの嬢ちゃんの腕にはめられてるのは特別製の魔封じの腕輪だ。破壊できる代物でもないし、解除する魔法もない。なにせ魔力そのものを根こそぎ吸い取るんだからな」
 なるほど。どうりでマオが拘束されたまんまでいるわけだ。その腕輪のせいで魔法が封じられてるんだからな。
「ならそれをぶっ壊せばいいんだな」
「おいおい話聞いてたか」
 苦笑する男を前に、ミツルはポケットからサイコロみたいなものを取り出す。サイコロみたいと表現したのは、それが普通のサイコロではないからだ。めっちゃ細かいな。何面体だあれ。
「〈百発一中(ラッキーストライク)〉。九九回は不発だが、残り一面に当たれば、その攻撃力は百倍という代物だ」
 俺と離れたときに買ったもんだろうな。すげえギャンブルアイテム。
「あらゆるものには、急所というものが存在する。その部分に当たれば、どんなものでも小さな威力でぶっ壊れちまう」
「その玉っころの当たりで腕輪の弱点を突けば壊せるってか。そんな確率、ほとんどゼロじゃねえか」
「だがゼロじゃねえ」
 平然とミツルは言う。ゴルフクラブはそのサイコロもどきを打ち上げ、マオがいる方へ漂った。
「必然は人の賜物。偶然は神の御業」
 ミツル以外は、その一部始終を見ていた者は意図せず玉の行方を目で追った。そりゃ気になる。
「〈ラーク〉。アーシが使える唯一のアビリティ。人が言うところの確率変動だ。現象の確定という確率が収束するその瞬間を操作する」
〈百発一中〉は上昇を止め、ゆるゆると落ちていく。はたしてそれはマオを縛る腕輪に着弾し、はたして強固なそれを粉砕した。
「――――ホールインワン」
 

 瞬間、衝撃が起こった。
 一瞬、地震でも起こったのかと思ったが、違う。風だ、とんでもない風が吹いている。
 それはマオを台風の目とし、彼女を拘束していた手枷足枷はもちろん、あらゆるものが影響を受けた。
「馬鹿な。ゴッドアビリティだと」
 これにはさすがの総教皇も驚きである。
「あの娘、神の力の一端を使えるのか」
 そりゃ使えるわな。この場で俺だけが納得する。
「この風……風魔法、いや、単純な魔力の放出だけでこんな突風を。魔封じの腕輪をつけて数時間、外してすぐだぞ」
 鎧のおっさんもおっさんでマオの魔力量にビビってる。
「どこ見てんだよオッサン」
 その背後から、ギャルはゴルフクラブを大上段から振り落とした。無防備な頭部は兜を砕かれ、そのままおっさんは昏倒した。あれもクリティカルヒットなんだろうな。
「そうか。瞬間的な場面でしか使えないから、ずっと馬車に揺られてるときには使えなかったのか」
「そうだよ悪いかよ」
 つまり継続的なダメージは防げないし、確率の不確定な揺らぎに干渉するから必中を外すこともできない。チートと言うにはなんとも。
「さてと」
 俺はマオを迎えに行こうとして、足を止めた。見ると、さっきの突風で枷と一緒に吹っ飛ばされた勇者の仲間その二の魔法使いが、また戻ってきてマオと対峙していた。よう粘るな。
「助けに入る?」
「いやいらんだろ」
 巻き込まれそうだしな。俺はあの火球を思い出し観戦を決め込んだ。
「どいてください」
 手元に召喚した杖を握るマオに、魔法使いは首を振った。
「強がるんじゃないわよ。いくらあんたがどれだけ強かろうと、今のでもうからっけつでしょうが」
 魔法使いも杖を取り出して構える。期せずして魔法職どうしの魔法対決になりそうだ。
「〈フリーエル〉!」
 先手は敵の魔法使いだ。杖の先から冷気が――――
 出てこなかった。
「〈フリーエル〉!」
 TAKE2。これも不発。マオも合わせて杖を振っているが、特に何もしていない。
 いや、これは……。
「相殺詠唱……ふざけた真似を」
 なるほど。相手の魔法と反対の魔法をぶつけて消滅させてるのか。事前に相手の魔法を察知し、即座に反対の魔法を発動させる。化け物じみた技だな。
「だったら真似できない魔法をぶつけるまでよ!」
 魔法使いは上空に杖を掲げる。
「天来る雷よ! 数多もつ雷鳴の輝きをここに顕現せよ。降雷せよ、わがもとに! 対するは地這う蒙昧な咎人。裁くは我が断罪の剣。この一閃は浄化の閃光! 至高なる雷撃――――〈ヴォルテックス・ジャッジメント〉!」
 長い詠唱を経て、どこからともなく強力な雷が落ちてきた。空を引き裂かんばかりの威力である。
 何束もある雷の束がマオを襲う。あれは避けれない。いや、避けるつもりもないのか。彼女は杖を軽く持ち上げるように振った。杖の先からはパリパリッと静電気のようなものが走った。
 直撃。
「どう? この固有魔法は、かの天竜の電撃にも匹敵し――――」
 自分専用の魔法を誇らしげに語る口が止まった。それもそのはず。雷で舞った煙が晴れた中には、無傷のマオがいるのだから。
「なるほど。ラディエストをぶつけて威力を殺したのね。雷の最大級呪文で疑似的なシールドを」
「何を勘違いしてるんですか?」
「ひょ?」
「今のはラディエストではなくラディエル――初級呪文ですよ」
「そんな……くっ。だったらもう一度。天来る――――」
「うるさいですね」
 マオは人差し指と中指を伸ばし、相手に向ける。
「〈ラディエル〉」
 そのまますっと下ろし、雷は降り注いだ。あっけなく感電した魔法使いは、その場で倒れた。そりゃ前衛もいないのに長々と詠唱やってたらこうなるよ。
 勇者一行、これで全滅か。
 とか思っていたら、俺の背後でドサリと音がした。振り返ると、あの燃えるライオンが転がっていた。奥では、さっき俺が倒したはずの男が立っていた。
「まだ、決着は」
たしかに一勝一敗、これで決着ということにはなろうが。正直それに付き合う理由もないだろう。ここは三対一で……
「勇者としての一騎討ちを貴様に要求する」
 ……なら、受けないわけにはいかんな。勇者として。
《待て》
 足元の灼熱炎魔の声。
《そのままでは死ぬぞ》
 勇者は目がすわってる。さっきみたいな動揺を誘った騙し討ちはもう通用しないであろう。一撃一撃、目の前の動きすべてに重きをおいた戦いをするだろう。そうなれば、俺に勝ち目などあろうはずもない。勇者崩れを一掃して消耗してるとはいえ、この炎獅子とやらがやられてるわけだしな。
《力を貸してやろう》
 ん? 思ってもみない提案に俺は不審がった。このライオンに殺されかけたんだけど俺。
《恩もあることだしな》
 さっきといい、なんで助けてくれるんだろ。俺こいつになんかしたかな。まあいいや。助けてもらえるなら渡りに船だ。頼みのマオもさすがに疲れたのか杖をついて休んでるし。ここで俺が目の前の勇者を撃破すればこの騒動もしまいだろう。残った戦闘要員はこいつだけのようだし。
「そんなナリでまだ力残ってるの?」
《われら四魔精は他の精霊同様、元は虚ろな存在。ここに物体として形作り、維持することに力のほとんどを使っている。とすれば、依り代に憑依すれば、その分の力を戦いに回せることも道理》
 つまり俺と融合すればとんでもない力になるってわけか。
 だが。
《もっとも、われの炎はなじまぬ者の身も心も焼き尽くす。その覚悟はあるか》
 マオが教えてくれた融合魔法のリスク。こいつほどの精霊、俺が受け入れられる器か否か。
 いや――――
「あるさ」
 結局、覚悟の問題なのだ。どれだけ安牌だろうと、危険牌だろうと進むか退くかは当人次第。どんなに安牌でもやらねえやつはそこで立ち止まってうずくまるし、どんなに危険牌でもやるやつはツッコんで上がっていく。
「ここでやらなきゃ、死んだ甲斐がない」
 俺の場合、その一言に尽きる。
「どんなに低い確率だろうと、やらなきゃ何もできず死ぬだけだ」
 背中に拳があてられる。あてられてんのよ。
「確率が、なんだって」
 俺は軽く笑った。
 どうやらここに来て初めて見た夢が、現実になりそうだ。
 ――――『俺は――――』
 そう、あれは。
『お前だ』
 未来の俺の。

 ◆◆◆

 認めたくなかった。
 尊敬した勇者は帰らず、父の帰りを待っていた俺と妹には形見の剣だけが届けられた。その剣を受け継ぎ、勇者として大成することこそが俺の生まれた意味、孝行、宿命と信じた。それを肯定し導く教団の存在は、総教皇の言葉は都合がよかった。
 あれから十年。
 この場で、十年前から積み重ねてきたものが根底から否定された。
 与えられた勇者の役割。信じてきた教団の権威。
 ここで負けたままでは、目の前の男にすべてが奪われる。偽物とはいえ父の服を来て勇者を名乗り自分の前にたちはだかる。最初はなんの冗談だと思ったが、ことここに至ると、因縁めいている。
 倒してみせる。
 渦巻く炎が男を包む。魔王四魔精との融合などうまくいくはずがない。万に一つどころか兆に一つもありえない。そんなものに賭けるなど死に急ぐ愚か者のやることだ。俺なら絶対にやらない。うまくいくはずがないからだ。
 それなのに。
 なぜ目の前の男は、それに成功するのだ。
 紅蓮の炎を身に纏い、群青の瞳が俺を映す。
 魔界の中でも最上位精霊とされる四魔精、灼熱炎魔と適合した者。
 実際に確認された記録は一切存在せず、伝承にしか存在しないとされる存在。
 炎魔人。
「あ、バールのようなものが溶けてる」
 炎魔人は持っていた鉄の棒を放り出し、近くに転がっていた黒尽くめから剣を奪い取る。
「お、これ装備できるぞ。これにしよう」
 教団に勇者と認定されていないとはいえ、勇者候補生には教団から最高級の剣が支給される。炎魔人の熱量でも耐えられるのだろう。
 俺は剣を構える。
 勝負は一瞬、最初の接触で決着がつくだろう。どちらがより速く、より鋭く斬れるか。原始的で本質的な剣の勝負。
 今まで積み重ねてきた経験と、生まれながらに持つ才能。
 およそ剣士のすべてを構成する全要素の比較。
 これほど単純明快な解決はない。
 どちらが真の勇者と呼ぶに相応しいか。
 炎魔人の持つ剣、その刃にまで火が渡り包まれる。
 魔法剣。
 魔法を武器に付加し強化する高等技術だ。通常、魔法使いと剣士の合わせ技か、熟練の魔法剣士のみが可能とする。
 あの一撃を受けるわけにはいかない。俺の鎧でも防ぎきれない。
 炎魔人が動く。俺は受けの構えに切り替えた。あの炎の剣を見逃さない。剣筋を見切り、その隙を斬る。カウンター気味の必殺剣。
 走り出した男の剣は上へ下へ揺れる。
 剣から目を離すな。絶対にあの剣を受けてはならない。受けずに済めば、こちらの勝ちだ。
 接触する、その一瞬、男の剣は動き――――
 男の手から離れた。
 数瞬、反応が――理解が遅れた。魔法剣に当たりさえしなければ――その意識が、前提が足を引っ張った。
 魔法剣は――――
 炎魔人に懐に潜り込まれる。
 囮――――
 燃え上がった剣は地を跳ねる。
「〈ファイエル〉」
 眼下から巻き起こる衝撃と爆炎。
 鎧をたやすく貫いたそれは、俺を背後の壁まで押しやった。
 そう、俺は思い違いをしていた。
 これは剣士の決闘ではない。
 これは勇者としての――――
 崩れる瓦礫と意識の中、最後に見たものは、
 男に駆け寄る、俺が守ると誓った彼女、そして――――
 苦々しく怒りに歪む総教皇猊下の顔だった。

「〈グラビエスト〉」

 ◆◆◆

 昔、布団を運ぼうとしたとき、何枚も一度に運ぼうと担いだことがある。すると存外布団は重くて、その場に下敷きにされた。
 今、そのときの気分を味わっている。
「どいつもこいつも、いつの世も役立たずばかり」
 俺とミツルとマオは地に伏していた。とんでもない重さが体にのしかかり、地に押し付けられているのだ。俺たちだけではない。ほかの連中や建造物を見るに、この会場全体に何か重しでものっけられているようだ。
「何も決められず何も変えられず、ただ喚くしか能のない愚民の分際で」
「重力魔法……」
 マオの呻きに俺は理解する。なるほど、これは総教皇の。
「お前たちは黙って言うことを聞いていればいいのだ。余計なことをするな考えるな。そうすればすべてうまくいくのだ」
 総教皇はゆっくりと、鷹揚とでもいうような足取りで近づいてくる。
「ただ無益に生涯を浪費するお前たちに役割を与えてやったのに、なんだこのざまは」
 倒れている勇者一行を見下す総教皇が手をかざせば、どこからともなく槍が飛んできて、その掌中に納まった。あの紫色の槍は、総教皇の部屋で見たやつだ。
「もういい。この場の不確定要素はすべて直々に始末してやる」
 なんとか起き上がろうとするが、さらに重くなって抑え込まれた。くそっ、底なしかよ。
「あとは代わりのものに挿げ替えれば、すべて元通りだ」
 炎が体から引いていく。多分これ限界だ。やがて炎すべてが俺の体から離れ、そばに留まったと思ったら、ふっと消えた。
あとに残ったのは、赤い髪と服の小さな女の子だ。
なるほど。恩、ね……。
さんざん食わせてやったもんな、と場違いな納得をしつつ、俺はなんとか顔を上げる。
状況は最悪だ。全員手の内を見せ切って力も使い切ってる。ラスボスが控えてるのに中ボスで燃え尽きてるパターンだ。まさか総教皇がこんな武闘派だったとは。こいつ、こっちの消耗と観察のためにずっとこの時を待っていやがったな。勇者一行が俺たちを仕留めるならシナリオ通り。そうでない大番狂わせが起これば自らの手でその収拾をつける。これが大人のやることか。
ミシッミシッ。体が潰れる感触。骨がきしんでる。中身が出てきそう。
もうだめか。
俺が目を閉じたとき、ふっと体が軽くなる。いや、依然として重いが、今までよりはマシになった。
「っ……」
 マオが呻きつつも、杖を天に向けて膝をついていた。
「ほう。反重力魔法ですか。しかし、自然重力に重ね掛けするこちらと違って、さぞ大変なことでしょう」
 総教皇の嘲笑を肯定するように、立ち上がろうとしたマオは、どんどん抑え込まれていく。
「もう、魔力が……」
 これでは元の木阿弥だ。
「もっと範囲を身近なものだけに限定すれば……いやはや。その善良な精神は見事」
 裁判所全体にかかる重力魔法に対して、それを真正面から受け止めた形か。それはさぞ魔力も消耗するだろう。
「その高潔な精神を受け継ぐ者がいないとは、不憫ですね」
 暗に自分は語り継がず、歴史の闇に葬ると宣言する男は槍の先を自身が選び担ぎあげた勇者に向けた。
「まずは期待外れの失敗作から」
 その背後を覆う影。
 振り降ろされるメイスを槍の柄は難なく止めた。
「おや、まだ動けたんですか」
「おらぁ頑丈だけが取り柄でね」
 ミツルに殴られたためか、頭から血を流した男は不敵に笑う。マオが抵抗したとはいえ、この重力下で動けるとは。
「そのようで。それで、神の代行者である私に狼藉とは何事ですかな」
「わりいが俺は無神論者でね。俺は俺の勇者様に従ってただけさ。いるんだかわからん神様より、俺は目の前の兄ちゃんに命を託してるんだ」
「では異教徒らしい扱いをして差し上げましょう」
 槍の横払いをバックステップで避けて、こっちに来た。それを追撃しようとした総教皇の足元に氷の塊が突き刺さる。総教皇がおっさんとの戦闘に集中したからか、こちらの負荷は軽減された。身動きはとれんが、死ぬほどの重さは感じない。総教皇からすれば、この場にいるやつを今押し潰さなくても、逃がさなければそれでいいってわけか。
 差し迫る危機を回避できて気が抜けたのか、再び倒れるマオ。その眼前で勇者の仲間は戦う。
「悪かったな、嬢ちゃんたち。後始末は俺らがやっておくから心配すんな」
 槍の攻撃を避けきれなかったのか、脇腹から血が流れているが、大した傷ではない。
「おい、さっさと回復魔法かけろよ。いつも言ってるだろ。些細な傷もどんな深手になるかわからんから」
 仲間の叱責に魔法使いは首を振る。
「さっきからやってるわよ! でも治らないのよ」
 杖を振り回すが、何も起こらない。杖の先端が光っているから、魔力は使っているようだが。
 おっさんも傷口に触れるが、治ることなく血は流れ続けている。
 この動揺がいけなかった。
 それは総教皇に攻撃の隙を与えることになり、槍の刃はおっさんの右大腿部を深々と切り裂いた。これはすぐさま治療しなければ命にかかわると素人目から見ても明らかだ。
「さて、詰めとなったので種明かしをしましょうか」
 槍から滴る血を振り払い、総教皇は元・信者たちを睥睨する。
「神より賜りし、この槍。名を反魂槍(はんごんそう)。その神秘性は〝不可逆〟。この槍による傷の前では、ありとあらゆる回復・蘇生――一切が無力」
 つまり一度でも食らったら永続ダメージってわけか。死ぬまで。下手な毒よりよっぽどたちが悪い。これが総教皇の――日ノ本鎮の転生特典ってわけか。あの神様、厄介なもの渡しやがって。
「さてどうしますか。このままでは失血死ですが、安静にしていれば少しは延命できるでしょう。自らの行いを懺悔すれば、その時間くらいは恵んで差し上げても」
 総教皇の言葉は最後まで続くことはなく、メイスはその顔に振るわれた。苦も無く防がれる攻撃だが、それでもおっさんは平然と笑う。
「ありがとよ。おかげで手当ての手間が省けたぜ」
 決死の覚悟。屈して命乞いをするより、最期まで戦い抜くと決めた。それは誰の目にも明らかだった。
 しかしその攻撃は軽い。当然だ。軸足を斬られ、現在進行形で大量出血。力も入らない、バランスが崩れてる。
「愚かな」
 それだけ吐き捨てて、槍は横一文字に振るわれる。直後、太い首に赤い線が走り、血が噴き出した。
 頸動脈への一撃。
 くずおれる男をそのままに、総教皇は歩みを進める。
「さて、あなたのお考えを聞きましょうか」
「決まってるでしょ!」
 氷のつぶてが雨のように降り注ぐ。さながら散弾銃だ。
「神より愛よ! 惚れた男に尽くして何が悪いっての」
 まるで霰を払うように防いだ総教皇はため息をつく。
「俗物そのものですね。どいつもこいつも不心得者ばかり」
 俺は横に目を向けた。マオもまた俺たち同様に倒れたままで、万事休すといった様子であった。もう頼りにはできない。もはや残された手は……
「頼みがある」
 俺はマオにささやき、手を伸ばす。
「反重力でも補助魔法でもなんでもいい、この状況でも俺が動けるようにしちゃくれないか。俺だけでも逃げたいんだ」
 マオは驚いた顔をして、すぐに安堵したように笑ってうなずいた。
「残った魔力のすべてをこめれば、短時間ですが動けるようにはできます」
 伸ばした手をマオが握る。視界の端でミツルが何か言いたそうにしていたが、結局口は開かれなかった。
 体が軽くなる。俺は立ち上がり、繋いでいた手を名残惜しくも離した。
「悪いな。本当なら、この手を引いて、どこまでも連れて行ってやりたかった。もっと一緒に冒険したかった」
「いえ。あなたが生きてくれるなら、それだけで私は」
「ああ、それも悪い。その話は嘘だ」
 そうでも言わんと、お前が力を貸してくれなさそうだったからな。
「そんな……」
 マオの悲痛な声を背に、俺は総教皇を見やる。総教皇もまた、始末した魔法使いの体から槍を引き抜き、俺に目を向けた。
「逃げるならいつでも構いませんよ」
「いいや、逃げねえ」
「ほう。では今までのあなたの頑張りに敬意を表し、望むものを与えましょう。何がお望みですか? 女、金、力、土地、名声、地位……」
「全部いらねえ。てめえのもらいものなんて、また死んでもいらねえ」
「教団選定の勇者なんてどうでしょう。そんなレプリカの服で甘んずることなく、これで名実ともにあなたは真の選ばれし者だ。類まれなる才も人脈ある血統もないあなたには、望むべくもない、身に余るほどの栄光です」
「いい大学出てエリートコースに乗ってもわかんねえもんだな」
 怪訝そうにする名門大学主席卒業・事務次官出身代議士に向かって高校中退は言う。
「勇者はガタイやコネでなるんじゃねえ、生き様でなるもんだ」
「そうですか」
 槍が腰だめに構えられる。わかりやすい刺突の体勢だ。
「では、その崇高なる精神へ敬意をこめて、楽に送って差し上げましょう」
 対して、俺は拳を構える。もはや武器も作戦もありゃしねえ。狙うは素手の裸装備でラスボス戦低レベルクリアだぜ。落ちてる剣はあっても融合なしじゃ装備できないから、殴り倒すしかねえ。
 何度目の詰みだよ、まったく。
 それでも後悔はない。結果としてこれで死んだとしても、今度は胸を張れる。今度は努力の方向性を決して間違えちゃいなかったと声を大にして言える。
 槍による突撃。ちくしょう、全然リーチ足りねえじゃねえか。こうなったら刺された瞬間にクロスカウンターで――――
 前のめりになった俺の体は、横から突き飛ばされた。
 そのとき舞った血は、俺のものではない。
「ズガンヅ……キュラス……少し待っていろ」
 胸を貫かれ、背中から槍の穂先が飛び出している。
 その傷をそのままに、そいつは剣を振り下ろす。
「冥土の土産に、この男をつれていく」
 槍を掴んだそいつは片手で引き抜く。総教皇の斬り落とされた両腕がぶら下がる槍は、一転して持ち主に狙いを定めた。
「やめろ。その槍を」
 腕を失った総教皇は後ずさり、いや、結局その場でつまづき転ぶ。
「その槍を私に向けるな!」
 肉を切らせて骨を切る。
 その手は奇しくも俺と同じ――――
「私はこの世界に必要な存在だ!」
「貴様はこの世界に必要ない!」
 自分が選んだ勇者、自分が神から授かった槍によって頭を貫かれた転生者は、それきり動かなくなった。再生魔法や復活アイテムがあろうと、その槍はすべてを無力化する。
 槍から手を離したそいつはマオのところへ行こうと足をゆっくり動かす。しかし届かないと悟ったのか、力なく手を伸ばし、やがて糸が切れたように倒れた。
 立ち上がった俺は駆け寄る。重力による抑圧がなくなったのか、マオ達もそれに続いた。
「…………これを」
 駆けつけたところで、何もできない。かける言葉もない。膝をつき黙って見ているしかない俺に、そいつは口を開いた。
「父から受け継いだ剣だ」
 おぼつかない腕の運びで、持っていた剣を俺に渡そうとする。自然と体が動き、受け取った。
「起始剣(きしけん)。代々勇者が連綿と継承してきた神剣。俺はもう使うことはできない。君に託したい」
 その胸にぽっかりと空いた穴。
「バロン・ルメド・スーフィ・ラフォンの名において、この剣を君に譲渡する」
 塞がることのない傷からあふれる血に目を背け、俺はうなずくことしかできなかった。
「感謝する。……もっとはやく君に会えたなら、俺は本当の勇者になれただろうか。与えられた役割ではなく、己の守りたいものへ一心に向き合えただろうか」
「なれただろ。たった今、お前だって勇者だ」
「いいや。ここで倒れるなら、どこまでいっても結局、俺は偽物なんだ。でも、それでいいんだ。こういう末路は、勇者になれなかった偽物がふさわしい。誰もが思い描き憧れる勇者には似合わない」
 そこでようやく、今まで見てきた仏頂面が変わった。
「認めよう」
 安らかな笑みを浮かべて、
「君が勇者だ」
 勇者になろうとした少年は逝った。

   エピローグ

「さあ、魔王を倒す大冒険に出発だ!」
「はい!」
 トルカを出、次の街へと続く道を進む彼。そのあとを私とミツルさんは追う。
 私は見上げた。
 綺麗な青空に、燦々と輝く太陽が目の前に広がる。
 本日は晴天なり。これもまた神様の思し召し。
「魔王を倒す大冒険って……」
 隣のミツルさんは私を見る。
「いいじゃないですか」
「いや、だって……」
 彼女は言いづらそうに私を見てから、目を背けました。
「たどり着けるわけないじゃん……」
「いいじゃないですか」
「えぇ……」
 だって、と私は唇をほころばせ、
「それなら、ずっとずーっと、皆で冒険ができるんですよ!」
 ミツルさんは驚いたような、呆れたような顔をしました。
「ははは……」
 乾いた笑いです。
「アータにゃ負けるよ。そんならまあ――置き去りにならないように、しっかりついていきなよ」
「はい!」
 肩をすくめて、彼女は彼を追いかけはじめた。そばの茂みが揺れて、赤い頭が見え隠れしている。どうやら私の後を追うつもりらしい。彼は道中でちょくちょく遭遇していたようだ。
 私はキュッと胸に杖を抱え、走り出そうとする。
 そこでふと。
 振り返り、私が住んでいた――両親とともに過ごした家の方を見た。
 お父さん、お母さん。
 私は今、幸せです。
 生きていて、よかったです。
 それだけ告げて、私は前を向く。
「行こう!」
 先を行く彼が差し出す手を取り、私は日の光を浴びて進む。
 この輝きの中を、ここから始まる冒険を、
 紡いでいく。
 それが私と勇者様の物語。

                                  【了】

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