最弱テイマーの最強テイム~スライム1匹でどうしろと!?~

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 プロローグ

〈テスタメント〉開始から三ヶ月と少しの頃、ハンナの姿は拠点よりはるか遠くの平原にあった。山一つを見上げる彼女の周りには誰もいなく、何もなかった。いや、空では鳥のように羽ばたく存在があったが、ハンナは自身を孤独と定義していた。
 孤立無援、孤軍奮闘。
 そういった状況である自覚もあったし、事実そうであった。
「ここまで接近しても手は出さない、か」
 温厚な性格か、カウンタータイプか……。どちらにしても、向こうはすでにこちらに気づいているはずだ。
 うまく擬態はしているが、ハンナは目の前のそれを――山の正体を見抜いていた。
 西洋風の甲冑を鳴らしつつ、両手で握った大剣を振り上げる。
 ここでも反応なし。
 しかし、ハンナに躊躇はなかった。
 山を斬り裂く確かな手応え。裏腹に、彼女の手に伝わるのは、土をさらうそれでもなく、石を散らすそれでもなく――――
 ゼリーにスプーンを差し込んだようであった。
 自然色――緑や茶で彩られた山がぐらりと揺れる。みるみるうちに紫色となったそれは、もはや山とはいえなかった。
 これが、帝王級(カイザー・クラス)……!
 正体を現した異形を見上げるハンナは、長い髪を揺らして身構える。呼応するように、何本もの鞭が彼女に殺到する。
 異形から伸びる紫のそれは、人間が蚊や蝿でも叩くように地面へ激突し、砂ぼこりを巻き上げた。直前で回避したハンナはその光景を見届けることなく、異形に大剣を突き立て、振り上げた。さっきもそうだが、これに動物特有の――肉を裂き骨を折る感触はない。まるで紙にカッターナイフを走らせるように、あっさりと刃が通る。
 暖簾に腕押しとはこのことか。
 ハンナは小さく舌を鳴らし、自身がたった今与えた斬撃の効果を確認した。水滴どうしが結合するように、簡単にもとに戻ってしまう。再生とは違う。そもそも、〝こいつ〟は損傷として成立させていないのだから。
 次の一手は――
 ――――無駄だ。
 ブンッ。大剣を横に振りかぶるハンナの脳裏に、言葉が走る。発声を必要としない、高度なコミュニケーション能力。
 ――――どうやってもその剣では不可能だ。斬撃が浅すぎる。
「…………」
 ――――体内に突入し、中枢を破壊するか。その有効性に答えは出さないが、それでも脱出や討伐より、こちらの吸収が勝る。
 読心能力まで持っているらしい。ハンナの浮かべた戦術のことごとくが察知されている。
 ――――正直、こちらに敵意はない。もちろん降りかかる火の粉は払うが、それまでだ。貴様が手を引くなら、その背には何もしない。
「だったらあんたが逃げなさいよ」
 こちらにもプライドがある。情けをかけられて尻尾を巻いて逃げるなど……。
 ――――残念ながら、ここは我らの約束の地だ。譲ることはできない。守護の責を担う我もまた。
 ハンナは跳躍を繰り返し、その異形の頂上に着地した。
「っ」
 そこから見える向こう側に、息を呑む。〝こいつ〟と同種の――階級はバラバラであるが――異形が、そこら中にいた。そしてその中心にある存在を認め、意図せず呟く。
「女王(クイーン)級……!」
 一体の帝王級でさえこれだ。さらに女王級を相手するとなると……。
 ――――彼我の差は歴然だ。
「ちっ」
 不機嫌丸出しのハンナは口笛を吹く。すると、空に舞っていた影が、一直線にこちらへ急降下。そのまま『V』を描き、ハンナを拾い上げた。
 ――――いい判断だ。
 ドラゴンの背から、遠ざかる異形を見下ろしたハンナは、
「言いなりになってるようで、やっぱスッキリしない!」
 その場で槍投げの構えをし、
「死ねえ!」
 持っていた大剣――唯一の武器を放り投げた。
 ハンナの力で加速した乾坤一擲は、重力と重量、慣性の加護を受け、超高速の飛翔体と化す。数秒で空気の壁を突き破った刃は、そのまま異形へと直撃した。激突した箇所ゆえ、視界を遮る煙はない。さらに言えば、通常ならば伝わるであろう衝撃もなかった。すべて、吸収されてしまったようだ。
 深々と突き刺さりはしたが、途中で停止しているのがよく見えた。その穴もすぐにふさがり、元通り。
「アルファゲルかよ」
 のこのこ回収するのも癪なので、ハンナは下僕たるドラゴンに命じ、本拠地へ向かわせる。残りの一二本はもう、ここに来るまでの戦闘でボロボロだ。一度帰って、あいつに鍛え直してもらおう。
「それにしても」
 顔を叩く風を気にせず、ハンナは青く大きく広がる空を見上げる。
 あの子達は、今何をやっているのだろう。
 あれから会っていない家族の行方に、想いを馳せた。

第一章 

 四鹿(よつしか)跡永賀(あとえか)の朝は早い。
 というのも、隣室からの打撃音で否応なく目が覚めてしまうからだ。
「またか」
 イライラで頭を掻き、短い髪が揺れる。跡永賀は早々に廊下を渡り、件の部屋のドアを開く。そこから漂う悪臭には、悲しいことに、もう慣れてしまった。
「壁殴るのやめろって何度言えばわかんだよ、この豚野郎!」
「ぶひぃいいいいい!」
 そこにいたのは、肥満体型の男だった。四鹿初無敵(そんてき)、跡永賀の兄である。十代後半だが、その肥えに肥えた体と、油ギッシュな肌と髪でそれはすでに中年の様相である。
「だ、だってね、アットたん。こいつがボクティンの嫁をね……」
 太い指が差した先には巨大なテレビがあり、高画質の映像が流れていた。
「またアニメの主人公に嫉妬かよ」
 何のことはない、ごくありふれたラブコメがそこでは展開されていた。典型的なイケメン主人公と美少女のやりとりである。
「深夜アニメの昼夜逆転生活も、アホみたいに高いアニメの有料放送にも文句はつけないけどよ、一々そんなことで叩き起こされる身にもなれよ。こっちには学校があるんだからさ」
 すっかり汚れ曇った窓からは、まだ日は見えない。深夜と黎明の狭間だ。老人でさえ布団の中であろうこの時刻に、なぜニートのごくつぶしに叩き起こされねばならんのか。
「くそっ……また壁を殴っちまった」
 言っているそばから、また壁を叩く兄。彼にとっては、弟の会話よりこちらの方が優先される。録画しているため、見逃しても問題はないはずなのだが、『放送そのものを楽しむことが大事』ということだ。
「てめえいっぺん死ね! 三・四回死んだあとにもういっぺん死ね!」
「『いっぺん死ね』だなんて、アットたんもわかるようになってきたね」
「わけわかんねえよ」
「このニワカめ」
「何の話だよ!」
 サブカルチャーに疎い――初無敵と比べれば、誰でもそうである――跡永賀にとって、その深みにある兄の言葉は、日本語であるはずなのに理解できないことが多々あった。
「それより、用が済んだなら速く出て行ってくれないか。ボクティンも暇じゃないんでね」
「毎日が日曜日の奴が何いってんだ」
「あーくそ。やっぱこの声優だめだな。声に処女らしさがない……っと」
 跡永賀をそっちのけに、初無敵はテレビの横にあるディスプレイ、その前に置かれたキーボードをカタカタ叩く。なんでも、アニメをBBSで実況しているらしい。同じようなことをする人が何人もいるらしく、それゆえ盛り上がり、連帯感が生まれるんだそうな。社会で盛り上がれず、連帯できない人間のすることではない。

「母さん、兄さんどうにかなんないの?」
 ようやく日が昇り、皆が起きる頃、朝食の席にて跡永賀はそう嘆いた。
 母親――四鹿花子(はなこ)はやれやれと肩をすくめる。
「またその話?」
「何度も言いたくなるくらい酷い話なんだよ」
「いいじゃない。人様に迷惑かけてるわけじゃないんだし」
「現在進行形で俺に甚大な迷惑をかけてんだよ!」
 勢いに任せてテーブルを跡永賀が叩くと、花子の隣に座る姉――四鹿冬窓床(ぷゆま)の体がビクリと跳ねた。「あ、ごめんよ姉さん」跡永賀は慌てて彼女に手を振る。姉の冬窓床。体は自分より小さく、短めの髪もあって年下に見える。物静かで引っ込み思案な文学少女、それが彼女。
「しゃあないよ。もう諦めな。それが家族ってもんよ」
「それと……母さん、名前変えたいんだけど」
「バカおっしゃい」と今度は花子がテーブルを叩く。冬窓床の持っていた椀が揺れたが、母親に頓着はなし。
「親がせっかくつけた物を、この子はそんなホイホイ捨てるなんて」
「いや、だって……こんな読みづらい名前つけられて、今までどれだけヒドい目にあったか。グレなかったのが奇跡だよ。こういうのは受験や就職じゃ不利になるらしいし。そんなアホな理由でハンデもらうくらいなら、さっさと変えた方がいいよ」
 結構好奇な目があるのも事実だし、記名も面倒だ。漢字で自分の名前を一発で読めた人は、高校に入ってもいなかった。
「なんてこと!」
 花子は露骨に不服を表現した。
「いいかい? お母さんとお父さんは、こんなありきたりの、陳腐な名前をつけられて、どれだけ苦労したか。ねえお父さん?」
 花子の視線の先――キッチンの向こうで、四鹿太郎(たろう)はフライパンを扱いながら、「ああ、そうだね」と疲れた声で答えた。結婚してから――おそらくは出会ってから今まで――尻に敷かれている父は、家事の一切を担当している。しかもサラリーマンだ。よく過労死しないな、と跡永賀は陰ながら感心し尊敬していた。
「こんな平凡な名前で変に笑われるし、かといって広がりがないから話の種にもならないし。『偽名ですか?』なんて聞かれたこと、一度や二度じゃないんだよ。だから子供たちには、華やかで珍しい名前をだね」
「極端なんだよ。一発芸みたいな珍名の方がよっぽど苦労するっての」
「ともかく、お母さん許しませんからね」
「ニートはよくて、それはダメって……わけわかんないよ」
「そこは『わけがわからないよ』だ!」
 ドスドスと食卓にやってきた長男に、「やかましい」と三沢ばりのエルボーを見舞う跡永賀。
「あべし!」
「てめえのオタトークなんざ誰も聞いてねえんだよ!」
 蹲る肥えた体に、跡永賀の踏みつけが降り注ぐ。
「オウフ……弟よ、それは我々の世界ではご褒美なのだよデュフフ」
「このどエムのクソ豚が!」
「ぶひいいいいいいい!」
 家庭内暴力の真っ最中だが、誰も止めない気にしない。それは、いつものことだった。
 いつまでも続くと思われた、日常だった。

「さてと、会社に行ってきますか。いくわよお父さん」
「あ、ああ」
 マイペースに食事を終えた母は、調理を終えてぐったりしていた父を急かす。ちなみに父は昼と夜の分もすでに作っており、洗濯も済ませている。帰ってくるのは遅い。同じ職場で働く母に付き合って、ゲームセンターに行くからだ。花子は凄腕のゲームオタクで、太郎はその相棒というのが、結婚前から続く関係である。ゆえに、両親の帰りはいつも遅い。
「そ、それじゃあな。皆の弁当、作ってあるから」
「ボクティンのご飯は?」
「ああ、もちろん作ってあるさ。ちゃんと仕事探さなきゃだめだぞ」
「ふひひサーセン」
 よろよろと背広に袖を通す父に、長男は謝る気などまったくない詫びをいう。もちろん、この自宅警備員が職探しなどするはずもなく、ハローワークどころか、求人誌さえ手にしたこともない。一日中家の中で、好き勝手に過ごす毎日だ。
「それじゃ、いってきます」
 父を伴い、母は家を出ていった。
 オタク同士ということで意気投合した二人が結婚して我が家はできたわけだが、自分はオタクではない。跡永賀は強く否定する。ああなった兄を見て、自分もそうなろうなどと、誰が思うか。
 そう、自分は断じて、
 オタクじゃない!

【学校・教室】 
「いや、だから最高傑作はファーストだというのがFA(ファイナル・アンサー)だと何度いったら」
「この懐古主義者め。たしかに出来はいいが、あのクオリティーはもう時代遅れ」
「かといって最新作のSAGAはどうなのって気もするけどな。どんなものでも視聴を強いられるのは我々の悲しきサガか」
 放課後、がやがやと三人のさえない男たちが一つの机を囲んで話をしている。
『アットはどう思う?』
 その三人が、一斉に跡永賀を目に映す。机の主は目をそらして、
「さぁ。俺、オタクじゃないし」
「またまたご冗談を」
「あんなディープな兄者がそばにいてそれはない」
「本当は相当の強者なのであろう?」
「勝手に決めんなよ。……もう帰る」
 不機嫌な顔で跡永賀は教室を出る。背後からの声には構わず。
 最初は、あれが普通だと思っていた。跡永賀は自分の白い腕を見る。病弱な体が災いして、外にも出ず家にばかりいた小さい頃。姉は本の虫で、父や母や兄はああいう趣味。基準・模範になるのがそれでは、そういうものが常識や流行だと思わざるを得ない。だから、それが――オタクが皆にとっても当たり前だと思っていた。
 違和感を覚えたのは、中学に入ってから。自分が、自分たちがマイノリティーの一員だと、そこでようやく気づけた。
 その時は、嫌な汗と妙な恥ずかしさが止まらなかった。
 しかし幼少時に形作られたスタイル――キャラクターは、そう簡単に変えられない。入学時によくあるグルーピングでは、やはりそういう連中と親しくなってしまう。
 中学生活を暗黒時代にしてしまった反省から、今度こそはと臨んだが……そこにも兄の残した空気というか、印象があって……。
 高校生活早々、自分は周囲からオタク認定されてしまった。ゆえに、自分のところにやってくるのは、そういう連中ばかり。
 歴史は、繰り返された。
「姉さん……?」
 廊下を曲がり、下駄箱がある玄関に出ると、自分の靴箱の前に冬窓床がいた。しきりにキョロキョロしていた彼女が弟の姿を認めると、起伏の乏しい顔にほわっと笑みが広がった。
「どうしたの?」
「……これ」
 蚊が鳴いた方が聞こえるんじゃないか、というくらい小さな声で、姉は紙の包みを出した。
「俺に?」
 こくん。頷いた顎を見て、跡永賀は中を開く。
 綺麗な円のクッキーが数枚入っていた。
「家庭科の実習……」
「で作ったんだ?」
 こくん。
「食べていい?」
 こくん。
 一枚をつまんでパキリと口にすると、ほどよい甘さが広がった。「おいしいよ、ありがとう姉さん」
「うん」
 そんなに嬉しいのか、赤くはにかんだ顔を見せる。「じゃ、じゃあ気をつけてね」「うん、姉さんもがんばって」
 とてとてと去っていく頼りない背中を見送って、跡永賀は靴を履き替える。姉は図書委員会に文芸部と、やはりというか、本まみれの学生生活をエンジョイしている。あの消極的な姉がここまでできるというのに、自分ときたら……。
 跡永賀はやってきたバスに乗りながら、そっとため息。オタクではない。しかし、だからといって、それに代わる要素を自分は持っていない。ただの病弱な高校生になるだけだ。そうなれば今の連中との縁が切れてもボッチになるだけで……。
 さらなる悪化だ。
 ずーん。胸中に暗雲たちこめる跡永賀が座っていると、そばで長い髪が揺れた。
「隣、いいですか」
「あ。ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」
 一礼して隣に腰掛けた少女は、よく見ていた。同じバスに乗り合わせることが多いからだ。
「よく、一緒になりますね」それは向こうも同じようだ。
「ええ、まぁ」
 もっとも、よく見ていたのは、それだけではないのだが。整った顔やなびく長い髪が、どうも印象的で、心惹かれるのだ。特に声、声が美しい。いつまでも聞いていたいくらいだ。
「こういう人が彼女だったらなぁ」
「はい?」
「え? へ……あ」
 しまった、口に出ていたらしい。
「な、なんでも……というか、聞こえてました?」
「ええと、その……一応」
「ああ、そうですか……それは何というか」
「ええ……ああ、はい」
「…………」
「…………」
 微妙な空気が、二人の間に流れた。跡永賀はさっさと降りたい気分になったが、目的地はまだまだ先だ。それは向こうも知っている。露骨に逃げたり避けたりするのは嫌だった。
「いい、ですよ」
「?」
「彼女になっても」
「……マジですか」
「好きでもない男の人の隣に座ろうとは思いませんよ」
「……な、なるほど」
 跡永賀は奇妙な納得をした。

 わーい、やったー!
 飛び跳ねたい気を抑えつつ、跡永賀は帰路を走る。体を思いっきり動かしていたかった。
「げほっ、ごほっ」
 しかしそんな気分に体はついてこられず、わずか数秒で背を丸める。昔よりはマシになった体だが、それでも健康とは程遠い。普通の人間が容易にこなせる運動さえできないのだ。
「アットたんどした」
 帰宅した弟と廊下で鉢合わせた初無敵が首を傾げる。「すっごく嬉しそうやね」
「まあな」
「女?」
「な、なんで」
「男の勘」
「まあ、そうかもな」
「ふぅん」初無敵は、跡永賀をじっと見る。「な、なんだよ」
「普通ならリア充爆発しろ、と不幸を願うところだが、可愛いアットたんのこと、ここはグッジョブと言わざるをえないな!」
「あ、ああ」
 一番ゴチャゴチャ言いそうだと思っていた人間の言葉を素直に受け入れられず、跡永賀は曖昧に頷いた。
「それで、どこまでいったんだい? もう攻略済みなんでござろう?」
「攻略って……ゲームじゃあるまいし。アドレス交換しただけだよ」
「まだ序盤じゃないか、つまらん」
「ああ、そうだよ、悪かったな」
 こっちとしてはこうなったこと自体、奇跡みたいなものだ。それでも充分なのだ。
「そんな初心者のアットたんには、我が至高にして究極のギャルゲーを授けてしんぜよう」
「いらん」
 すたすたと自室へ戻る跡永賀の背に、初無敵の声が迫る。「ただ、これだけは言っておく」たまにある、真面目な調子。「皆が皆、僕みたいにお前を祝ってくれるとは考えるなよ」
「なんだよそれ」
 その言葉に、どこか底知れぬものを感じ取ったが、それをどうこう考える気はなく、ただ相変わらず変なことを言う兄だなと、跡永賀は思っただけであった。
 部屋に戻り、特に何をするでもなく兄や姉からもらった本――漫画や小説――を読んでいると、時計の針が五時に近づいているのが目に入った。
「そろそろ、行くか」
 一階に降りて靴を履いていると、目の前の扉が開いて姉が入ってきた。「いつものランニング?」
「うん。少しでも皆についていけるようにならないと」
「気をつけてね。苦しくなったら、すぐにやめるんだよ」
「うん」
 彼女が『一緒に行く』と言わないのは、それを弟が嫌がり、断っている経験からであろう。跡永賀は、自分のせいで姉を苦労させたくはないのだ。
 本当は、本を読んでいる方が性に合っているのだが。
 ひどくゆっくりとした速さで走る跡永賀は、そう思った。
 兄も姉も、気がつけば何かしら本を広げている。初無敵は薄い本――表紙と中身は見なかったことにした――、姉は厚い本――ハードカバーというやつだ――、自分は、とりあえずそばにあるからということで、兄と姉のお下がりを暇つぶしに使っている。
 読書家といえば聞こえはいいが……。
「ヘタすれば暗い奴だよな……」
 人と関わらず、本としか接しない。それはともすれば、内向的なだけに映る。実際、兄はともかく、姉が家族以外と話しているのを見たことが――いや、最近では自分としか話していないような。
 考え事をしているのがマズかったのか、それとも単純に身体能力が低いのか、足が何かにつまずき、体が傾く。
 やっばっ……!
「大丈夫?」
 地面と激突するかと思ったが、それは横から差し込んだ腕によって止められた。「ああ、うん。どうも。奇遇だね」「そうだね」
 今日から自分と交際している少女――赤山(あかやま)あかりから離れた跡永賀は、そばの建物に視線を移動させる。彼女は、ここから出てきたのだ。
「声優事務所……」
 高いビルから突き出た看板に、そう書いてあった。

「声優だから」
 隣を歩くあかりが、まずそう言った。
「声優が夢だから……じゃなくて?」
「うん。もうなったから。ダメ元で受けたオーディションでね、主役に抜擢されたの」
「すごいな。順風満帆だ」
「いいことばかりじゃないけどね。たしかに知名度はすっごく上がったし、仕事も来るようになった。けどね……」
 あかりは顔を伏せる。跡永賀は不審顔で「どうかしたの?」
「オタクっていうのかな、そういう人がどうも……好きになれないの。ヘンでしょ?」
「いや……俺も似たようなもんだよ」
「そっか。ああいう人たちのおかげで、助かってるところは多いってのはわかってるの。けど、何か暗いというか、影があるというか……」
「そうだね。陰湿というか引き篭もり気質というか……」
「そうそう。面と向かっては強くないくせに、当人がいないとこで大きな顔をして……やっぱダメだなぁ」
「だよね。そう、なるよね」
 こういうのが嫌だから、自分はオタクではありたくないのだ。ああいう性質も、こういう印象も、自分とは程遠いところにあってほしい。兄はお構いなしだろうが、自分は御免こうむる。
「四鹿くんがわかってくれて……オタクじゃなくてよかった。それじゃ、私はこれで」
 表札で跡永賀の家の前だと察したらしいあかりに、「寄ってかない?」跡永賀はそう言った。すると少女はわずかに驚きを見せる。
「まだそういうのは、早いんじゃないかな」
「? ……あっ。いや、違う。そういうんじゃなくて……」
「そういうことってどういうこと?」
「だ、だからその……」
 動揺する跡永賀に、あかりはくすくす声を出す。「安心した。やっぱり四鹿くんが彼氏でよかった」
「光栄です……」
 嬉しいような、情けないような、不思議な気分だ。
 玄関に両親の靴はなかった。跡永賀にとっては都合がいい。余計な茶々は入れられたくはないのだ。
「跡永賀、おかえり……?」
 まず、出迎えてきた冬窓床が、あかりの――家族以外の存在に気づいた。「誰、その人」
「ああ、うん。姉さん、この人は……」
「はじめまして。弟さんの彼女です」
 にっこり。笑って一礼するあかりに、冬窓床が口にしたことは、
「消えて」
 ただ一言だった。
『え……?』
 跡永賀とあかりは、二人そろって呆けた。どちらかが聞き返そうとするより速く、ノシノシとした足音。
「おぅ、帰ってきたでござるな、アットたん。そんで隣にいるのは……ほぅ」
「知っているのか」
 訳知り顔になった兄に跡永賀が問うと、「もちろんですとも!」と強い声。
「彼女こそ、突然の主役抜擢からチャンスを手に入れ、一躍スターとなったアイドル声優、赤山あかり嬢ですぞ!」
「は、はぁ」
「ん? するとアットたんの言っていた彼女というのは……」
「そこの雌豚のこと」
 不機嫌の権化のような顔をした冬窓床の言葉。「ね、姉さん? さっきからどうしたんだよ。こいつは素直に祝福してくれたのに。なぁ……?」
 兄に水を向けた跡永賀。しかし同調することはなく、初無敵は太い指をあかりに向けた。
「●ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッッッッッッ●ッ!」
 叫んだ。あらん限りの罵りであった。
「この売●が! そんなに男に飢えてるのか! 男あさりが楽しいか、この●売! 恥を知れ! ●子にまみれた声を聞かせやがって! この――たわばっ」
 その罵声は、跡永賀の拳でようやく止まった。「お前もか!」
 

【夕方:四鹿家近辺の公園】
「俺も……知らなかったんだ」
 日が暮れる近所の公園、ベンチに座った跡永賀の言葉に、隣のあかりは「そうだろうね」
「知ってたら家に入れようとしないよね。わかってる。わかってるけど……」
 視線を落ち込ませた彼女。何をすれば慰めになるのか、跡永賀はわからなかった。
「念のために言っておくけど、俺の考えは違うんだ。あんな風には思ってないから。俺は赤山さんのこと……す、好きだから……」
「そっか。……そっか」
 ふーっ。彼女はその細い喉から息を絞り出し、顔を手で覆う。
「だから気に」
「上等よ」
 跡永賀の言葉を遮り、彼女は力強く頷く。「お淑やかなだけで、ここまでやってきたわけじゃない。いつだって、自分の力で欲しいものは勝ち取ってきた」
「あ、あの」
 彼女から噴出する不穏な空気に困惑する少年。そこへ『ばっ』とあかりは顔を向ける。「だったら手始めにすることは」
 顎に手がかかり、視界が彼女で満たされる。
 感触は、なんというか……。
 柔らかかった。
 唇を離したあかりは、不敵な笑みを浮かべる。
「私、跡永賀の恋人、辞める気ないから」
 彼女の豹変。
その突然に、跡永賀は情けなく呆けるしかなかった。

【帰宅後の夜:自宅・初無敵の部屋】
「それで、どういうことなんだよ」
「何がでござる」
 すっかり日もくれた頃、あかりと別れ帰ってきた跡永賀は初無敵の部屋を訪れていた。
カタカタとキーボードを叩く兄の背に、弟は「お前、俺が恋人ができても問題ないどころか、祝福してたじゃないか。それが現実、ああなるのはどういう了見だよ」
「アットたん、アイドルというものはご存知か」
「そこまで無知じゃない」
「なら、アイドルのスキャンダルはどうでござる」
「実は男がいたとか、そういうあれか?」
「そうでござる。アイドルというのは、ある種の純潔――処女性というやつが求められるのでござる。汚れがないからこそファンは純粋に恋や憧れをアイドルにするのでござる」
「あかりは声優だろ? アイドルとは違うんじゃないのか?」
 あれは表舞台に立たず、映像に声を入れる裏方の職ではないか。
「アイドル声優でござる。最近は、といっても随分前から、声優というのは声だけでなく、ルックスでも売るようになったでござる。演じるキャラから独立し、オリジナルの曲を出したり、雑誌に顔出しで記事を載せたり……要するに、アイドルと同じようなことをしているわけだよワトソンくん」
「となれば」初無敵はターンッとスタイリッシュにエンターキーを叩き、
「そういった声優にもまた、処女性が要求される。恋人などもってのほか。ファンは血の涙を流しCDを叩き割る勢いでござるよ」
「お前もその一人だってことか?」
 だったら悪いことをしたな。跡永賀は珍しく兄に対して申し訳なさを感じた。
「いや、ボクティンはそこまでディープじゃござらぬ。ただ、そういうノリに乗っかってみただけでござるよ」
「……そうかよ」
 今の気持ちを持ったことを、跡永賀は後悔した。「だったらあかりはいつまでたっても恋愛禁止なのか?」
「そうでもござらぬよ。老ければファンは逆に結婚を望むようになるし、一定の人気があれば多少ファンが減っても痛くもかゆくもない。もっとも、赤山嬢の場合は一発当てただけの駆け出しであるから、一番そういうことは避けた方がいい時期にあるでござるな」
「なるほど、な……」
 なかなか面倒な状況に彼女はあるらしい。
「お前の事情はわかった。あと聞きたいのは」
「長女のことでござろう?」
「ああ」
 あの物静かな姉が、普段とはまったく違う態度を見せた。これは異常だ。
「こんなこともあろうかと、こういうものを用意した。まずはこいつを見てくれ」
 がさごそ。初無敵がそばの棚から取り出したファイルが、跡永賀の手に置かれる。
「安価スレで妹の下着をうぷする羽目になり、長女の部屋を漁っていたら見つけたものをコピーしたものでござる」
「なんだかよくわからんが、ロクでもないことをしたのはよくわかった」
 殴ろうと思ったが、やめた。今はこのファイルの中が気になる。
「おっと、これを飲みながらにしてくれでござる」
 部屋にある小型冷蔵庫から取り出されたペットボトルのお茶を受け取る。
「なんで」
「まあいいから。交換条件みたいなものでござるよ」
「……わかった」
 なんのことはない、普通のお茶を口に含む。ファイルを開くと、コピー用紙の束が挟んであった。
 そこに書かれたのは、小説のようであった。

『――――夜。鈍いきしみを立て、扉が開く。いつものことながら、体に力が入ってしまう。意図しない緊張が、布団の中の私に警告をする。また、彼が来たのだ。
 問答もなく、布団がめくられる。パジャマ姿の私が彼の前に出された。
「いや……」
 闇の向こう、彼がいるであろう場所に拒絶を告げる。しかし、そんなことで彼は止まらないのだ。わかっている。けれど、私が拒まなければ、本当にどうしようもなくなる。
 ベッドのスプリングが縮み、彼を受け止める。彼はもう、私を覆うような位置にまで来ていた。
「姉さん……」
 甘い声で囁き、彼が私の頬を撫でる。手はそれから首へ、そしてそのさらに下へ……。
「ダメよ跡永賀。私達、姉弟じゃない……」
「関係ないさ。姉さんが欲しいんだ」
 拒もうと伸ばした腕は、たやすく抑えられる。あの華奢で弱々しかった彼は、いつの間にか自分を組み伏せられるまでに――立派な男のそれになっていた。
 彼の唇が降りてくる。私は涙を目に浮かべた。悔しいのではない。こうされることが嫌ではなくて、むしろ喜んでいる自分がいる。その嫌悪で潤むのだ。
「愛してるよ、姉さん」
 私もよ、跡永賀。
 涙はそっと流れ』

「ブーッ」
「おお。期待通りのリアクション」
 跡永賀の口から放たれた茶が、霧吹きのような噴射を表現した。
「げほっ、えほっ……これって」
「うむ。長女とアットたんの濃厚な絡みでござる」
「これを姉さんが……?」
「そういうことになるでござるな」
 跡永賀は改めて紙面を見る。たしかに、コピーされているのは姉の字だが……。
「あの姉さんが……」
「普段おとなしい連中というのは、内面はすごいことになってるものでござるよ。その凄まじいエロシーンは、長女の妄想というか、願望でござろうよ」
「じゃあ、あかりへの態度の理由は……」
「嫉妬……ジェラったのでござろう。おそらくは夜な夜な、そんな感じのイメージをおかずに寂しくも激しい夜を……ほげぇ」
 さすがに拳が出た跡永賀は、「そんなまさか」未だに現実が受け止められない。
「やったねアットたん! イベント回収フラグだよ! ぐえぁ」
 二発目の鉄拳を決めた跡永賀が、深い溜息。
「冗談だろ……」
「いいじゃないか。ボクティンなんて長女からは畜生扱い――ご褒美ではあるんだけどね――なんですぞ」
「ああそうかよ」
 興味なさそうにして跡永賀は退室した。
 廊下を出、正面の扉――冬窓床の部屋に繋がる扉が目に入る。不意に、ノックしようと手が上がったが、すぐに下ろした。語る言葉が見当たらない。姉の考えをまっすぐに問えば、それだけで関係がギクシャクしそうで、嫌だった。
 結局、開いたのは自室の扉だった。
「つい持ってきたけど……どうするかな」
 このファイルを兄のところに置いておくのは癪であったが、かといって自分のところに置き場があるわけでもなく、必要としているわけでもない。こっそりどこかで捨てるのも、その後が気になって精神上よろしくない。わざわざシュレッダーを入手するのも手間だし、このご時世、燃やすこともままならない……。
「いっそ、そっと姉さんに返せばなんとか……」
 扉の方を背に、ぼんやりファイルの中を眺める。
「ならないよなぁ、やっぱり」
「なにが?」
「ん?」と振り返れば、不思議そうな冬窓床の顔が――
 唖然としたものになった。
 どうやら、跡永賀の手のものを読んでしまったらしい。
「っ」
「ちょ、まっ」
走り去ろうとする姉の腕を引く。体が弱いとはいえ、さすがに男と女、どうにか引き止め
ることはできた。
 できたが、そこまでだった。
 踏ん張りがたらず、そのままベッドに身を弾ませる。遅れて、ファイルがフローリングを転がる音。
「……姉さん、無事?」
 下になった形の跡永賀が腕の中をのぞくが、表情は伺えず返事は聞こえない。
「姉さん?」
「どうして……」
 やっと届いた声は、いつも以上に細く弱い。
「データに残らないように手書きでこっそり……なのにどうして……」
「ええと……兄さんが教えてくれた」
「あの畜生が」
 怨嗟にまみれた呟きに、跡永賀は嫌な汗を流した。
「あのね、姉さん」
 とりあえず何か話そうとすると「ごめんなさい」姉が口を開いた。
「別に……そういうこといつも考えていたわけじゃないの……あれはその……思いつき……冗談とか、そういうものであって、だから……あ、でも、跡永賀のこと嫌いってわけじゃなくて」
 何を言いたいのか、よくわからなかった。わかったことは、姉は自分のご機嫌を気にして必死になっているということくらい。
「…………姉さんはさ――いや、おねえちゃんは、あの時の約束を覚えてるの? 俺とは違って、守る気があったの?」
「!」
ばっと冬窓床が顔を上げる。ようやくわかった表情には、驚愕や羞恥、そして絶望があった。
「あっ、ああっ……」
 ぱくぱくと酸素を求めるように唇を開閉させる姉に、跡永賀は「そっか」
「もう時効というか、自然消滅したと思ってたよ」
「そんな、こと……」
 跡永賀の手が冬窓床の頬を撫でる。
「姉さんは昔のままだったんだね。昔の……俺の初恋の人のまま……」
「! わ、私だって」
「……そっか」
 だいたい、わかった。
「ちょっと、外に出てくる」
 姉の体を横に寝かせ、跡永賀は立ち上がる。ここに――冬窓床と二人でいたくはなかった。一人になりたかった。
「ま、待って」
 離れていく袖に冬窓床の指が絡む。
「私達、姉弟のままなの?」
「…………」
「私は、跡永賀が別の人と幸せになっていくのを、見ているしかないの?」
「…………」
「このまま、ずっと……」
「俺は、『おねえちゃん』が『姉さん』になってから、そうなると……おねえちゃんもそうすると思ってたよ」
 振りほどくように腕を振って、跡永賀は階下へ降りた。
 軽くジャンパーを羽織って外に出ると、予想以上の寒さが肌に刺さった。ぶるりと震え、帰宅を強く推奨する体を無視するように、跡永賀は街灯でまばらに照らされた道を歩く。
 無闇な外出ではない。目的地はあった。
 そこは、近所のアパート。決して綺麗でもなく、立派でもない。生活に困っていなければ住む気も起きないような、お粗末な物件。
 跡永賀の興味の対象は、その一室にあった。

『空室』

 その扉には、乱雑な一筆による紙が張ってあった。それを確認した跡永賀は、仰ぎ白い息を吐く。
「昔のまま、か」
 どうせそうだろうと思ってはいたが、心のどこかで望みは持っていた。ここに戻っているかもしれないと。
 姉の本当の両親が、帰っているかもしれないと。

【約十年前】
 古家(ふるや)実夏(みか)。
 初めて彼女と出会った時、それが彼女の名前であった。
 お互い幼稚園児で、同じクラス。住んでいるところが近い――仲良くなるのは、当然のような流れだった。
 その頃の彼女というのは、今以上におとなしく、ひかえめだった。振り返れば、それは家庭の事情によって形成された性格……適応だったのだろう。
 彼女は、あのアパートの一室――狭く汚い家で育った。防音性など皆無なので、騒ぐことは許されず、スペースのなさゆえ満足に体を動かすこともできない。彼女の行き着いた行動は、自然と読書に絞られた。さらに、子供特有の喧騒に嫌悪していた父母の存在が、それを促進させた。あの無理解と不条理に満ちた叱責は、今でも跡永賀の耳に残っている。家庭内において、彼女の自由はほとんど死んでいた。
 そのせいか、当時の彼女は他人に迷惑をかけることを極端に恐怖し、他人との会話を極端に回避した。現在でもその名残は充分ある。
 それでも――――それでも彼女は、そんな両親に、環境に満足していた。
『おねえちゃんは、たいへんだよね。いつも怒られてばっかで。何も悪いことしてないのに』
どうして『おねえちゃん』と呼ぶのかというと、誕生日の話題になった時に、彼女の方が早く生まれていて、『じゃあ、みかちゃんがおねえちゃんだね』といった話をしたからである。
『そんなことないよ。お父さんとお母さんが怒るのは、私がいけない子だから。いい子になってほしいから、怒ってくれてるんだよ』
 純粋にそう言って笑う彼女に、異を唱える気にはなれなかった。
『ふーん、そうなんだ』 
 しかし結局、彼女の両親は彼女の思ったとおりの人間ではなかった。
 ある日の幼稚園の帰り、いつも通り――通り道なのもあって――彼女を家に送ると、そこには何もなかった。
 誰も、いなかった。
 両親の姿はなく、家財道具もほとんど持ちだされ、まるで空き巣か借金取りが通り過ぎた様相であった。醜く、貧しいながらも存在していた家庭は、影も形も失せていた。
 何か――こどもにはわからない、大人の事情があったのだろう。幼い自分達は、そう思うしか術はなかった。しかし、いつまで経っても、そこには誰も来なかった。最初は他愛のない話で時間を潰し、そのうち慰めや望みの応酬……。やがて、どちらも口を開くことはなくなった。
『…………』
『…………』
『おねえちゃん?』
『…………』
 夕暮れ、そろそろ帰らなければいけない時分、跡永賀は久しぶりに声を出した。ここに居続けるか、それとも自分だけ家族の元に帰るか、決めなければならない。
 彼女は、無表情だった。無表情で、いつまで待っても開かない扉を力ない目で眺めていた。まるで、心が現実を受け入れることを拒否したように。
『いっしょに、いこう?』
 そんな彼女を見ているのが嫌で、その手を掴んだ。
 好きな人をこんなところに置いていきたくなかった。

【現在】
 あの時から、彼女との共同生活が始まったのだ。古家夫妻が多額の負債を抱えていたことを知り、失踪の原因はそれだろうと周囲が納得する頃には、実夏は冬窓床と名を変え、四鹿家の一員になっていた。
 それから色々なゴタゴタを――大人たちの助力もあって――乗り越えて今に至るわけだが……。
「跡永賀……? こんなところでどうした?」
 声に気づいてそちらを向けば、父の姿があった。くたびれた背広姿で、両手にはエコバッグ。買い物の帰りのようだ。
「ちょっと散歩」
「散歩、か」
 息子の視線の先にあったものを確かめた太郎は、意味深に頷く。
「冬窓床と何かあったのか」
「…………」
「そうか。だったら家で話を聞くわけにもいかんな」
 そう言われ、連れてこられたのは公園のベンチ。ここで夕方にあかりと……。
「どうした? 顔が赤いぞ。風邪か?」
「別に」
「そうか」
 息子に缶ジュースを渡した太郎は、その隣に腰を下ろす。
「それで、どうしたんだいったい。珍しく喧嘩でもしたのか」
「逆だよ。姉さんは、昔の約束を守ろうとしてたみたいでさ」
「約束ってあれか。お前が冬窓床を嫁にするとかどうとか」
「……父さんも覚えてたんだ」
「そりゃ、まぁ。たしか冬窓床がうちで暮らすようになってからしばらくして、幼稚園で将来の夢って話題になって」
「姉さんが『すてきなおよめさん』って書いたんだよ」
 今思えば、あのクッキーもそういうこと――花嫁修業というか、予行演習みたいなものだったのかもしれない。
「そうそう。それでクラスの子に茶化されて……」
『おやにすてられたくせに、そんなのなれるわけない』
 ちょっとしたちょっかいのつもりだったのだろう。しかしその園児の言葉に、彼女は深く傷つき、涙を流した。それは家に帰っても止まらず、そばにいた跡永賀は意を決して、
「俺が『おねえちゃんとけっこんする』って言ったんだ」
 何も悪くない彼女が否定されるのは、悔しくて悲しくて、許せなかった。もちろん、彼女を憎からず想っていたというのもあるが。
『ほんとう?』
『う、うん』
『ほんとうにわたしなんかでいいの?』
『うん!』
『じゃ、やくそくして?』
 差し出された小指に、自身のそれを絡ませた。
 それだけ。
 それだけのことが、今も尚、続いているらしい。
「あれからもう、十年くらいか」
「うん」
 男二人、無人の公園を眺める。父親との会話。妙な気恥ずかしさはあったが、不思議と悪い気分ではなかった。
「父さんはいい女になると思うけどな。嫌なのか?」
「嫌じゃないけど、姉になったわけだし、今までそう考えてきたし……」
「姉だからダメなのか」
「そりゃ、普通に考えて……」
 気まずいものを感じて、それから逃避するようにジュースを口に含む。
「父さんは姉さんと結婚したぞ」
「ブーッ」
 跡永賀の口から噴射された飲料が、電灯の光を受けてキラキラ光る。
 キレイだが、キタナイ。
「げほっ、ごほっ、がはっ」
「そんなに驚くことか? ちょっとした洒落だぞ」
「洒落になってない……!」
「まあ、あれだ。結婚なんてな、必ずしも周りから祝福されるもんじゃないんだ。身分違いだの歳の差だの、駆け落ちだの、な。大事なのは、当人たちがちゃんと幸せになれるかどうかだ。最悪、世間体だの常識だのはほっとけばいい」
「むぅ」
 さすが年の功というべきか、正論のようであった。というか……。
「まさか、経験則……?」
 振り返ると、父と母は、わがままな姉のいいなりになっている弟のように見えなくも……。
「さぁ」
 すっとぼけるもんだから、息子はどんどん不安になっていく。
「それで、どうするんだ。このままつまらん固定観念にこだわって姉を泣かせるのか、それとも思うままに生きるのか。どっちかになると思うが。もっとも、娘を泣かせるのは許せんな、父として」
「でも俺にはさ、もう彼女がいてさ」
「ほほう。そいつは初耳だな」
「今日の昼だから」
「その後に冬窓床と――いや、彼女ができたから冬窓床と、ってわけか」
「そうなるね……」
 あかりと付き合うことになって冬窓床の好意に気づけたのだから、なんとも皮肉な話である。
「なんにせよ、相手とか偶然に期待するなよ?」
「?」
「自分では何もしないで、うまい方に事が進むと思うなってことだ」
「そろそろ帰ろう」立ち上がり、歩き出す父。「……わかってるよ」その背を追う跡永賀は、歯切れ悪く返事した。
 過去を振り返ればいいのか、未来へ突き進めばいいのか。
 跡永賀は悩むばかりだった。
 そして悩んでいる間も時というものは進み――――
 決断と結果を要求する。

 第二章 

 どうしてこうなったのか。
 深夜、自室のベッドで目が覚めた跡永賀は、まずそう思った。
 暗闇に慣れた目が、鼻先の影をじっと映す。
「…………」
 影の主は跡永賀の体に乗る形で彼を見下ろしている。夜の闇ゆえ、さすがにどういった顔をしているかまではわからない。
 けれど、その輪郭――正体ははっきりとしていた。
「姉さん、どうしたのさ」
 父と一緒に帰ってきて以来、彼女と会話はしていない。夕食も初無敵としょうもない掛け合いをして終わった。その間姉は、ずっと食器に目を落としていただけだった。あれは、もしかしたら思い詰めていたのかもしれない。
 そんな考えに、今ようやくたどり着いた。
「今更、なのかもしれない」
 姉の声は、悔いや悲しみに溢れていた。
「彼女ができてからじゃなくて、彼女ができる前に、ちゃんとしておくべきだった。甘えていた……逃げていた。跡永賀も私と同じように思っていたって、都合のいいように考えていた」
 冷たい――けれど温かい――水が、ひとつ、ふたつ、顔に落ちてきた。
「跡永賀にとって今の私は、ただの姉でしかなかったんだね」
 外の道を、車が通りすぎたらしい。一瞬、窓から光が差し込んだ。
 姉――幼馴染みの顔は、涙で濡れていた。
「私は、いままで……ずっと」
 彼女は彼女なりに、悩んでいたのだろう。姉となった後の自身と、それまでの自分との間で。その叫びのようなものが、おそらくはあの小説。
 姉弟であることへの不満、疑問。一人の女性として接してほしい願い。けれど、彼女は面と向かって、堂々と文句をいえる性格――境遇ではない。いつも、心のどこかに抱えて、耐えてしまう。あの小説は、その掃き溜めなのだ。
 姉弟という建前を乗り越えて、彼女は跡永賀に愛してもらいたかったのだ。
 ただの女の子として。
「……そっか」
 上半身を起こすと、それに合わせて姉の体も持ち上がる。さっきも感じたが、彼女は小柄なのもあってか、存外軽い。枕元にあったリモコンをいじると、すぐに部屋の照明が作動した。
「ごめん。今まで気づけなくて」
 座った跡永賀に抱えられた形で、冬窓床は彼の脚の上、胸の中に身を収める。一時期は彼女の方が背は高かったのだが、今では影も形もない。
「一緒に暮らすようになって、最初はさ、結構どきどきしたんだけど、いつの間にか、そんなことはなくなって――そんなことは、いけないことなんだって思うようになった。だって、姉弟――家族なんだから」
「…………」
 冬窓床は黙って、頭を目の前の胸に預けている。
「家族がいなくなったおねえちゃんのためにも、そうすることが、家族でいることが正しいことのように思えたんだ。俺には、ほかにできることはなかったから……」
 あの日、彼女の両親を追いかけることはできなかった。できたことは、彼女の手を引いてここへ連れてくるだけ。だから、それを徹すればいい――徹することしかできない。そんな考えが芽生えた小さな自分は、ある種の使命感を覚えた。
 それゆえか、いつの間にか幼い恋心はどこかにいってしまった。
 初恋の幼馴染みが、気が付けば大切な家族の一員になっていた。
「でも、もう違う」
「そうだね」
 お互いの誤解は、もうない。
 だから、選ばなければならない。
 進まなければならない。
 跡永賀の選択は――――

 →
  『おねえちゃんの恋人になる』
  『俺にはもう彼女がいるから』

「いやいや、これはない」
「?」
 脳内に浮かんだ選択肢を跡永賀はあっさり否定する。兄じゃあるまいし、こういう思考パターンはありえない。
 自分はオタクじゃないのだから。
「どうかしたの?」
「あの馬鹿の悪影響でちょっと、ね」
 小さい頃、よく兄のギャルゲー攻略に付き合わされていた。普通のテレビゲーム感覚でやっていた無垢な自分が、今は不憫でしかたがない。皆の話題にしているゲームが自分のやっているそれとかなり違うことに、もっと疑問を持つべきだったのだ……。
「おねえちゃん」
 呼ぶと、顔を上げてくれた。涙は止んでいたが、赤い目と頬の筋に心が痛む。
「俺も、おねえちゃんが好きだよ。今も昔も、ずっと」
 あかりの時のような動揺は、なかった。それは良いのか悪いのか。けれど、面と向かってきちんと言葉にしなければ伝わらないのだから、そういう意味ではいいことだろう。
「よかった」
 冬窓床の頬にほんのり、朱が広がった。跡永賀もまた、温かいものが胸を満たしていく。
「…………」
「…………」
 会話が止まった。基本、冬窓床との会話は跡永賀が話題を振って展開されるわけだから、彼が黙れば自然と流れは止まってしまう。
「あー……このまま寝ちゃう?」
 この時間、ほかにすることもないわけで。昔はよく一緒に昼寝していたわけだし。
 すると、姉の肌はあっという間に紅を浴びた。
「…………えっち」
 ぼすっと顔を胸にうずめられた跡永賀は、首を捻るばかり。「…………んぅ?」やがて何かに気づき、姉とは対照的に青くなる。これは、昼間と同じミスだ。
「いや、ちがっ」
「跡永賀になら、いいよ。私のはじめて、全部あげる」
「そ、それは光栄だけど……」
 
 →
  『このまま押し倒す』
  『謹んで辞退する』

だから違うって!
 オタクじみた思考に、頭を振ってさよならした跡永賀は、かといって解決策を持っていないことに気づく。
「えっとね、俺が言いたいのはね、昔みたいに一緒に眠ろうということでね、やましいことを考えているわけじゃ」
「知ってる」
 まるでイタズラが成功した子どものような笑い声。「跡永賀が奥手で優しいことは、私が一番よく知ってるから」
「そりゃどうも」
 冬窓床はそっと跡永賀の胸に手を添える。
「でも、それが災いして変なのが寄ってくるのよね……」
 小さき声は服に消え、跡永賀まで届くことはなかった。

【翌日――休日の午後:初無敵の部屋】
「それで結局、ただ寝ただけでござると」
「眠れなかったけどな」
 隈の浮いた顔で跡永賀は嘆く。昔のようにはいかなかった。姉の方は安らかな顔をして眠っていたが。
「要するに姉さんにとって、あかりは不穏分子ってところか」
「左様。しかし、同時にインセンティブにもなったようで」
「らしいな」
 事実、姉は動き出した。今までの家族の形が崩れてしまった。
「しかしあれだな、家族ってのも存外面倒なのかもな」
「家族、ええじゃないか。何もしなくても養ってくれて! いいぞぉ!」
「お前はそうでも、俺や姉さんはいつか自分で家庭を作る時がくるだろ。現状の家族……集団にこだわりすぎてもしかたないだろ」
「アットたんはこの家族は必要ないとな?」
「必要ないとは言わないが、そこまでこだわってはいない。いなくなってもうまく立ち回れるさ」
「ほほう」
 初無敵は意味深に笑い、「そういえば、こういうものがあるでござるよ」
 跡永賀に渡されたのは、一見何の変哲もない腕時計であった。デジタル式のよくある電波時計。
「そりゃ、よくあるけど。これがどうしたんだよ」
「まあ、つけてみるでござる。その方が話は早いでござる」
「…………」
 そう言うのなら。
 跡永賀は何がなんだかわからないまま――わかるため、自身の腕にそれを巻く。変化という変化はなし。やはり、何も起こらないではないか、と跡永賀はまばたき。
 そして世界は変わる。

【????】
 見晴らしのいい、どこまでも続く草原に、気がつけば跡永賀は立っていた。抜けるような青い空を、巨大な怪鳥が優雅に飛翔する。
 頬を撫でる風が運ぶ、土や草の匂い。そこには、確かなる大自然があった。
 深く息を吸う。澄んだ空気ゆえか、いつものような肺の痛みはない。
 まさかと思い、跡永賀は地を蹴る。
 走った。
 走れた。
 どこまでも続く青空の下を、跡永賀は走り続けた。大地の上を、跡永賀はいつまでも走り続けられた。
 今までの世界ではできなかったことが、そこではできたのだ。

「アットたんにも〝視えた〟でござるか? あの世界が」
 元の世界に戻ってきたのは、何度目のまばたきであったか。
「今のはこいつのおかげか……?」
 巻かれた腕時計を見上げる跡永賀に、初無敵は「左様」
「それを装着すると数分だけ異世界に居られるのでござる。それに――覚えているでござろう? その間の記憶――ここにいた感覚が」
「……っ」
 跡永賀は額に手をやる。たしかに、覚えている。あの世界にいたはずの数分間、自分は同時にここにいた。ここで、兄とつまらん雑談をした覚えがある。
 自分はたしかにあそこにいたし、ここにもいたのだ。
 これは矛盾か。
「これはいったい……」
「すごいでござろう?」
「なんだこれは」
「こういうものでござる」

〈テスタメント〉

 ガサゴソ取り出された書類の最初には、そう書かれていた。ぱっと見は腕時計のカタログのようだが……。
「新しく出るゲームでござるよ。今のはサービス開始前のお試し――体験版でござるな。ちなみに二度目はなし、時計を替えても同じだそうな」
「ゲームという割には腕時計の記事ばかりだな」
 パラパラとページをめくる跡永賀に、初無敵は「これの面白いところは、既存のハード――ゲーム機やPCを使わないところでござい」
「まさか、腕時計がコントローラーなんて言うんじゃないだろうな」
「そこまではわからぬ。ただ、アットたんならもうわかるでござろう? これはそういう次元のものではない」
「まぁ、な」
 あれはゲーム機――ハードがどうのこうのというレベルではない。そこはある種の現実――ヘタしたらそれ以上のリアル感――があった。最近のモーションセンサ―など比較にならないし、マンガによくある脳に繋いでどうのこうのでもない。
「公式サイトによると、キーアイテムはこれだけなのでござるよ。サービス開始までに、この中の――提携先の腕時計メーカーから好きな腕時計を選んでつけていれば、参加できるそうな。オープンβテストゆえ、費用は一切無料」
「これだけやって無料……赤字じゃないのか」
「おそらくは、需要が先細りしている腕時計メーカーをうまく抱き込んだでござろうな」
「ケータイあればそこまで必要じゃないからな」
 日時を知るにも、携帯電話があれば充分。最近は腕時計をしている人間は以前より少なくなっている。跡永賀もその一人で、使うにしても、何かの試験の時くらいだ。普段は面倒で着けていないし、探さなければ見つからない程度の代物だ。
「そうそう。だからこれを契機に景気をよく――ハッ」
「いや、そんなにうまいこと言ってないから。それはそうとしても、どういう仕組みで作動してるんだよこれ」
「さぁ」
「さぁってお前……」
そんな訳の分からないものを勧めるなよ。跡永賀は心で不満を吐いた。
「質問に質問で返すでござるが、アットたんは現行のゲームの動作をきちんと理解できてるでござるか?」
「…………」
「そういうものでござるよ。事は面白ければ、便利であれば、後はどうでもいいのでござるよ」
「仮に説明されても理解できるとは限らないしな……」
「左様。自動車の原理なんてわからなくても、運転はできるでござる」
 結局、跡永賀はその資料を受け取ることにした。やると決めたわけではないが、それなりの興味はあったのだ。今までとはまったく違う、新しいゲームに。
 新世界に。
「いや、でも俺はオタクじゃないから」
「誰もそんなこと聞いてないでござるよ」

 適当に作った昼食を食べた後、跡永賀は自室に戻る。休日といえど、両親の姿は家にない。今頃母親はゲームセンターでやりたい放題やっているだろう。父親はその付添だ。子供が成長し、手が掛からなくなってからは、こうして休みの日も家を出ていることが多い。そこにある種の虚しさや寂しさを覚えないではないが、かといって家族揃ってどこかへ行こうにも、上の二人はインドア派で、出かけることに興味がない。
 そして、一番のネックは自分なのだ。
 この体では、あまり遠出はできない。
 皆、口にはしないが、そういった配慮が水面下ではあるように感じる。
「『新しい自分になれる』、か。何か化粧か整形のキャッチコピーだな」
 横になって〈テスタメント〉の資料を改めて読んでみる。そこには公式サイトの情報から、それを取材した記事、果てはBBSの憶測や眉唾まで印刷されていた。
「あいつ、まさかこれを俺に見せたくて……?」
 自分用にしては、あまりにも客観視された――体裁の整ったものだ。
最後のページに到達すると、それは確信になった。
そのページには、達筆な筆致があるだけだった。

『これを読んでいるということは、もう僕はこの世にいないだろう』

「ねーよ」

『というお約束を済ませたところで本題。こういう形でないと、お前は素直に取り合わないだろうから、こうさせてもらう。この〈テスタメント〉、資料を読めばわかると思うが、まるで実体がない。プロトタイプ――αテストやクローズドβテスト――が以前あったらしいが、それに関しても噂程度の信憑性しかなく、そこで具体的に何があったかは判然としない。開発・リリース元になっているイグザム・エンタープライズもよくわからん会社だ』

「ヤバいんじゃないのか、それ」

『ここら辺で「ヤバいんじゃないのか、それ」なんてツッコミがあると思う』

「…………」
 
『ただ、試す価値はあると思う。そこでは、まったく新しい自分になれる。先天性の虚弱体質で悩むことも、後天性の特殊環境に歪められることもない。真っ当な人間を望むお前にとっては、ひとつの解決策ではあると思う。金も時間も取られないしな』

 跡永賀もそれには同意であった。
 現実で失うものは何もない。
 限りなくリアルな感覚。
 同時に存在する意識。
 生まれ変われる。
 やり直せる。

『本当なら、僕が先んじて試したいところだが、これは全員同時のスタートで、現時点で後出しは認められていない。だから、僕が手助けできるのはこうした事前情報の提供や、お前がプレイした場合のみ。チャンスは与えられても、ヘルプまでは手が回らないかもしれない。だから、慎重に選んでほしい』

「ふーっ」
 最後まで兄のメッセージを読んだ跡永賀は、深く息を吐く。初無敵というのは、こういう男だ。弟に危ない橋を渡らせようとしない。まず自分が経験して、それから跡永賀に勧めるかどうか判断する。おかげで、いわゆる地雷というものを体験したことはないが……。
「過保護だよな」
 他の兄弟はどうか知らないが、そう思ってしまう。
跡永賀は立ち上がり、机にあるパソコンを起動させた。
「本当に実態はさっぱりだな」
〈テスタメント〉をインターネットで検索しても、初無敵からもらった資料以上の情報はない。
 あるとすれば、日々更新されるBBSの軌跡くらいだ。

【[情報]〈テスタメント〉Part154[求む]】

 640 名前:NO NAME:07:44:34.78 ID:joisofj
 サービス開始予定日まであと数日になったわけだが……未だに新情報ないとかどういうことなの……

641 名前:NO NAME:07:49:54.64ID:jojfkio

640
 ゲーム雑誌もニュースサイトも役に立たんしなー
 俺は時計のタダゲットくらいに考えとく。それなら得はしても損はないだろ

 642 名前:NO NAME:07:54:34.85ID:gaokoaw
 これは神ゲーで一大ブーム、社会現象になるが、実は重大な欠陥があってプレイヤーがリアルに帰ってこれなくなるフラグ。

 643 名前:NO NAME:08:00:41.12ID:faisofj

642
アニメの見過ぎ。これだからオタは……。

 644名前:NO NAME:08:04:54.58ID:gaokoaw
 ゲームだし。一緒にすんなカスが

 645 名前:NO NAME:08:11:14.53ID:fefqaf
 おい、オタクくんが顔真っ赤にしてキレてるぞ。誰かなんとかしろよ
 ていうかあれラノベじゃなかったか?

 646 名前:NO NAME:08:14:14.57ID:gfshjn
 どうでもいいよ
 早くプレイしたいなー

 647 名前:NO NAME:08:31:41.78ID:kahgur
 そもそもどんなゲームになるのかと。RPGなのかアクションなのか。
 あれだけじゃなぁ。
めちゃくちゃリアルなのとプレイ時間実質なしってのはわかるんだが
ていうかあれが全部なんじゃねえの
誰ともエンカウントせずに、あの草原にいるだけーみたいな

 648 名前:NO NAME:08:45:25.98ID:dajofa
 以降、「ゲームできるできない」論争へ
 ていうか、この流れ何度目だよ。よくもまあ続くな。スレの無駄遣いだろ。始まる前から一〇〇スレ超えるとか……

 649 名前:NO NAME:08:50:17.81ID:jiojfl
 なんだかんだいって、皆期待してるんだろ
 最近の売れ線なんてバカの一つ覚えのFPSか課金ゲーしかねえもん
 まぁ、これで基本無料のアイテム課金だったら失笑モンだけど

「掲示板も似たようなもんか」
 ああでもない、こうでもないという不毛な言い争い、どうでもいい雑談、自称テストプレイヤー、自称スタッフの信憑性皆無な感想……。
 わかったことといえば、皆も興味があるということ。

【翌日の夕方:近所の公園】
「〈テスタメント〉? 知ってるわよ。新しく出るゲームでしょ?」
「あ、知ってたんだ」
 待ち合わせの公園にやってきたあかりは、当然のように頷いた。
「先輩たちが声入れてたって。ギャラがよかったって嬉しそうに言ってたわよ」
 ブランコをゆらゆらさせているあかりに、それを眺めている跡永賀は「そうなんだ」
「それで、そのゲームがどうしたの?」
「いや、やってみようかなって」
「ふーん。でも感心はしないかな」
「え?」
 しゅたっとブランコから飛び降りたあかりは跡永賀の胸をつつく。「だって、私と会える時間が減っちゃうじゃない」
「私よりゲームが大事?」
「そ、そうじゃないよ。あと、そのへんの心配はないんだ。あれはリアルにいたままプレイできるから」
「どういうこと?」
「無意識の行動ってあるじゃない。呼吸とか、歩行とか。そこまで意識してないのに、気がつけばやってること。〈テスタメント〉は、人体のそういう意識していない――あまり使っていない――リソースを活用してプレイするんだ。だから、リアルの時間を削られずに済む……らしい」
 跡永賀が〈テスタメント〉に惹かれたのは、そういう理由もあった。
『通勤・通学だけじゃない。勤務中や授業中でもプレイ!』
 どんなに良質なゲームであろうと――良質であればあるほど――リアルの時間というのは消費される。〈テスタメント〉の仕様説明と体験どおりであれば、このゲームにおいては、そういった代償が皆無なのだ。
 財布も時間もなくならない。
 リアルなアバターと相まって、試してみたくなるのは、当たり前といえた。
「それに、そこでは新しい自分になれるらしいんだ。もっと健康な体で、ちゃんとした環境にいる自分に、俺はなりたい」
「そっか。跡永賀は今の自分が嫌い?」
「そこまで嫌いってわけじゃないけど、好きになれないというか、変えられるなら変えたいというか……」
「そんな自分を少しは変えようとした? 自分の力で」
「え? あ、いや……」
 行動という行動をした記憶はない。不満を言葉と態度にはしたが……。
「私もね、昔はそんな感じだった。周りに期待はしても、結局は流されるだけで……。習い事、学校、ヘタしたら趣味や性格だって、他人に決められてた気がする。そんなのが嫌だったから、私は今、声優をやってる。いいなと思った人には、その気持ちを伝えようとしてる」
 自分のことを言われて気恥ずかしさを感じた跡永賀は、わずかに目線を下げた。
「自分を本当に救えるのは、自分の力と心だけよ。そういうことにいたっては、他人はもちろん、神様は何もしてくれない」
「似たようなこと、家族にも言われたよ」
「あそこにいる人?」
「ん?」
 指差された方へ振り向くと、数メートル離れた電灯の影に、見覚えのある姿が……。
姉さん、隠れられてないです。
 ちょいちょいと手招きをすると、ウサギのように震えて固まる。どうやらまだ隠れている気でいるらしい。
「うざったいわね」
 不機嫌そうにあかりは言って、冬窓床の方へ早歩き。跡永賀はそれを追う。
「さっきからチラチラと……覗きとはいい趣味してるじゃない」
 慌てて逃げようとする腕を、あかりは掴んで引き寄せた。跡永賀のように一緒に倒れたりはせず、彼は微妙な気分になった。
「…………て」
「はぁ?」
「跡永賀と別れて……」
 極小から小にまで大きくなった声は、少し離れた跡永賀にも聞こえた。もっとも、慣れているから聞こえるのであって、なじみのない他の人にはそうではないだろうが。
「私の、大切な人だから……」
「私のよ」
 きっぱりと、あかりは否定した。「今までは、なし崩しでそうだったかもしれない」
「でも今は、私のものよ。あんたがどれだけ想っていたかはしらないけど、結局あんたは、跡永賀が私を拒めるだけのことをしてこなかったんでしょ? だから、跡永賀は私を受け入れてくれた。だから、あんたは諦めろ」
「私が、先に。ずっと前から……」
「だーかーらー」
 あかりは空いた手で乱暴に長い髪をかきあげ、「ああもう。ホントこういうウジウジしたのだめ。どうにかする根性もないくせに、いっちょ前に不満をぶつぶつ――――うっざい」
 まるで自分のことを言われているようで、跡永賀は居た堪れなかった。こうして見ると、姉と自分は似ている。
「面と向かって文句言えないなら、最初から何もすんな! 指くわえて黙ってろ」
 そこまで言われて初めて、跡永賀はこれを止めねばと思った。しかしそれはもう手遅れで……。
 涙が溢れ、点を作った。
 最近も見た姉の泣き顔は、痛々しく――場違いに綺麗だった。
「ねえさ――」
 驚きつつも口を開いた跡永賀に構うことなく、冬窓床は走り去った。同じく驚いたゆえか、手を離したあかりは申し訳なさそうに彼を見た。
「あー、ごめん。言い過ぎちゃったみたい」
「いや、ううん……こっちも――って言うのも変かもだけど――ごめん」
 そもそも姉が覗き見していたのが始まりだったわけで……この前の暴言も含めると、あかりだけを責めるのはおかしいわけで……。
「でも、あれが正直な気持ちなのも事実なのよ。自己嫌悪も入ってるかも。昔の自分を見ているようで、嫌なのよね」
「俺はいいの? 俺も……似たようなもんだし」
「跡永賀は、今微妙なところなのよ」
「微妙なんだ」
「うん。殻に閉じ籠るか、突き破るか悩んでように感じる。そういうのは、見ていて気になるし、応援したくなる」
「そんなもん?」
「そんなもんよ」
 微妙な表情になった跡永賀に、あかりは顔を寄せる。「だからがんばってね」そのまま唇を吸われた少年は、思い出したように頬を赤くした。
「なんか、自然にキスするね」
「だって、跡永賀が好きなんだもん」
「こんなに積極的だとは思わなかったよ」
 初めて会った時、初めて話した時、もっとお淑やかで大人しい――今思うと、姉のような性格――だと思ったものだ。
「それで行こうと思ってたんだけどね。あれが普段の私なのよ。でも、邪魔が入ったり障害があったりすると、スイッチが入るというか、マジになっちゃうというか……これも一つの私なのよね。けど、悪いとは思わない。だって、そうでもしないと欲しいものが手に入らないなら、そうしてから後悔した方がいいって思うもん」
「嫌いになった?」上目遣いで見上げるあかりに、跡永賀は目を泳がせて、
「これはこれで……イエスだね」
「そっか。よかったよかった」
 光るような笑みで、あかりは頷く。

 カラスがカーと鳴けば、帰りの知らせ。
 夕暮れになり、いよいよ夜という時分。公園を出た二人は、四鹿家前で別れる。
「ごめん。本当はもっと色々なところ行きたいんだけど、体が着いてきてくれなくて」
 体調を崩す危険や場合を考えると、どうしても自宅周辺に限られてしまう。
「いいよ。私も人目に触れると面倒な身の上だから」
「ああ……」
 初無敵の話が脳裏をよぎる。
「だからさ、その〈テスタメント〉ってゲーム、私もやるよ。それなら、仕事中でも授業中でも跡永賀に会えるし、どんなに遠いところでも一緒に行けるんだよね?」
「うん」
「そういえばステージ……舞台ってどういうところなの?」
「未来の地球って設定だったはず。詳しいことはまだわかってない」
「じゃあ科学が発達した近未来ものかなー」
 職業柄からか、そういうことに堪能らしい。ヘタしたらオタクである自分より――いや、自分はオタクじゃない。だから、オタク嫌いな彼女が自分を嫌う理由にはならない。
「かもね。……それじゃ」
「うん。またね」
 オタクになると、ロクなことにならない。オタクだと思われると、皆途端に微妙な対応をする。腫れ物というか、触らぬ神に何とやらというやつだ。
 オタクというのは、損するばかりだ。
「ただいま」
 玄関に入ると、段ボール箱を脇に抱えた初無敵が迎えた。「おかえりんこ」
「…………」
「おかえりんこ」
「…………」
「おかえりんこ」
「姉さんは帰ってきてるか?」
「スルーですか。そうですか。長女はまだでござるが、こっちは到着したでござるよ」
 段ボール箱をそっと差し出す。受け取ってみると、イグザム・エンタープライズからだ。
「申し込みした次の日とは速いな。着けるだけでいいのか?」
「説明書によると、指定された日時に装着していればOKだそうな」
「本当かよ」
「やってみればわかるでござる」
「そりゃそうだ」
 言いつつ、踵を返す跡永賀。「どこへ行くでござる?」
「姉さんに聞いてくれ」
 走りたいのに走れない体が恨めしい。まるで競歩のような体勢で冬窓床を探す。春先の日暮れは冬の寒さ程ではないが、やはり辛い。コートを着ていてもすり抜けていくような冷たさが肌を刺す。
 姉を見つけたのは、寒さが増した夜になってからだった。灯台下暗しとはよくいったもので、彼女は意外と近所にいた。
 あの、無人となったアパートの一室、その傷んだ扉の前である。
「風邪ひくよ」
 体育座りで膝に顔を埋めた状態の彼女に、着ていた上着を掛ける。
「……これじゃ、跡永賀が風邪をひいちゃう。跡永賀の方が体弱いのに」
 返そうとする彼女から受け取るわけにもいかず、しかし否定もできず……。
 結局、二人で扉を背にして座り、一緒にコートを被ることにした。
「面目ない。というか、帰ればいいよね、これ」
「帰りたくない」
「あかりはもう帰ったよ」
「それでも、跡永賀は別の人を構う。私を見てくれない」
「そんなこと……」
 思い当たる点がありすぎた。
 一緒に暮らした時点では、そうでもなかったのだ。四六時中、冬窓床――実夏のそばにいた。しかし最近はあかりとのメールや電話、男同士の話として、初無敵とも話す量は増えた気がする。自然、寡黙な姉との会話は減っていく。
「話をしてくれなくてもいい。ただ、そばにいてほしかった。私にはもう、跡永賀しかいないから……」
 思えば、姉の書いた小説には、自分と彼女しか登場――存在していなかった。きっとそこでは、姉の中では、それで充分だったのだ。二人だけの世界。誰も邪魔をしない、誰もいなくならない、理想の環境。
 動くことも叫ぶことも禁じられてきた彼女が、唯一できた自己表現。望みが叶うようにと願うしかできなかった彼女の苦悩。
「俺以外にも、父さんだって母さんだって、兄さんだっているじゃないか」
「違うよ。そうじゃない」
 紅葉のような手が、跡永賀の手に乗る。「私の手を掴んで、私を助けてくれたのは――初めて家族になろうとしてくれたのは、この手だけ。跡永賀が、私のたった一人の家族なの」
 小さく、冷たい手だった。昔は同じくらいだったのに、今はもう、こうやって包んでしまえる。
「本当は、あの時一緒におねえちゃんのお父さんとお母さんを探したかった。でもそんな勇気も力も、俺にはなかったから」
「ううん。あれでよかったの。また一緒に暮らすことになっても、あの人達にとって、私は邪魔でしかないから」
 子は親を選べない。そして、子供は自分の環境で物事を判断するしかない。他に基準がないのだから。だから、子はどんな親であろうと尊いと感じるし、それを疑いもしない。疑うのは、子が別の親を――外の世界を知ってからだ。
「今ならそれが、よくわかる」
 だからこそ、意図せず比較できるようになってしまった冬窓床だからこそ、そう判断できるのだろう。
「跡永賀は、私の――私だけの王子様だった。でももう、違うんだよね」
「姉さんには、もっと立派な人がふさわしいよ」
「どんなに優秀な人がいても、私は跡永賀を選び続ける」
「絶対に」姉らしくない、強い声だった。
「でも……」
 跡永賀は顔を伏せた。自分にはもう、あかりという女性がいる。冬窓床とて、それはよく思い知ったはずだ。
「こういう時、こんな自分が嫌になる」
 暗い顔をした姉に、跡永賀は心を痛めた。あかりと別れる気はない。しかし、姉をこのまま捨て置くのも嫌だった。あの時と――この扉の奥にいた時と一緒だ。
 そこでやっと、跡永賀は持っていた箱を思い出した。
「姉さん――」
箱を渡し、〈テスタメント〉の説明をすると、冬窓床の表情は少し明るいものになった。
「だから、仮初でも自分を一新できるし、それがきっかけになるかもしれない」
 ゲームのスタイルとして、ロールプレイというものがある。既存や独自の設定――キャラクターになりきってプレイすることだ。お気に入りのキャラの外見や口調を真似することで、まったく別の自分になれる。そこではリアルの事情や状況は関係しない。
「これ、私がもらっていいの?」
「うん。あ、でも中の時計は俺が選んだやつだから、それは後で別の……」
「ううん」冬窓床は箱を大事そうに抱える。「これで――これがいい。跡永賀が私にくれたものがいい」
「じゃあ俺は俺でまた頼んでおくよ」
「時計は同じもの?」
「そのつもりだけど……被るのは嫌?」
「逆。一緒がいい」
「そっか……そっか」
 ペアウォッチになるわけか。変な恥ずかしさを隠すように、跡永賀は頭を掻いた。
「……そろそろ帰らない?」
 すっかり暗くなり、電灯が活動を始めてもなお、姉は動こうとしない。
「帰りたくない」
「その言い方、誤解を招くよ」
「誤解じゃないとしたら?」
 冬窓床の視線が夜の街へと向けられる。あっちには未成年ご法度のあれやこれやが……。
「…………色々と洒落にならないからやめて」
 あかりの影響か、姉もすっかりアグレッシブになってしまった。これは天秤だ。一方に傾けば、並行を保とうともう一方がそれを直そうとする。自然、両者のアプローチは比例することになるわけだ。これに他の人が手を加えれば、危ういことになる。
 一方が諦めれば、そんなことにはならないのだが……。
 そんな気配は、まったくない。
「ラチがあかないからボクティンが颯爽介入」
「お前、いつからそこにいた」
 そばの塀の影からぬっと現れた初無敵は「家を出たアットたんをつけていたのさ! 走れないアットたんをつけるのは簡単だったよ」
「そうだろうよ」
 姉の手を引き、跡永賀は立ち上がる。
「口実できてよかったと思ってるでしょ」
「姉さん、帰ろう」
「スルーですか。そうですか」
 跡永賀は冬窓床と帰路を歩く。その後ろで、初無敵が二人を見守る。
 思えば、いつもこうしていた。はるか昔は父や母、兄の手を握り、そして姉の手を握って歩いていた。
 そこには、確かなつながりがあった。
 家族との絆があった。
 それは、あって当たり前のことだった。
〈テスタメント〉を始めるまでは。

第三章 

 送られてきた腕時計型機器――〈心つなぐ鍵(ゲート・ウオッチ)〉を巻き、期日の一ニ時まで待つ。それが〈テスタメント〉の参加方法だ。
「そろそろか」
 自室で一人、跡永賀は掛け時計を見上げる。短針と長針はいよいよ〝12〟で合流する。
 …………重なった。
 見届けた後、無意識にしたまばたき。
 次にまぶたが上がった時、そこにあったのは闇だった。
 さっきまでいた部屋に、自分はいなかった。
『〈テスタメント〉へようこそ』
 振り向くと、そこにいたのは若い女性だった。格調高いエプロンドレスに身を包み、長い髪を左右に分け、前に流している。
『これより、キャラクタークリエイトに移ります』
 無表情で機械的に、彼女は口を動かした。
「あ、あの」
 跡永賀は暗闇の中、まるで宇宙空間に放り出された心地に落ち着かないものを覚えた。
『すでに説明すべき事柄はプレイヤーにインストールされています』
「え、あ……」
 跡永賀はぺたんと自分の頭に触れた。見覚えがないはずなのに、いつの間にか〈テスタメント〉に関する知識が脳に入っていた。
 いや、入れられていた。
『よろしいでしょうか』
「あ、はい。すいません」
 キャラクタークリエイト。これから操作することになる自分の分身――アバターの作成。身長や体重はもちろん、声色や毛髪――性別まで自在である。悩むかと思ったが、そこまで迷わなかった。どうも深層心理まで知られているらしく、目の前のメイドの案に跡永賀は頷くだけでよかった。
『名前はどうされます?』
「あー、『アトエカ』でいいです」
 いっそここで普通の名前を――とも思ったが、結局思いつかなかった。いざとなると、欲というのは案外主張をしないものだ。
『最後に確認しますが、当プレイは体感半年間、現実時間にして一日を予定しています。了承されますか』
「ええ、はい」
 あっちの自分がどこまで忠実に日常生活を送れるかわからないが――向こうもわからないからこういったテストをしているのだろう――、今日は土曜で明日は日曜、貴重な休日ではあるが、一日くらい無駄になっても大した傷ではない。
「あ、あの。一つ聞いていいですか」
『なんでしょうか』
 最初からずっとの無表情で、彼女は跡永賀を見る。
「なんでこういう……金にもならないことをするんです? あ、それとも追々儲けられるようになってるとか?」
 そういった知識はインストールされていなかった。プレイに必要がないからであろうか。
『我々が〈テスタメント〉で経済的成功を収めることはありません』
「じゃあなんで」
『知りたいのです。このシステムの成果はもちろんですが、何より人が未知の世界で、どのような行動――適応をするのか』
「そのために無料で――赤字覚悟でこんなことを?」
『どんなに高性能なコンピューターでも、どんなに高精度なシミュレーターでも計れないもの――それがヒトですから。実際にやってみなければ、わかりようがない』
 筋は通っている。完全無料で広く人を募る。基礎となるデータは無限――土台となる設備には限界があるが――、どれだけ人が増えても、手間はそこに比例しない。
『質問は以上でよろしいでしょうか。すでに通知した通り、我々とのコンタクトは、これより半年後、テストプレイ終了まで機会がありません』
「じゃあ、最後に。このゲーム、面白いんですか」
『それはあなた次第です』
 そこで初めて、女性はクスリと笑った。
『それでは、〈テスタメント〉をお楽しみください』
 まばたきをすると、視界はまた様変わり。八畳ほどのスペース。畳が敷かれた床、隅に畳まれた布団一式。簡素な台所……どうやら、プレハブ小屋らしい。事前の情報によると、ここはプレイヤーに与えられる住居のようだ。ここを拠点にしろ、ということらしい。腕にはめられたままの〈心つなぐ鍵〉を見ると、リアル同様に正午となっていた。それに加えて残り時間と日数が表示されている。
「ふむ」
 置かれていた手鏡で、改めて自分の作ったキャラクターを見てみる。エメラルドの瞳に、アメジストの短い髪。中々イケてる。
 部屋を出ると、同じようなプレハブ小屋が整然と並んでおり、まるで避難所のようであった。跡永賀と同様に、他のプレイヤーも周囲をキョロキョロしている。
 ふと気になり、跡永賀はその場で地を蹴った。たしかな感覚と、力強さ。脚をどんどん回していくと、ぐんぐん速くなっていく。
 いつもの動悸や、息切れはまったくなかった。
 一〇〇メートルほど走った時、ようやく現れた疲労感に跡永賀は立ち止まり、やがて笑って天へ両の腕を突き出す。
 健康だ。
 健康そのものだ。
 それが、嬉しくてたまらなかった。

 その後、初めて得た健康な肉体を満喫した跡永賀であったが、その幸福――多幸感は、長続きしなかった。
 始めは夜だった。
 初めて迎えた〈テスタメント〉での夜に、跡永賀は不安を覚えた。思えば、自分は一人なのだ。家族やあかりはもちろん、鬱陶しい学校のオタク連中でさえ、そばにはいない。完全なる孤独。周囲の人間はすべて素性がしれない。
「まあいいさ」
 そのうち見つかるだろう。粗末な裸電球が揺れるのを眺めながら、跡永賀は布団を被った。
 初日は、それで眠れたのだ。
 翌日から、ある種の違和感――焦燥や不安は容赦なく襲ってきた。健康な体さえ手に入ればよかった跡永賀にもはや目的はなく、気を紛らすことも思いつかない。ただ配給される食料と通貨を受け取る日々。
 一週間経つと、布団の中で丸まっていても、眠れなくなっていた。
 家に帰れば、大抵は兄がいた。しかしここでは、それさえ望めない。
 純粋な、絶対の孤独。
 家族という枠に囲まれてきた少年は、初めて独りになった。
 このままではまずい。
 プレイしてから十数日、ようやく跡永賀は思い立った。
「こいつはゲームなんだ。適当にやってもどうにかなるだろ」
 自分に言い聞かせ、跡永賀は外へ出た。
「はい」
 隣の部屋の戸を叩くと、中から十代そこそこといった風な女性が出てきた。桃色の髪に灰色の瞳をした彼女は、不思議そうな顔をする。「たしか隣の……何か?」
「あの」
「はい」
「いや、だからあの」
「ですから、はい?」
『…………?』
 二人揃って、奇妙だと表情が言った。おかしい。話しかければ、ヒントやアイテムをくれるものではないのか。
 もしかしたら、NPC(ノンプレイヤーキャラクター:プレイヤーの補助や応対を目的とした、プログラムによる非プレイヤーキャラクター)でないのかもしれない。そこで跡永賀ははっとなる。このゲームはリアルすぎて、NPCとPCの区別がつかないのだ。
「ええと、家族を探してるんです」
「はぁ……?」
「太った男と、髪の短い女性……あと声が綺麗で……」
「それって、リアルでの特徴ですか?」
「そうですけど……あ」
 言われて初めて、跡永賀は再度はっとなる。事前に容姿の設定について考えていなかった自分でさえ、ここまでリアルと差異があるのだ。兄たちだってアバターは現実のそれとは違うものだろう。プレイすると言っていた両親だってそうだろう。
「事前に何か暗号でも用意してるなら話は別ですが……」
「いえ、そういうのは……どういうゲームかわからなかったものですから」
〈心つなぐ鍵〉と舞台設定しか情報がなかったのだ。これが不特定多数参加型のゲームだと知ったのは、プレイしてからのこと。しかしまさかこんなランダムなスタートだとは……。仮に近くに配置されていても、通常のオンラインゲームのようにキャラの付近に名前が表示されていないので、ぱっと見は誰だかわからない。リアルすぎるというのも考えものだ。
「あの、どうにかなりませんか」
「それは手伝ってほしいということですか?」
「ええ……まぁ」
 彼女は露骨に迷惑そうにして、「手掛かりや保証された手段があるなら、まだわかりますが、何もわからない、ただの手探りで捜索しろというのは……私達、そこまでの関係でもありませんし」
「う……」
 たしかに。初対面の相手への頼み事にしては、厚かましすぎる。テンパっていたゆえの鈍感さに跡永賀は気づき、気まずさを覚えた。
「申し訳ありませんが……」
「あ、はい……すいません。…………!」
 何かに気づいた跡永賀が、閉まる寸前の扉に手を差し込む。挟まった指が現実さながらの痛みを伝え、目が潤むが、構わずに、
「俺、跡永賀です。俺のこと知りませんか」
 しかし彼女は、気まずそうに目をそらすだけ。
「いえ……」
 それだけ残し、扉は閉じられた。
 誰も知らない。誰にも知られていない。
 その事実と再度の孤独が、跡永賀の収穫であった。

【〈テスタメント〉開始から一ヶ月後】
 この頃になると、跡永賀は外へ出なくなった。悪あがきのように、人通りの多いところで知り合い探しを試みたが、キョロキョロするだけで見つかるわけもなく、無駄足であった。それどころか、方々から聞こえてくる笑い声や悪口が、まるで自分に対する嘲笑であるかのように感じてしまい、余計に憂鬱になった。無様な道化になるよりは、ひっそりと閉じ籠っていた方が傷は浅いのだ。
 一日一回の配給にしても、現実のようにわざわざ配給所で並ぶ必要はない。各人が初期機能として持つアイテムボックス――アイテムを収容する異空間――に送られてくるのだ。
 そうして支給された簡素な食料――ブロックタイプの栄養補助食品のようだ――を座ってかじり、布団を頭から被る。そしてじっと壁の掛け時計を見続けるのが、跡永賀の新しいライフスタイルであった。
 惨めというのは跡永賀自身、よくわかっていた。普段なら、こういうことをしていた兄を怒る立場にいたのだから。
 しかし、他に手がなかったのだ。ゲームらしく冒険に出かけるという考えも、なかったわけではない。なかったわけではないが……。
 跡永賀は自身の体を掻き抱く。その感触は、現実そのものなのだ。
 受ける痛みは、リアルと同じ。
 ただのゲームなら、無謀に未知へ突入できただろう。どんな目に遭おうが、文字通り痛くも痒くもないのだから。最悪死んでも、リトライかリセットで簡単にやり直せる。後には引きずらない。
 だが、ここでは……。
 予想される惨状に跡永賀は身震いする。通常の人間なら、それでも挑戦したかもしれない。しかしこの病弱な少年は、そうはならなかった。生まれてこの方、運動という運動――肉体的な経験をしてこなかったのだ。すぐに悲鳴を上げる体を労るあまり、疲れや痛みから遠のいてしまっているのだ。体を使って学ぶあれやこれやが、彼にはあまりに乏しかった。常人に比べれば、皆無に近い。そんな脆さで今までやってこられたのは、家族の支えがあったからだと、ようやくになって跡永賀は思い知った。
 虚弱でも快適な環境を用意・維持してくれた両親、家にいても飽きないよう娯楽を提供してくれた兄と姉。
 自分は、家族皆に守られていたのだ。
「会いたい」
 皆に。
「帰りたい」
 あの家に。
 食べ物が口から滑り落ち、畳の上を転がる。遅れて、水の点が散っていく。
 涙が溢れるのを止める気にはなれなかった。それを咎める者も慰める者もいないのだから。
 自分がどうなろうと、ここでは誰も気にかけてくれないのだから。
「もう嫌だ、こんなの」
 一ヶ月でこれだ。半年など、とても耐えられるはずがない。しかし、どうしようもなかった。自分の意思では、やめられないのだから。
「…………いや」
 ある。
 たった一つ、この地獄を終わらせる方法が。
 布団を抜け、ふらふらと立ち上がった跡永賀は、押し入れを開けた。そこにあった軽作業用の紐の束をほどく。何度か強く引っ張り、その丈夫さにズレた安堵をしながら天井の梁に括りつける。後は頭より上のところで輪を作ればいい。
 痛いのは嫌だ。かといって、こんな怖いのも嫌だ。だったら、痛みのない死を……。
 ここでの死が、強制ログアウトなのか、期間終了まで意識不明になるのかはわからない。ただ、どちらにしてもここでの生活は終わる。さっさとリアルに帰られるか、終わるまで眠っているかの違いだ。
 戸惑いがなかったわけではない。しかし、この孤独に比べれば……。
 怖くはなかった。
 輪に首を引っ掛けるように地を跳ぶと、勢い良く首は締まる。何かの本で読んだ通り、痛みはない。最初に息苦しさがあるだけで、後は意識が遠のいていき……。
 視界は黒く染まる。
 やがて振り子のごとく揺れていた身は、その命とともに止まった。
 …………。
 …………。
 …………。
 結論を言ってしまえば、現実への帰還も、永劫なる沈黙もなかった。
 二四時間の行動不能。
 それだけだった。
 さらに言えば、それも意識不明だったわけではない。二四時間経過した瞬間、それまでのことを追体験するので、時間潰しにもならない。感覚的には今までと同じなのだ。
 いや、むしろ悪い。二四時間後のリスポーン(ゲームの再開始)で、本来味わうはずのない、死んだあとの感覚が襲ってきた。手や足が痺れ、体が冷たく固まっていく。後半にいたっては、体中の壊死だけでなく、腐敗さえも体験することになり……。
 正直、二度とごめんであった。
 どうにか自分で作った絞首の輪から抜け出し、跡永賀はゴホゴホ息を吐く。体は健康なものに戻っている。どうやら、二四時間経つとステータスは元に戻るらしい。
「結局、このままなのかよ」
 振り上げた拳が畳を叩く。
 
 それから二ヶ月が――プレイ開始から三ヶ月が過ぎた。

 跡永賀の心は、もう死んでいた。
 喰い散らかされた食料の中心に横たわり、光の消えた瞳が何を映すでもなく宙を眺める。この状態は、跡永賀がたどり着いた最善の策であった。苦しみを心ごと消して、時が過ぎるのを待つ。喜怒哀楽の一切がない、無心の状態。食事も、もうほとんどしていない。頬は痩せこけ、体力は初期ステータス以下となっていた。しかし、そんなことは跡永賀にとってはどうでもよかった。自らを苦しめる冒険や戦闘など、彼の選択肢にはないのだから。
 残りおよそ三ヶ月、最も苦しみのない生き方ができれば、それでいいのだから。
 もう変化を求める気はない。
 ただ、流れに身を任せるだけ。
『オラ、さっさと出てこい!』
 沈殿していた跡永賀の意識が、外からの怒号で引き上げられる。
「あ……?」
 無意識に、声が出た。そこで跡永賀は、自分の声を久しぶりに聞いた。
「あ、あ……」
 声の出し方を忘れ、まるで意味のない言葉を吐き出しながら跡永賀は立ち上がろうとする。しかし、ダメだった。衰弱した肉体が、もう自重さえ支えられない。なんとか壁を頼りに立ち上がった跡永賀は、そのまま窓を見る。
 どうやら、隣の家の前にいる男が、声の主らしかった。
『このアーサーキング様の言うことが聞けないってのか!』
 金色の長髪で碧眼の、青年の容姿であった。その男は、持っていた剣で扉を壊し、中へずかずか入っていく。数秒の後、悲鳴とともに女が一人引きずり出された。数ヶ月前に一度話したことのある、あの女性だ。
『やめてください。私が何をしたっていうんですか』
『そうだな。強いて言えば、俺様への敬意と献身が足らんな。わかったら速く有り金とアイテムすべて渡せ』
『そんな……』
 女性は、助けを乞うように周りに目をやる。しかし、通行人はもちろん、周辺住民でさえ見て見ぬふりであった。
 所詮は他人。
 救う義理などないのだ。
 あの女性だって、自分に対してそうであったではないか。
「あ、あ……」
 跡永賀が助けなきゃと思ったのは一瞬だった。すぐに心は恐れで折れ、よろよろと反対の窓から身を投げ出す。着地に失敗し、無様な姿とうめきを晒しつつも、どうにか壁を伝って歩き出す。
 それから十数分後、遅れて自分の部屋が荒らされるのを、跡永賀は物陰から確認した。
 少年は、とうとう帰る場所さえ失ってしまった。

 風の便りによれば、最近、ああいった悪質なプレイヤーが急増しているらしい。プレイ開始時の手探り状態から一応の安定を得て、次第に世界は無法状態のそれへと変化しているそうな。リアルでのフラストレーションや抑圧された願望もあってか、その暴虐な行為はどんどんエスカレートしているらしい。
 普通なら義憤に駆られるようなシチュエーションであろうが、あいにく自分には、そこまでの気概もないし、それを成す力もない。跡永賀は沈んだ心でそう納得し、人通りのない路地裏を仮の住まいにした。
「ああ……」
 何日ぶりかもわからぬ食事をする手は、もはや骨と皮しかない。支給品には対象のステータスが影響するのか、配給された食料には固形物はなく、チューブタイプのゼリーに替わっていた。
 ギリギリ残っていた吸う力で、どうにか胃に流し込む。味はよくわからなかったし、わかる気もなかった。
 とりあえず生きている。
 死にたくないから生きている。
 それだけだった。
 薄汚れた塀を背に座り、跡永賀は頭を垂れる。ふと、家族や恋人はどうしているのか気になったが、それを考える気力もないことに気づいた。そして、彼らの声や顔もぼんやりとしか思い出せないことにも気づいた。
 せっかく手に入れた健康な体も無駄になってしまった。
 健康な体なら、皆と一緒に遊べると思ったのに。普通の人間として、一緒に行動できると期待したのに。
 跡永賀は自身を嘲笑しようとしたが、頬が動かなかったので諦めた。
 落ち込んでいた視界に、自分の手が映る。皆とのつながりを感じていたそこには、もう何もない。繋ぐ手が、繋がっている相手がいない。
 これが独りということなんだ。
 跡永賀は悟り、手を握り締める。骨と皮の冷たく硬い感触しかなかった。血や肉の暖かさや柔らかさなど、どこにもない。
 悲しみがあるだけだった。
 それを最後に、跡永賀の心は再び消えていく。
「ぷるる」
 それを阻止するように、服の袖が引っ張られる。跡永賀はそちらを向く。
「ぷるる」
 丸いピンク。大きさはバスケットボール程か。まるで生首が一個の生命になったようなそれ。触ってみると、ゼリー質のようである。
ああ、そうか。
跡永賀はすっかり鈍くなった頭で理解する。
 これはきっと、モンスターなのだ。
 ここにおいて、プレイヤーと対峙する存在。
 自分は襲われているのだ。
 かといって抵抗する術はない。もとよりそんな気はないが、改めて跡永賀は観念した。
 好きにするといい。
「ぷるる~」
 しかし来るであろう攻撃はまったくなく、このモンスターは自分に擦り寄るだけだ。
「ぷるる~」
 何かをせがむように服を引くその姿。その挙動を観察していた跡永賀は、ひとつの可能性に行き着いた。
「…………」
「ぷるる!」
 懐から取り出した食料に、桃色のそれはつぶらな瞳を輝かせた。
「…………」
 キャップを外して口に運んでやると、それは喜々として食べ始めた。「ぷるる~」
 空になったパックから離れ、頬を膨らませたそれは嬉しそうに跳ねた。満足したらしい。
「ぷるる」
 そのまま跡永賀の膝に乗った桃色のゼリーは、そこでまぶたを閉じた。
「…………」
 やがて聞こえる寝息に、跡永賀は呆気にとられた。襲われるかと思ったら、すっかり懐かれたらしい。それとも、いつでも襲えると判断し、見逃しているのだろうか。
 恐る恐る、その体を撫でる。気持よさそうな声を出すばかりで、何も起こらない。
 跡永賀は、わずかな希望でもって、それを抱きしめた。
 もしかしたらこれからは、少なくとも今だけは、
 自分は孤独じゃない。

 それからの数日、跡永賀はそれと過ごした。起きてもそばを離れないそのモンスターに、跡永賀はまずモモという名前をつけた。見た目からつけた安直な命名だったが、モモは喜んだ。まともに移動できない跡永賀からモモは離れることなく、そばに居続けてくれたのは、少年にとっては僥倖そのものであった。腹が減れば共に食事をし、睡魔が訪れれば一緒に寝る。それだけであったが、跡永賀にとっては救済となった。たとえモンスターであっても、人間でなくても、誰かがそばに居てくれる。たったそれだけで、こんなに心が暖かい。
 姉さんも、こんな気持ちだったのかな。
 跡永賀は、この世界にいるであろう姉を想った。
「やっと見つけた」
 ふと、どこからか声が舞い込んだ。
「こんなところにいるなんてね。探したんだよ」
幼い女の子の声。
 すやすやと眠るモモを撫でていた跡永賀が顔を上げる。
 赤いローブに身を包んだ九歳ぐらいの少女が、自分を見下ろしていた。
「あ、あ……」
 視界が赤く染まる。そこが少女の胸で、自分は抱きしめられたのだと、跡永賀は遅れて気がついた。
「もう大丈夫。大丈夫だからね」
 跡永賀は力なく手を伸ばす。小さな指が、それに絡んだ。
「ああ……」
その熱に、命の輝きに、跡永賀は涙を流した。自分はここにいるんだと、ここにいていいんだと、強く実感した。
本当の、血の通った人間。そんな、ありふれた事実。リアルでは当たり前のこと。
それなのに、こんなに嬉しいなんて。

少女はソフィアと名乗った。ジョブは魔法使(マジシャン)だそうだ。そもそもどんなゲームなのか未だによくわかっていなかった跡永賀は、そこでそういうシステムなのかと知った。そして、ジョブ(職業)システムを活用していない自分は、兄同様無職ではないかと悟り、気まずくなった。それを察したのか、ソフィアは跡永賀のジョブやステータスには触れなかった。ただ自身の住まいであるアパートに跡永賀を誘い、そこで彼を看護していただけだ。
「か、り、た、の……?」
「ううん。私が買い取ったの。ほら、毎日食料と一緒に支給されるユニ(ここでの通貨)があるでしょ? それを元手にいくつかビジネスをしてね。その成果を種銭にギャンブルをして……やっとだよ☆」
「す、ごごご……」
 舌がうまく回らず、ベッドで半身を起こしていた跡永賀は口を抑える。「にはは。無理して喋らなくていいよ。少しずつ、少しずつ、ね☆」
 ベッドのそばの椅子に腰掛けているソフィアは、剥いていたリンゴを切り分ける。
「はい、あーん」
 言われるままに跡永賀が口を開くと、乾ききった唇に痛みが走る。どうやら少し切れたらしい。それを察したのか、ソフィアはリンゴをさらに細かく、一口サイズにする。
「こっちもあーん」
「ぷ~る」
 跡永賀の腰のあたりにいたモモは口に含んだリンゴをもごもごさせる。ソフィアによると、モモはプルルンと呼ばれるスライムの一種であり、初心者が手始めに狩るモンスターとして有名らしい。『こんなピンク色は初めて見るけどね。亜種かな?』とも言っていたが、他を知らない跡永賀には判断しようがない。

 その後、跡永賀は少女の世話になるわけだが、彼女の真意はわからなかった。なぜ自分を見つけられたのか、そもそもどうして自分を探していたのか。献身的な態度も含め、さっぱりだった。
 姉かあかりではないかと疑ったが、それはないと否定。あの二人なら、すぐに自分の正体を明かすだろう。
 いっそ素直に、ソフィア本人に尋ねればいい。しかし、そういう考えにはなれなかった。
 そんなことをしたら、この生活が終わってしまいそうで……。余計なことをして失いたくはない。知らなくて済むのなら――いつまでも続くのなら、その方がきっといい。
「うん! もうすっかり治ったね。こんなこともあろうかと、回復魔法を覚えておいてよかったよ☆」
「ああ、色々ありがとう。でもどうして最初からそうしなかったんだ?」
「お兄ちゃんを見つけるために探知魔法を使ってたからね。あれは魔法力の消耗が激しくて、今のステータスじゃしばらく魔法は使えなくなるんだよ☆」
「そうなのか。もう色々詳しいんだな」
「皆親切にしてくるんだよ。ほら、こんなに可愛い魔法少女だもん。聞いたらいっぱい教えてもらったよ☆」
 くるりん。ひらひらの赤いドレス姿のソフィアが、ロングの金髪を舞わせて回る。
「そうか」跡永賀は微笑んで、ソフィアの頭を撫でた。「偉いな。俺なんて何もできなかったよ」
 ソフィアによると、こうだ。
 ここは数世紀後の地球で、人類は大災害により地下のシェルターで暮らしているという設定らしい。
「シェルターって……じゃああの空や山は……絵か」
 外を見る跡永賀に、ソフィアは頷く。「多分、天井や外壁がスクリーンかディスプレイになっているんだと思う。精神衛生には有効なんだろうね☆」
「ってことは、元々ここは室内か」
 自分は二重の意味で引き篭もりだったらしい。
 憂鬱だ。
「外界――つまり地球ね――の安全が確認されて、現在はシェルターが地表まで上昇しているのね。だからゲートをくぐればそこは地上。冒険の舞台になっているの☆」
「行ったのか?」
「ちょっとだけね。モンスターがいっぱいだったよ☆」
「そうか……」
 やはり、か。自分には縁のない話だ。
「大災害の影響で生態系が云々って設定なんだろうね。そこら辺の調査はまだまだみたいだよ」
「調査するような人間がいるのか」
「いるよ。未知への探求というか、好奇心旺盛な人がやってるみたい。ほかにも発明をしたり建築をしたり……戦闘ばかりじゃないよ。色々な人が、思い思いのことをやっている。それを受け止められるのがこの〈テスタメント〉なんだよ☆」
「自由なんだな……良くも悪くも」
 無秩序ともいえる。跡永賀はこれまでを振り返った。救いの手などなく、取り残された自分。乱暴を働くプレイヤー。制約がないことはいいことばかりではないのだ。
「お兄ちゃんはこれからどうする? どうしたい?」
「……探したい……会いたい人たちがいるんだ」
「ふーん」
 ソフィアは興味がないようであるような態度だ。
「へんなの」
「そうか?」
「だって、新しく生まれ変わったんだよ? そんなのに縛られず、また新しい繋がりを作ればいいじゃない。そういうチャンスでもあったはずだよ」
「……始めはそう思っていた」
 それでうまくいくと思っていた。新しい自分がいて、そして勝手に――都合よく仲間ができると思っていた。
「けど、もう違う」
 しかし、違った。
 誰もいなかった。誰も手を伸ばしてはくれなかった。
 何かを待ち続けた結果が、これだ。
 ――――『自分では何もしないで、うまい方に事が進むと思うなってことだ』
 父の言葉が重くのしかかる。まさしくその通りだった。
 結局、今までと変わらなかった。いや、それどころか与えられてきた絆さえ失くしてしまった。
 だから、
「今はただ、取り戻したいんだ」
 もう一度、
「皆に会いたいんだ」跡永賀は泣きそうな顔で笑う。失くした――いずれ戻ってくるものを欲しがるのも変な話だが、これが真なる望みだった。
 新しい絆は、それからで充分だ。
「それに気づけただけで、プレイする価値はあったね」
 ソフィアは微笑み、跡永賀の手を握る。そこから伝わる優しさに、彼の胸は暖かくなった。
「そうかもな」
 喜ぶべきなのかもしれないが、情けないような恥ずかしいような……跡永賀は複雑な気持ちだった。
 

 ソフィアに連れられて外出した跡永賀が辿り着いたのは、シェルター内の中心――つまり街の中心部であった。彼もこの一帯に来たことはあったが、何もできぬまますごすごと帰っている。
「こっちだよお兄ちゃん☆」
中へ誘われる。その寂れたビルを跡永賀は見上げた。

『興信所(ディテクター)』

「ここで何をするんだ?」
「人探しだよ」
「お前の探査魔法は?」
「今の私のアビリティじゃ、近場でしか効果がないの。発動条件には対象の名前が必要だしね。だからそこに至るまではここで調べるしかないの」
 薄暗い、埃っぽい空間を見回した跡永賀は「そうか」と納得する。奥にはカウンターがあり、そこには端末が設置されている。両脇には『とりあえず置いてみました』とばかりに粗末なソファがあった。舞う埃が鼻をくすぐったのか、跡永賀に抱かれたモモがくしゃみをする。
「ここにはね、プレイヤーに登録されたあらゆるデータが保管されているんだよ☆」
「全部見られるのか?」
「にはは。どれくらい閲覧できるかはわかんないや。地位や職能、技術で変化するみたいだから。とりあえずできるのは、プレイヤーの登録名くらいかな。この程度なら少しのユニでどうにかなるんだよ☆」
 端末に表示されたメニューに跡永賀は、「一人一〇〇ユニ……一日に支給されるのと同額じゃないか」
 どこが少しだ。
「うん。節約するためには、できる限りピンポイントに――ワードで絞って検索しなきゃならない。外すと丸損だからね。一応、更新されない限りはその項目は何度でも見られるけど、赤の他人のデータなんてぶっちゃけいらないからね。お兄ちゃんは助かったよ、そのままで」
「……まあ、な」
 面倒臭がったのが功を奏すとは。人生何がどのように作用するかわからないものだ。
「ここでそれっぽい人を見つけたら、さらに情報を請求するのね」
「そうか。お前の探査魔法は近くにいないダメだから」
「うん。おおまかでも現在位置まで把握してないといけないの。これは精度によって価格が上下するけど、無難な選択をすると総額一〇〇〇〇ユニは必要になるね」
「そんな大金……それもギャンブルか?」
 ううん。ソフィアは髪を揺らす。「こういうことは確実に実行したいから、借金だよ。だからしばらくの収入はその借金と相殺」
「…………」
 自分に対する厚意に、跡永賀は有り難みや申し訳なさを感じた。同時にどうしてそこまで、と今までの疑問も息を吹き返したが、それは引き続き無視。
「まず探すなら、人脈――尋ね人を芋づる式に見つけられるような人がいいよね」
「だな。それでいてリアルと同じような名前をつけそうな……」
 跡永賀はざっと考えを浮かべる。兄は……わからん。ゲームから引っ張ってきそうだが、そのゲームの種類が膨大だ。狙いを絞れない。姉も、本から取ってきそうだが、その数は凄まじい。あかりは担当したキャラクター……全部を把握しているわけじゃない。母は自分の名前を嫌っている。
となると。

手続きを終えると、カウンター向こうの自動書庫が動き出し、一冊のファイルがこちらに運ばれてきた。
「当たりだといいね☆」
「まったくだ」
 ソフィアは借金の身、自分はまるで使っておらず給付金はたまっているが、他に何もしていないので持ち合わせは九〇〇〇そこら。不用意なことはできない。だから最初に探す人物はこうなった。
 目的の人物は、ここから近くにいるようだ。
 街の中心部から少し外れた場所、入手した情報を入力したマップにしたがって移動する。
「探査魔法使わずに済みそうだね☆」
「だな」
 二人そろって、見上げる。
 そこは、工場だった。何本もある煙突から断続して白煙が上昇し、その盛況ぶりを表現している。なんというか、まるで昭和の下町にでもありそうな町工場だった。

『タロー・ファクトリー』

 入り口の看板にはそうあった。
 跡永賀は、まず父を探すことにした。父が捻った名前を使わないことは、日頃やっていたゲームのデータを見て覚えていたのだ。それにあの人のことだ、なんだかんだで母のそばにいるだろうという見積もりがあった。
「あら? また弟子入りの人かい?」
 二人が入り口で立ち止まっていると、中から中年男性がやってきた。頭に手ぬぐいを巻き、腰には様々な工具を下げている。幸薄そうで貧相な印象。人の良さそうでこき使われそうな風貌。
 うむ、まさしく。
「父さん」
「おお、その声は跡永賀か」
「うん。俺だよ」
 久方ぶりの家族との再会。跡永賀は目頭を熱くしたが、復活したプライドがぐっと耐えさせた。
「そうかそうか。立ち話もなんだ、中に入りなさい」
 案内されて工場内を見回すと、けっこうな人数が作業をしていた。何かの鉱物を削ったり、何かの骨や牙を加工したり……。
「始めはね、母さんの装備を手入れしていたんだよ」
 キョロキョロする息子から察したらしい父が語る。「そのうち母さんが狩ったモンスターや手に入れたアイテムから武器や防具を作るようになった。市販品じゃ限界もあるし、お金がかかるからね。するとしばらくして、父さんの腕を買って装備の手入れや開発を頼む人が出てきて、教えを請う人まで現れた。それでとうとうギルドまでできちゃって。ついには工場を構えることになっちゃったのさ」
「それで弟子入りがどうのって」
「最近は結構来るんだよ。もう弟子なんだか工員なんだかよくわからない有様さ」
 トンカチを振るう音、ヤスリで削る音が、方々から聞こえてくる。これが修行なのか商業なのか……なるほど、判然としない。
「そちらのお嬢さんが彼女さんかい?」
「いや、違う。親切で協力してくれているだけ」
「ソフィアだよ☆」
「ほう」
 父はじっと小さな女の子を見る。ソフィアはぱちりとウィンク。タローは「そうか」跡永賀に視線を戻し、
「〝ここで出来た〟知り合いか」
「うん」
「そうか」
 タローは納得したらしく、それ以上は追求しなかった。
 外から突然、音とともに入ってきた風に髪が揺らされる。跡永賀がそちらを見やれば、出入り口は爬虫類の皮膚のようなもので占められていた。
「お、帰ってきたか」
「何あれ」
「母さんのペットといえばいいのかな……ドラゴンだ」
「ああ……」
 大きすぎて、姿のすべてはわからない。ここから見える体がぶるりと震え、何かが落ちた――誰かが降りた。
「帰ったわよ」
 やってきた女性――久しぶりに見る母は、狩人のそれだった。ワインレッドを基調としたアーマーやマント。身の丈程もある大剣を二つも背中にぶら下げている。一つで充分だろうに。どちらも激戦があったと物語る程に、ボロボロであった。
「母さん……?」
「あら跡永賀」
「あ、すぐにわかるんだ」
「あなた名前そのままじゃない。〝透視(インサイト)〟のアビリティで表示されてるわよ」
「そうなの?」と跡永賀はソフィアとタローを見るが、二人はわからないと首を振る。「そっち方面のアビリティは磨いていないから」
「便利よこれ。変装されても見破れるし。擬態するモンスターがいてさー」
 世の母親というのは、往々にしておしゃべりである。とりとめのない話を纏めるとこうだ。
 母はプレイ早々に父と再会し(そのために透視アビリティを会得したのではと跡永賀は思ったが、そこを追求すると怒られそうなので口にはしなかった)、街での探索もそこそこに外界へ向かった。するといるのは多種多様なモンスター。母は意気揚々と闘いを始めた。
『痛くなかったの?』
『市販品のしょっぼいやつだけど、防具や武器はあったからね。そのうち〝鎮痛(ペインキラー)〟ってアビリティのおかげで気にならなくなった』
 そんなアビリティがあるとわかっていればと跡永賀は後悔したが、かといって知る機会などまったくなかったことに気づく。
『あのドラゴンは?』
『色々あって仲間になったのよ。職業選定所で確認したらジョブが〝竜騎士(ドラゴンナイト)〟になっていた。ステータスが条件を満たしたのか、一連のイベントでこうなったんでしょうね』
 無職には耳が痛く、羨ましい話である。
「モンスターってここ……シェルターの中に入れていいの?」
「ダメとは言われてない」
「そりゃそうだけど」
 頭に入れられたデータにはなかった。本当に基本的で必要最小限のことしか説明されていない。まったくもって不親切設計。ペーパーレスにすればいいというものではない。
「……って、あんただって入れてるじゃない」
 腕の中に隠れていたモモを咎められた跡永賀は、「こいつは最初からこっちにいたんだよ」
「そう。ゲートの開閉の時に紛れ込んだのかしらね。それにしてもそれ……」
 花子は怪訝な顔で、「どうやって手に入れたの? 何かのイベント?」
「え、別に。こいつの方からやってきて、懐かれてそのまま……」
 すると花子は複雑そうに、「昔から動物に好かれてたもんね、あんた。まったく、運がいいんだか、悪いんだか」
「ん?」
「こっちの話」意味深な発言を残し、花子はタローに背負っていた大剣を預けた。「とりあえず急ぎでこれ二本ね。残りはそれからにして」
「わかった。それで花子」
 何気なく、いつものように父は母の名を呼んだ。
 それだけで、
 殴られた。
「ここでは『ハンナ』よ。何度言わせるの」
「これ……」
「どう見ても瀕死だね。というか致命傷」
 倒れた父は首が変な方へ曲がり、打ち上げられた魚のようにピクピクしている。
「だいじょうぶ。この〝妖精の鱗粉〟を掛ければ全回復よ」
 アイテムボックスから取り出した粉を父にぱらりと撒く母は平然としている。
「いや、治せばいいって問題じゃ」
「文句ある?」
「ありません」
 母が拳を握ったので、跡永賀はすぐにそう言った。
「それで、あんたは今まで何してたの」
「あー……色々」
『聞いてくれるな』と暗に言ったのを察したらしい母は、「そう」とだけ言ってソフィアを見る。
「この子は……」
「ここで会った知り合いなんだ」
「ここで、ね。そうなの?」
「そうだよ☆」
 可愛らしく答えるソフィア。紹介したのにわざわざ確認しなくても。跡永賀は釈然としない。
「じゃあそういうことにしておきましょ」
「それで、姉さんには会わなかった?」
「会ったわねぇ。どっかの森で。でもあの子、今はあんたに会いたくないって」
「なんで?」死の淵より還ってきたタローから花子もといハンナに目を戻した跡永賀。「何か嫌われるようなことした?」
「逆。嫌われないように――好かれるように自分を磨きたいんだって。だから納得できるまで一人で修行してるって。一応この工場とお父さんのことは伝えておいたから、そのうち会えるでしょ」
「なら探さない方がいいか」
「探すといえば」ハンナは何かを思い出したように指を顎にそえた。
「どっかの山で『アトエカを探している』って女の子がいたわね」
「俺?」
「その名前で高校生ぐらいの男の子を知らないかって聞かれたら、あんたしか思い浮かばない」
「まあ、そうだろうけど」
 この人のおかげで、同年代で名前がカブったことは人生一度もない。多分、日本中探して十人いればいいほうだろう。
「お兄ちゃんの名前は壮大な伏線だったんだね☆」
「絶対違う。それで、その人どういう人?」
「名前は〝ルーチェ〟――ああ、言い忘れてたけど冬窓床は〝トウカ〟ね――、ジョブは戦闘士(ストライカー)」
「戦闘士?」
「基礎的な戦闘職のことだよ☆ 専らバトルする人はまずその職に就くの。そこから色々なジョブに派生するんだ☆」
「じゃあまだまだってことか」
「そうでもないわ。さっきお母さんが行った職業選定所や、鑑定(アプライザル)アビリティ持ちに見てもらえばジョブは確定・更新されるけど、しなければそのまま。ステータスもそれ相応である保証はないのよ」
「ふーん。そういえばモンスターにも色々あるの?」
「モンスターにはモンスターで、等級――グレードがあるわね。シェルター近くの雑魚は新兵(ルーキー)級。成長具合で幼生や成体の種類も」
「あれは?」
 暇なのか、さっきからこちらを覗いているドラゴン。窓の向こうの瞳は磨かれた宝石のように綺麗だ。
「騎士(ナイト)級の幼生。生まれて大して経ってない」
「あの大きさで?」
「卵からして大きいからね。成体とは何度かやって二・三度死にかけたっけね。まったく、凶暴すぎて困っちゃう」やれやれと肩をすくめるハンナにタローは苦笑し、
「あれは卵を奪おうとしたお前が悪いよ」
「母さん、あんたって人は」
 ハンナはわずかに目をそらし、「だって、美味しそうだったんだもん」
「…………ともかく。一度シェルターの外へ行ってみなさい。引き篭もりなんて恥ずかしいわよ」
「うっ」
 まさか自分が言われることになるとは。普段兄にそう言っている立場ゆえ、跡永賀の心はとても傷ついた。

「どう思う?」
「どうって?」
 工場の外、伏せをしているドラゴンのそばで跡永賀はソフィアに問う。あの場にずっといると父の作業の邪魔になるからと――母に追い出された。父は母専属の鍛冶師で、言い換えれば母の装備点検の邪魔になるというわけだ。父は目下、汗だくになりながら母専用の装備を鍛え直しており、その横で母は昼寝している。あの夫婦はこんなところでも平常運転である。立派であるようなそうでもないような。
「そのルーチェって人、なんで外で俺を探してるのかなって」
「多分、それがその人の限界だったんじゃないかな。戦闘士には魔法使みたいな探索能力はないし、戦闘のコストとか考えたら興信所につぎ込める資金も限られる。となると、それらしい名前に当たりをつけて聞き込みするしかない」
「そりゃそうか」
 キリンのように長い首を撫でてやると、ドラゴンは「きゅう」と鳴いて目を細めた。満更でもないらしい。
「期待していたのかもね」
「期待?」
「お兄ちゃんも同じように外へ飛び出して、自分を探しているはずだって。それなら、いつか会えるもんね」
「は、ははは」
 笑うしかなかった。たしかに、うまくいけばそうなっていたかもしれない。外界の存在に気づけば、頼もしい仲間がいれば、
 自分に勇気があれば……。
 今までは――〈テスタメント〉をプレイするまではどうにかなると思っていた。一人になっても、立派にやっていけると。家族の力なんてなくても――むしろ、常識人である自分がその非常識に手を焼いているのだから、家族の方が困るだろうとさえ考えていた。
 しかし実際はこれだ。兄はどうか知らないが、皆うまくやっている。自分なりに、この世界で自分を表現している。
 自分の無力をここまで痛感したことはない。
「今からでも行ってみる?」
「そうしようかな」
 アイテムボックスから取り出した食料を与えると、ドラゴンは美味しそうに食べた。いける口らしい。どうせ食い切れない程溜まっているのだ。食べさせてあげよう。モモの時にも思ったが、どうやらモンスターも食べられるよう作ってあるようだ。これには何か意図があるのかそれともないのか。
「こんな有様だけど、放置するわけにもいかないし」
「見当はついてるんでしょ?」
「まあ……な」
 友達以前に知り合い……少ないから。
「お母さんに頼めばすぐ見つかると思うよ」
「いや、一人で行く。こういうのは、そういうもんだろ」
 それがけじめというものだ。
「じゃあお父さんに装備を用意してもらって」
「それもダメだ。やっぱり、素の自分じゃないと。家族におんぶにだっこじゃ面目もありゃしない」
「じゃあモンスターとは戦わない方がいいね。あ、そうだ。強いモンスターを仲間にすればいいんだよ。自分の力で仲間にしたなら、それはお兄ちゃんの力ってことだよね☆」
「できたら、な」
 跡永賀はもしゃもしゃ口を動かすドラゴンを見上げる。これくらい立派なモンスターが仲間なら心強いのだが……。
「ぷるる?」
 足元のモモが不思議そうに跡永賀を見上げた。
「ぷる~」
 ふにーっと餅のような頬を優しく引っ張る跡永賀。「スライムじゃなぁ」

【シェルター内壁前】
 街を形作ったシェルターの端は、一見途方も無い草原が広がっているが、その実巨大な壁であり門である。
「近づかなきゃわかんないな、こんなの」
「だよね」
 隔壁に等間隔で設置されたスイッチを押すと、重低音で壁がスライドして口を開ける。そこから入ってきた風には、かつて体験版で嗅いだ匂いがした。そうか、あそこはここだったのか。
 ここが、〈テスタメント〉の始まりだったのか。
 プレイから三ヶ月近くになって、ようやくスタートラインに立てた。
「感動の涙?」
「自分の情けなさで、だ」
 目頭を押さえた跡永賀は、切り替えるように頭を振り、
「それじゃあ、またな」
「さよならは、言わないよ」
「ああ、うん。……なんかさ」
「うん?」
 ソフィアは金色の髪を揺らして小首を傾げる。その仕草に溢れる可愛らしさに、跡永賀の心はわずかに騒いだ。
「お前を見ていると、兄さんを思い出す。あの人も、なんだかんだで俺の面倒を見てくれていたんだ」
 一見ただの無職のくせに、よくよく振り返るとその行動は自分に対する献身に溢れている。初無敵は、そういう人間なのだ。
 今、彼はどこで何をやっているのだろう。
「気になる?」
「かもな」
 跡永賀は小さく笑い、ソフィアはにこりとする。
「大丈夫。お兄ちゃんが元気でいれば、きっとその人も元気だよ」
「そう思いたいな」
 門を潜り終えると、分厚い壁が降りていく。振り返ると、ソフィアが手を振っているのが見えた。
 やがてそれも見えなくなる。
 外から見たシェルターは、自然色で迷彩されており、内壁同様遠目からは判別できないだろう。
「マップデータはあるから大丈夫だろうけど」
 アイテムボックスのように、プレイヤーの初期機能としてインストールされた地図。表示されるのは自分が入手した情報次第であるから、外界の地図としてはまっさらなままだ。これから埋めていくしかない。
「一番安いのでいいから装備は揃えておくべきだったかな。……今更だけど」
 もっとも、給付金のほとんどは父探しに使ってしまったから、雀の涙しかない。そんな額で買える装備に意味はあるだろうか。いや、多分ない。
「結構いるな」
 広大な草原の向こう、モンスターと戦うプレイヤーの姿がちらほら。三ヶ月も経てば当然か。
 さて、この中にルーチェなる人物はいるのか……。名前しか知らないのは辛い。もっとも、外見を母に尋ねたところで、その格好のままでいる保証はどこにもない。ゲーム序盤というのは、装備がコロコロ変わるものだ。ヘタをすればその情報に縛られて見逃してしまうこともありうる。
「手掛かりになるのは名前と」
 声、か。
 それだけあれば、あいつかどうかわかる。自分を見つけてほしいなら、自分に誇りがあるなら、あいつが声を変えるはずはない。

第四章 

 一ヶ月が過ぎた。この一ヶ月は、今まで程長くは感じなかった。むしろ、短い気がした。
 始めは外界とソフィアのアパートを往復していたが、やがて夜もシェルターの外で過ごすことが多くなり、そのうち野宿が当たり前になった。強くなったからではない。要は慣れだ。まず見晴らしのいい草原は危険。すると遮蔽物の多い森となるが、そこにもゴブリンだのオークだのが巣食っている。行き着いたのは木の上である。そこは連中の視野にはなく、安全なのである。太古の人類もこうやって住居を確保していたのかもと、跡永賀は思わぬところで感慨を覚えた。
 アトエカの朝は早い。
 早朝というのは、狩場が昼間よりすいている。つまり、狩ることが出来るモンスターの数は増え、取り合いによるトラブルの数は減る。ゆえに縄張り争いに負けるか、あるいはそのテリトリーに執着があるプレイヤーは、その時間帯を狙う。
「今日も収穫なしかな」
 シェルター近くに生えた木の上、双眼鏡を目から外した跡永賀はため息を吐く。視覚系アビリティである〝透視〟を磨いたおかげで、プレイヤーの名前が対象の頭上や足元に表示されるようになった。これに道具屋で買った双眼鏡を組み合わせることにより、安全かつ確実な人探しができるようになったのだ。もっとも、戦闘はまったくやっておらず、そのための訓練もしていないため、そっち方面のステータスはからっきしだが。プレイヤーはもちろん、モンスターすら一体も倒していない。
 バトルとは無縁。かといってやりたい目標があるわけでもない。
「何してんだろ、俺」
 何がしたいんだろう。何をすればいいんだろう。
 健康な体さえ手に入れば、何かが変わると――充実した人生が送れると思っていた。しかし、実際は何もない。できることは増えても、やることは変わらなかった。
 どうにか立ち直って、やっていることといえばリアルなら五分で会える恋人を探すのに一ヶ月……。
「会えても愛想尽かされるかもな」
 ははは、と自嘲しながら食料を齧る。支給されている携行食はまたブロックタイプのものに戻っていた。
 それに加えて、ここにいるのは新兵級。下の下、雑魚中の雑魚だ。
 ……まるで自分じゃないか。跡永賀は自己嫌悪した。
「……お前は一向に逃げないな」
「ぷるる?」
 そばで自分と同じ携行食を食べていたモモは首を傾げる――体を傾けるが正しいか――。ひょんなことからシェルター内に入ってしまって、帰れなくなったから跡永賀の世話になった可能性を考えたのだが、どうやらそうではないらしい。
 このまま自然に返すのも手ではある。しかし、ここも危険なのである。かといって、もっと遠くには強いモンスターがいて、そこにあっては駆逐されるのが必定……。
「改めて考えると、俺以上に逃げ場がないんだな、お前は」
 どうやっても踏みつけられる側にいる。
 不憫より先に、親近感があった。
「こういう気持ちになるから、狩れないんだろうなぁ」
 普通なら――出会った当初とは違い、それなりに力がある今なら、ここでこのプルルンを狩るのだ。それがゲームの王道というものだ。
 けれど、やはりそういう気にはなれない。戦って、戦って――それこそ無双したところで、自分に快楽はないだろう。きっと、ただ虚しいだけだ。
 この世界はリアルすぎるのだ。木や草だけの話ではない。モンスターにしてもNPCにしても、ここのすべてが命を持っている。
 それをどうにかしようだなんて、おこがましい。
「俺は戦闘士には向いてないな」
 ぽりぽりこめかみを掻いた跡永賀は、父からチャット申請がきたことに気づく。承認すると、目の前に相手の立体映像が展開された。これは話し相手にしか見えないらしい。たとえば地域型チャットなら現地にいるプレイヤーにも見えるが、この場合はささやき型。対象である跡永賀にしか見えない。
「どうかした?」
『冬窓床がうちに来てるんだ』
「そっか。そっちが先か」
『彼女さんはまだ見つからないのか』
「うん……」
『冬窓床がいる以上、その方がよかったかもな』
「ま、まぁね」
 最後に見た二人のやりとりを思い出した跡永賀は同意せざるを得なかった。
「じゃあひとまずそっちへ行くよ」
『おう。父さんたちが使ってる家があるだろ? そっちに待たせておく。じゃあな』
 チャットを終了させたらしく、タローの姿は消えた。下にモンスターがいないことを確認し、木を降りた跡永賀。
「ぷるる~」
 それに躊躇なくついてくるモモ。
「そうか」
 自然に帰らず、こっちに来るか。
「よし、シェルターまで競争だ」
 跡永賀は走りだす。その足取りは軽い。
 

【タロー・ファクトリーに隣接する住居スペース】
 肩にかかる程に伸びた髪、白いマントに赤いアーマー。強い心を見え隠れさせるきりりとした瞳。
 まるで別人だ。
 跡永賀はまず、そう思った。
 工員や弟子のためにと用意された家屋群、両親が使っているその一つに、跡永賀は来ていた。気を利かせたつもりなのか、ここには自分と彼女しかいない。
「姉さん」
 まず跡永賀が口を開く。椅子に腰掛けていた彼女が立ち上がる。
「ひさしぶ」
「遅いっ」
 ビシっと指をさして、冬窓床がそういった。あの冬窓床が、である。
「待たせすぎよバカ!」
「あ、あの……いや……ごめん」
 これがあの冬窓床だろうか。跡永賀は動揺するばかりである。
「姉さん……」
 相当溜め込んでいたんだね……。跡永賀はみなまで言わなかった。
 姉は変わった。今までは飲み込んで終いだった姉は、ついに吐き出すようになった――吐き出せるようになった。
 それは喜ぶべきこと、称えるべきこと。
 しかし……。
「どうしてこうなった」
 幼なじみとしては、この急な変わり様にそう言わざるを得なかった。
「女には色々あるのよ」
 遅れてやってきた母はそう言い、
「驚いたろ? 父さんも驚いた」
 母の後に続く父はそう言い、
「いるんだよね。リアルとキャラが全然違う人って」
 最後に入ってきたソフィアはそう言った。
「そんなもんかね」
 自分でいれた茶を啜った跡永賀は、その渋さに顔をしかめる。
「そのちっちゃいのは誰」
 冬窓床はソフィアを見た。
「ソフィアだよ☆」
「ああ、そうか。ま、ならどうでもいいか」
 何かを納得したらしい冬窓床が興味を失ったようにソフィアから視線を外す。
「ソフィアを知ってるの?」
「知るも何も、だいたいの察しはつくわよ」
「?」説明されてもわからず、跡永賀は首をひねるばかり。
「なんにせよ、これで家族勢揃いじゃないか」
 父の言葉に、ちょっと待ったと跡永賀。
「まだあの馬鹿がいないだろ」
「それってお兄ちゃんのお兄ちゃんのこと?」
「ああ、そうだ」
 跡永賀が肯定するとソフィア以外が驚いた声を上げた。
「まさか」
「まだ気づいていないとは」
「冗談でしょ?」
 何をそんなに驚いているのか。跡永賀はわからず、なんとはなしに湯のみを傾ける。
「ソフィアがその初無敵だよ、お兄ちゃん☆」
「ブーッ」
 吐き出される茶。咳き込む弟。
「いやーすぐ気づくと思ったんだけど、これが中々どうして――ポピィ!」
「忘れろ! 俺と会ってから今までのことすべて忘れろ!」
 ソフィア=初無敵を殴り倒した跡永賀は、そのまま馬乗りになって鉄拳の乱打。恥ずかしさと情けなさで頭がどうにかなりそうだった。

「ネカマ……リアルが男でも女キャラ使うってのはよくある話だよ☆」
「その媚びた話し方やめろ気色悪い」
 殴り疲れた跡永賀は椅子に体を預けている。結局、どれだけ殴っても自分のステータスじゃ大したダメージを与えられず、回復魔法ですぐに元通り。疲れるばかりであった。
「え~今までは気にしなかったくせに~」
「うるせえよ」
 すっと立ち上がった跡永賀は扉に手をかける。「また彼女探し?」
「ああ」
「止めはしないけど、見つかったらどうなるかは察してるよね?」
「……考えたくない」
「そう。だよね」初無敵の言葉を背に受け、跡永賀は家を出て行った。母は昼寝、父は姉と一緒に彼女専用の装備の相談。ゆえに跡永賀を引き止める者はない。
 あの姉がああいう性格になったのは、おそらくはあかりあってのことだろう。生来の消極的な自分ではどうにもならないから、あそこまで自分を変えたようだ。もしこのままいって、自分があかりと再会できたとすれば、それは彼女が冬窓床と再会することも意味するわけで……。
 あかりがリアルの性格のままでいるなら、今の姉と出会えばどうなるか……。
 ほぼ確実に激突する。
「俺が仲裁するべきなんだろうが、どうもな」
 言って止まるものではあるまい。
 ならばいっそ、と思わないでもない。
 中途半端に水をさして後を引かせるより、徹底的にやってはっきりさせた方がいいのではないだろうか。どっちが勝つにしても、その方が長い目で見ればお互いのためではないか。
 本音を言えば、穏便に済ませてほしいのだが。
「そんなことにはならんよな」
 世の中、思い通りにならないことばかりだ。
 リアルはもとより、ゲームにしても、それは変わらないらしい。
 どうなるか――悪い方向に事が進むとわかっているのに、引き継ぎ彼女探しをするのは愚かか強かか。
 すっかり拠点と化した木の上に登り、どこにいると知れない彼女を思い浮かべなから、跡永賀は双眼鏡を取り出す。
「遅いな」
 視線を向こうの景色に向けたまま、跡永賀は呟く。そろそろモモが追いついてくる頃なのだが。どうかしたのだろうか。心配になってきた。
「変な話だけどな」
 どうしてプレイヤーがモンスターに気を遣うのか。プレイヤーとモンスターは、もっと殺伐とした――食うか食われるかの関係であるものだろうに。
「俺はつくづく主人公に向いてないな」
 もっとも、そうなるつもりはないが。そういう役回りは母や姉にあるだろう。
「あとあいつかな」
 言いつつ、双眼鏡から目を離した跡永賀は眼下を見回す。
 …………。
 見なきゃよかったかも。
 数秒後、跡永賀は痛感した。

 アーサーキング。
 たしか自分や近所の住居を襲撃したのもそんな名前だったと記憶している。あの金髪碧眼と一見豪奢な装備も相変わらずだ。どう見ても考えても、ろくでもない、関わりたくない奴である。
 そんな奴が何をしようとどうなろうと勝手な話だが、目の前で繰り広げられているそれは、どうにも看過できないことで……。
「オラオラ!」
 今、アーサーキングはモンスターを狩っている最中である。それはいい、どうでもいい。問題は、その狩らんとしているモンスターが、
「ぷるるー!」
 モモであるということだ。どうやら、こちらに追いつく前に見つかってしまったらしい。だからといってこいつのことだ、自分が抱えていても襲撃していただろう。そういう意味では、この状況は幸運でもある。アーサーキングはモモへの攻撃に夢中で、こちらを察知していない。一撃加えるなら容易いだろう。問題は、その一撃で決着がつかないことである。自分のステータスは最低――全プレイヤーの初期値と変わらない。その攻撃力では、反撃をもらうのは必定。そしてその反撃を受け止められることも避け切ることもできないのも必定。
 ただの負け戦だ。
 意図せず走る体の震えは、自分の意思では止められない。
 怖い。
 このまま息を潜めていれば自分は安全だろう。わざわざ危険をおかしてモンスターを救うなど馬鹿げている。
 わかっている。わかってはいるのだ。
 けれど、と浮かぶのは自分に懐いていた無垢なモモの姿。さらに浮かぶのは自分の家から逃げ出したあの時。
 また、繰り返すのか。
 間違いを間違いだと叫べず、ただ命惜しさに自己保身に走る。それは正しいのだ――弱者は、踏みつけられる者は、そうするしか手段がないのだ。強者の都合に合わせるしか術はないのだ。
 わかっている。わかっているのに。
 跡永賀はアイテムボックスから取り出した棒きれを握る。結局買わずじまいの剣の代わりだ。
 迷いはあった。
 それでも跡永賀は、とうとうその棒を振り上げ、
 飛び出してしまった。
はたして、その攻撃――プレイして初めての攻撃は、うまい具合に命中した。
鈍い音を立て、折れた棒は地に転がる。反動で手は痺れ、跡永賀はすぐに自身の無力を再確認した。しかし不思議なことに、そこに恥や情けなさはなく、どこか清々しかった。
「っつう!」
 アーサーキングは頭を抱え、膝を着く。これ幸いと跡永賀はモモを抱え、走りだした。金髪の奥にある青い瞳がこちらを凝視している。
「何してくれてんだテメエ!」
 〝鎮痛〟のおかげか、あれだけ強く叩いたのに大した痛みを窺えない。このアビリティの恩恵をどうにかするには、アビリティがカバーしている以上の負荷を与えて技能無効(アビリティ・ブレイク)するしかない。
「俺様が†聖十字騎士団†(セイント・クロス・ナイツ)幹部と知ってやってんのか!」
 そんなこと知るか。
 跡永賀は胸中で吐き捨てた。
 アーサーキングは剣を掲げて追ってくる。無我夢中で走ったものだから、遮蔽物の多い森を出て見晴らしのいい草原に出てしまった。これでは隠れることもできない。ステータスの差は歴然で、あっという間に追いつかれてしまった。しかし跡永賀に悲観はない。
敵意の対象がモモから自分に移った――それだけで、跡永賀は充分だった。モモをできるだけ優しく遠くに放る。この隙にこいつは逃げられる。
 なのに。
 どうしてこっちに戻ってくるのか。
「ぷるる」
 傷だらけの体で、モモは跡永賀の足元に擦り寄る。涙を浮かべて見上げるその笑顔に、跡永賀は叱るべきか喜ぶべきか迷った。
「こいつを見逃してくれ」
 モモをかばうように抱え上げる。傷は多いが、どれも浅い。治療すればどうにかなるだろう。
「それで? テメエが身代わりってか。馬鹿じゃねーの」
 返す言葉もない。
「死ねや」
 天を刺す切っ先を、無意識に眺める。逃げるべきだろうが――ああ、だめだ、足が動かない。死ぬのは怖くないといえば嘘になる。本当の死ではないが、あの感覚は怖い。
 いや、違う。
 本当に怖いのは、
 自分が死んだ後、腕の中の命が消されることだ。
 命を賭しても、踏みつけられる者は何も守れないのか。
 剣の向こう――天空の世界で、鳥が飛んでいる。自分もあんな風に飛べたら、苦労しなかっただろうか。ここから逃げ出すことも、恋人を探すことも、簡単であったかもしれない。
 もし空を飛べたなら――――
 ひらり、と一羽の巨鳥が翻身す。それはぐんぐんとこちらへ近づき、跡永賀はそこで気づいた。
 あれは鳥ではない。
 翼を持つが、鳥ではない。
 人だ。
 アーサーキングの剣より先に、その者が剣を振った。
「あ……?」
 糸が切れたマリオネットのように、アーサーキングは地に伏す。それに代わって地に立つ――地に降りたのは、白き翼を持つ女であった。
 包むように舞う白い羽、その中心にある女性。赤いアーマーに身を包み、細身の剣を握っている。
そしてその相貌は――――
「やっと見つけた」
 赤山あかりそのものであった。

【シェルター内・初無敵のアパート・一〇二号室】
「へー、ここで暮らしてるんだ」
 跡永賀はあかりを自室――寝所にしているアパートに案内した。工場には姉がいる。あかりは両親を紹介してほしいようだが、それは別の機会にしないと危険すぎる。
「うん。兄さんが大家なんだ」
「ああ。そういうこと」
 納得したような声で、あかりは室内を見回す。あの翼の姿はない。なんでも〝飛翔(フライング)〟というアビリティによるもので、出し入れ自由らしい。〝透視〟と合わせて日夜空から自分を探していたと聞いて、跡永賀は神のいたずらを疑った。自分は木の上――葉や枝で隠れた場所から地上を捜索していたのだ。空にいる彼女を見つけられるはずもない。あかりからしても、木に隠れた自分を見つけられるはずがない。
 手段そのものに間違いはない。目的も合致している。
 なのに、こうもすれ違うとは。
 そしてそれを引きあわせたのは。
「変わった色をしたスライムね」
「普通は緑とか青だからね」
「ぷるるぅ」
 帰りに買った薬を塗られたプルルンは、染みるのか情けない声を出す。
「ペット?」
「になるのかな、そういうつもりはなかったんだけどね」
「名前はもう決めたの?」
「モモって呼んでる」
「順当じゃないかしら。変な名前つけるよりはストレートで」
「その意見には激しく同意だよ」
 〝跡永賀〟は強く頷いた。
「私もこのアパートに引っ越そうかしらね。支給されたところはどうしたの? 誰かに貸してるの?」
「いや、それがさっきの奴に荒らされてさ。そのまま……」
 結局、あれからあそこには戻っていない。トラウマのような古傷もある上、盗られて困るものもなく、戻る理由がないのだ。
「ああ、あの雑魚」
「弱いの?」
「見てくれにばかり気を遣いすぎて、力そのものがおざなりになってるのよ。危機察知……注意力なかったでしょ」
「そういえば」
 跡永賀は振り返る。自分ですら奇襲できたのだ。迂闊すぎる。
「まあ、それでも初心者狩りできるくらいには強いだろうけどね」
「あはは……」
 狩られそうだった跡永賀は力なく笑う。〈テスタメント〉の場合、プレイ期間は均一なのだから、本来そんなことはありえないのだが……。
 イレギュラーに――それこそチートでも使ったように――強い奴はよくいるが、弱い方にイレギュラーなのは珍しいだろう。
「でも†聖十字騎士団†の幹部っていってたから、すごいんじゃないかなー」
「そんな組織聞いたことないけどね。あとさ、方々でよくあるんだけど」
「?」
「『なんとか騎士団』って作らなきゃいけない決まりでもあるの?」
「さぁ?」

 
 大家のソフィアが帰宅し、弟の部屋に寄ったのはしばらく後のことだった。
「†聖十字騎士団†ってのは、最近できたギルドだよ☆」
「その話し方やめろ」
「ぶ~」
 不満だと言わんばかりに口を尖らせる見た目魔法少女。一〇一号室に住む兄は、不動産業以外に金策があるらしく、帰ってくるのが遅い。
「お兄さん、すっかり変わりましたね」
「あ、わかる~?」
 ふふんと胸を張る兄の姿は、リアルとまったく違うことはもはや言うまでもない。
「もうあかりのことはいいのか」
「あれはテンプレ……お約束みたいなもんだからね。始め強く当たり後は流れでお願いしますだよ」
「ああそうかよ」
 姉と違って、すぐに態度を軟化してくれる分には文句はない。
「そもそも†聖十字騎士団†ってのは作ってから活動してるってわけじゃないの。だから名前は先行――浸透していないの。やりたい放題やってる悪質プレイヤーの噂は随分前から聞いてるよね? そいつらが徒党を組んでできたのが〝†聖十字騎士団†〟ってわけ。あれだよ、群れるようになったから、それらしい看板をつけて定義しようって算段だよ」
「荒らし連中が〝聖〟だの〝騎士〟だのって……皮肉というか滑稽というか」
「ただの中二だね。数年後には思い出して発狂するだろうね」
 やれやれとソフィアは肩をすくめる。
「この際名前なんてどうでもいいんですよ。問題は、雑魚にしろ悪質なのが集団になって活動してるってことでは?」
「その通り!」
 ソフィアはびしっとあかりを差す。某司会者の真似らしいが、ちっとも似ていない。
「今は黎明の混乱期、自警団さえいない無法状態。ならず者が幅を利かせるのは当たり前。歴史でもそうなってるでしょ」
「そうだっけ」
「私も歴史はちょっと」
 跡永賀とあかりは目を合わせる。
「ちょっかい掛けてくる内はまだいいんだよ。それが勢いやら力やらをつけていくと、支配を始めるようになる。そうなると、国家のようなシステムができてくるわけだよ」
「●斗の拳みたいになるってことか?」
「だいたいそんな感じ」
「そう考えると、半年という期間は絶妙ですね。仮にそういうことになっても、ほとんど時間は残っていない。そうだったという結果が出るだけ。テストとしてはそれで充分」
ソフィアは再度「その通り!」
「これは人類への質問でもあるわけだよ。人類はどんなに文明や環境が変化しても、同じ道を歩むのかどうか。それとも理性や技術が革新をもたらすか……あらゆる機関や学者がやりたくてもできない実験。人間の本質――永遠のテーマだよ」
「それでテスタメント(神と人の契約)とは……中々しゃれがきいているな」
「製作者が同じ人間とは思えない節はあるね。現在の――未来でも人類がこんなことできるとはどうもねー」
 ソフィアの言葉に、二人は自然と首肯していた。「でもさ、それってリアルでも変わらないよな」
「おっとお兄ちゃん、気づいたかね」
「どういうこと?」あかりの疑問に跡永賀は、「リアルの世界――俺たちのいた地球も、元は神か、それっぽい超自然的な何かが作ったもので、結局人間はそれに乗っかってるだけってことさ。この世界は、人がちょっとだけ神に近づいただけで、現実と大きな違いはないんだ」
 だからこそ、変わることに意義が――プレイする価値がある。今更ながら、跡永賀は思った。
「それがわかるようになった――わかることができる男になった。それだけで、もう充分成長したね。よっ、違いのわかる男」
「うるせえよ」「だばだ~だばだ~」と歌う兄を、跡永賀は鼻で笑った。
「さて、ソフィアはそろそろ寝ますよっと。ああそうだ」隣の自室に戻ろうとしたソフィアは振り返り、「うちは一室の人数制限はないから」
「は?」言われた弟は首をひねる。
「いやだって、同棲するんだよね?」
「そ、そんなわけねえだろ」
「私はそれでもいいんですけどね」隣のあかりの言葉に、跡永賀は驚くより冷たい汗を流す。そんなことをして、姉に知れたらどうなるか。
「こういうこと言うのはなんだけど、一番穏便に解決するなら既成事実だとお兄ちゃん思うよ」
「やかましい」
「それとさ」
ソフィアはベッドの上のモモに目をやる。疲れたのか、彼女(彼)が来る前に寝てしまったのだ。
「結局自然に返さず、そばに置いていくことにしたのか」
「成り行きでな」
「そんなことしたら辛いぞ」
「襲われても守れないってのはわかってる。けど、ここなら安全だろ」
「そういうこと言ってんじゃないんだけどね」
「?」
「いやいや。言っても野暮なだけだから、わからないならそれはそれでいいんだけどね。それで、彼女さんはまた別に部屋借りる?」
「それじゃ、跡永賀の隣で」
「そんなことだろうと思ってキープしといたよ」
「そういうところは察しが良いというか、頭働くよな、お前」
「照れるな~」
 でへへと後頭部に手を回すソフィアに、「ありがとうございます」とあかりは頭を下げる。
「けどね」
 去り際、兄は弟の耳に口を寄せる。「なんだよ気色悪い」
「機会や環境は与えられる。けどその先は、君次第だよ。そこまでは、僕の手は届かない」
 久方ぶりの真面目な声に「わかってるよ」と跡永賀。
「それとも」
 意味深な笑みを浮かべるソフィア。
「なんだよ」
「ソフィアルートに――ぎにゃあ」
 少女は殴られた頭を押さえる。「馬鹿言ってないでさっさと帰れ」
 

 なくしたものを取り戻し、それで万事が解決するというものではない。元通りになったということは、従来の問題も復帰するということだ。跡永賀とて、それはわかっていた。しかしだからといって、解決策があるというわけでもなく……。
 まず、あかりが『帰りたくない』といった。それに跡永賀が驚いて、奇妙な雰囲気になった。そこで起きたモモが跡永賀の腕に収まり、二人は苦笑する。そういう空気は切れて、その場は終わり。結局、一人用のベッドをあかりに譲り、モモを抱えた跡永賀は少し離れたソファで眠ることにした。
 それだけ距離があっても、素直に夢の世界に旅立てるほど跡永賀は大人ではない。タオルケットを深めにかぶってもそれは変わらず、暇つぶしにモモを撫でるばかり。
 玄関の扉が開く音がして、跡永賀はそちらを窺う。目はすっかり闇に慣れ、知り合いならわかる程。
 だから、その影の主が姉だとすぐにわかったし、それほど驚きもせず、声は出なかった。誰かから自分の部屋のことを聞いたのだろう。施錠したはずの扉を難なく開けたということはおそらく……ともかく問題は、こんな夜中に何をしにきたのか、だ。
 トウカが室内をきょろきょろしだし、跡永賀は反射的に顔を隠す。目当てを見つけたのか、彼女はまっすぐにベッドを目指した。
 そのまま、姉は眠っている人物に覆いかぶさる。どうやら、人の形はわかるが、その詳細までは判断できていないようだ。住んでいる者が一人で、そこに一人で眠っていれば、その人物はその部屋の住人であると確信するのは当然だ。だから、彼女は疑ってもいないだろう。
 二つの人の影が重なる。跡永賀は体から血の気が引いているのがよくわかった。これはあれだ、そういうことなのだろう。
 トウカと唇を重ねた相手は、『待っていたわ』と言わんばかりに腕を目の前の首や背に回す。
そして目を開く。
数秒、時が止まる。
その場にいた男一人と女二人は、その数秒動きを止めていた。
やがて動き出す。
「うわあああああああ」
 ルーチェが叫び、トウカを蹴り飛ばす。とっさにガードしたトウカは、その勢いに流され窓から飛び出す。それでは気が済まないのか、ルーチェは素早く追跡に移行。跡永賀は慌てて起き上がり、二人の後を追った。
『何の冗談よ、おい!』
『こっちのセリフよ』
 アパート前の路上、苦もなく立ち上がったトウカは『ぺっぺ』と唾を吐き、腕で口を拭う。『なんであんたが跡永賀の部屋にいるのよ』
『恋人がいて悪い理由がある?』 
『ふしだらな女』
『あんたに言われたくねえわよ! この夜這い女!』
 案の定とでも言うべきか、二人の関係は最悪だった。
『汚い虫がついたもんだから、消毒しようと思ったけど……殺虫した方が早そうね』
『態度次第では仲良くやっていこうと思ったけど、まさかこんなプッツンになっているとはね』
 アイテムボックスから引き出したらしく、二人の格好が武装したそれに変化した。
 抜き身の剣が二つ、互いを指す。
「まったく、暴れるなら時間考えてよね。寝られやしない」
 遅れてやってきたソフィアがあくびをしながら跡永賀の隣にきた。
「姉さんに俺の部屋番教えたのお前か?」
「ああ。教えたね」
「合鍵もか」
「だって剣突きつけられて脅されたんだもん。今の長女なら、拷問してでも事を運ぶだろうね」
「そうか……」
「まあ何にせよ、窓ガラス一枚で済んだのは幸運かな。部屋で暴れられたら、リフォームか建て直しになりそうだし」
「だな」
 跡永賀は頷くしかない。こうしている今も、二人はとんでもない戦闘を繰り広げている。一見、制空権をとっているルーチェが有利に見えるが、どっこいそうでもない。結局攻撃手段は斬撃しかないらしく、接近するしかない。すると斬り合いではトウカが上のようであるから、そこで拮抗する。さしずめ飛翔のスピードと斬撃のパワーの勝負。
 何度目かの衝突。
 重なった剣が、次の瞬間に四つに散った。
「これで打ち止めか」
 真っ二つになった二人の剣。受けた衝撃――蓄積した疲労が限界を超えて、武器破壊(アームズ・ブレイク)を起こしたのだ。
「そうでもないようだよ」
 ソフィアの言葉を肯定するように、二人は折れた剣を捨て、拳を構えた。
 今度は殴り合いのようだ。
「キャットファイトだねぇ」
「随分と雄々しいキャットファイトだな」
 男二人は止めようとしない。あの二人を止められるわけがないと、重々承知しているからだ。戦闘士二人に、魔法使と無職ではどうしようもない。
『うるせぇぞ! 寝られねえじゃねえか!』
 そこに出てきたのは、二階の住人である。扉を勢い良く開き、眼下の二人に怒号する。そいつに、跡永賀は見覚えがあった。
『このアーサーキング様の眠りを妨げるとはいい度胸じゃねえか!』
 そう、アーサーキングである。
「あいつも住まわせたのか」
「あれ? 知り合い?」
「そういえばお前は面識ないのか。†聖十字騎士団†の幹部で、俺の部屋を荒らした奴だよ」
「あらら。てっきりただの中二病の馬鹿だと思ってたけど、そんなことをしていたとは」
 アーサーキングはルーチェに気づき、『げっ』と声を上げ、部屋に戻っていく。恐れをなしたか。跡永賀がそう思っていると、奴はゴテゴテと装飾された剣を持って戻ってきた。
『さっきはよくもだまし討ちしてくれたな、卑怯なチキン野郎め。あの時とは違うぞ、俺様の至高聖剣スプリームエクスカリバーを使っていなかったからな』
 誇らしげに剣を掲げるアーサーキング。しかし、ルーチェはまったく聞いていない。
「いるよな。負けたら『本気じゃなかった』とか『一軍つかってない』とか」
「いるねー。しっかし、何が聖剣だよ。あれただのアイアンソードじゃん」
 店で一番安い剣である。
「ペンキや装飾具に予算費やしたね、あれ。中二特有の無駄使いだね」
「レアアイテム手に入れられないからって、そこまでせんでも」
 目立ちたいとか、個性を持ちたいという気持ちはわからんでもないが……。
『オラオラ! こっから俺様の大活躍がはじま―――げべばぁ!』
 飛び降り、着地したのもつかの間、殴り飛ばされたルーチェにアーサーキングは潰された。
「あいつの大活躍ってのは、人のクッションになるってことか?」
「さぁ?」
 ソフィアは肩をすくめる。
『貸して』
『あ……』
 ルーチェはこれ幸いとそばに転がっていた至高聖剣スプリームエクスカリバー(ただのアイアンソード)を手に取る。
『返し』
 所有者の言葉を無視してルーチェは走り、トウカへ向かって容赦なく振り下ろす。
『ふんっ』
 トウカは裏拳で剣の腹を叩き、苦もなく払う。それだけで至高聖剣スプリームエクスカリバー(アイアンソード)は砕け、鉄くずに化けた。
『あぁぁぁぁぁぁあスプリームエクスカリバァァアアア!』
「鍛えてもいない店売り品だからね、しかたないね」
 武器破壊してくださいと言っているようなものだ。
『何しやがるこのアマ――――!』
 涙を流し、怒りを露わにしたアーサーキングはトウカに掴みかかる。
『邪魔』
『ぐふう』
 腹を殴られ、アーサーキングは『く』の字に体を折って地に伏した。彼の鎧はまるでガラス細工のように砕け、あっさりと防具破壊(アーマー・ブレイク)された。
「腹パン一発で沈むとか弱すぎぃ!」
「姉さんたちが強すぎるんじゃないか?」
 もっとも、比較対象があの母親くらいしかいないから、それでもあまり強く感じないという変な話だが。
『いい気になるなよ。俺様は四天王の一人……残り三人もいる。さらに裏四天王、真四天王、闇四天王etcが……』
「四天王多すぎぃ!」
「皆幹部になりたいからって無尽蔵にポストを増やしたんだろうな」
 四天王なのに四人じゃないし、多すぎて幹部のありがたみというか意味がなくなっている。
『わかったかこのアバズレがぁ!』
『るさい』
 ぶちゅっと不快な音を立てて、トウカの足がアーサーキングの頭部を踏み潰した。リアルだったら中身はみ出していただろう。
「あんなのにビビったり苦労していた俺っていったい」
「お兄ちゃんは戦闘向きじゃないから……」
「じゃあ何に向いているんだよ」
「…………」
「黙るなよ」
 真剣に悩む顔をされた跡永賀は、申し訳ない気持ちになった。
「ヒ……ヒロインとか?」
「ジョブじゃないよな、それ」
 

【翌日:タロー・ファクトリー】
「……ああ、なんというか……大変だったね」
 体中が包帯だの絆創膏だのにまみれたルーチェとトウカを見て、タローはまず、そう言った。結局、殴り合い――武器なしでは火力が足りなくて、決着がつかなかったのだ。お互い、鍛えすぎたといったところか。その落とし所として、よりよい装備が用意できるところへ跡永賀が二人を誘導したのは、数十分前のことであった。ちなみに二人を自身の限界まで回復させたソフィアは、疲労困憊で寝込んでいる。回復させる量が多いと、負担も比例するようだ。
「もう店売り品じゃ限界なんでしょ。この子の分も作ってあげなさい。製作中のトウカのと同時に完成するようにね」
「わかったよ」
 ハンナに言われ、タローは自身の作業場へ戻っていく。彼女の背にある二本の大剣は、まるで新品同様に精錬されていた。
「いいの? 俺が言うのもなんだけど、娘優先するかと思った」
 ハンナは「わかってないわね」と嘆息。
「フェアにやるから勝負ってのは白黒はっきりするのよ。贔屓で決着がついても、納得できなきゃムダよ。色恋なら尚更ね」
「そ、そう」
 それでも、こちらとしては二人が傷つけ合うのは気が進まないのだ。「心配しないで跡永賀」トウカの手が跡永賀の頬をそっと挟む。「私が勝つから」
 久しぶりの――ここでは初めてのキスだった。
 柔らかい唇を感じ、やがて驚きと、冷たい汗。
「姉さん、大胆になりすぎ――」
「くたばれ」
 ルーチェが拳を振り上げているのが見えた。挑発に思ったのかもしれないし、ただ純粋に嫌だったのかもしれない。敵意が吹き出していた。それを察した姉は跡永賀から離れて構えて――
「やめろ」
 二人の首筋に、一本ずつ大剣がそえられる。目にも留まらぬ速さだ。遅れて風が吹き、周囲のものを揺らした。
「ここで暴れるな。機会はこっちが作ってやる。そこで思う存分やり合え。それまで我慢しろ」
 ハンナは二人に研磨された視線を貫通させた。「いいな?」少女二人の顔は、戦慄で引きつっている。
 どうにか細い首を動かした二人を見て、ハンナは大剣と殺気を収めた。「ならいいのよ」
「父さん的にはさ」
「うん?」
 その場から避難した跡永賀は作業中の父に口を寄せた。「姉さんとあかりはどれくらいの強さに見える?」
「あんまり外のことは知らないけど、ここにいる人をもとにして見れば……上の下くらいかなー。多分戦闘力はトップクラスだと思うよ」
「母さんは」
「あれはもう別格。もうソロで帝王級・成体倒せるんじゃないかなぁ。そこらへんの話はまだ聞いていないから、よくわからないけど」
「帝王級?」
「その種族の上位――場合によっては最上級――のグレードだよ。その種族のボスってところかな。他にも種族によっては女王級ってのもいて、同種族を使役できるらしい」
「女王蜂とか女王蟻みたいなもん?」
「そうだね。あれは女王を起点にコロニーが構成されるだろ? だから群れの中心にいつもいるし、倒すとなったら群れそのものを相手にすると考えていい。数の暴力は個人の力を飲み込むから厄介なもんさ」
「ふーん」
 跡永賀はふと、プルルンの群れが襲ってくるのを想像した。……あまり怖くはないな。
「外界に興味でも持ったのか?」
「そうでもないけど、何もしてないのはやっぱどうかなーって思って」
「何もしてないってことはないと思うぞ」
「そう?」
「たしかにお前自身は何もしていないのかもしれないが、初無敵はお前のために職を持って商売をやっているし、冬窓床やあかりちゃんもお前のためにあそこまで強くなったわけだろ?」
「それはそうかもだけど」
「他人のインセンティブになっているなら、それは何かをしているってことでいいんじゃないか? まあ、それでも嫌で、何か看板を持ちたいっていうなら……」
 作業を止めた父は、ぼんやり上を見上げてから、やがてぽつりと。
「ヒ……ヒモ、かな」
「ジョブじゃないよね、それ」

 タロー・ファクトリーを後にした跡永賀は、家へ戻ろうとする。それにルーチェとトウカはついてきた。お互い、目を離せないのだろう。昨晩のこともある。
 それはわかるのだが……。
「歩きにくいんだけど」
 両の腕をそれぞれに抱えられた跡永賀はそういった。嬉しいとかより先に、嫌な汗と圧迫感を覚えた。自分を挟んで行き交う牽制と敵意の視線のせいだ。
「跡永賀が歩きにくいから離れて。そして消えて」
「は? あんたが失せなさいよ」
 万事この調子である。ハンナの戦闘禁止令のおかげで表立ってどうこうすることはないが、それでも舌戦があるのだからタチが悪い。
 道中の店のいくつかが荒らされており、その場にいた者から、†聖十字騎士団†の仕業であると跡永賀は耳に挟んだ。だんだん、活動が表面に、過激に現れている。ソフィアが言うように、そろそろ支配を目論むかもしれない。
 家の前につくと、倒れているアーサーキングの前に三つの人の姿があった。助ける義理もないのでそのままにしておいたが、何かあったのだろうか。
「おっと、聞いてみるか」
 跡永賀達に向こうも気づいたようで、三人のうちの一人がこちらを見る。
「こいつが何でこうなったか知らないか」
「あー、それは」
 どうやら仲間のようだ。どう答えれば無難に収まるか、跡永賀は胸中で答えを探す。
「あたしが倒した。邪魔だったから」
 さっくり、トウカが答えた。
「そうか」
「何かまずかった?」
 むしろまずくない理由が知りたい。跡永賀は答えの見つからなかった胸中でつぶやく。
「いや、ちょうどいい」
 その男は残り二人に目配せし、アーサーキングの身ぐるみを剥ぎ始めた。
「仲間じゃ……?」
「一応そうではあったんだが、正直同じ四天王であることに嫌気が差していた」 
 ああ、三人というのは、そういう三人か。跡永賀は納得する。
「口だけの雑魚で、余計なことしかしない。これで切り捨てる大義名分も立つ。おい、聞こえてるよな、もうお前、騎士団じゃねーから。こっち構ってくんなよ」
 踏みつけて、男は言った。他の二人は話すのも嫌だといわんばかりに、もくもくとアイテムを奪う。
「じゃあ、あんたが新しい四天王にならないか?」
「嫌よ、そんなの」
「そうか。もったいないな、その方があんたのためだぞ」
「どういうこと?」
「近々、騎士団は大規模な粛清を行う。騎士団の統治を拒むやつを裁くんだ」
 粛清、ねぇ。跡永賀は鼻で笑うのをこらえた。
「その時に騎士団にいればいい思いができるのさ」
「でも返り討ちにあったら、逆に肩身が狭いんじゃないの?」
「それはない。俺達は最強だからな」
 最強……。跡永賀は笑いをこらえて変な顔になった。慌てて、視線を落として顔を伏せる。アーサーキングを見て、ルーチェやトウカ、母を見て、騎士団の程度を察すれば当然の反応である。
「そういうわけだから。それじゃあな」
 去っていた三人。残されたアーサーキングは無様に磨きがかかっている。今は死んでいるが、リスポーンした時にこのやりとりを追体験する。その時、この男はどうするのだろうか。跡永賀はわずかに同情したが、手助けをする気にはならなかった。因果応報というやつだ。
「ぷるる~」
「おお、起きたか」
 扉を開けると、勢いよくモモが飛び込んできた。
「それにしても、これどうするの? 誰かさんのせいで窓に大穴が開いてるけど」
「あ? 元はといえばお前のせいだろ」
「兄さんに話したら、修理するまで空き部屋使ってくれってさ。費用は気にしなくていいって」
 本当なら大家がそこまでする理由はない。兄の厚意には感謝するばかりだ。もっとも、跡永賀がそれを面と向かって口に出すことはないだろうが。
 その日の夜――――
 跡永賀は、ソフィアの部屋で寝ていた。
「空き部屋使っていいって言ったよね」
「あの二人と一緒だと寝られないんだよ。胃に穴が開きそうだ」
 結局、抜け駆けなしの約束をして、二人を別々の部屋に置いておくしか術がなかった。隣で布団をかぶるソフィアは笑う。「贅沢病だね」
「間が悪いんだよ、色々と」
 跡永賀はそばで眠るモモにタオルケットを掛け直す。
「そういえばあの中二病君だけどさ」
「ん?」
「とりあえず契約期間中はそのまま住ませることにするよ。家賃ももらってるしね」
「そうか」
 さっき外を見たら、アーサーキングはよろよろと二階に上がっていた。それから音沙汰なしであるから、もうこちらを襲うことはないだろう。武器はもちろん、アイテムもない。おそらくは金もない。ステータスもそれほど高くはない……そんな体たらくでも自分よりましなのだから、我ながら情けない。跡永賀は何度目かわからぬ憂鬱を味わった。
「あと一ヶ月ちょいだね」
「〈テスタメント〉か?」
「うん。どうする? 戻ってきたらリアルも半年――いや、それならまだいいね。五年、十年経った浦島状態だったら」
 ソフィアはぼんやり天井を見上げていた。
「別にそれでもいいさ」
 跡永賀も同様に天井を見上げている。
「あら意外。怒るもんだとばかり」
「あのままずっと、塞ぎこんでふてくされていたら、何も変わらなかった。自分や環境を変えようと思う気さえ浮かばなかったと思う。ここでの半年は、あのまま過ごすはずだった五年、十年より価値がある」
 独りになって、痛いほどわかった。自分と世界のこと、人と人とのつながり――絆のこと。ただ流され、〝もしも〟を期待しているだけでは、何もわからなかっただろう。
「なら勧めて正解だったかな」
「ああ」
 失うものもなく、取り戻し、新しく得たものを持ってリアルに帰ることができる。
 リアルに戻ることで失うものは何もない。
 その時は疑いなくそう思っていた。
 夢の世界に旅立つ跡永賀のそばで、モモが小さな寝息を立てていた。
 

第五章

 〈テスタメント〉終了から残り一ヶ月となった。その頃になると、トウカとルーチェはタロー特製装備の試作品のテストも兼ねて修行に明け暮れていた。決闘の日時をプレイ終了付近に設定することで、限度ギリギリ――やれるところまで強くなろうという腹だ。初戦が引き分けになったのが効いたらしい。
 ソフィアはどうにか借金返済ができる見込みができたらしい。しかしそれでも、プレイ終了時までは気を抜けないという。いっそ踏み倒せば、と跡永賀が言うと、『普通のゲームならそれも手だけど、ことこのゲームはどんな方法でも弁済させられそうな気がする』と答えられ、跡永賀は納得した。仮に後になってリアルで請求されても、金策皆無の初無敵には払う術がないのだ。
 タローとハンナは相変わらずの生活だ。二人とも、プレイ終了までこのままだろう。
 家族の誰もが跡永賀に構うことはなかったが、かつての寂しさはない。絆を取り戻したというのもあるが、なにより、
「ぷるる」
 そばにはモモがいた。
 時には家で戯れたり、時には街へ出かけたり、二人はこの世界を共に過ごした。時折目にする†聖十字騎士団†の存在以外は――この頃になると、往来で白昼堂々集団で行動していることがままあった――何の不満もない日々であった。
繁華街には、より一層†聖十字騎士団†の爪痕が目につくようになり、その影響が無視できなくなっていた。巷では自警団組織の案が出ては人材不足による立ち消えの繰り返しで、対抗策はうまく進んでいない。当然である。†聖十字騎士団†に入らないような――自衛できる猛者なら、そもそも自警団などで身を守る必要はない。さらに言えば、そんな組織に所属して、†聖十字騎士団†とわざわざ敵対する理由がない。それで得をするのは無関係な有象無象。
 所詮は他人なのだから。
 往々にして、踏みつけられる弱者の命運というのは、強者のきまぐれに左右される。世界は代わっても、それは不変のようだ。
 踏みつけられる者ができることといえば、強者の牙から逃れるように立ち回ることくらいだ。そういう理由で、†聖十字騎士団†に加わる者も少なくないらしい。媚びへつらっている分には襲われることはなく、あわよくばおこぼれにあずかれるのだから賢いといえば賢い。
 それでも、跡永賀はそういう気にはなれなかった。今更いうまでもなく、自分には自衛できる実力すらない。モモだってそうだ。だから、自分たちは結局強者の手中にある。けれど、だからといって強者の側に――踏みつける者の位置に立つのも嫌だった。
 ただ、誰にも傷つけられず、誰も傷つけたくなかった。
 それは生物の根底――弱肉強食の否定であった。
同時に、人間特有の矜持であった。
「母さんはこれでいいの?」
「なんちゃらかんちゃら騎士団のこと?」
 父の作業場近く、母専用仮眠ベッドでゴロゴロしていたハンナはモモを抱えた跡永賀を見上げる。
「†聖十字騎士団†ね」
「そのなんちゃら十字騎士団がやりたい放題してるのがどうってこと?」
「母さんならどうにかできるんでしょ?」
「できるよ。しないだけ」
「しようとは思わないの?」
 踏みつけられる側の跡永賀にとって、踏みつける側にあるハンナの考えはわからない。
「もし、お母さんが『あの人たちは間違っている』っていって壊滅させたとする。でも、それからまた同じような集団はできる。そういうのはなくならないからね。理屈なら、それも潰すことになる。それを潰して、その次も潰して――――」
「終わらないってこと?」
「キリがないのもあるし、やってることはその人たちと何も変わらない。気に入らないから、気が済むまで暴れる――それだけよ」
「だから放っておくのか」
「別に損するわけじゃないしね。やりたいことをやりたいように――ゲームってのはそういうもんでしょ。本来、その権利は侵害されていいものじゃない」
「他人の権利を侵害することになっても?」
「弱肉強食を否定する気はないわね。歳をとると、薄っぺらい倫理や理想に興味がなくなるものなの」
「そっか」
 ハンナの言葉は、ヒトの限界の一端を吐露しているようだった。〝こうなればいい〟と望んでも、叶える力を持たない者の嘆き。虚しさや悔しさを感じる心は、いずれ慣れでもって感じなくなる。そういうことなのだろう。
「あんたはヒーローになりたいの?」
「いや、別に。何か疲れそうだし」
「じゃあ力が欲しいの?」
「そうだね。あった方がいいかもしれない」
「ふぅん」と息を漏らしたハンナは、跡永賀に抱かれているモモを撫でる。「だったら、今のままでいいかもね。寄り道や回り道をしたようで、その実は正しい道を進んでいたのかもしれない」
「どういうこと?」
「鍵はあるけど、宝の入った箱が見つかってないのよ」
 くすぐったいのか嬉しいのか、モモははにかんで「ぷるる」と鳴いた。
「いや、余計にわからんて」
「正直、お母さんもどうなるかはわからないのよ」
「そうなんだ」跡永賀は首を捻るしかない。
 

「今日はどうするか」
「ぷるる~」
 工場の外、横になっているドラゴンによりかかった跡永賀は、モモと一緒にまやかしの青空を見上げる。ハンナのペットであるこのドラゴン、跡永賀には気を許しているらしく、これだけ密着していても動じない。これが工員であると、近づいただけで鋭い目を向けるのだ。生来、動物に懐かれやすいタチなのだ。リアルではめったに外出しないものだから、これまで実感することはあまりなかったが。
「ん?」
 工場正面の出入り口前に、†聖十字騎士団†のメンバーが数人いた。どうして騎士団員だとわかるかというと、でかでかと†聖十字騎士団†のエンブレムがプリントされた十字マーク入りマントを着ているからである。
「何してんだろ」
 彼らは何をするでもなく、そこにいるだけだ。仕事の依頼でないのなら、どうしてここにいるのか。
「何かご用ですか」
 数人の一人、リーダー風の男がこちらを見た。
「お前、ここの人間か」
「まあ、一応」
「そうか」
 それきり。他の者は口を開かない。本当に何をしにきたのか。周囲を見回せば、他の店や施設にも、似たような配置で†聖十字騎士団†がいた。
『聞け、者ども』
 頭から降ってくる大きな声に、跡永賀は反射的に反応した。これは〝拡声(メガホン)〟アビリティか、同等のアイテムによるものだ。
 声の主は、ここから少し離れた――街の真ん中にある塔の上にいる。案の定というか、騎士団専用のマントをつけていた。ゴテゴテした黒いアーマーに金色の装飾が施された、威風ただよう風貌だ。
『これより、ここは我々†聖十字騎士団†が支配する。ただちに降伏し、服従せよ。さもなくくば』
 周囲の騎士団員が剣を抜く。わかりやすい敵意の見せ方だ。
『粛清だ』
 それを合図に、彼らは目的の場所へ殺到した。当然、工場の付近――それどころか彼らの目の前にいた跡永賀は、真っ先に標的になる。
 とっさにモモをかばう跡永賀。金もなく、父も母のほかに姉や恋人の装備の面倒を見ているため、結局未だに武装はない。
「あーあ、やっちまったね」
 数秒――それすら長く感じるほど、あっという間のことだった。
 すぐそこにいたはずの襲撃者たちは、吹き飛ばされていた。
「余計なことをしなければ、大目に見てやったのに」
 片手で振りぬいた大剣を、ハンナは軽々と振り回す。その背後の跡永賀は、ぽかーんとするしかない。
「降りかかった火の粉は払わなきゃ、でしょ?」
「そりゃあ、まぁ」
「それじゃ、ちょっと行ってくるわ」
「い、いってらっしゃい」
 両手で大剣を握ったハンナは、塔に向かって走りだす。「来い!」呼ばれ、ドラゴンがその後を飛んで追った。
「みんな~」それと入れ替わるように、ソフィアがやってきた。「ここは襲われなかった?」
「襲われた。けど一瞬で……」
「ああ……納得」
 壁に埋まったり道に転がったりしている騎士団員を見て、ソフィアは頷いた。「あれだね、DQNが調子こいてヤクザどころか軍隊に喧嘩売っちゃったみたいなね」
「その表現、的確だな」
 敵の本拠地らしい塔へ一直線に向かう母を、騎士団の面々は襲っているが、まるで歯がたたない。一振りで巻き起こる突風に、大半が吹き飛んでいった。まるで風に吹かれる木の葉のようだ。それはまだいい。斬撃が直撃した場合、アーマーが粉砕されている。おそらく同時に技能無効も発生しているから、その激痛は……想像すらしたくない。
「対人戦でも通用するみたいだな」
 一仕事終えたらしいタローが工場から出てきた。
「やったねお父さん! これでまた客が増えるね!」
「もういっぱいいっぱいだよ。また工場大きくしなきゃな」
ソフィアにそう答え、タローはタオルでふーっと汗を拭った。
「いっそ株式会社にしない? それで僕に株の八〇%を……」
「母さんが許してくれたらな」
「僕に死ねというのか」
「そうなるとわかってるなら始めから言うなよ」
 跡永賀はため息を吐く。
 ハンナの進撃は止まらない。彼女の後に残されるのは、騎士団員の死体の山と、それを称賛する人々。彼らの声援が、母を後押しする。
「見たまえ、最強(笑)の騎士団がゴミのようだ」
「ああ、そうだな」
 何人かが〝飛翔〟によるヒット・アンド・アウェイをハンナにしかけるが、それもうまくいかない。母のペットのドラゴンが火を吐くわ噛み付くわで、制空権が取られてしまっているからだ。時折ボロボロと炭や涎まみれになって落ちてくる死体が哀愁を誘う。魔法使による遠隔攻撃も火力不足でまったく通用しない。結局距離を詰められ、倒されていく。
『そこまでだ化物めぇ! この超四天王ナンバー2、不死身のヘラクレス様が相手だ!』
「全体だとナンバーどれくらいなんだろうね」
「五〇番くらいじゃないか?」
 巨漢が、その体――纏った鎧でハンナの斬撃を受け止める。ピシシとヒビが入ったのは、鎧ではなく剣の方であった。『ガハハ! どうだ! この鎧はマイスター・タローの傑作品よ! 疲労した剣なんぞ物ともしない!』
「カッコつけてるけど、めちゃくちゃ情けないセリフだよね」
「だな。父さん、本当に作ったの?」
「そりゃ、頼まれたら作らないわけにはいかないからな。客選んでも流通すればそれまでだしな」
「母さんの剣、やばいんだけど大丈夫かな」
「母さんが何で二本装備なのか知ってるか?」
「いや」
「腕が二本だからだよ」
 ヒビの入った大剣が放り捨てられる。
『ぶべらぁ!』
 ハンナはアイテムボックスから新たに出した大剣で、巨漢を脳天から一刀両断した。お粗末なことに、頭部に防具はなかったのだ。
「収納しているのも含めれば、常に一三本は持っている」
「円卓の騎士か何かですか」
 ソフィアは呆れたような顔をした。
使い続けた方の大剣を塔の壁に突き刺し、足場にしたハンナは、そこから跳躍。あっという間に最上層に到達した。
『よくぞここまで来た。いざ尋常にしょう――ブゥウウウウ』
 構えた剣と着た鎧ごと斬られたボスの言葉は、それだけだった。武器・防具・技能の三重粉砕(トリプル・ブレイク)である。
「速いよ速いよー。アニメだったら三話、漫画だったら単行本五冊は堅いのに」
「そもそもどうしてこの程度の強さで決起する気になったんだ。井の中の蛙にも程があるだろ」
「強い奴は皆、遠くにいる強いモンスターを狩りにいくからな、気付きにくいのかもしれん」
 父の言葉に、それもそうかと跡永賀は納得する。普段からここで活動しているのは、非戦闘職が大半であろうし、近場の雑魚を相手にしているのはそれ相応のプレイヤーだ。大海へ遠征する猛者の程度を関知できようはずもない。
『……ああーテステス』
 塔の頂上、開けたテラスで、そこにあった拡声器にハンナは声をあてる。
『ご覧の通りの有様だ。あたしはこういうことうまく話せないけど、とりあえず、言えることは』
 眼下の聴衆に、ハンナは視線を分散させる。気丈に振舞っているが、そこに緊張があったことを家族の跡永賀は見逃さない。
『あたしたちは自由だ。支配されるいわれはない。自由に殺されることはあっても、自由を殺されることはありえない――それだけだ』
 政治家や優等生にありがちな、長々としたスピーチではない。しかし、それが逆にウケた。簡潔で、まっすぐだったからだ。
 聴衆の歓声は、一層盛り上がり、〝透視〟持ちか、それとも知り合いか、誰かが『ハンナ』と叫んだ。それに周囲が――全体が呼応し、
『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』
『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』
『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』
『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』
『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』『ハ・ン・ナ!』
 大ハンナコールである。これが本名であったなら、と考えた跡永賀は冷たい汗を流した。妖精の鱗粉がトン単位で必要になる。
『あー、うん。どうもありがとう。それから、狩られた奴のドロップをもらうのは狩った奴だというのがお決まりではあるが、正直こいつらのアイテムに興味はない。ただ、また同じようなことをされるのは癪だ。だから』
 聴取が声を殺し、息を呑む。たとえるなら、買ってもらったおもちゃを前にお預けをくらった子ども、めったに食えない肉を置かれて『待て』をされている犬だ。
『くれてやる!』
 ハンナに倒された騎士団員の骸に、人が一斉に殺到した。騎士団で生き残った者は、大慌てでマントを脱ぎ捨て、無関係を決め込んだ。
 金のかかっていそうなマントが踏まれ、粗末な足拭きに変わっていくのを、跡永賀は複雑な思いで見つめた。
 因果応報……弱肉強食、か。
 ――――それから二週間。
 結局、人類史によくある流れにはならなかった。支配者たろうとした騎士団はこれを機に崩壊――大規模な縮小をし、以前ほど見かけることはなくなった。仮にいたとしても、もはや脅威とは思われていないため、その看板には何のブランドもなく、それどころかアイテムを奪われる大義名分にすらなってしまうため、それは当然といえた。一説には騎士団の残党がランダムテレポートで未開のエリアに高飛びしただの、そこでも手酷くやられて本格的に壊滅しただのといった噂があったが、その真相を跡永賀が確かめる術はない。それは別の誰かが綴るであろう物語である。
 騎士団によるシェルター襲撃からしばらくして、自警団はハンナを頂点として結成された。しかし当の本人の姿はそこになく、宗教よろしく、大多数に勝手に祭り上げられているだけだ。もちろん自警団の創設者たちは頻繁にタロー・ファクトリーを訪れ、ハンナを説得しようとしたが、ついぞそれは叶わなかった。かといって、良からぬ行いをする者をハンナがどうするかは知れ渡っているのだから、それでも抑止力にはなり得るのである。
『それもしばらくのことだよ。慣れたり忘れたりしたら、また同じことをするバカは出てくる』とは、ソフィアの弁だ。もっとも、そのしばらくはプレイ終了時まで続いたので、問題はなかったのだが。
 一連の騒動――通称〝騎士団事件〟によって、タロー・ファクトリーはますます繁盛した。市販品の装備があれだけ派手に粉砕されれば当たり前と言える。従来なら専用の装備を設計・発明していたが、ここまで顧客が激増するとそうもいかない。下請けやラインを設立して、ある程度の一律な装備を量産するようになった。その素材の調達にソフィアは一枚噛み、その中間搾取で大儲けしているらしい。
『株で儲けようとしたんだけどダメでね。このマージンでウマウマするとするよ』
 アルバイトでプレイヤーを雇い、素材を掻き集めてタロー・ファクトリーに納入しているらしい。最近では別の工場とも取引をしているようで、借金はあっという間に返済完了したそうだ。
『ハンナバブルとでも呼べばいいかな』
 笑いが止まらないといった顔で、ソフィアは跡永賀に言った。もはや商人と化した魔法使いである。最近、新たに土地を買ったらしい。
『英雄になんてなるもんじゃない』とは、ハンナの呟きである。
 巷で自分のグッズ商品や、装備のレプリカが出回るのはまだいいらしい。問題は、狩りに出る時に大量のファンがついてくることだ。これが自衛できるならまだいいが、ミーハーな下流層が圧倒的で、その護衛をするハメになるのが面倒なようだ。『いっそ見捨てて痛い目に遭わせれば』と跡永賀が言ったら、ハンナはバツが悪そうに『そういうわけにもいかないでしょ』と頬を掻いた。どうやら満更でもないらしい。余談であるが、この行列により、外界の交通や経済が発展した。
 家族がそれぞれ目的への努力をしている一方で、跡永賀の生活に変わりはなかった。外界にいるとやけにスライムが寄ってくる以外は特段の変化はなく、モモと共にこの世界を楽しむ日々であった。
 そしてとうとう……
 その日が来た。

 〈テスタメント〉最後の日。街が壊されてはかなわんと、場所はシェルター付近のひとけない岩場。
 審判であり立会であり観客である跡永賀とソフィアとタローは、そこから少し離れたところにいた。ハンナも気にしていたようだが、大勢のファンに囲まれては思うように身動きが取れなかった。
「普通さ、こういうの男女逆じゃないかって思うんだ」
「男女逆転してるお前が言うなよ」
 ソフィアに跡永賀は嘆息する。
「父さん、装備の方は」
「やれるだけのことはやった。後は本番でうまくいくかどうかだな」
「そっか」
 二人の装備は、最初とはだいぶ様変わりしている。色こそ今までどおりだが、初見な武装が散見された。
 トウカの手には銃と盾が握られ、マントに隠れているアーマーにはあらゆるところに溝が走っている。
 ルーチェの手には大型の――まるで大砲の銃身に拳銃のグリップを合体させた――兵器が握られている。翼はすでに発現し、いつでも飛べる段階にあった。ちなみに銃とは言うものの、厳密には違う武器である。魔法射出機と名付けられた銃のようなそれは、魔力か魔石でもって目標を攻撃する。弾丸にあたるものにまでは手が及ばなかったらしく、風魔法の応用で鉄の塊を飛ばすに留まっているらしい。つまり、現実世界の銃とそこまでの違いはない。
『ルールはいるかしら』
『一つだけ。最後に立っていた方が勝ち』
『それで充分ね』
 向かい合った二人は互いに銃口を向ける。
 躊躇なく、引き金は引かれた。
「始まったか」
 二人の第一射は、ルーチェはかわし、トウカは受け止めた盾を飛ばされた。
「あの盾役にたってなくない?」
「そうでもないぞ。あかりちゃんの魔法射出機は、三重粉砕を想定した兵器だからな。盾一枚で済んだのは大成功だ。冬窓床の魔法射出機は、狙撃銃をモデルに取り回しやすくしたものだが……いかんせん命中率が悪いな」
「遠距離じゃ姉さんが不利ってこと?」
「そうなるな。どうも接近戦というか、ガチンコの方が得意らしいんでな」
「でもさ、あかりに近づくのって難しくない?」
 跡永賀の言葉を肯定するように、ルーチェは飛び上がり、天を舞う。銃を片手に、剣を出す。
「そこら辺は対策済みだよ」
 トウカの方から風が吹いたかと思うと、彼女の体は宙に浮いていた。そしてそのまま、マントをはためかせルーチェに肉薄する。
「フライングアーマー。アビリティの〝飛翔〟を擬似的に再現する鎧さ」
「わーお」ソフィアは感心したように空を見上げる。「バトルものって、気がつくと空中戦がメインになってるもんだけど……これはなかなか」
「置いてきぼり感がハンパないな。元からだけど」
 天空の世界、二人が衝突と反発を繰り返す。タロー特製のおかげで、今度は剣が折れることはないだろう。 
 弾切れになったらしい銃をトウカが放り捨てる。強力なのだろうが、当たらなくては話にならない。そして何度目かの斬り合いの時、
「あっ、姉さんがあかりを掴んだ」
「そのまま翼を斬り落として……」
「頭を掴んで……」
 ゴオオと空気を押しつぶす音とともに、トウカはルーチェを大地へ激突させた。周辺に撒き散らされる土煙と衝撃。
「やったか」ソフィアが手に汗を握る。それに跡永賀は、
「ああ、そうだな。『やってねえ』よ」
 立ち込める煙の中、何かが飛び出した。トウカだ。腹に鉄球を抱え、そのまま岩の壁に体をめり込ませる。
「あかり、至近距離で撃ったな」
「あーあ。フライングアーマー壊れちゃったか。やっぱり細工すると鎧そのものの耐久力は落ちるな」
 追撃にルーチェは魔法射出機を発射。トウカはとっさにそばに落ちていた盾を拾い防ぐ。盾は再び宙を舞ったが、砲弾から身を守ることには成功した。
「ジリ貧だな。このまま押し込まれる」
「いや、そうはならないよ。あれの装弾数は三発までだから。高火力・精密性を追求したらそこが犠牲になったんだ」
 はたして、ルーチェは銃を地に置いた。
 二人はよろよろと歩き出し、やがて手が届くようになると殴り合う。お互い、剣はどこかにいってしまっていた。
「赤山嬢は別にしても、まさか長女があんな風になるとはなぁ」
「強くなったな、冬窓床。いろんな意味で」
 感慨深そうにつぶやく兄と父の横で、跡永賀は冷や汗を流していた。まったくもって、どうしてこうなった。あのおとなしい幼なじみが、自分の彼女を殴っているとは。こんな展開になると誰が予想できただろうか。
「お前はああなるなよ」
「ぷるる?」
 主人に抱かれたモモは不思議そうにするばかり。
『いいかげん! 諦めなさいよ!』
『それはこっちのセリフ!』
 トウカの拳がルーチェの頬にめり込んだかと思えば、ルーチェの拳がトウカの顎をとらえた。純粋な力で単純に殴るトウカの一方で、力は劣るかわりに効果的な手をルーチェは打っていた。
『あんたのせいで、何もかもめちゃくちゃよ。ずっと前から好きだったのに、あんたが余計なことするから!』
『ずっと前から好きだった? 私だってそうよ! 初めて見た時から気になって、だから好きになってほしくて、ここまで自分を磨いてきた。誇れる自分になれるようにがんばってきた!』
「知ってた?」とソフィア。
「初耳だ」と跡永賀。
『何もしないで、ただ与えられてきただけのあんたに、私の何が負けてるって言うのよ!』
トウカの鉄拳がルーチェの鎧を貫き、そのまま腹を打つ。ルーチェはうめいたが、それでも倒れなかった。
『だったら、いいじゃない。あんたは、跡永賀にこだわらなくても! あんたは他の男を選べるけど、私には跡永賀しか、私を選んでくれたのは跡永賀しかいないのよ! なんでよりにもよって、あんたみたいなのが私の好きな人を選ぶのよ!』
ルーチェの肘鉄はトウカの鼻をとらえ、さらに肝臓を狙って鋭い蹴りが炸裂する。しかしトウカはふらついただけで、すぐに構えを取った。
 二人が拳を振り上げる。避けることも受け流すことも考えていない。ただ、相手を倒すことしか考えていない体勢だ。
『これで!』
『全部!』
『終わり!』
『ケリをつける!』
『あんたを!』
『私が!』
『倒す!』
『勝つ!』
 その瞬間、跡永賀は目をそらした。とても直視できるものではない。ゆえに、その程度は音で察するしかないが――――
 人が出す音とはどうしても思えなかった。
 再び目にした戦場に、二人の姿はなかった。
「あっちと」
「そっちな」
 兄と父に示された方を見れば、右と左、遠くに煙が舞っていた。跡永賀の曖昧な記憶を頼りにすれば、どちらにも大きな岩があったはずであった。それが瓦礫の山と化し――
「どっちもぶっ飛んで、そのまま瓦礫の下敷きに、な」
「清々しいくらいのダブルKOだったよ」
 踏み留まる力も残っていなかったのだろう。そのまま相手の殴る勢いに飛ばされて……跡永賀は身震いを止められなかった。
 どちらにも動く気配は感じられない。どう見ても相打ちだ。
「あれは下手に助けない方がいいね。そっとしておこう。蘇生魔法覚えてないし」
「さて、仕事の後始末してくるかな。それから父さんは母さんと合流するけど……お前はどうする?」
「俺は……」
 跡永賀は自身の腕にある〈心つなぐ鍵〉に目を向ける。残された時間は少ない。
それなら、
「ここにいるよ。二人が心配だしね。ゲームが終わるまで見守っていたい。それしかできること、なさそうだし」
「ちゃんと〝お別れ〟は済ませたのか?」
「いいよそんなの。知り合いとしか会ってない……どうせリアルに帰ればまた会えるんだから」
 そう言ったら、父は眉をひそめ、兄は「やっぱり、まだ気づいてないのか」とため息。
「…………?」
「跡永賀、説明……インストールは受けているだろ」
 父の言葉に、ますます跡永賀は首を捻る。続く兄の言葉で、ようやく気づいた。
「ここにあるアイテムは持ち帰れないんだ。当然、モンスターもな」
「…………そんな」
 気づけた。
 気づいてしまった。
「ぷるる?」
 逃れられない別れに。

 兄と父が去り、姉と恋人が眠る場に、跡永賀はモモを置いて佇んでいた。
「ぷるる?」
 何をするでもなく、自分を見下ろしているだけの主人に、モモはどうしていいか困っているようだった。
 ――――『そんなことしたら辛いぞ』
 兄が言いたかったことは、そういうことだったのだ。
 何も失わないはずだった。すべて取り戻せるはずだった。
 それなのに。
 また失う。
 この手から離れていく。
「お別れ、なんだ」
 しゃがみ、モモと目線を合わせる。このまま何も言わずに消えるのは嫌だった。せめて、告げてから消えよう。知らないまま絆を失くす苦しみは、ここで学んだことだ。
「もうお前とはいられなくなる」
「ぷる……」
 言葉を理解したのか、それとも顔から察したのか、モモは涙を浮かべた。
「俺だって別れたくはない。けど、そう決まっていたんだ。始めから……」
 皮肉な話だ。あれだけ願った〝終わり〟――帰還なのに、今はもっと、もっと続けばいいと望んでいる。
 どうしていつも、失う時になってはじめて、その重要性に気づくのだろう。
 〝あって当たり前〟が、どれだけ尊いか。
 家族や恋人に始まり、ここでもまた……
「ごめんな」
 撫でるなり抱きしめるなりしようと手を伸ばす。
 しかし、それが届くことはなかった。
 突然の激痛に、跡永賀は倒れる。
 朦朧とする視界で振り返る。
「はぁはぁ……やったぞザマァみろ」
 アーサーキング。やつれた体や荒れた髪で、以前とは別人のようであったが、間違いない。
「お前のせいだ。お前に会ってから、全部おかしくなったんだ」
 たしか、あれからずっと部屋に引きこもっていたはずだが、どういうわけか出てくる気になったらしい。おそらくは、ルーチェやトウカに復讐できないから、弱い自分を狙って逆恨みか八つ当たりをやろうという算段だろう。後腐れや報復のない、ラストチャンスである最終日の、残された少ない時間を狙って。
「うまくいってたんだ。好き放題やって、楽しい気分で毎日……」
 跡永賀の居場所を調べるために興信所でも使ったのか、アーサーキングに装備という装備はない。かつての跡永賀同様、棒きれを持っているだけだ。
「それなのに変な女に絡まれて騎士団を追い出されて、残党に混じってあの街に行けばわけわかんねえやつにやられるしよ」
「なにを言って……」
「うるせえ!」
 アーサーキングは叩く。容赦なく棒で何度も叩かれた跡永賀は痛みにうめいた。
「お前らみたいな雑魚は、黙ってやられてればいいんだよ。みっともなく噛み付いてきやがって! 死ね! 死んじまえ!」
 跡永賀は腕で頭をかばい、体を丸めるが、それでどうにかなるものではない。ステータスは依然として初期のままで、武装は皆無。ジリ貧だ。
「ぷるるう!」
 怒りに震えたモモがアーサーキングに体をぶつけるが、「邪魔すんな!」と振り払われる。
「雑魚が束になったってなぁ、何にもならないんだよ!」
 バシッと音を立て、アーサーキングはモモを強か叩く。それでおとなしくなったのを見て、再び跡永賀に矛先を向ける。
「ぷるるー!」
 どうすることもできない。その情けなさからか悔しさからか、モモはどこへ向けるともなく叫んだ。
 叫び、叫んだ。
 叫び続けた。
「はっ。ザマあねえな。助けたモンスターも役立たずで、テメエ自身も何もできないときてる。惨めだろ? 惨めだよなぁ。そのまま惨めったらしく死ねゴミクズ!」
 ピントの合っていない視界。その隅にある山が動いたように映った。向こうで何かあったのだろうか、と一瞬思ったが、『だから何だ』とすぐに考えるのをやめる。
 いよいよ、意識が遠のいてきた。
 そろそろヤバい。
 手元の〈心つなぐ鍵〉に目をやる。正午までもう少しだが、時間はあるといえばある。ここで自分がやられたら、次に襲われるのはモモだ。こいつは自分から離れようとはしないから、逃げるだろうという期待は持てない。
 ここで自分がどうにかしなければ。
「テメエらはなぁ! 踏まれてるのがお似合いなんだよ!」
 踏んできた足を跡永賀は掴む。
「……あるんだぞ」
「あ?」
「踏みつけられる奴にも、心はあるんだぞ!」
 力任せに掴んだ足を引っ張ると、アーサーキングは尻餅を着いた。そして跡永賀は立ち上がり、それを見下ろす。
 それだけだった。
「知るかよ」
 腹を棒で突かれ、跡永賀はうめく。その間にアーサーキングは立ち上がり、棒を振りかぶる。
「もいっかい踏みつけられろや」
 しかしそれが振り下ろされることはなかった。
「な……に?」
 アーサーキングの横っ腹に何かが当たり、男はそのまま岩の壁に埋まったのだ。
 身動き一つない。おそらく、即死である。
 跡永賀は目の前のものに手をやる。横――はるか地平線の向こうから伸びた丸太のような物体。色は紫であるが、この形と……
 ぷに。
 質感は……
「お前じゃないよな」
 驚いてすっかり泣き止んだモモを見る。
「うおっ」
 太いゼリーが跡永賀の頭に乗る。すると言葉が――思念が入ってきた。
 ――――我ははるか彼方に住まうもの。
「彼方って……山しか見えないけど」
 ――――それが我だ。
 標高何百メートルだよ。跡永賀は唖然とする。スケールが違いすぎる。
 ――――我はヒトが呼ぶところの帝王級に位置する。
「帝王級って……プルルンの?」
 ――――ヒトは我らをそう呼ぶようだな。
「それがどうして俺なんかを」
 ――――女王候補が助けを呼んだのでな。
「……ってことは」
 擦り寄ってきたモモを、痛み痺れる腕で抱き上げる。こいつは女王級だったのか。珍しい種類だとは思っていたが、まさか。
 ――――我らは幼少の女王候補をいくらか野に放つ。そして約束の地に辿り着いたものを女王とする。我はその地を護る責を担っている。
「こいつがその女王で、その命令でってことなのか?」
 ――――いや。
「だったらなんで」
 ――――我の気まぐれ――興味の所作だ。ヒトのために助けを乞うものは初めてだったゆえな。ヒトと我らは敵対関係にあるのが常だ。
「そうだな」
 ――――しかしそれが、我と戦った者の子だったとは……いやはや。
「母さんを知って……というか俺を知っているのか?」
 ――――何の対策もないヒトの思考や記憶を読むことなど、我には造作もない。もっとも、お前の母はそれでも立ち向かってきたがな。それにしても、山と化した我を見抜いた上で退かず剣を向けるとは。ヒトとは計りがたい生き物よ。
 そういえばそんなことを言っていたな。
 ――――『擬態するモンスターがいてさー』
「ちなみにその時どっちが勝ったんだ?」
 ――――教えぬ。知りたければここまで来るがいい。そうしたら教えてやってもよい。
「無茶を言うな」
 ――――そうだな。実力も時間も、お前には足りない。
「ああ……」跡永賀はモモを撫でる。「こいつが女王になるのも見届けられない」
 ――――また来ればよい。
「またって……あるかわからないだろ、そんなの」
 ――――では諦めるのか。
「それは……嫌だな」
 ――――では願え、求めよ。さすれば、開かれる道もあろう。
「そうか……そうだな」
 ――――また会おう。未熟なるヒトの子よ。
 帝王級の腕――とでも呼べばいいのだろうか――が離れていく。それが地平線の向こうへ戻っていくのを、跡永賀は黙って見送った。
「モモ、助けてくれてありがとう」
「ぷるる」
 傷からくる痛みを無視し、どうにか笑顔を浮かべる。
「これだけじゃない。お前はたくさん、俺の心を救ってくれた」
 ただ共にいるだけで、人は救われる。それだけのこと。しかしなんと尊いことか。
 絆。
それすなわち宝。
「ぷるる」
 モモも合わせるように、精一杯の笑みを見せる。お互い、傷だらけのみっともない姿だ。それでもどこか誇らしい。不思議な感覚だ。
 〈心つなぐ鍵〉に刻まれた残りの時はもう尽きる。
「いつか――いつになるかわからない、けど、絶対に帰ってくる。お前のいる、この世界に」
 強く、強く腕の中の命を抱いた。離さないように、忘れないように。力と心を込めて。
「ぷるる」
 その声を耳に残し、跡永賀は旅立った。
 そしてすべてのプレイヤーが帰還する。

 瞬き一つで、また闇の世界。
 そこに立つ女性もまた以前の通り。
『これにて〈テスタメント〉オープンβテストを終了します。お疲れ様でした』
 相変わらずの無表情で、その女性は頭を垂れた。
「あの……ああ、まずはアンケートですか……?」
『いえ。すでに必要な情報は収集しております』
「あ、そうですか。というか、俺が聞きたいこと、本当はわかるんですよね」
 帝王級とはいえ、モンスターが心を読めるのだ、彼女が――彼女たちができない理屈はない。振り返れば、キャラクタークリエイトの時だってそうであった。
『把握は可能です。しかし、だからこそ把握ができないのです』
「は、はぁ」
『ヒトという存在は、思ったことすべてが真実ではありません。矛盾や背反が常にあり、その混沌の中から、その時々の事情で選択する存在がヒトなのです』
「理性と本能……理想と現実みたいなものですかね」
 言うなれば、おもちゃ箱なのだろう。たしかに中のおもちゃはすべて知っているが、当人が何で遊ぶかは直前になるまでわからないという。
『その例えは的を射ています』
「あ、どうも」
『そのため、口を通して出てきたものを決定された選択として、真実とするのです』
「そう、ですか。じゃあ……また、このゲーム出来ますか? もちろん、製品として販売するって言うなら、お金は出しますし、またテストするって言うなら、喜んで参加します。もうこの時点で、予約します」
『未定です』
「未定……じゃあ、やるかもしれないんですね」
 跡永賀は前向きに受け取ることにした。今までだったら、こんな判断はしなかっただろう。たとえ少しの希望でも、諦めずにすくい取る。きっと昔の自分ではできなかったことだ。
『言葉の解釈はお任せします。我々は存廃の判断を保留している。それだけです』
 ただ、と話は続き、
『現時点で、〈テスタメント〉への積極的な支持は、あなたを含めて三九七八四人より頂いています。これは、通常のゲームソフト……あらゆるアプリケーションと比較しても、異常な人気です。この結果を無下にする選択は、通常はありえないでしょう』
「じゃ、じゃあ」
『未定は未定です』
「でも解釈は――期待するのは自由なんですよね」
『仰る通りです』
 跡永賀は意図せず、ぐっと拳を握った。達成感とは違う。手を伸ばした先に、光が差したという感じだ。
『以上でよろしいでしょうか』
「あ、じゃあ最後に」
 まだまだ色々なことを聞こうと思っていたが、どうしたことか、頭から抜け落ちてしまった。それほどの興味ではなかったということか。欲というのは本当に直前で姿を消す。
 なので、
 言いたいこと、伝えたいことはただ一つ。
「このゲーム、面白かったです」
『ありがとうございます』
 彼女の貴重な微笑みを最後に、少年は帰還した。

 瞬きをした次の瞬間、やはりというか、そこにあるのは別の世界――元の世界だった。
 そして、すぐに舞い込んでくるズレの情報――過ごしていないはずの一日の記憶――が跡永賀にここでの無事を確認させた。本当に、何事も無く一日を過ごしたようである。起床から始まり、いつもの生活、そして就寝と、何の落ち度もない。完璧な自分の姿。
 現在の自分は、昼食にしようと自宅の一階リビングに移動したところだった。
「アットたんおかえり」
 最初に跡永賀のもとにやってきたのは、兄だった。
「ああ、ただいま」
「無事戻ってこれたかい?」
「多分な」
「そう。ならいいんだ」
 次にリビングへ続く扉を開いたのは、
「やっぱり、ここにいた僕らも向こうのことは知っているから、家にいたんじゃないかな。確認のために。日曜で会社もないしね」
「みたいね。そんな覚えがあるもん」
 両親だった。「あら、一人いないわね」
「そのうち来ると思うよ。あと別にもう一人」
 太郎の言葉を肯定するように、階段からドタドタ、ここにある庭へ続く窓からトントンという音が。
『跡永賀ー』
 期待感満載といった顔でノックするあかり。
『あ、何すんのよ』
 それを勢い良くカーテンで隠す冬窓床である。
「跡永賀は私の」
『ふざけんなコラー!』
「ボクティンの弟の彼女と幼なじみが修羅場すぎるでござる……これをラノベにすればアニメ化も狙えることは確定的で明らか」
「勝手にやってろ……いや、やるな。やめろ」
 跡永賀が窓の鍵を開けると、あかりがガラリと開けて跡永賀の腕に絡みついた。「うんうん、これが正常、これでこそリアルに帰ってきたっていうものよ」
 いつの間にか靴を脱いでいたあかりは、跡永賀の腕を引いてリビングのソファに座る。
「跡永賀……」
 その逆サイドには冬窓床がぴったり。あっちであれだけハジけていた姉は、こっちでは元に戻るらしい。ネット弁慶というやつだろうか。
「皆、無事に戻ってきたみたいね」
「皆……?」
 母の言葉に、跡永賀は首を左右に振って見回すが、やはりここには家族と恋人だけだ。ほかに誰かが来る気配はない。
 これで全員なんだ。
 自身の手を――離さないと掴んでいた手を見る。
 何もなかった。
「なんで……」
 わかっていた。わかっていたことなのに、言わずにはいられない。 
 どうしてここにいないのか。
 どうして向こうにいたままなのか。
「あ……ああ……」
 嗚咽する跡永賀に、ここにいるすべての者は何も言わなかった。その喪失を察しない者は誰もいなかったのだ。
 この涙を跡永賀は知っている。会えなくなったことに流す涙。失った絆を悔いる涙。
 ただそばにいる。
 それだけでも尊いのだと知った涙だ。
 会いたい。
 願うことは、ただそれだけ。

 
エピローグ

【[速度がマッハ]〈テスタメント〉part1002[鯖落ち不可避]】

 545 名前:NO NAME:14:41:33.77 ID:joidfa1fj
おい、数日で加速しすぎだろ何があったんだよ

 549 名前:NO NAME:14:41:35.88 ID:ad45soad
 終了初日より衰えたとはいえ、これでも勢い実況スレ軽く超えてんな。避難所もすげー速度だし

 568 名前:NO NAME:14:42:37.58 ID:faffsja6
 結局、一人で騎士団潰したって話はマジなの? なんかドラゴンが飛んでるのは見たけど

 599 名前:NO NAME:14:53:35.41 ID:adgkslkq
 俺騎士団(まあ元ってことになるんだろうけど)だけど、その人一人に壊滅させられたわ。幹部瞬殺で後はまあ逃げたり他人のフリしたり

 606 名前:NO NAME:14:57:14.27 ID:jdsoja5
 ハンナさんな。もうあの人だけでいいんじゃないか状態。昔流行った一人旅団だよ

624 名前:NO NAME:15:04:10.71 ID:gfako1j
 俺あの人の旦那の工場で修行してたわw アビリティあがりまくりw うめぇwww

631 名前:NO NAME:15:11:41.78 ID:kahg1ur
 俺は普通にそこで働いてたな。割いいし優しいし。リアルだったらブッチギリのホワイト企業だわ。おまけに装備は安くしてくれたしな。まあ、俺はバトってないから知り合いに譲ったけど。

 637 名前:NO NAME:15:12:51.88 ID:kahgdoq
 〔悲報〕ハンナさん、人妻だった

 641 名前:NO NAME:15:13:15.24 ID:sadfurt
 グッズに費やしたお金かえして!(泣)

 643 名前:NO NAME:15:15:25.98 ID:dajof2r
 はぁ? 一日でどんだけ進んでんだよ。おかしいだろ

 648 名前:NO NAME:15:17:24.41 ID:haajojo
 1‐3のレス番にあるテンプレ読んどけ。あっちじゃ半年あったんだよ。それでもまだまだ足りないわ。第二次オープンβか製品版出たら次も絶対やろっと

650 名前:NO NAME:15:18:04.21 ID:gjiafhq1
 引き継ぎあんの? 誰かあのガイドさんに聞いた?

 652 名前:NO NAME:15:18:50.14 ID:kgmkgig
 ガイドさんは俺の嫁

 655 名前:NO NAME:15:20:34.21 ID:gjiafhq1
 ガイドさんに会うためだけにまた参加するオレガイル

 658 名前:NO NAME:15:15:25.98 ID:jglbaja1
 ガイドさん情報だと次やるとしたら引き継ぎはある。ただし第二次か製品版にするか、そもそも出すかは未定。今は情報処理して検討中だろうよ

 664 名前:NO NAME:15:17:05.18 ID:gajklka
そういえばモンスターって仲間にできるのね。ハンナさん見て初めて知ったわ。

 667 名前:NO NAME:15:18:21.45 ID:dajof2r
 けど自分のステ以上のやつ仲間にできないだろうし、そいつにばっか戦わせてたら自分が強くなんねーし微妙じゃね。ヘタしたらステ低下する悪循環だぞ

 669 名前:NO NAME:15:25:52.18 ID:jgajoaa
 ステータス上げしないで強いやつ仲間にできるのが理想だよな、その場合。帝王級も仲間にできんのかな

 675 名前:NO NAME:15:27:45.62 ID:jhjgdof
 帝王級とかなにそれおいしいの?

 677 名前:NO NAME:15:28:51.27 ID:aghhikh
 出会ったらただちに逃げないとアカンレベル。もうあれ、負けイベントと一緒。

 680 名前:NO NAME:15:30:24.17 ID:qjfak1m
 調子のって帝王級挑んだらうちのギルド全滅しますた(^q^)

 690 名前:NO NAME:15:33:43.89 ID:GegLda0
 ギルド全滅といえば騎士団ボロ負けしてから残りってどこいったん?

 693 名前:NO NAME:15:34:54.46 ID:4aa16+0
 騎士団事件でやられても残留したのと騎士団でも決起に不参加だったのとか集めて集団テレポしたよ。シェルター周辺はもう完全に居場所なかったし。まあそこでもやべーのにエンカウントして全員やられたけどな。あとはプレイ終了まで足並み揃わずグダグダだよ。

 712 名前:NO NAME:15:38:12.86 ID:GegLda0
 >>693
 やべーのについてくわしく

 735 名前:NO NAME:15:42:38.11 ID:4aa16+0
 >>712
 くわしくっていわれてもなぁ。とりあえず手当り次第にランダムな座標でテレポして良さげな市街地見つけたから暴れまわってたらボスみたいなのが出てきて詰んだ。もうあそこには二度と行かねえ。

【四鹿跡永賀】
 あれから数日が経った。初めての友達を失い、その影に悩まされることも少なくなった。バスケットボールを見ると憂鬱になる以外は、いたって元通りだ。
 今までのように塞ぎこんで引きこもるのは、もう嫌だった。だから、無理をしてでも学校に通っていた。校内の雑談の話題は、〈テスタメント〉でもちきりだった。実際にプレイをした人間の周りには未プレイ者が集まっていて、体験談で大盛りあがり。一方ではプレイ者同士で思い出話をしたり……
 跡永賀はどちらでもなかった。語るような――語れるようなことはなかったし、語る相手もいなかったからだ。
 ハンナが自分の母親だと言ったらどうなるだろうか――何度か考えたが、結局口には出さなかった。虎の威を借る狐のようで、情けなく思えたのだ。
 あれ以来、イグザム・エンタープライズから連絡はない。もちろん、終了して数日でどうにかなると期待はしていないが、このまま自然消滅しそうで、怖い。
 初無敵は相変わらず無職だ。あれだけ儲かっていたのにと残念がる彼は、『こんな低賃金で働く社畜になるなんて負け組』と、太郎が買ってきた求人誌を資源回収に出していた。今日も、飽きもせずアニメの実況に明け暮れているだろう。
 両親も相変わらずで、ゲーセンに入り浸る母に、何が楽しいのか父は付き添って支えている。母曰く、たまに耳に入ってくるハンナの武勇伝にドキリとするらしい。父曰く、工員とはリアルでも仲良くやっているそうな。それにより浮気を疑われ、一波乱あったのは別の話。
 冬窓床は元のおとなしい少女に戻った。といっても、以前よりは強くなったようで、あかりに泣かされることはなくなった。あかりとデートをすると、ほぼ確実に姉同伴になる。さすがにリアルでは命がけの殴り合いはしないらしい。跡永賀はひとまず安堵した。
 あかりは『空が飛べなくなった』と嘆いていた。冬窓床と険悪なのは変わらずだが、そこに軽蔑はなくなった。どうやら、骨があるとは認めているらしい。『余計厄介になった』と唇を尖らせる彼女は、どこか面白がっている。
 そして跡永賀は――――
「なあ、アット。〈テスタメント〉って知ってるか」
 放課後にその問いを受けた跡永賀は、数瞬ほど停止した。どうしたものか。昔の自分だったら、目をそらして『知らない』とぶっきらぼうに答えただろう。
 でも、今は?
 今の自分は何がしたい? 何をするのが正しいと思う?
 あそこで学んで、ようやく気づけたこと、出来るようになったことがある。
 ……もう、昔とは違うよな。
 跡永賀は胸中で納得し、うっすらと――やがてはっきりと、笑みを浮かべた。
「知ってるよ。ていうかやった」
 すっかり懐かしく映るオタク連中にそう言うと、彼らは『おお』と声を上げる。
「バカ兄貴に付き合わされてな」
「それで、どうだった?」
「別に。そうだな、リアルではあったかな」
「それでそれで」と急かす声に、跡永賀は手で制する。
「その前に、頼みがあるんだけど」
「頼み?」「アットが?」「珍しいな」と三人は驚いた顔をする。
「見たいアニメがあるんだけど……お前らがずっと話してたやつ。前から気になっててさ。見せてくれないか。……嫌ならいいんだけど」
 跡永賀はバツが悪そうに頬を掻く。あれだけ言っておいて今更な気がするし、面と向かって口にするのは気まずかった。
 すると彼らは喜びの声をもらす。
「ついにアットがこっちの道に!」
「扉が……扉が開かれたぞ!」
「イエス! オタクライフ」
「俺はオタクじゃねえよ」
 跡永賀は呆れたような顔をする。昔の自分とは違うがそれはそれ、譲れないのである。
「それで、どうなんだ?」
「もちろんいいですとも!」
「さっそく鑑賞会をしよう!」
「家からディスク持ってくる!」
 なんだ簡単じゃないか。跡永賀は胸中でつぶやく。変な意地を張ってないで、受け入れるだけでいい。それだけで、こんなに簡単につながりができる――絆が生まれる。
「でもいったい、どういう風の吹き回しだい?」
「別に大したことじゃないさ」
 彼らと廊下を歩く跡永賀は、窓の外から遠くを――ここではないどこかを眺める。あそこも、こんな風な空だった。どこまでも青く、どこまでも大きい空。
「いつか再会する友達に、みやげ話を――色々なことを教えてやりたいんだ」
 世界や種族を超えて出会い、培った絆。そこで得た様々なもの。せめて、自分も何かを与えられるようになろう。それがけじめというものだ。そしておそらくは、友情というものだ。
 ぷるる。
心のどこかで、楽しげな声がした。

                                    【了】

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